恋剣水花 ~笠間陣衛にゃ分からない~   作:朝食付き

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22.陣衛と赤鞘

 深く低い声が通る。老人が出すものとは思えぬ圧がある。水守の司として数々のあやかしを討ち取ってきた陣衛であるが、枯れ木のごときその老人に気圧されたことを理解した。腹の底から圧に抗う。たかが老人一人、圧されてばかりではいられないのだから。

 陣衛と朝芳。水守の司が二人。近衛と城内における頂点、高塚道全。そして――城を治めるは斯波戒鍊。

 役者は揃い、謁見の間に深い水の底を思わせる静けさが満ちる。肌を押しつぶすような圧は、ただ一人の老人によるものだ。

 

「なるほど使えるようだ」

「でなければ水守の司は務まりませぬ」

「うむ、分かっておる」

 

 二つの声が謁見の間に通る。途端に空気が緩む。圧は戒鍊による値踏みであったのだろう。そして陣衛と朝芳はその圧を跳ね返した。故に戒鍊は二人がこの場にふさわしい人間であると判断した。戒鍊が頷くのを確認し、高塚が口火を切る。

 

「此度の登城について、理由は分かっておろう。大鱗丸と名乗った竜人の討滅こそが喫緊の問題である。直接剣を交えた守人として、貴様らの意見を聞く」

 

 大鱗丸撃退の立役者である陣衛と、不在ながらも陣衛の組を務める朝芳へと、ただ一つが問われる。

 

「……あの糞蜥蜴を殺せるか?」

 

 戒鍊の問いに許される答えは一つ。

 

「直言を許す」

 

 答えるべきは直接に対峙した陣衛である。陣衛からすれば確認されるまでもない。大鱗丸には借りがある。陣衛の剣に底を見たとでも言うような、あの目を覆さなければならない。もっと深く深く、陣衛の剣に底などないことを叩き込んでやらねば気が済まない。友坂の腕、殺された門士の無念。陣衛には大鱗丸を斬るべき理由が山ほどある。なればこそ、答えは一つ。

 

「しかとその首を断ちきり、仕留めます」

 

 その言葉に戒錬が矍鑠と笑う。若き守人の蛮勇か猛き剣士の矜持か。どちらにしても、陣衛のその意気込みは戒錬にとってすがすがしい気風である。

 

「気勢のあることよな。それは良い。だがその腕が貴様にあるか? のう、高塚。この者どもに、かの竜人を、大崩しを引き起こしたあの塵屑蜥蜴を殺せるか?」

 

 戒錬の声に抑揚はない。ただ、陣衛の抱えるそれとも違う、鋭く冷たい怒りがある。大崩し、あってはならないあやかしの関所破り。かつての大崩しで殺された人間は城下町の民だけではない。あやかし討伐に向かった守人の半数。そして指揮を執るべく動いた戒錬の父と兄が命を落としている。撃退こそできたが、主犯と目される大鱗丸の討伐は叶わなかった。何十年と腹の底で凝り固まった怒りが、八十歳を越えた老人の体から拭きだしている。

 

「対あやかしにおいて、この二人に勝るものなしと」

 

 張り詰めた空気を意に介すことなく、高塚が太鼓判を押す。守人を束ねる総令であるが、指揮系統として独立している水守の司の働きぶりを知るわけがない。であれば、それを伝える者がいる。伝えた者がいる。陣衛の脳裏に今寺の渋面が浮かぶ。

 

「ならば見事仕留めてみせよ。それのみが、水守の司、その名誉を挽回するただ一つの法としれ」

 

 御意に。陣衛と朝芳がその命を確かに拝する。戒錬は顔を上げた陣衛を見る。顎をさすりながら、その全てを見透かすかのように。陣衛は身じろぎ一つなくその視線を受ける。ふんと鼻息を一つ、戒錬が陣衛の脇に置かれた刀に目線を移す。

 

「たかが糞蜥蜴相手であろうと、その刀では頼りなかろう。高塚、あれを」

「はっ」

 

 高塚が合図をすれば、近衛が黒塗りの行李を運んでくる。中より現れたのは、二振りの刀である。朱い鞘が艶やかに輝く。不意に現れた朱に陣衛と朝芳が息を呑む。

 通常、刀の拵えにはいくつもの決まりがある。不必要に華美であることは禁じられ、多くが黒の漆に染められている。柄頭や目抜きも実用性を重視した作りのみが許される。唯一鍔のみが形状について自由度を持つ。ただし、それすら家紋や務め、土地に属する意匠であればこそ。最も大きな自由が許される武門の頭領であっても、その朱が許されることはない。

