恋剣水花 ~笠間陣衛にゃ分からない~   作:朝食付き

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21.陣衛と御屋形様

 陣衛がありとあらゆる人生の不満を大鱗丸への怒りに変えている頃、関所の内部で一人の男が目を覚ました。友坂である。

 友坂は診療所の一番奥、清潔な布に包まれて眠っていたのだ。大鱗丸に敗れ、剛力によって崩れた関所の壁に埋もれていた。生きていることが奇跡である。友坂と共に水調べを果たしていたもう一人は、城外へとはじき飛ばされ死体すら見つかっていない。

 

 仰向けに寝かされた体には幾重にも包帯がまかれており、体が冷えぬように分厚い布で覆われている。右腕のあった場所に膨らみはない。もはや水守の司どころか、町の警邏すら満足にこなせまい。

 自嘲するように鼻を鳴らした友坂の寝台が揺れる。氷雨が目を見開き、大きく丸い目いっぱいに涙を湛えている。涙に浮かぶは、友坂の今であり、弟子からの親愛である。

 

 これが自分にとっての最後の水調べだと、友坂は静かに氷雨の名を呼ぶのだった。

 

 ***

 

 大鱗丸は再び現れる。関所に勤める門士は目を皿のようにして日々城外の荒野を見張る。みすみす奇襲を許した汚名を返上すべく、誰もが気を張っている。

 

 大鱗丸こそが五十年前の大崩しを引き起こしたあやかしの首魁である。何十人もの守人を食らい続けた大鱗丸は、たとえ水守の司であっても容易い相手ではない。事実、歴戦の司である友坂すら利き手を失う大けがを負っている。大鱗丸を前に引くことなく戦い続けた陣衛はもはや大鱗丸打倒の旗印であった。

 

 あまり陣衛の人となりを知らない者からすれば、冷静沈着で揺るがない陣衛の振る舞いは心強い。ただの口下手の食道楽だのと、同じ水守の司でも知る者は少ない。まして腕だけは確かである以上、多少の瑕疵は流されるのである。

 

 また、陣衛と共に刀を並べた氷雨も、友坂に鍛えられたその腕を大いに評価された。しかし周囲へ与える安心感、貫禄はまだまだ陣衛に及ばない。

 密かに尊敬を集め始めた陣衛ではあるが、仏頂面の下には不満を溜めている。不満がある。大いなる不満があった。怒りがあった。

 

 陣衛の数少ない趣味は食事である。関の食堂が悪いとは言わないが、大量の門士を喰わせるために味付けも素材も大雑把なものである。いざというときへの備えとしては十分でも、陣衛を楽しませるほどではない。この緊急事態として仕方のないこととはいえ、一挙一足を見られ、常に所在を確認され続けるというも陣衛にとって負荷となっている

 普段ならば美食――花千里の一食で落ち着くというのに、関をでることすら叶わないのだ。不満が出ないはずもない。

 

 ――料理そのものではなく花千里の名が出てくるというのには特別な理由があった。もっとも陣衛自身、その理由にまるで気がついていなかったが。

 

 もしも自分が大鱗丸を斬っていれば。このような事態は起きていない。大鱗丸にはじめに応じたのが自分であれば、友坂の腕はまだ合ったはず。足りない。力が足りず、腕は未熟。そう、怒りがある。

 

 他の誰でもなく、陣衛自身が理解してた。陣衛の剣は大鱗丸に見切られていたと。その事実こそが陣衛の深奥を怒りに揺らがせているのだ。臓腑を焼くような怒りを紛らわせるように陣衛は刀を振るう。雪辱に向けて、牙を研ぐ。

 陣衛と朝芳の招集命が届いたのはそんな折りのことである。

 

 ***

 

 水守の司、その役職が持つ重要性は今更言うまでもない。城下町を見回る守人や、城内を警備する近衛とも異なる、対あやかしの専門家である。いわばあやかし侵入を防ぐ最後の門番――である。故に関所勤めを任じられた守人、水守の司が城へと参内することは極めて稀だ。

 

 まして呼び出されることなどまずもってあるはずもない。

 

 呼び出しに陣衛と朝芳が正装へと身支度を調えて参内したのはその日の正午過ぎ。東松山城の城門を前に、二人は並んでその天守閣を見上げる。水守の司に許された正装というのは薄藍の狩衣だ。

 

 街中を歩くが故に顔を覆う薄衣こそないが、端から見れば一目瞭然。だというのにお上りさんのように顎を上げているのだ。城門に務める守人からすれば、東松原の守護を担う剣士の頂点である。どう扱えばいいのか困惑しきりである。

 と、そこに声がかかる。二人にとっても聞き慣れた声、関所にて二人の上役を務める男である。

 

「お前達、何をしている。司としてふさわしい振る舞いを忘れたか?」

「……、失礼しました」

 

 さすがに恥ずべき姿であることを自覚し、朝芳が頭を下げ、陣衛が黙礼する。そして顔を上げれば、ピリリと引き締まった顔つきに、水守にふさわしい強者としての姿に戻る。まるで別人かの変わりように城門の守人も目を白黒させる。

 

「お騒がせした。この者どもは普段は関を動くことがないのだ。それ、召喚状を出すがよい」

 

