恋剣水花 ~笠間陣衛にゃ分からない~   作:朝食付き

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18.陣衛と怒り

 鳴り響く轟音。それは予備役として一足先に水浴びをしていた陣衛と氷雨の元にも届いていた。真っ白な水干の下半身までを水に浸したその時のことである。

 

「雷か?」

「にしては近いですね。それに光っていません。門の方から、でしょうか」

 

 胸騒ぎが沸く。雲のない雷など、災いの前触れにしか思えぬものだ。ここにいては状況も分からない。ひとまずと、二人は水から上がることにする。急ぎたいのはやまやまであるが、濡れた水干袴ではろくな動きができないから、仕方なしに自前の普段着に袖を通す。異常事態とはいえども二人にはまだ余裕があった。今日の水調べの割り当てには友坂がいる。友坂と組む者について陣衛は詳しくないが、それでも実力は確かである。だから、急ぎはしても、どこか落ち着きがあった。

 

 しかし状況はめまぐるしく変わり続ける。はじめの轟音を越えるほど響く音。次いでがらがらと、何かが崩れ落ちる物音が続く。もはや尋常ではない。

 急ぐぞと互いを急かし、濡れたままの服を置き去りに詰所に向かう二人。何はともあれ状況を確認しなくては話にならない。だがその時間すら許されることはない。陣衛たちを呼びに来た門士が泡を食ったように陣衛の名を呼ぶ。

 

「笠間殿! 急ぎ門へ! もう、猶予がありませぬ! 表門が崩れます!!」

 

 即座に陣衛が門へと駆け出す。同時に自らが丸腰であることに思い至る。水守の司が果たす務めは概ね続けての五日間である。五日目の終わりには、水調べに使用した刀を研ぎ師に向けて送り出すのが習いなのだ。特に昨今はあやかしを何度も相手にするため、急ぎ対応を頼む関係上、水浴び前に鍛冶師からの使いに渡してしまっていた。

 

 同じ気づきに至った氷雨が、刀を持ってきますと声を上げる。来た道を戻り、刀倉から予備の刀を持ち出す算段だろう。

 

 陣衛は表門から水調べの間へと続く中庭へと飛び出す。関は、表門と中門の二重構造になっている。その間には踏み固められた土の広間がある。普段は水調べを待つ来訪者が並ぶ中庭に、張り詰めた空気が漂う。

 すでに音はなく、静寂がある。いや、中庭を囲むようにして構える門士達がいる。静かな訳がない。異常に対して、位持ちの門士たちが怒号を上げている。

 だというのに、それがまるでささやきほどにも届かない。音も光も、命すら飲み込む顎。巨大な竜人がそこにあった。

 

 表門が破られようと、表門と中門、そして側面にある壁から迎撃を行えるように作られている。水調べの間も即時崩すことのできる仕掛けがある。

 

 戦国の世であれば、門への入り口をがれきで防ぎ、押し寄せる敵兵を前後左右から十字砲火を浴びせる、そういう戦術を元に建てられた関である。ただそれは、弓矢の通じる尋常な相手であればこそ。表門が破壊されるまで、門士はひたすらに矢を射ち続け、そのことごとくは意味を成さなかった。数少ないとはいえ、銃士の扱う火縄銃すら弾いたのだ。そんな相手に今更矢を集めて何の意味があるというのか。

 その巨体は、陣衛の倍はあろうかという身丈。その腕は鎖を束ねたかかのように太い筋肉で形作られている。鋭い牙と長く太い尾。その全身はなめらかに艶めく鱗が覆っている。

 門の脇を何か咥えながらに見ていた竜人が、首だけを陣衛に向ける。

 

 ぼぎりと、小枝のような何かを噛み砕き、口からはみ出ていた部分が地面に落ちる。赤くまだらに染まるそれは、人の腕。

 口元を赤く染めた竜人が、ゆっくりと陣衛に向き直る。揺るがぬ黒、死を運ぶ金。陣衛と竜人の視線が交錯する。

 

「次、の守人か。よい。長く……待ち続けた、甲斐があった。名を聞こう」

「あやかしに名乗る名などない」

 

 まともに取り合う気はないと、陣衛はその問いかけを真っ向から斬り捨てる。それでこそと竜人は笑みを深める。そこへ氷雨が二振りの刀を持って駆けつける。

 

「笠間さん、刀です!」

「そうか、カサマか」

「…………」

「笠間さん? 受け取って下さい」

「いや……助かった」

 