 だが、その二振りの鞘はつややかな朱に染められている。

 

 ”赤鞘”

 

 それは武を担う守人ならば誰しもが憧れる大業物の異名だ。赤鞘の名のままに、幾重にも重ねられた朱の漆は見る角度でより深い色味を示す。鞘の鐺と柄頭は金があしらわれている。目の覚めるような深い朱と黄金。城主ですら軽々と身に付けることを許されぬ色だ。

 苗代、九灯、神代。数多の刀鍛冶の中で幾重にも重ねられた歴史と名を継ぐ鍛冶師が、心血――命をも注ぎこむようにして打った刀。いわば刀の頂そのもの。故に、最高の刃である証明として、深く澄み渡る朱き鞘が特別に与えられるのだ。

 

「先代九灯が遺した最後の二振りだ。改めてみよ」

 

 高塚が陣衛と朝芳に受け取れと促す。その言葉に恐る恐る、しかし一切の躊躇なく陣衛は赤鞘を手に取る。

 陣衛が手にしたその赤鞘は、長大である。通常守人が差す打ち刀は二尺三寸程度。流派によって好みがある故に多少の寸違いは許される。現に陣衛が傍らに置いている刀は二尺六寸と長寸のものだ。だが、この赤鞘はその比ではない。未だ朱き鞘に収まった刀身は、太刀の区分にすら収まりきらぬほどに長大。優に五尺を越えている。小柄な女性、例えば美織であればほぼ身の丈と変わらぬ程の大太刀である。

 検めの作法に則り慎重に鯉口を切る。目の高さへと掲げ、鞘から拳一つ分まで鞘を引く。現れるのは霊気放つように冴え冴えと光を映す銀の刃。

 

「銘は無明という」

 

 陣衛の大太刀をして、高塚が銘を告げる。幅広な刀身、その地金は鍛えが行き届いた小板目肌。刃文は荒々しく、嵐の波を写し取ったかのような濤乱刃。未だ鞘の内に隠されたその先は如何なるものか。美しくも鋭い威容に陣衛は知らず息を呑む。

 隣で同じように赤鞘を検める朝芳とて同じようなものだ。今すぐにでも鞘から解き放ち大いに振るいたい衝動を押し込めているのだ。そんな二人の若者に、戒鍊は口を大きく緩める。幾重にも重ねた歳を感じさせない、稚気を感じさせる笑みである。

 

「常ならば、赤鞘には功が求められる。百のあやかしを斬ろうとも足りぬ、甚大な功績が必要である。大いなる功に報いるのが赤鞘。それが習わしである」

「だがの、儂は常々思っておった。確かに赤鞘は当代最高の刀匠が技巧の限りを尽くした芸術品である。それは間違いない。だが、刀の本懐とは斬ることにある。守人の手にあり、あやかしを討ち、人々を護ることにある。ことが終わってからようやく取り出したのでは何の意味も無い。一山いくらのなまくらと変わらぬ。だからの、お主らに赤鞘を託すこととした。その意味は、分かりような?」

「直言を許す」

「かの蜥蜴の首を落としまする。必ずや、穏やかな食卓を取り戻してみせましょう」

「おまっ……!」

 

 あまりに私的な平和を告げる陣衛に朝芳が思わずと静止の声を出しかける。だが戒鍊は鷹揚に頷き、気にした様子はない。

 

「飯か。ふむ、確かに重大であるな。よし、かの糞蜥蜴の首を落とした暁には必要なだけ稲穂をくれてやろう」

 

 稲穂、つまりは田である。この国において貨幣に近しい価値を持つ。城主直々の下賜であれば、これほどの名誉もそうはない。が、陣衛と朝芳は頭を垂れて、その褒美を固持する。

 

「お、畏れながら、我らは水守にて。赤鞘であれば、それ以上はございませぬ」

 

 伏して告げる朝芳の言葉に、陣衛も同じように伏せ同意する。戒鍊が稲穂というならばそれは田の一つ二つではない。村の一つ二つ程度は軽く上回る褒美となるのだ。それほどの財を、陣衛や朝芳が管理できるはずもない。であれば金一封の方がよほど使い出がある。大鱗丸打倒を堂々と引き受けながらも、褒美の内容に動揺する。そのあまりの屈託なさに、興が乗ったように戒錬が告げる。

