恋剣水花 ~笠間陣衛にゃ分からない~   作:朝食付き

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1.陣衛と務め

 その国に暮らすものに曰く、東松原には三つの自慢があるという。

 

 一つに風光明媚な景色。一年を通して濃い緑を保ち続ける霊峰白衣山の山容と、刀の切っ先を思わせる鋭い峰が天を突く。夏でも雪の冠を頂くその峰は、どれだけ見ても飽きることはない。

 二つに豊かな地の恵みがあるという。白衣山より注がれる冷たく澄んだ清流から生み出されし大河は、千年以上の長きにわたりこの地を潤してきた。大河には水面を跳ねる魚が尽きず、清流をなみなみと満たした水田は秋となれば一面に黄金を広げる。飢えることのない国なのである。

 そして、三つ。いかなる絶景であれ、地の恵みであれ、それは人の暮らしがあってこそ。ゆえに弱き人々を狙う悪意が絶えることはない。人に化け、人を喰らうあやかしどもは暗い穴より生まれ出ずる。しかしこの東松原には、人を守る剣士がいる。人の穏やかなる生活を支える守り人こそが、東松原の自慢なのである。

 東松原を狙うあやかしは尽きない。深く澱んだ暗がりから、人に非ざる澱んだ瞳がこの国を覗いている。

 

 だが、恐れることなかれ。その傍らには、常に守人がいるのだから。

 

#(一) 陣衛、その務め

 

 ――その部屋は、清浄な水と風により清められている。

 

 水調べの間と呼ばれるその部屋には、鏡のように揺らぐことのない水面がある。深さにして二寸ほどの浅い堀だ。揺らぐことなく揺蕩う水面は、陽光を静かに跳ね返し、部屋中を明るく照らしている。

 穏やかで美しいその水面は、邪悪なるあやかしの薄汚い悪意を暴く水鏡でもある。

 

 水鏡の左手に控えるのは水守の司が一人――笠間陣衛である。

 身に纏うは純白の水干と薄衣の面。それは特別な守人だけに許された上質な装いである。

 陣衛の固く引き結んだ口元は緩まない。黒く力のある瞳には一分の揺らぎすらない。

 水鏡を挟んだ対面には、陣衛と組を成す水守の司――辻堂朝芳が同じように腰を下ろしている。

 薄絹越しに陣衛は目くばせをすれば、朝芳が軽く頷く。陣衛は静かに息を整え、腹の底から響かせるように発声した。

 

「これより開門とする! 水調べを受けるものをここへ!」

 

 門士――関所に勤める守人はそう呼ばれる――が開門を待ちわびていた集団を一列に並ばせていく。案内役の門士が陣衛と朝芳に目配せを一つ。。

 促されて歩き出すのは商人の男である。行商をしているらしく、陣衛が水守の司を任じられてから時折見かける顔だ。慣れたように男はわらじを脱ぎ、腰袋にしまい込む。そして、水鏡へと足を踏み入れた。

水面が揺れ、水鏡が光を散乱させる。陣衛と朝芳――二人の若き水守の司が注意深く水に映る姿を見極める。

 

 ――水に映るは人か、あやかしか。水鏡を持ってその由を調べる。故に付いた名が水調べ。これこそが水守の司の唯一かつ最重要の務めなのだ。

 

 ちゃぽちゃぽと軽い音と共に、男が水鏡を渡りきる。微動だにしない陣衛達を気にしながら、水調べの間から先へと進んでいく。

 水守の司は人の往来を妨げない。善良な旅人も、腹に傷あるヤクザ者も、人であるなら等しく道を開ける。

 

 ――だが、人にあらざれば。

 

 白峰より注ぐ清水は、真実を映す。あやかしの邪悪なる変化すら水鏡の前にはその正体を映すのだ。ひとたびあやかしが変化のままに水鏡に姿を映せばたちまちのうちにその正体を水面に映す。

 陣衛が任じられている水守の司、その務めである水調べはあやかしの変化を暴き、討つことが務めだ。高位のあやかしほど巧みに人に化ける。この東松原においても、五十年前には人に化けたあやかしによって半壊の憂き目に遭ったことすらある。その反省を活かし生み出されたのが水調べという判別法なのだ。

 

 水調べでは、城下への入門を望むもの全てが水に映される。だから水守の司は、人とあやかしとを見抜き、あやかしを斬り捨てる。あやかしの悪あがきすら許すことなく、一瞬であやかしを討つのだ。

 

