陣衛が修めるは近田一刀流。その本流は古き神々の使いを滅ぼすために磨かれた剣である。理合と間合いを緻密な足運びで踏み越え、地を震わす踏み込みであやかしを斬る、剛剣を旨とする神殺しの剣。右半身を前へ、担いだ大太刀の柄をまっすぐに突き出す。添えられた左手は、祈りを捧ぐかのように開いたままに柄頭に添えられている。
その背を合わせるのは朝芳。組である陣衛ですら名を知らぬ奇妙なる構えを取る。左半身を前にして、右の腰に逆手に握る刀を合わせるのだ。柄頭へ添えられた左手は軽く握られている程度。袖の袂に隠した刃は天を向く。朝芳が修めるは、剣を知る者こそを討つ剣術である。虚に親しみ一会の死をもたらす奇剣である。
竜人はあやかしの本能として、陣衛の構えに鱗が逆立つ感覚を覚える。
幾百と守人を食らってきた経験が、朝芳の構えを無視できない。
剣術とは合理の塊である。だからこそ相対するあやかしこそが最もその脅威を知る。守人との戦いが多ければ多いほどに、刀の振り方、足運びに目付き、全てが一つの理念でくみ上げられていることに気がつく。
陣衛の振るう剣術はまさに合理を体現した剣である。力と技を練り上げ気炎のごとく熱を放つ。その剣気は、大鱗丸の硬くしなやかな鱗でさえ、一息で断ち切らん気迫が満ち満ちている。
だからこそ、その対極にあるのが朝芳の奇剣に大鱗丸は戸惑い引きつけられる。袂に隠れようと、刀の向きなど柄を見れば分かる。抜き打ちならばてこのように下段からカチ上げる剣筋が予想できる。しかし、朝芳の握りでは峰が先に出る。合理を無視したかのようなその構えは、剣術を知るほどに毒となる。
二人が構える刀は水調べのために打たれた刀ではない。怒りと無念、無情が打たせたあやかし殺しのための刀だ。その威力たるや、大鱗丸の鱗ですら絹のごとく切り裂くだけの鋭さを持つ。
今、陣衛と朝芳は赤鞘の全てを引き出している。扱いかねていたはずの無明が驚くほど軽い。肩に担がれた刀身には陽炎のような揺らぎが現れる。それは、陣衛の烈しい戦意が無明に共鳴した証でもある。
朝芳の袂に隠された黒天は暗夜のごとく畏れを思い起こさせる。見えぬからこそ膨れ上がる本能をこそ黒天は引き寄せるのだ。陣衛と朝芳、大鱗丸の殺意が境界を作る。
軽い足取りで朝芳が境界に踏み入れる。
対照的な二人の構え。
戦端を開くは朝芳。ただただまっすぐに大鱗丸の懐めがけて飛び込む。大鱗丸がその爪を以て迎え撃つ。爆ぜるように突き出された爪――朝芳がどう避けようと突き、薙ぎ、掴み掛かり。確実に引き裂く意思を込めている。朝芳が死なぬためには剣を現し身を守るしかない――択一を迫ることで奇妙な剣の正体をも暴く目論見である。
しかし朝芳は迫る一撃に戸惑うことなく、爪にそっと触れるように、右手を引くようにくるりと回る。鋭い爪がその身を切り裂くよりなお速く。どれほどに鋭い剃刀とて、柔らかなままの布を裂くことはできない。
爪と同じ速度で独楽のように回り、弾ける。大鱗丸の目には、朝芳の目に浮かぶ光が見えていた。背から肩、肘、そして黒の尾。牙と爪を駆使する竜人に対し、回転と共になぎ払われる黒天。竜人の尾のごとき回転なぎ払い。
守りではなく、攻めの一撃。竜人の十八番を奪うその剣技に、大鱗丸が突き出した左腕が、中空へ斬り飛ばされる。まるで手品のような派手な一撃に一瞬、気が逸れる。かつての守人に叩き斬られた記憶さえねじ伏せ、もはや腕一本が何ぞのものと気勢がそがれることはない。怒りと興奮に、燃えるような咆哮が放たれた。
だが、奇剣とはそういうものだ。対人なら致命傷となろうが、あやかし相手では一撃必殺にはなり得ない――なる必要がない。なぜなら、陣衛がいる。
人外を斬る。無明を担いだ陣衛は、ただそれだけのために鍛え上げられた剣となる。
