恋剣水花 ~笠間陣衛にゃ分からない~   作:朝食付き

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12.陣衛と逢瀬

 陣衛と美織が芝居観劇の約束をした日。取り決めていた時間よりも鐘一つ分は早く、陣衛は待ち合わせ場所に姿を現した。さらりとした白の上衣と紺の袴姿。いつもと大して違いのない格好ではあるが、上衣はおろしたてである。

 

 待ち合わせはいわゆる町の広間であり、ここで合流して芝居屋へと向かうのである。別に迎えに行くのでも良かったが、そこは突然現れた美那が絶対に待ち合わせるべきと断じたことで決まった。が、朝からどうにも落ち着かなかった陣衛としては確かにこれで良かったと思っている。さすがに時間の遙か前に迎えに行くのは迷惑だろうから。

 しかし時間までどう暇を潰すか、そう考え始めたときに陣衛は顔を上げる。聞き慣れた足音。ぱたぱたと自分に向けてやってくる。無論、美織である。

 

「は、早いですね……! これでも私、随分余裕を持って出たはずなんですが」

 

 おはようございますと続ける美織の姿は、陣衛の口を重くするのに十分な効果を持っていた。

 いつも陣衛が店で見る美織の姿は、動きやすさを優先した地味な小袖である。

 それが、今はどうか。薄い青に、橙の色糸が縫われた染め模様の打ち掛けを羽織っている。髪はつややかな黒髪を三つ編みにして頭の後ろでまとめている。明るい色のかんざしの飾がしゃらんと涼しげな音を立てた。

 

 まるで別人のような姿に陣衛の思考は吹き飛び、動きが止まる。しかし悲しいかな、陣衛の鉄面皮は普段と大して変わらないように見せてしまう。女性が着飾った姿にまるで無頓着な朴念仁、それが端から見た陣衛である。

 

「ふふ、いかがです? 私だって、着飾ればちょっとは見物でしょう?」

 

 そう言うと美織はくるりとその場で回転する。陣衛に着飾った自分を見せてやろうという心遣いである。なにせ、美織には陣衛の表情の一つ二つはすぐ分かるのだ。だから何一つ言わないままの陣衛であってもご機嫌である。陣衛から歯の浮くような言葉が出るわけもないと知っているし、その目が自分から離れないことだけで十分に満足であったからだ。再び陣衛と視線を合われば、何を思ったかの想像も付く。だから、してやったり。そう言う気持ちで美織はくぷくぷ笑った。

 

 美織は時間よりも遙か前に来てくれていたことが嬉しかったのである。はっきり言えば、このわずかな時間だけでも、勇気を出して気持ちを言葉に出した甲斐があったと思っていた。

 

「ほら、早く行きましょう。姉さん曰く、芝居を観るなら座る席は大切だそうですから。良い席を確保しませんと」

「……席は指定だ」

「あれ、そうなんですか? ならお話でもしていましょう。ふふ、私ばかり話すことになりそうですけど! ちゃんと聞いてくださいよ?」

 

 穏やかな日差しが注ぐ城下を、陣衛と美織が並んで歩く。美織は小柄で陣衛はでかい。だから美織は少し顔を上げて陣衛に話す。陣衛もいつもより狭い歩幅でゆっくりと歩く

 普段陣衛は卓に座っているし、美織はせわしなく店内を歩き回るから、そんなことすら初めて知った陣衛である。思ったよりも身長差を感じる。ずっと自分の顔を見上げているのでは首が辛かろうと、少しだけ身をかがめた。わずかな動きだったが、美織はにっこりと笑う。

 

「笠間さんも、そんな風に気遣いができる人だったんですね」

「ああ」

「ああ、って。もう、会話が続かない人ですね。そうだ、笠間さん。あの話して下さい。あの嘘っぽいお話をもう一度」

「嘘じゃない」

「分かってます。でもとっても嘘っぽいのは間違いありませんよ?」

 

 口下手な陣衛が年若い女子、まして陣衛をよく知る美織に敵うわけもない。それに嘘っぽい話なのは事実である。観念して、この芝居に誘うことになったいきさつを再び口にする。

 陣衛は美織を誘った日、その三日ほど前にあったという出来事をぼそりぼそりと語る。

 

 その日、務めを終えて職場を出たところ少し。夕暮れ前というのに一人泣く幼子がいたという。普段であれば陣衛の無為に険しい目付きに子供はより高く泣く。しかしなぜかその幼子は陣衛を見るなり抱きついてきたものだから困ったものである。

 美織はこの段がお気に入りなようで、陣衛の困り様を想像して釣られそうになるくらい楽しげに笑う。陣衛としては大変だったのでなんとも微妙な心持ちではあるが、結果として口下手な陣衛でも笑って貰えているという事実に全てを飲み込むのであった。

 