 

「その二振りはな、呪い刀よ。かの九灯があやかしに滅ぼされるその最中に打たれた刀である故に。夜ごとに震えるのだという。あやかし憎し、恨み晴らせとな。如何に赤鞘とてこれでは褒美にも使えぬ。要は押しつけたともいえる。呪い刀を押しつけ死地に出す。儂は主らに報いねばなるまいよ」

「呪い刀とて、刀にございますれば。我ら水守の司。あやかし討滅をこそ務めと知ります。我らに最もふさわしき刀にございます。これ以上の褒美など、望むベくもございませぬ」

 

 陣衛が言い切る。戒鍊は長く息を吐く。

 

「無欲というか、愚直と言うべきか。のぅ、高塚」

「故に司であるのでしょう」

 

 高塚の発言に、戒鍊が大きく闊達に笑う。陣衛達のその意気をよしとして。

 二人からすれば身に余りすぎる財はもめ事の原因である。手間でしかない。だが、評が上がるなら上げておくのもやぶさかではない。そして何より、目の前に存在する赤鞘の魅力に勝るものなどないのだ。

 伏せたまま、身じろぎせず笑い声が落ち着くのを待つ。

 戒鍊も高塚も元は最前線で刀を振るった守人でもあった。だから、若き水守の司の考えなどお見通しである。

 ようやく顔を上げた二人を前に、戒鍊がわずかに目を細める。

 

「地蔵殿は……」

 

 言いかけた言葉を引き取り、戒鍊がわずかに頬を緩める。

 

「いや、爺の昔語りなどよいか。――よし」

 

 軽く戒鍊が膝を叩く。ただそれだけの動きで広間の空気が張り詰める。まるで齢八十目前の老人とは思えぬ覇気に陣衛達の背はしかと伸びる。

 

「期待しておる」

 

 三度頭を垂れる陣衛達を遺し、戒鍊はさっと立ち上がりその場を後にする。

 しばしの間を保ち、高塚が頭を上げよと二人に告げる。

 

「御館様のご期待をゆめゆめ裏切ることなく励むことだ」

 

 気合を込めた二人の返答に高塚は重々しく頷く。

 

「しばらくはお前達に様々な面倒がかかることになる。竜人然り、その他些末な物言いも含めてだ。それは赤鞘を拝したのならば当然のことでもある。赤鞘を腰に佩く以上はな。かの竜人の動きは分かり次第手のものに伝えさせる。心しておけ。少なくとも今日明日ではないとだけ言っておく。もし心残りがあれば済ませておけ。貴様らが生きていられるかも分からぬのだからな」

 

 そう言うと、高塚もその場を去って行く。

 

 二人にとっては戒鍊どころか高塚でさえ天上人に等しい。伏したまま送り、戸が閉まってから十分に間をとってから、ようやく顔を上げる。陣衛は黙ったまま、目の前に鎮座する赤鞘――無明を手に取る。朝芳も同じく赤鞘の一振り、黒天を手に取る。

 まだ、城内である。むやみに高く声を上げていいような場ではない。再び鯉口を切ることさえ許されない。だが、赤鞘を手にした感情はそんな些細な事情を斟酌しない。

 

「あ、赤鞘だぜ! 赤鞘! まさか赤鞘を差せる日が来るとは……! 今日は俺、抱いて寝てしまうかもしれん!」

「……気持ちは、分かる」

「だよなぁ!」

 

 武門として、その差料の頂点である赤鞘だ。誰にでも与えられるものではない。どれほどの剣豪であっても一目見ることなく没することさえある。古くより伝わる赤鞘を差すに値する条件。多くの命を背にし、決死に臨むこと。

 だからこそ、赤鞘は特別である。今でこそ褒美扱いでこそあるが、本来は死への供として下賜されるのだ。多くの命を守るために向かう勇者が最期に持つ刀となるのだ。守人にとっての最大の名誉であり、死へと誘う呪い。それが赤鞘だ。

 

 だとしても、剣士の一人として刀の頂を振るうことを夢見ないはずもなく。

 陣衛に授けられた赤鞘の名は無明。先代九灯により打たれた太刀である。その刀身は長身の陣衛であっても持て余しかねないほどに長く分厚い。

 はしゃぐ二人の耳に、小さく咳払いが聞こえる。それは大広間を管理する近衛である。今更ながらに慌てて退席する二人に、気持ちは分かると近衛は笑いをかみ殺すのであった。

 

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