奇剣が稼いだ刹那、すでに陣衛は大鱗丸の懐へ飛び込んでいる。はじめからそうであるかのように、ぴたりと間合いが揃う。陣衛の大太刀、大鱗丸の爪と牙。あとはどちらが速く強いか。それだけが勝負を決める。
右腕は陣衛にくれてやると、大鱗丸は迫る太刀へと盾代わりに腕を突き出す。如何に切れ味鋭くとも、屈強なる竜人の腕だ。わずかでも剣速を落とすことができれば、牙が間に合う。
金剛石すらかみ砕く牙が、最強の剣士の血肉を求める。全霊威力で牙を突き立てるのだ。例えわずかな血であれど、どれほどの力となるか。落ちた手などすぐに生えてくる。そうすれば奇剣の使い手も底が知れるまで相手をしてやろうと。
トン、と陣衛が跳ねる。爪どころか腕さえ届かぬ高見へと。あわれ大鱗丸の目には消えたようにしか映らない。竜人の目は、下へも上へも自在ではないのだから。
宙空で陣衛が体を捻る。誰もが陣衛を見上げている。
朱き鞘と銀の刃。バサリと黒の髪が夜空に三色の円を描く。
今更ながらに、大鱗丸の目が、空にぽっかり浮かぶ三色の月を映す。
それが致命である。
すらん、と陣衛が無明を振り下ろす。着地は軽やか。体軸に一寸のブレもなく。ただ三日月のような斬影を残し、無明の刃が大鱗丸の首をすり抜けるように通り抜けた。
勢いのままに地面をするりと斬った無明の重みを利用して、陣衛は一気に背後へと跳び下がる。
そして再び、くるりと銀の大太刀を肩に担ぐ。陣衛の手には、薄衣を裂いたような軽い手応えだけが残っていた。
竜人の首に赤い筋が浮かんだ。
とっさに首の傷を抑えようとした大鱗丸の右手――盾代わりとした渾身の力を込めていた右腕だ――がぼとりと落ちる。
遅れて首が落ちる。
静寂。
群衆が息を呑み、落ちた首から光すら届かぬ黒が吹き出した。
***
吹き出し続ける黒煙は尽きることがない。その黒煙が表すのはこれまでに大鱗丸が食らい続けた命の数である。煙は滞留する。落とされた首の元に、黒い塊となってなくした頭を再び形作ろうとしている。誰もが異常事態を悟る。陣衛の、当代最強たる水守の司ですら殺しえないのかと、再び恐怖が周囲を昏く染める。そして縋るように見たその二人は――あまりに自然体であった。
ため息を一つ。消したつもりのたき火に熾火が残っていた。その程度の軽さだ。
だが理解している。この黒煙は大鱗丸が今まで食らい続けた命だ。もはや返ることはない命だ。それがあやかしのために使われるなどと、許せるものではない。正しき眠りを取り戻すために、この悪しき竜人を殺さねばならぬ。この愚昧なあやかしから、命を取り戻さねばならぬのだ。
「貧乏くじだな」
「でも俺たちで良かったろう?」
いつかの氷雨としたやりとりが頭に浮かび、陣衛は苦笑を浮かべる。めずらしいそれに、朝芳があっけにとられる。
「確かにな。さあ、死ぬまで殺すぞ」
「お、おう。そうとも、あやかしは塵に返す。人は家に帰す。俺たちだけが居残りだ!」
陣衛の無明が、朝芳の黒天が銀と黒の残像を振りまく。胴が、腕が、頭が、二人が刀を振るたびに両断されていく。竜人の生命力はすさまじく、両断された肉と肉が即時再生しようと震える。だが、きらめく剣閃は生を許さない。
嵐のようなひとときが終わると、そこに残るのはあやかしだったものの、黒煙は散らされて、もはや細切れとなった肉と共に空に溶けていく。
剣の嵐が黒煙のことごとくを斬り払い、陣衛の宣言が全ての終わりを告げる。
「これにて、幕とする!」
***
安堵のため息に胸をなで下ろす者、今更ながらに腰を抜かして尻餅をつく者。自分の無事を未だ信じられないと、ぼそぼそと話始める人の間を一つの足音が駆け抜ける。無明を軽く振って陣衛は赤鞘に刀身を納める。振り向くまでもなく、陣衛にはその足音の持ち主が分かっている。
近づくほどにゆっくりと、最後には立ち止まるその音。
大鱗丸の体が完全に煙と帰すまで、陣衛は振り向かない。完全に浄化するまでは、動かない。それが水守の司が担う務めならばと。
