恋剣水花 ~笠間陣衛にゃ分からない~   作:朝食付き

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27.陣衛と水の色

 もはや響くのは互いの命を削る火花のみ。陣衛の大太刀が銀の線を描き、大鱗丸の爪が削がれる。

 斬って返す太刀よりなお速い牙から、辛くも逃れる。朝芳の点を穿つ突きが大鱗丸のつま先を切り離す。すぐに生える末端だが、万分の一を取る隙となる。

 生と死が大河のうねりのごとく入りては出づる。だが、未だ致命には届かず。

 

 振り下ろし――身を逸らすような回避。横一文字――飛び退かれ、反転。

 攻守が入れ替わる。

 爪――刀で弾く。牙――回避、牙――回避、尾――飛び退いて回避。足りない。力が不足している。速さに劣っている。技に順応されている。開いた間合いに再び飛び込むまでのわずか。しかし陣衛は生きている。朝芳も息を荒げながらも、大きな傷はない。

 

 ここが分水嶺だ。陣衛の直感がそうささやく。なぜか。深い呼吸に合わせて疑問が浮上する。なぜか。大鱗丸は陣衛の剣を警戒している。なぜか。今更に現れ大崩しをもくろむ。なぜか。大鱗丸の金の目は、常に陣衛の無明に注がれている。

 

「……ああ、分かった」

 

 唐突に陣衛は理解した。すでに幾度斬り結んだか分からぬ、一瞬先に迎えるかもしれぬ死を薙ぎ払い、大鱗丸の顎を柄でかちあげる。勢いを乗せた兜割りがよけ損ねた大鱗丸の胸に一筋、切り傷を残す。粘度すら感じさせる黒い煙が、傷口からあぶくのように浮かぶ。

 

「何を、だ?」

 

 余裕を見せつけるように大鱗丸が問う。

 

「五十年。かつての大崩しから、随分と長くかかったその理由だ」

「……そりゃあ、気になるな。多少の傷も問題ないはずのあやかしにしちゃ、長い休憩だからな」

 

 陣衛が付けた傷は、衆目の中見る間に治っていく。人とは異なる肉体構造。例え片腕を無くそうと、元に戻るのがあやかしだ。

 だというのに、大崩しと言われるほどに崩壊した東松原に大鱗丸がついぞ現れることがなかった。これほど時が経つまで、その影すらなかったのだ。

 

「――なあ笠間。俺にも教えてくれよ、その理由をさ」

 

 ひくりと、大鱗丸の目元が引きつる。くかかと擦過音のような笑い声が響く。無明を構えたまま、揺るがぬ陣衛と体を震わせるように笑う大鱗丸。全ての視線が一人と一体へと集中する。

 

「下らぬ、下らぬ! 弱者の世迷い言を口にするな。失望させるなよ、カサマ。貴様は――」

「怖かったのだろう?」

 

 ピタリと、笑い声が止まる。天を登り始めた月が、暗闇に確かな影を作っている。月光が差し込む音さえ聞こえそうなほどの静寂が町を通る。

 

「五十年前、お前はこの東松原を壊滅寸前まで追い込んだ。そして御館様と守人達に退けられた。だが、お前の生命力であれば一晩すらかからずに復讐を果たせたはずだ」

 

 しかし未だこの国も、斯波戒錬も未だ健在である。それはなぜか。陣衛の声だけが朗々と響く。揺らぐことのない水面のような低く落ち着いた声が、人々の気を静めるようにただ染みていく。

 

「あやかしの急所は首。裏を返せば、首以外は飾りだ。両腕を落とされようとお前には尾がある。牙がある。俺たちを殺すことなど容易かったろうに。なあ、大鱗丸。俺には分かっているぞ。お前が何を見ているか。いや、目を離すことができないのかを」

 

 ひくりと大鱗丸の目が引きつる。雄弁に語る視線は、その先は。

 陣衛が再び無明を肩に担ぐ。月の光に蒼く輝く無明の切っ先を、大鱗丸は見ている。

 

「俺の刀がそんなにも恐ろしいか。強者を食らうのだと嘯くお前は、いつでも俺たちの刀だけを見ている」

 

 陣衛の心身を満たす水のごとき気迫が、その瞳が大鱗丸を映す。誰も動かない。朝芳の目が、美織の目が、人々の目が、大鱗丸の姿を映す。

 

「お前は恐れた。俺たち守人の剣を」

 

 大鱗丸は答えない。

 