 二人が刀を腰に差す。竜人は面白げに支度を待つ。二人は水浴びを切り上げてきただけに、正装たる水干どころか薄手の着流し姿である。袴を履く暇を惜しんで駆けつけたのだ。氷雨などは髪を結び直す暇もなく、垂れ髪のままだ。刀も二人が日頃使用している業物とはほど遠い、門士から借り受けてきた数打ちの刀だ。

 

「すみません、すぐに用意できたのはこの位で……。こんな時に、運がないですね」

「逆だ。間に合って良かった」

「……微力を尽くします」

「いつも通りでいい」

 

 陣衛が正眼を取る。氷雨は刀を体で隠すような脇構えだ。竜人は歯列を見せつけるように口元を引く。ここからは死地。瞬き一つに鋼と血が弾ける戦場だ。

 切っ先を突き付けるように構える陣衛。柄に沿えた左手へわずかに力をこめる。刀身が左に傾げた。その時には既に竜人の尾が振るわれている。

 

 竜人の尾は長く、伸びる。自身の身長と同じだけの長さが、時に倍以上まで伸びるのだ。この規格外の竜人であれば、その長さは十尺を容易く越える。それが人外の身体能力で振られるのだ。パァンと空気を打つ音が響き、もはや視認することすら不可能な速度となる。この恐るべき薙ぎ払いが、陣衛と氷雨を薙ぐようにして弧を描く。

 

 当たれば必死。死を届ける一撃を氷雨は高く跳躍することで躱す。同時抜いた刀をかざすことで竜人の気を引く。宙に浮けば、着地までは無防備だ。竜人は避けた氷雨の判断を笑い、判断を誤った。

 宙へと飛び上がり”敢えて”隙をさらした氷雨。それは何故か。

 

 暴威を振るうこのあやかしは、竜人である。人とは違う腕、尾、脚、そして頭を持つ。犬や猫のように、口が突き出している。それは獲物へと牙を突き立てるために培われた構造であり、人のような平たい顔ではない。生物であれば弱点となる眼球も、深く落ちくぼんだ頭骨によって護られているのだ。

 

 故に。突き出た口と深い位置にある眼球は、上下の視界に制限がある。人を遙かに超える身の丈であるとはいえ、竜人というあやかし特有の死角であった。あやかしと戦い続けた歴史が、水守の二人に戦い方を教えている。毎朝早くから書に親しみ、高みを目指して鍛錬を続ける氷雨である。自分にできる最善の動きを成すことに躊躇いはない。

 

 高く跳び上がった氷雨に注意が向いた瞬間、陣衛が低く踏み込むのだ。一時的な組だ。それでも七日を共にすれば連携の一つや二つ、言葉を交わす必要すらない。阿吽の呼吸が作り上げた勝機を陣衛は逃さない。

 竜人は足下に飛び込んできた陣衛に気付くこともなく、髪をたなびかせる氷雨をたたき落とすべく再び尾に力を込めている。

 

 ――低く、四足獣のように身を地に寄せながら陣衛が踏み込む。極限まで足を開き、軸足は地に膝がかするほど。上体は踏み出した足へと預けるようにして伏せる。竜人の尾にかすかでも触れれば血霞となるその危険領域へ、陣衛は恐れることなく踏み出した

 

 尾が頭の上、突風となって吹き抜ける。暴風圏を抜ければそこは既に一刀一足の間合い。水守の司、陣衛が最も得意とする距離である。踏み出した脚へ全力を込め、伏せていた上体を力ずくで持ち上げ、押し出す。ぎりぎりと脚の筋肉が無理な挙動にきしみを上げた。同時に刀を振り上げる。伸び上がる勢いをそのままに、むしろ刀を加速させる一助とする。

 

 ガスリと竜人の膝――鱗が薄く守りのない右太腿の内側――に切っ先が割り込む。鱗を断ち割り、肉へと確かに刃が届いた。

 

 勢いよく振り上げられた刀は、しかし強引に後退した竜人により中断した。

 その巨体は危険を感じ取るやいなや、一目散に陣衛の間合いから脱したのだ。

 

 後方へと引いた竜人の右膝元からは黒い血と煙が流れている。その色は光を飲み込むような黒。竜人の太腿の三分の一までが切断され、強引に動いたせいで肉が見えている

 しかし反撃はない。ただ竜人は自らの傷を見ている。じくじくと流れる血が乾き、傷が閉じていく様を。

 

「……良い、腕だ」

「下手くそな言葉だ」

 