が、肩を突かれる。朝芳が、顎をしゃくり、任せろと言う。とまどいはわずか。助かると一言礼を告げて、陣衛は振りかえる。
そこには、美織がいるのだ。
「笠間さん……っ!」
「……その、なんだ。……そうだその、茶は、届いただろうか?」
全く脈絡のない言葉に美織が言うべき言葉をなくす。
「そんなの、今はどうでもいいでしょうっ! 笠間さんの、笠間さんのことを聞いているんです! そんなにボロボロになって、なのになんで……なんでそうなんですかっ!!」
堰を切ったように、美織が陣衛に文句を並べ立てる。
「あれからずっと食べに来なくて、あやかしの怖い噂だけが広がって、なのに笠間さんはそのただ中にいるって、心配にならないわけがないでしょう!」
陣衛は二の句も継げずに目を瞬かせるばかり。
「お茶なんて、笠間さんが来てくれたらそれで良かったんです! だからせめて、お礼にお茶を入れてあげられればって、それで、関に来ればもしかしたら会えるかもって、それで……」
それきり、美織はうつむいてしまう。
「すまん……」
うつむいた美織がキッとまなじりをつり上げる。
「血が出てます」
「いや、すぐに治る。それより、ここはまだ安全というわけでも――」
「笠間さんがいます」
「……それは、そうだが毒もある」
死してまで迷惑を残すものだと、陣衛は内心大鱗丸を大いに罵る。
背後では朝芳が群衆に向けて状況の終わりを宣言している。もはや危険はない。
ちらりと見回せば、いつの間にかやってきていた氷雨が朝芳へと報告をしているのが見えた。
「関所も対応終わりました」
朝芳に話しかけてこそいるが、陣衛にも視線が伸びていることを感じている。ちょうど陣衛で美織は隠れているからいいが、できればさっさと持ち場に戻って欲しい。そう勝手なことを思う陣衛である。
そんな風によそ事に気を取られていたから、額に伸ばされた手に気がつくのが遅れた。柔らかな手巾が額に触れて血に染まる。
思わず額に手を添えて、慌てて手を引き戻す。
美織の手が、陣衛の手に重なり、傷へと引き戻される。
「……ちゃんと、押さえて下さい。すぐに血も止まりますから」
「ああ……いや、毒がある。障ると良くないのだが――」
「怖くはなかったですよ。だって、笠間さんが言ったでしょう? 何も心配はないって」
確かにそう言った。勝てるかも分からぬ相手だった。だが、美織にはいつものようにいて欲しかったのだ。笑ったり、怒ったり、呆れたり。そんないつも通りの美織でいて欲しかったのだ。
「でも!」
大きく美織が息を吸う。ゆっくりと吐く息は少しだけ震えている。
「心配を、しています。……いつも」
ぽつりと付け加えられたその言葉に、柔らかな手の暖かさに、陣衛はようやく何が自分を動かすのか、分かったのだ。
「だから、少しくらいの毒なんて、なんだいって思います」
後で清流に流せばいいって聞きました。そう言って美織はほほ笑む。強がりでもなく、ただ穏やかな、陽だまりのようなそれ。
それこそが、陣衛の”理由”だ。それを自覚して、途端に陣衛は何を言えばいいか分からなくなる。だからまたもやおかしな言葉しか出てこない。
「今日の朝。自分でも、淹れてみた。センブリ茶を」
「……おいしく淹れられました?」
「茶葉まで呑むことになった」
あははと、美織の笑い声が日の落ちた町に響く。未だ恐怖に冷たかった人々は、そのあまりに軽やかな声に、釣られるように微笑む。ぼそぼそと潜めていた声が、いつも通りの声色に戻る。
もう安心だねとお互いの無事を喜び合う。怖かったねぇ。こんなに怖い目に遭ったのは初めてだと身を震わせる。そして、すごかったねぇと。
そして、恐怖を見事打ち倒して見せた勇者が、小柄な少女に笑われて居心地悪そうにしているのを、穏やかに見守るのであった。