 さて、陣衛から離れぬ幼子に困った陣衛は、その子の親を探すこととなった。仕方なしに子を片手に抱き、うろうろと周囲を見て回れば、今度は年配の夫婦から道を尋ねられる。ぴたりと陣衛に張り付いた幼子を抱き、辺りを歩き回る様子を不思議がられつつ、老夫婦の助けになればと道案内をする陣衛。幸いにも老夫婦の尋ね先は大して距離があるわけでもなく、子の親を探すついでで構わないと思ったのだ。

 片手に抱いた幼子は思いのほか老夫婦になつき、道案内も首尾良く進んだ。朗らかに子の相手をする老婦人は、陣衛にここまでやってきた経緯を語ってみせた。曰く、婦人の夫と仲違いをして田舎から飛び出していった息子から文が届いたと。十年ぶりに会うのだと、嬉しげな老婦人と、幼子の話に夢中といった体でそっぽ向く老人。

 

 目的地――建てられたばかりの一軒家――へと到着すると、幼子が突然あー!と叫び陣衛の腕から飛び出していく。そして大きく元気な声でただいまというのだ。血相を変えて家から出てきたのは迷子の両親で、そして老夫婦の息子でもあった。何の因果か、迷子と老夫婦は互いも知らぬ血縁だったわけである。

 

 美織は口元を抑えながら、ふるふると体を震わせる。なんとか声を抑えようと我慢して、耐えきれず笑い声がこぼれる。笑いすぎて涙を目尻に浮かべて、美織はからかう言葉を投げる。

 

「親子が絆を取り戻し、祖父母と孫が初めて出会う、そんな感動の場面に、笠間さんが……」

 

 ああもうおかしい! 今度こそこらえることなく明るい声を響かせる。日差しが美織を飾る簪を反射してきらきらと跳ねる。どうにもまぶしいのはそのせいかと、それだけでない理由にとんと気付かぬ唐変木である。そんな風に笑われてしまっている陣衛ではあるが、そのからっとした笑い声に今度こそ釣られて口元が緩む。

 

「続きはいらないらしい」

「いりますいります! だって、仕方ないでしょう?」

 

 面白いんですから、と。つたない陣衛の語り口がいいのだと、美織が続きをせがむ。

 仕方ないと陣衛が続きを語る。

 

 そんな状況だから、どうした物かと陣衛は戸惑った。いい加減腹を空かせていたから、問題が解決したなら帰りたかった。さりげなく失礼すると言えば、礼をさせてくれと老婦人に引き留められ、陣衛を恩人だと見なした息子夫婦からも頭を下げられる始末。

 何とか帰ろうとする陣衛に、せめてと渡されたのがこの芝居の券だったのだ。

 聞けば、それは老婦人と息子のお嫁さんが用意した万一の策だったという。つまり、大喧嘩で別れた父と息子。再び喧嘩を始めるか、気まずくて一言も話さないか。なにせ十年である。話すべきことは多いが、わだかまりを埋めるには足りない。そう考えた老婦人は、息子の手紙に同封されていたお嫁さんへ密かに連絡を取った。もしもの時は強制的に芝居にでも押し込んで、同じ時間と話題を持たせてやろうと。そういう魂胆だったのである。

 

 しかし心配はもはや無い。知らずとはいえ、幼子にすっかり絆されていた老人である。今更そのこの前で厳しい顔を見せられるわけもない。せっかく懐いた老夫婦と離れずに済むと知った幼子はご機嫌なのだ。素直に喜びを浮かべる子を前に、老人と息子はどちらともなく笑う。

 そうなれば、幼子と老夫婦を引き合わせ、親子喧嘩を終結させた陣衛(道案内をしただけである)は、老婦人からすれば恩人である。その恩に報いようと取り出したのが件の観覧券であったというわけである。 

 

 そしてその券を無駄にするまいと、美織を誘ったというのが今回の始まりであった。

 実のところ、芝居に興味のなかった陣衛は、券二枚をまとめて姉妹に渡すつもりだった。しかし、狭い世の中で、次に会ったときに人に渡して見に行っていませんと答えるつもりかと、美織に怒られたのだ。

 そして、美織がそわそわと言ったのだ。もし、一人で行くのが不安なら、私と行くのはどうでしょうか? と。それなら、券は無駄になりませんし、芝居の感想だって話せて楽しいかも知れませんよ? と。

 陣衛は大いに頷き、そういうことになったのだった。

 

 ***

 

 美織と陣衛は並んで歩く。キラキラと光る水面、跳ねる小魚。今跳ねましたねと美織が言えば、陣衛が食える魚だと言う。あやかし対策を兼ねての水路であるが、白峰から流れ来る水は住民達の気持ちを和らげるし、非常時の食料備蓄を担っているのだ。

