城下中に轟いた大破壊の音。
それは東松原に住む者達全てを恐怖に陥れた。人の口に戸を立てることは叶わず、噂が町を駆け巡る。守人の務める関所とはいえども、雑務のために出入りする業者がいたし、門士とて不安を家族や友人へこぼす者だっている。まして、状況があまりに悪い。
大崩しから五十年。毎年欠かさずに続けられてきた慰霊がもうすぐなのである。大崩しのあやかしが竜人であることは広く知られている。そして此度現れたあやかしも、竜人なのである。否応なしに想起されるのは当然である。当時を知る者は今や少なくなっているが、今なお健在な者もあるのだ。
その筆頭こそが東松原が城主、斯波戒鍊である。
「頭が痛いとはこのことだの……」
東松原の城、最も天に近い広間にて、この国の主が禿頭に手を当ててつるりと撫で上げる。
「大崩しの首魁が今更に現れるか」
「記録を検めましたが、大崩しの竜人に間違いないかと。その身は更に大きく増しているようではありますが」
はぁとため息をこぼす老人。寄る年波に負けてか肘掛けにもたれかかっている。だが、その眼からは鋭い光が消えることはない。静かで広い、静謐なまでに澄み切った城内。人ごとのように嘯く高塚を、戒鍊がジロリとにらみつける。
「表門の修理はどれほどかかるか」
「鍛冶衆に至急と作らせております。しかし同じ門であれば三月はかかります」
「……破城槌でも防げる門であったな。かつては、あの糞蜥蜴は門を内からかんぬきをへし折って逃げていった。それが今や、外から力ずくとはのぅ……」
乾いた笑いを漏らす城主。対する男は笑み一つこぼさず続ける。
「最低限の備えとして樫の門を至急組み直しております。当然のことながら、かの竜人には障子ほども役に立ちますまいが」
「糞蜥蜴が……」
ギリリと、八十近くになったというのに健在な歯が鳴りしめる。
「かつての大崩しでは撃退こそしたが、国も崩壊寸前であった。……これは借りを返せると喜ぶべきかの?」
「すでにお喜びのようですが」
「もしも儂がはじめから城に居ればと、何度悔やんだことか。父上も、兄上も、多くの者が死んだのだ。あの蜥蜴風情に。踏みつぶしてやらねば、そう思うのだ」
「蜘蛛の関与については如何なる仕置きを?」
「関係するものの首を晒せ」
竜人の知能の高さは知られている。だが、突然に城内に出現するのは力では叶わない。かつての大崩しも、そこには裏切り者と蜘蛛の影があった。
高塚が小さな紙片に書きつけをすれば、すぐさま近衛が動き出す。
「此度の蜘蛛の動きは他に?」
「あくまで籠絡に限っているかと。先だっての竜人についても、荷運びの商人と荷検めの守人による密入国と調べは付いております」
「虫けらと糞蜥蜴が、腹立たしいことこの上ないわ」
戒鍊が目を閉じる。
「百年の太平すら夢のまた夢か。儂も随分驕っていたことよな。歴史にあぐらをかき、あやかしどもをここまでのさばらせておったとは、反省をせねばな」
広間の空気が変わる。もとよりこの東松原の城は戦いのためにある。神々の森を守る、そのために敢えて狙いやすい土地を拓き築いた城だ。あやかしの群れを抑える要として建てられているのだ。穏やかな安寧にまどろむ時代より、猛き矛としての時代がよほど長い。舐められているならば、思い出させなければならぬのだ。
戒鍊は年を経て大人しくなったと言われている。事実思いつきや感情のままに動くことはなくなっていた。だが、舐められることだけは我慢ならない。それが斯波戒錬である。
「愚かな蜥蜴には後悔を与えなければならぬ。久しぶりの出陣となるなぁ」
「御館様」
「意見があるか?」
下らぬ話であればたたき切るぞと、言葉に出さずとも分かる。
「此度の始末は水守の司へお任せ頂きたく」
