ファントムコード 月下の迷子(カグヤ)   作:ふゆのねつ

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第6話:純粋という名の悪意

 かつてのミハエルは、勉強やスポーツで負けるたびにアッシュを激しく罵倒し、家柄の差を突きつけて見下そうとした。企業の高官を親に持つ特権階級の生徒たちが冷ややかな視線を向ける中、その傲慢なプライドをいつも正面からへし折ったのが、サクヤ=カミシロだった。

 

「ミハエル、またそうやって意地悪言う! アッシュもアッシュで、黙って睨み返さないの。ミハエルはただ、ちょっと寂しいだけなんだからね」

 

「ぼ、ぼくは寂しくなんかない! そもそもサクヤ、君だって資産家の令嬢だろう? こんなアビスの孤児なんかとつりあわないだろ!」

 

「ミハエルー!今度アッシュのこと悪くいったら、わたしが許さないからね!」

 

 彼女の持つ、凛とした毒のないその圧倒的な生命の気高さに満ちた剣幕に、ミハエルはいつも毒気を抜かれ、耳の裏まで真っ赤な顔をしておずおずと退散するしかなかった。だが、その背中はどこか救われたようでもあったのだ。

 

 サクヤの笑い声は、アビスの湿った空気さえも一瞬で陽だまりに変えてしまう。その暖かな光に手を伸ばしたかったのは、泥を這うアッシュだけでなく、システムに管理された孤独なエリートも同じだった。

 

 アッシュへの激しい嫉妬は、いつしか「自分と対等に競える唯一の男」への奇妙な敬意へと変質していく。サクヤという光を中心にして回っていたあの歪な3人の時間こそが、ミハエルにとっても、決して手放したくない唯一の『居場所』だったのだ。

 

 

―――

 

 

 「やあ、親友。久しぶりだね。会いたかったよ」

 

 鏡面装甲に囲まれた豪華は部屋の中心で、ミハエルの演じたような笑みは周囲の光を冷たく反射するばかりだったが、その「親友」という響きだけは本物だった。

 

「そっちこそ、相変わらずだな……」

 

「今日は僕とキミの久しぶりの再会だからね。このフロアはすべて貸し切りさ」

 

 アッシュは口角をわずかに歪め、自嘲気味な吐息を漏らしながら、金色のソファへと腰を下ろした。その重々しい座り方は、逃れられない厄介ごとをようやく受け入れた男のそれだった。

 

 ミハエルは、かつてスクールで競い合った少年時代の面影を僅かに残しながらも、今や巨大軍事企業「トライクロン」のAIC支部を統括するCCOの座に就いていた。メガコーポの意志を執行し、このエリアの生殺与奪の権を完全に握る若き最高責任者。彼が一言ホロ・リンクで決済を下せば、下層エリアの区画ごと数千人の命《スリーブ》が消去される。それが、今の彼の肩書きが持つ質量だった。

 

 人工合成された最高級の結晶グラス――バカラの器が放つ、屈折した硬質な光が、アッシュの古びたジャケットの綻びを容赦なく照らし出す。ミハエルが用意したその過剰な贅沢は、純粋な再会を祝うためのものではなく、二人の住む世界の高低差を無言で突きつけるための残忍な舞台装置のようだった。

 

 思い出話の最後の一滴を喉へ飲み干すと、万華鏡のような部屋に、重苦しい静寂が降りた。

 

「サクヤのことは知っている……とても残念だ。……キミはどうして、こんな仕事を? キミの能力なら、どんな企業にだって入れたはずだ。それに……リュウ=カミシロに許しを請えば、今すぐにでも……」

 

 ミハエルが浮かべた悲哀は、いかなる高度な演技《フェイク》をも超えて、真に迫っていた。彼は本気でかつての友を案じ、本気でサクヤの死を惜しんでいる。

 

 ――だが、その『友情』という名の純粋な善意、逃亡者への上質な憐れみこそが、アッシュにとってはどんな悪意よりも、反吐が出るほどに重く、汚らわしかった。

 

 アッシュは喉の奥で短く笑った。その笑みの裏には、泥を啜るような過去をひた隠す、静寂が張り付いている。

 

 ――『リュウ=カミシロ』。

 

 その忌まわしい名がミハエルの唇から滑り落ちた瞬間、アッシュの心に黒い帳《とばり》が落ちた。

 深淵から湧き上がるのは、網膜を焼くような剥き出しの憎悪だ。

 

 かつて己の手でその肉を抉り、引き裂いた男。そして、何よりも愛したサクヤの命を奪った、すべての元凶。

 

 アッシュは脳裏を這い上がる血濡れの記憶を振り払い、旧友の甘い憐れみに乗ることはせず、ただ短く告げた。

 

 

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