 突然に竜人は陣衛の腕を褒めた。構造の問題で聞き取りにくい言葉であるが、間違いなく陣衛を褒めている。竜人からすれば守りの薄い間接周りとはいえ、自らの鱗を裂いて見せたのだから。とっさに後退しなければ脚を断たれていただろうことを理解しているのだ。

 

 それは歴戦の竜人であるからこそ、可能であった動きだ。並みの竜人であれば膝を断ち切られ、そのまま宙からの強襲で首を落とされていただろう。陽動として竜人の意識を奪って見せたもう一人の剣士といい、ただ者ではない。すぐに終わってしまっていたが、先だって戦った剣士を上回る腕だ。それが分かって、竜人はギラリと歯列をみせる。

 

「久方ぶりに、食いでのある、強者だ。美味そうで、嬉しく思う、ぞ?」

 

 興奮に瞳孔が開く竜人。と、嫌そうに眉を潜める陣衛。

 

「か、笠間殿……喰われるってのは、あの、比喩で聞くものではない意味ですよね?」

「あやかしの言葉に耳を貸すな。いいから斬――」

「大鱗丸」

 

 竜人が陣衛の言葉に割り込む。それは名乗りである。

 

「聞くに値しな――」

「大鱗丸! ……大崩しの首魁っ! まさか、昨今のあやかしはお前がけしかけていたのですか!?」

「…………」

「然り。名にし負う、東松原の城、再び実った、のであれば刈り取るも一興で、あろう?」

 

 どうにも制御しきれない新人に口を閉じる陣衛である。だが、大鱗丸は自身の異名を聞いて楽しげだ。怒りを露わにする氷雨にも、このたわいない会話の中でも一切の隙を見せない陣衛にも。陣衛の刀がかすかに上下し、足運び、目の付け方で竜人の動きを牽制している。

 

 時間はどちらの味方か。陣衛が付けた傷は、早くも血が止まりかけている。

 この日、関にいるなかで最も腕の立つ人間が陣衛だ。当番制ゆえに、朝芳は非番である。そして氷雨はまだ気がついていないようだが、友坂ともう一人は既に戦える状態にない。水調べの間にいたのだから、即時大鱗丸に刃を向けたはずだからだ。

 

 ちらと、大鱗丸が見ていた門の脇を見れば、門士が必死でがれきを除している。

 陣衛の呼吸に、悲しみが混じる。状況は厳しく、悲劇は免れない。だが、それでも自分がいたことが幸いであると内心で自身を鼓舞する。そんな陣衛の内心をよそに、大鱗丸が動き出す。

 周囲で固唾をのんで見守る門士が瞬きをした一瞬、大鱗丸の逞しい脚が中庭の地面へとたたきつけられる。固く踏み固められた地面にヒビが入り、衝撃に隆起する。

 

 中庭を囲む門士達がたたらを踏む中、揺れる地面を意に介すことなく陣衛と氷雨が大鱗丸を左右から挟み込む。同時攻撃である。

 即席ながら息を合わせたそれは、如何に歴戦の竜人であってもたやすく防げる物ではない。だから大鱗丸は瞬時に反撃を選ぶ。鱗の鎧と再生力を以てすれば、斬撃をしのぎうる。だから狙うは氷雨。より未熟な剣士を狙い、動揺を誘うのだ。

 

 この場で最もか弱い氷雨の肉体を、まるで轢き潰そうという様に、大地を蹴飛ばして大鱗丸が突貫した。両手を角のように突き出したそれは、竜人の身体能力からすれば砲弾も同然。氷雨は瞬時に上体を後ろにそらし、仰向けに地に背を着けて突撃を避けて見せた。体の柔らかい女体が故の反射的な回避である。ただ避けるだけではない。とっさに刀を逆手に持ち替え、切っ先を腕に向けている。もし無理矢理に氷雨に一当てしようとすれば、刀が深く突き刺さることになる。

 

 氷雨という剣士は大鱗丸からすればまだ相手としては不足だ。本来であれば堅牢な鱗を抜かれることはない。だが、突撃の勢いを利用されれば小さくない傷を負うことになる。大鱗丸の回復力からすれば悪くない天秤である。ただしそれは、突撃する大鱗丸の後を追ってくる陣衛がいなければの話だったが。

 

 勢いを止めることなく、大鱗丸は壁にその体をぶち当てて強引に体を止めた。崩れる門壁が陣衛の脚を止めさせる。落ちてくるがれきを物ともせず、大鱗丸は悠然と振り返る。その姿は異名持ちの名に恥じぬ堂々たる姿であった。

 

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