 城門の守人へ朝芳が代表して召喚状を見せれば、スッと道が開かれる。三人はまとめて入城し、上役である今寺法綱が二人を案内し始める。

 

「今寺殿にも召喚状が届いておりましたか」

「そんなわけがあるか。上が呼んだのはお主ら二人よ。しかし城内についてお主らは疎いだろうと思ってな。案の定だったから来ておいて良かった」

「……感謝します」

「笠間からの礼は久しぶりだな。普段からそう合ってもらいたいものだ。ともかく、くれぐれもこれから会うお方に失礼のないようにせよ。これは命令だ。お主らが頷くまでは進ませはせぬぞ」

 

 面白げに眉を上げる朝芳。興味なさげな陣衛。まるで好き勝手にするぞと言わんばかりの二人に、今寺が立ち止まる。そして二人の肩に手を当てる。

 

「言っておくが、儂は本気だぞ? それとも、これから休み無しで務め続けたいか?」

 

 今寺の目が本気であることに気付き、さすがに二人も居住まいを糺す。

 

「本当に、失礼のないよう気をつけよ。そして励めよ。城へ呼ばれるなど、そうあることではないのだからな」

 

 そう言って、この先を進めと長い廊下を示す。長い廊下の先、近衛所属であることを示す黒い狩衣の守人が立っている。守るのは上質ながらも飾り気のない襖だ。そこからはこの国の中枢であり、東松原を治める斯波家の居城だ。

 薄藍と黒の狩衣が相対する。水守の司が対あやかしの頂点であるとすれば、近衛は対人戦闘の頂点である。戦場を共にすることなどないからこそ、互いの力量を測り合う。

 

「水守の司、笠間陣衛と辻堂朝芳だ。召喚に応じて参り申した。取り次ぎを願う」

 

 近衛の一人が陣衛の差し出した召喚状を検める。書面に目を落としながらも、一切警戒を緩めることがない。仮に一瞬でもおかしな真似をすれば、瞬時に抜き打ちが放たれることは間違いない。

 念押しにといくつかの問答が行われる。近衛は二人が腰に下げた刀に一瞥をするが、何を言うこともない。あやかしから城下全てを守る水守の司に認められた権利である。そして、万一があろうと即時対応ができるという近衛の自負でもある。

 許されている事実そのものに重みを感じつつ、二人は近衛の案内に従う。こちらへ、と通されたのは八畳ほどの間である。ここで待たれいとの言葉の通り、待合室として使われている部屋らしい。

 

「……おい、こりゃ相当だぞ? 呼び出しの名は本当に高塚様なのか? あの方が偉いのは分かるが、それでもこの待遇は異常だぞ?」

「名に間違いはない」

 

 さすがの鉄面皮にもやや困惑が映る。それでも二人を待つことなく時は進む。

 先ほどとは別の近衛が二人のいる部屋に入り、そして奥へと繋がる戸を開ける。何を言うまでもなく、この先――大広間へと進めということである。

 

 意を決したように陣衛が踏み出す。控えの間から先は板張りである。つややかに磨かれた足下は、きしみ音一つない。大広間の最奥には一段高く上げられた領域がある。朝芳にはこの大広間が何に使われているか察しが付いている。先ほど分かれたばかりの上役、その程度の立場では入ることも叶わぬ目通りの間。つまり、この城の主と会うこととなったのだ。そう、気がついた。

 

 幸いなことに、陣衛と朝芳が座るべき場所はすぐに分かった。この期に及んでも許されている刀を預け置くための白布がちょうど二人分敷かれていた。城内の作法に疎い二人であるが、さすがに剣士としての常識的な所作に惑うことはない。静かに帯から鞘を解き、刀を置く。そして刀ごと布を腕一本ほど離す。衛士として喫緊の状況に対応できること、そして敵意がない――抜こうとすれば不要な動作が必ず入るため、近衛が即対応をできる――ことを表している。

 

 あとは座して待つばかり。当然のことながら、城主が現れるのであれば即応はまずあり得ない。しばらくは待つことになるだろうと陣衛は思う。そもそもとして、本当に城主が来ると言うことすら半信半疑である。

 水守の司が守護として重要な役目であることは間違いないが、司として求められるのは一も二もなく剣の腕である。幼少より稽古をという点では武門の出であれば実力は最低限保証される。城務めとなるにはそこから礼儀作法や知識が必要となる。陣衛や朝芳とてまるで知らぬ訳ではないが、日頃から求められる訳ではない。年賀の祝い事ですら水守の司は関所から離れることなく、守りに専念するのだ。今回の招集がどれだけ異例であるか。

 が、異例というならば関の門を単身破るようなあやかしが現れることこそが異常。実際に戦う役目であるからこそ外の情報に疎いというのは仕方のないことだった。

 

 しばらくの後、近衛が大広間脇の戸より現れ、先触れを行う。

 

「斯波家当主、斯波戒錬様の御成りである」

 

 伏して城主が現れるのを待つ。二人の鋭敏な感覚でもともすれば見逃しそうな気配が場に現れる。伏せた二人と、現れた二人。

 

「表を上げよ」

 

 陣衛と朝芳がゆっくりと頭を上げて身を糺す。陣衛達の正面、同じ板張りに控える壮年の男性が一人、そして一段上げられた畳に老人が一人。

 

「儂が東松原が城主、斯波戒鍊である」

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