 次、と来訪者を捌く守人の門士(いわゆる門番である)が新たな旅人を水調べの間へと招く。適度な間隔で水を渡らせていく。

 間隔が短すぎれば水鏡の揺らぎが大きくなるから見逃しの恐れがある。長すぎればいつまでも終わらず文句が出る。案内役は年かさの慣れた門士が務めることが多い。そんな遣り手の門士から見ても、陣衛と朝芳の二人組は頼もしい。

 多少水が揺らごうとも問題とせず、速やかに判断を下す。あやかしが現れようと、文字通り瞬く間に事が済む。いかなる時でも穏やかな水面のように務めを果たすのだ。

 鉄面皮の陣衛と優男の朝芳。水と油のような二人だが、関所の門士や守人からは頼れる二人なのであった。

 

 陣衛と朝芳の顔を覆う薄衣は、水鏡の反射を和らげる効果を持つ。そしてあやかしの異能――正気を奪う瘴気や催眠を防ぎ、無頼の輩からの報復から守る効果もあった。ただ、水調べを受ける人からは圧を感じるとの苦情もあったが。

 

 そんな薄衣越しに、水調べの間へと足を踏み入れる来訪者を陣衛は見つめる。

 次々と水を渡っていく人達、水調べを待つ並ぶ人々のうち、腰の曲がった老人に陣衛は目を留める。早めに履物を脱ぐ仕草に、陣衛は言葉にできない違和感を覚えたのだ。それは水守の司として人を見極め続けてきた者特有の勘でもある。陣衛がかすかに体の軸を整える。陣衛の対面に座る朝芳もほぼ同時に備えている。

 

 来訪者たちを門士が並べ、一人ずつ水鏡に通していく。足を濡らす一人一人、その一挙一動に注意を払う。いつでも刀を抜けるよう、調息する。

 四人目、件の老人が水に踏み入れる。傍目より見れば足下におぼつかなさのある老人でしかない。だが、水鏡はその真の姿を明確に映し出す。

 

 ――獣だ。ごわりとした黒の毛に覆われた山犬の獣人。人を食らうあやかしの代表とも言える種族だ。当然、城下へ入れる訳にはいかない。

 

 老人のすぐ後ろで自分の番を待っていた恰幅のいい男が、ひっと悲鳴を漏らした。その悲鳴に正体を見破られたことを悟り、獣人は背後の男を盾にすべく、ごわごわとした毛に覆われた腕を伸ばす。人質がいれば守人は動きが鈍る。それを獣人は知っていた。どうにかして城下に入り込みさえすれば後はどうとでもなる。にちゃりと口角を上げた獣人は、そこで何もつかめていない腕に気が付いた。伸ばしたはずの腕がない。ごとん、と床に落ちたのはあったはずの腕の先で。

 

 次の瞬間に、首と右腕、さらに右足をなくした体が、水に転がり倒れる姿を見た。そしてそのまま、何が起こったかを理解することなく意識が闇に還っていった。

 

 ***

 

 水鏡が正体を暴いたその瞬間には、陣衛は刀を抜いていた。トンっと板張りに跳ねる音を残し、刀を振るう。鍛え上げられた鋼は残光を引くように一文字を描く。

 薄紙を裂くよりも容易く、その刃はあやかしの首を切断した。あやかしが変化を解くよりもなお早く、陣衛はその役目を果たしている。

 そして全く同時に右方からあやかしの左脚を断ち切った朝芳と並び立つ。あやかしが煙に還っていく様をただ見る。

 

 水守は二人一組。一人が首を、もう一人が足を狙う。万一片方が防がれても、もう一人が確実に戦力をそぐ。城下へは通さず、さりとて野にも帰さず。ただここで死んでいけという無言の意思。水守の司の基本戦術なのである。

 ぼろぼろと崩れて薄墨色の煙と化すあやかしを前に、陣衛が声を張り上げる。

 

「水調べにて、あやかしの侵入と打倒を確認! これにて幕とする! 門においては引き続き厳なる対応を願う!」

 

 あやかしは死ねば黒い塵と煙になる。その様を確認した陣衛が討伐宣言を放つ。門士はそれを受けて感謝と後始末を担う旨を返す。目の前で突然に発生した戦闘に動揺する来訪者は、一度水調べの間より追い出すこととなる。門士が申し訳ないねと別の間へと向かわせる。

 あやかしの塵と煙で穢された水鏡は、水の入れ替えと洗浄が必要である。そしてあやかしを斬った水守の司にも。あやかしが流す血や、死後の塵と煙は全て毒である。だから陣衛と朝芳は禊ぎに入り、その間は予備役の水守の司が同じく予備の部屋で水調べを行うのだ。

 

 そうやって、この国の平穏は保たれているのであった。

 

 

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