「五十年。誰ぞから聞いたのだろう? かつてお前を斬った人間はほとんど歳を重ねてもはやこの城にはいないと。お前が恐れた人間のほとんどは、今や刀を振るうことも難しいほど衰えたのだと」

「そりゃあ、さぞ安心したことだろうな。……それで御屋形様か」

「ああ。かつての大崩しを食い止めた守人の主、斯波戒錬様がこの城におわすのだ。――大鱗丸。お前は歳を経た御屋形様へ雪辱を果たしたかったのだろう? 古い惨めな記憶を、今ならばとやって来たのだろう? 返り討ちにされた恐怖に引きこもり、相手が衰えたころに意気揚々と現れたのだろう?」

 

 はぁ……と、ため息をつく。

 

「――なんとも、情けないことだ」

「……抜かせ」

「お前が抱く恐怖、畏れ、妬み。その身の真実など、とうに見えている」

 

 陣衛の目が、水の色に煌めく。陣衛達を取り巻く人々の幾十、幾百の眼が水の色に輝く。いつだってあやかしの変化を暴くのは、静かなる水の鑑。水守の司が、それを見逃すはずがないのだ。空いた左手で、自らの目を、人々の目を指し示す。

 

「お前の本質を見抜く水鏡はここにある。さあ、ここに水調べは相成った!」

 

 どこからか、風が吹く。水の匂いを孕んだ冷たい風だ。東松原に注ぎ込まれる白峰からの水が集まったかのように濃厚な水の気配。邪悪なるあやかしを、その力を削り取る大いなる水の流れ。煙と悪意が形作る化生の肉体であればこそ、人へ恐怖を与えてこそあやかしは力を持つ。ならば人への恐怖を覚えたあやかしはどうなるか。あってはならぬ深奥の秘密を暴かれた大鱗丸が一瞬の忘我を晒す。陣衛が再びため息をつく。

 

「……目処も付いたことだ、終いにするぞ――朝芳」

「そうだな――陣衛。さっさと終わらせよう。腹も空いたことだしな」

「いい店を知ってるぞ」

「だろうさ」

 

 水調べによる力の減衰があろうと、元より桁外れの生命力が大鱗丸にはある。既に傷は消えて、万全な肉体を取り戻している。対する陣衛と朝芳の体には無数の傷。流れた血と土埃が真っ白な水干を見る影もないほどに汚している。

 

 だが、それがどうしたと、二人は軽口を叩く。気負うことはない。水調べこそが水守の司の務めである。いつだって正体を隠したあやかしを、その変化を暴く瞬間に神経を尖らせている。

 

 しかしその必要は無いのだ。既に、城下に住む人々が持つ数百の水鏡に全ては晒されている。ならば、暴かれた醜い本性に最大の一撃を叩き込むだけ。容易いことだ。陣衛と朝芳、二人ならば。

 もはや大鱗丸に言葉はない。ただ体を低く、両手が地面に付くほどに前傾へと構えるのみ。四足の獣のように機敏に、二足による自由な腕は自在に。そして牙と尾による必殺がある。武人を気取るが故に一度たりとも使うことのなかった、あやかし――竜人として最も殺意に特化した攻撃態勢である。

 

 対するは陣衛。身の丈ほどもある大太刀を小枝のように軽々と回し、三度肩に担ぐ。左半身を前へ、少し前傾を取る。担いだ太刀は、その冴え冴えと輝く銀を見せつけるかのように真横へと伸ばしている。

 

 ”無明”

 

 ただ二文字の簡素な銘とは裏腹に、その刀身には月より注ぐ光が煌めく。

 その姿は物語に語られる勇者そのものである。巨大な悪意へと立ち向かう二人の若武者。語られるべき物語がそうであるように、誰もが恐怖を忘れてその姿を瞳に映す。

 人々の震えが少しだけ止まる。恐怖が薄まり、陣衛を見る目に期待が宿る。すなわち未来への希望が。

 

 陣衛の体格は良く、ばらりとなびく髪やギラリと輝く大太刀が、夕暮れの街に一番星のように人々の願いを集める。

 だが、どれほどの耳目を集めても、陣衛の態度は変わりない。

 

「やるか」

「やる」

「やろう」

「やるぞ」

 

 どこかから煮炊きの香り。ざわつきやまぬ城下にて、二人の男と一体のあやかしが正対する。

 大鱗丸が口角をつり上げる。岩に入った罅のような笑顔。自らに塗り固めた見せかけではなく、竜人としての本能が、これにて終わるひとときに万感の喜びを表している。

 

「まさに、甘露よ。その臓腑、遺さず喰ろうてくれる」

「飢えて死ね」

 

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