「……言うてみよ」
竜人としのぎを削り守り切ったのが水守の司である。であれば無碍にはできない。任せるべきとの意見に、戒錬の気勢が好奇の色を帯びる。
対する高塚は首の皮一枚繋がったことに汗を滲ませる。内心の怯懦を一切表に出すことなく、朗々と理由を語る。
「水守の司があやかしを仕留めきれなかったこと。これは確かに明白な落ち度であります。しかし、城下への侵入を防いだということもまた事実。まして大崩しの首魁を相手であればなおさらに。でありますれば、汚名返上の機会を与えてもよろしいかと存じます」
「……さては、儂の敗北を見たつもりか?」
「戦に絶対はありませぬ。それも含め、考えております」
「……よいだろう。儂も頭を冷やす」
その言葉の通り、しばらくの間沈黙が降りる。自らが率いて討伐へ向かったとき、どれほどの成果が得られるのか。それを勘定しているのだ。
「野戦でも厳しいか。城内の守人が半分死におったわ」
「御館様が生に必ず含まれるのであれば、私も止めはしませぬ」
「分かった分かった。怒りにまかせての出陣は止める。が、水守の司だけで対処は可能なのか? 撃退したというが、見逃されたも同然とも聞いておる」
「殺されなかったことも事実でございますれば。城内にそれほどの腕を持つものはおりましょうか」
「何度も言うでない。……分かっておる。若かりし頃の儂ですら追い払うのが精々であった。儂と地蔵殿と、腕っこき総勢で当たってようやくの撃退であったのだからな」
はぁ……と、歳を感じさせる乾いたため息に、戒錬自身が苦笑いをする。
「で、糞蜥蜴を迎え撃ったのは、どこの者であるか?」
「はっ。水守の司、笠間陣衛にございます」
「……本当に、縁であるな。さすが地蔵殿の血筋と言うべきか」
「彼奴が修めるは近田一刀流であります故」
「神殺しの剣か。にしては結果が奮わぬな。それだけの相手といわれればうなずきもしようが」
「閉門後の水垢離を中断して駆けつけたとのこと。刀も数打ち、何の守りもない着流し姿であったとのことでございます。加えて言えば、組も新人であったとの報告を聞いております」
「それよ。水守の司含め、随分おかしな人事であるようだ。報告の限り、あまりに都合良く関に詰める門士も少ないようだ」
「蜘蛛の手引きでございましょう。先程近衛を動かしております故、恥知らずどもは排せるかと思われます」
「いつからか。誰からか。蜘蛛の糸がどこまで付いているか。確実に潰せ」
深く頭を下げる高塚を前に、しばし老人が考え込むような仕草を見せる。高塚は微動だにせずに次の言葉を待ち続ける。
「沙汰を決めた。――水守の司は仕留めるべきあやかしを仕留めきれず、民を不安にさらした。それは事実であろう」
「事実にございますれば」
「ならば、かの竜人を仕留める意外に名誉を取り戻す術はない」
高塚の口元がわずかに緩む。
「罰であれば、横入りも防げましょうな」
「口だけの小うるさい輩ばかりだの。それでな、もう一つ考えがある。あの二振りをくれてやるのはどうかとな」
「……最後の九灯でございますか」
「いかんせん使いこなせる者もおらんでな。褒美にしようにも縁起が悪いと嫌がられる。決死の使命にはちょうど良いと思わぬか?」
「であれば城内のうるさがたも黙りましょうな」
だろう? と戒錬は矍鑠と笑う。
「ま、水守の司に取ってみれば、呪い刀とて大した重荷になるまい」
***
表門が破壊されて以来、陣衛達関所に勤める守人の忙しさは尋常ではなかった。
城下と城外を繋ぐ出入り口が破壊されたのだ。修理に時間をかければそれだけ流通が滞る。土地柄、米と川魚だけは豊富にある東松原城であるが、人はそれだけで満足できるほど清貧ではいられない。