 釣り人が糸を垂らし、老人たちがは煙草を喫みながら白と黒の駒を打ち合う。日差しはまぶしく、人の顔は明るい。

芝居の開始まではゆっくり歩いても十分に間に合う。ぽつりぽつりと会話はほどほどに。しかし尽きることはなかった。

 

「今回の演目は龍打ち久ノ世ですって。笠間さんは知ってますか? お隣の国では有名なお話だそうですが」

「小さい頃、よく母にせがんで話をして貰った。暴れる龍を鎮めた剣士と銃士の話だ」

「笠間さんにも、小さい頃があったんですね」

 

 ないわけがない。しかし陣衛は軽く眉を寄せるだけで文句を言葉にすることはしない。言わずともそれが伝わるだろうと、人とのやりとりを怠けているのだ。しかし美織にとっては、分かることがなんとも面はゆい。

 

「……聞く度に話の内容が変わっていた。だから、今日は楽しみにしていた」

「私も、です」

 

 ふふふと美織は微笑む。静かにただ歩く。小さい頃の陣衛。きっと今と変わらずむすっと口を引き結んだ子供だったのだろう。いや、もしかすれば泣き虫であったかも分からない。あまり自分について語るような人ではないが、芝居の感想と一緒にどんな話を聞いていたのかを話して貰おう。そんなことを美織は考える。このとぼけた口下手が、子供の自分をどう語るのか。もしかしたら芝居よりもよほど面白い物が見られるかも知れないなと。

 

「芝居か……」

「今まで観に行かれたことはあるんですか?」

「ない。初めてだ」

 

 実は私もですとはにかむ美織に、陣衛は首を傾げる。なにせ美織は観てきたかのように芝居のあれやこれやを語っていたからだ。

 

「姉や義兄に、常連さんまでよってたかって私に知恵を付けようとしてくるんです」

 ”なぜか”芝居を観に行くことを知っていたのだ。周囲の人間全てが。どこから漏れたかは言うまでもないが、こうやって陣衛に知ったかぶれるのは楽しいと美織は思っている。だから言いふらした姉のことも許してあげようという気になっている。

 だからお裾分けですと、美織は陣衛にも芝居を見る上での注意や見所というのを説明する。

 

「なんでも、この芝居は上方でも大流行りだそうですよ? こうやって、大きく見得を切る様がとても良いんだとか」

 

 そういって美織は剣を振るような仕草をする。美織が想像する剣士の動きを演じているのだ。小袖の袂をバサリと鳴らしながら、くるくると回ってみせる。そして両手を掲げるように持ち上げ、えいっ、えいや、と空想の剣を振り下ろす。外行きの明るい色の袖がはためき、光を散らす。蝶が舞うような、とはこの様を指す言葉であろうと、黙ったまま陣衛は思う。

 美織は一刀両断! と両手を振り下ろし、ぴたりと動きを止める。それからすくっと背筋を伸ばしてみせた。見えぬままの刀を肩に担ぐようにして、得意げである。

 

「どうです?」

「動きを止めるのは良くないが」

「それがいい、らしいですよ。見得を切るというのはそういうものなんですって。ほら、笠間さんもやってみてください!」

 

 守人は剣の専門家である。ならば、自分の拙い演舞よりよほど見栄えがするだろう。美織は軽い気持ちで陣衛に頼み、ピタリと口を閉じた。

 スッと陣衛の右手が腰元の刀を引き抜く。いや、実際に抜いたわけではない。今も空手のまま。だが、美織には煌めく銀の刀がまるでそこにあるように見えた。陣衛の身に染みこんだ剣の気配がそう見せたのである。陣衛は見えぬ刀を常と同じように体の中心に揃え、正眼を成す。美織でも知っている、基本の構えである。

 

 ――気がついたときには既に刀が振り下ろされていた。美織にはいつ振り上げたのかさえ分からない。陣衛の動きはよどみなく、軽やかに続く。振り下ろし、斬り上げ、くるりと回転。それは美織が見せた一連の演舞と同じ動きであり、まるで異なる剣士の動きだ。

 空手のまま刀を振るう陣衛としては、この動きの何が良いのかは分からない。最速で最大の一撃を叩き込む。陣衛の学んだ剣は突き詰めればその一言に尽きる。疑念を抱いたまま、陣衛は演舞を締めにかかる。陣衛が高く、上段へ掲げた刀を振り下ろす。その一撃は、美織には空と地とをまとめて斬ったかのように見えた。

 

 そして、よどみない動きで刀を軽く回し、見えない刀を肩に担いでみせる。そうしてぴたりと動きを止める。それはただ美織に見せるためだけに。

 

 美織は、どう思っただろうか。陣衛が目線だけを美織に寄せれば、そこには目を見開いたままの美織が何も言わぬままに陣衛を見ていた。その目には陣衛だけが映る。映っている。

 だから、陣衛は見得を良いものであると断じることにしたのだった。

 

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