恋剣水花 ~笠間陣衛にゃ分からない~   作:朝食付き

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29.美織と仕方のない人

 第二次大崩し。此度の事件に付いた名である。

 首魁たる大鱗丸は打ち倒され、その名に集まった竜人や有象無象のあやかしも既に討ち取っている。散々上層部を悩ませた竜人の侵入経路も、手を貸した愚か者共々完全に潰された。裏で絵図を描いただろう蜘蛛の目論見はほぼ潰えたと言っていい。治安を理由に止められていた交易船も動き出して城下町は早くも元の喧噪を取り戻しつつある。

 

 陣衛達水守の司も、これにて一段落。事件解決に尽力した褒美にと酒樽を差し入れられたのが本日。関所を閉め、いつもは全体連絡や集団訓練に使う大広間を宴会場としている。必要な当番を残し、全員がお気楽極楽と豪華な料理と酒に酔いしれている。

 陣衛と言えば率先して料理を確保し、一品ごとに噛みしめている最中である。表情こそ大して変わらないものの、ふわふわとした普段と違いすぎる雰囲気に誰も近づこうとしない。

 

「笠間殿!ようやく仕上がりました!」

 

 などと声が上がったのは宴もたけなわとなった頃。

 上役である今寺法綱に連れられてきたいつぞやの商人である。

 ほくほく顔で陣衛に差し出したのは着物。包みは二つ。陣衛と、美織のものだ。商人からすれば自分を助けてくれた相手が、今度は東松原までも救ったのだ。

 

 それほどの人物にしかと縁を繋いでいた自分を褒め称えたい気分であったろう。当然、誂えられた着物はどちらも最上である。陣衛が財布を取り出そうとする手を押しとどめ、全て礼にございますの一言で押し通す。最終的には今寺の無粋であるの一言で無償にて受け取ることになった陣衛である。

 

「笠間はどうにも身だしなみに無頓着であるからな。いいものを手に入れてようやく一人前だろう。それに、この間は邪魔が入ったのだろう? なら揃いの着物でもう一度でかければ、仲もより深まろうて」

 

 今寺がえびす顔でそんなことを言う。

 放っておけとそっぽを向いた陣衛であるが、はたと気付く。”なぜ、上役がそのことを知っている?” いつぞやは陣衛のやもめっぷりをさんざんに嘆いていた御仁が、いかにも訳知り顔である。

 今寺の無駄に良く通る声が、落ち着き始めた宴会場に響く。

 

「ええ! 逢い引きですか!?」

 

 嬉しげな声を上げた氷雨を筆頭に、次々に知ったような声が上がる。

 

 ”なぜか”

 

 誰もが花千里どころか美織の名前まで知っている。

 

 大鱗丸との戦いの後、氷雨には美織との会話を見られていた。しかし陣衛の体で美織は見えなかったはずだし、見られていたとしてもそれだけで全ての事情が伝わるはずもない。であれば。陣衛が美織のことを話した相手はただ一人。

 ばっと周囲を見渡せば、こそこそと姿勢を低く宴会場を抜け出そうとする男が一人。

 

「あさよしッ!!」

「うははっ!!」

 

 関所中に轟く陣衛の怒りが外にまで響く。何の憂いもないただの掛け合いが、誰もいない水鏡を静かに揺らしていた。

 

 ***

 

 大忙しな日々もようやく落ち着き、関所では普段通りに水調べが執り行われている。

 

 大崩しを防いだ陣衛と朝芳ではあるが、やることに変わりは無い。何せ二人は水守の司である。平穏へと立ち直りつつある東松原の城下を守らなければならない。

 未だ街道には逃げ出した竜人やあやかしどもが跋扈している。城内へと竜人を手引きした裏切りものの首が晒されて久しくとも、真実全ての穴が塞がれたかどうかもまだ分からない。

 

 ただし、ねじ曲げられていた大河を渡る物流は戻りつつある。あと一月もすれば落ち着きを取り戻すだろう。陸路も徐々に回復してセンブリ茶も入ってくるはずである。

 

「俺たちとしては一段落よな」

 

 水に浮かぶ陣衛に朝芳が気の抜けた声で言う。わざとらしく頭を押さえ、先日強かに撃ち込まれたげんこつの激しさに抗議する一幕を終えての一言だ。

 