崩された関所の壁やめくれ上がった中庭も整地をやり直さねばならない。表門には簡易的な補修として頑丈な木材が穴を埋めているが、万全とはいえないものだ。これを好機と捉えて城内に入り込もうとするあやかしも多い。竜人に倣って力ずくの強襲も片手で聞かぬ程度には発生していた。当然そのような考えなしは水守の司が出るまでもなく、門の手前で大量の矢で襤褸雑巾のように消えていくのだが。
問題は変化を使う程度のあやかしである。大鱗丸による地面への一撃によって、水鏡を作るための小さな堀にもヒビが入っていたのだ。当然水をいくら注ごうが抜けていくし、そもそもとして水を流し入れるための水路から作り直さねばならない。
そのため、応急処置だけした堀を使って、日に何度も水を入れ替えながら水調べをすることになった。当然時間は以前の比ではなく、しかもあやかしを通すことは許されない。まして、水守の司は二人の戦力を失っている。当然、そのしわ寄せは若い人間に押し寄せることになる。
「で、結局元の組と。ようやくお前の仏頂面を忘れてきた所なんだがな」
「お前の力を貸せ」
前置き無く、陣衛が言い放った言葉に朝芳がにやりと笑う。
「そうでなくてはな! 全く、できる男は休む暇も無いのが困りものだな!」
「大きく速い。刃を触れさせるのにまず腕がいる。尾は自在で、おそらく友坂達はこれにやられている」
冗談めかして茶化す朝芳に陣衛は事実をぶつける。空気の読み方など誰にも学んでこなかった男である。そして朝芳としても友坂の名に目を閉じる。
「……相馬は大丈夫なのか? 友坂殿があんなことになって、気落ちしているように思えるが」
「問題はある。だが、やるべきことは一つでしかない。あの蜥蜴を討つ。友坂達に報いるにそれ以外はない」
「確かにな。まあ仇が今一度来ると予告をしているなら、余計な考えをする暇も無いか」
問題は俺たちかもしれんな。そう朝芳がぼやく。陣衛は大きく同意する。ほとんど動かない表情が、朝芳にも分かるほど顰められている。今二人が座しているのは詰め所の自席だ。並んだ机から見つめるのは、壁に貼られた当番表である。水守の司は二人一組で水調べに当たるが、あやかしの姿を暴いた場合討滅後に浄化が必要だ。故に予備役としてもう一組が控えることになる。適度にその組み合わせや順が変わるのが常である。平時であれば、全員の不満が小さくなるよう調整される当番表である。それが平時であれば。
名前と組が書かれた表の一番下に、日数を大きく跨いだ長い欄がある。そこに記された名は笠間陣衛と辻堂朝芳。一日たりとも休みは無く、それでいて当番は回ってくるのである。無論、二人以外については休日が許されているが。そして陣衛を何より嫌な気持ちにさせるのが、欄外に記載された一文。
“上記の二人は外出を禁ず”、そう書かれている。
理由は理解している。次に大鱗丸が現れたとき、かのあやかしを滅しうるのは陣衛と朝芳以外にない。事実として歴戦の守人である友坂らは破れ、陣衛は新人を抱えつつも耐え抜いた。現場にいなかった朝芳は陣衛と伍する腕とくれば、もはや大鱗丸迎撃の大黒柱が二人なのだ。
だが、それでも陣衛はもう少し何とかならないのかと上役に直談判をした。かつてないほど真剣に、せめて半日でも外出を許可して貰いたいと、今でも交渉を続けている。
城下に出現した竜人――美織との逢歩きからこの方、まだ一度も花千里に顔を出せていないのだ。これでは埋め合わせどころではない。こんなことになるのならば、無用外出禁令など無視して花千里へ行けば良かったと後悔しきりである。
もはや食堂の飯は食い飽きている。単調な味付けに嫌気が差す。本気で気落ちしている陣衛に、さすがの朝芳も乾いた笑いしか出ないのであった。