 そしてもう十分とばかりに、ざぶざぶと盛大に波を起こしながら水から上がる。おかげで水を飲むことになった陣衛は朝芳をにらむ。だが陣衛の怒りなどどこ吹く風と朝芳はさっさと上がれと促す。

 

 あまり長居して報告が遅れるのもよろしくない。素直に水から上がり、白い水干を脱ぎ、いつも通りのくたびれた小袖に着替える。清潔な布で髪に残る水を拭き取っていると、陣衛の相方たる水守――辻堂朝芳がカカと笑う。

 

「その髪なら、乾かすのも随分楽になったんじゃあないか?」

 

 そうなのである。陣衛がガシガシと拭き取るその頭は、前日までの伸び放題の総髪からさっぱりとした短髪、いわゆるバラ髪へと変わっていたのだった。

 

 というのも、いつもの調髪屋へと陣衛が顔を出すと、なんと店主は引退し隠居したというのだ。何ヶ月も間を開けたから知らなくとも無理はない。が、それでもさみしさを感じる陣衛である。幸いにも後継として店主の孫が店を引き継ぐとのことで、陣衛としては一安心ではあった。

 そして後継に散髪を依頼したところ、腕に自信があるから任せて欲しいと言われたのだ。あまり髪や身の回りに対して興味の薄い陣衛であるから、考える必要のないお任せに喜んで身を預けた。

 

 実際跡継ぎの教育は上手く進んでいたらしく、軽やかになる鋏の音は心地よい旋律を奏でた。そしてうとうととしたまどろみから目を覚ませば、既に結い上げられないほどの長さに切り込まれた頭があったというわけである。

 

 あまりに髪の長さに差があるために慣れないが、それでも水を浴びた後や風呂から上がる際には効果を実感する。大した時間もかからずに水気を拭き取れる。総髪のようにまとめる手間もない。既に陣衛はこの気軽な髪型を気に入っていた。だから、朝芳の言葉へ、一言で返す。

 

「楽だ」

 

 違いない! と声を上げて笑い出す朝芳の髪は、それまでの陣衛ほどではないがそれなりに伸びた総髪である。特にまとめることもせず垂らし髪としているが、今の陣衛から見れば随分と乾かすのに手間が必要だ。だから、陣衛も口角を緩め、こっそりと鼻を鳴らすのだった。

 

 ***

 

 花千里に顔を出すのは本当に久しぶりである。赤鞘を受け取ったあの日以来である。なにせ第二次大崩しの阻止。その立役者が陣衛と朝芳である。だから、ようやく美織に会えるということもあって陣衛の足取りは知らず軽くなっていた。

 

 美織はいつもどうして陣衛の顔を見ると口を引き結んで目つきが鋭くなる。今ひとつ陣衛は美織が何を考えているかが分からなかった。しかし、適当に元結いを結んでいると注意されたり、食事の後は帰宅するだけだというのに仕方ないですねと直してくれることもあった。

 どうも、陣衛のことを幼子か何かかと勘違いしているような、身だしなみの指摘が多かった。

 だから、今度もそうなるだろうと思っていた。

 

「邪魔するぞ」

 

 ようやく元通り回り始めた当番のおかげで、こうしていつも通りの夕餉に訪れることもできる。花千里の前で花に何やら水を掛けている後ろ姿に陣衛が一声かける。ぱっと振り向いた美織は勢いのままに、花のような笑みを浮かべ。

 

「いらっしゃ――」

 

 すぐに途切れた。口を開けたままに美織が陣衛を見上げている。視線の先は陣衛の頭。ばら髪である。見違えるほど髪が短くなった髪に向けられている。めったに、いや初めて見る美織の驚いた顔に陣衛は内心大いに満足した。だから陣衛にしては珍しく、からかうように笑った。

 

「流行なのだろう?」

 

 そんな陣衛に美織はますます大きな目を丸くする。そして、少し拗ねたように顔をそらす。だが目線は陣衛に向けたままだ。

 

「まさかと思ってびっくりしました。本当に、さっぱりしましたねぇ……」

 

 驚きも過ぎれば好奇心に変わる。美織は陣衛の周りを子供のようにぐるぐる回り、いろいろな角度から陣衛の新しい髪型を眺める。一度など後頭部に手を伸ばす始末である。

 

 まんざらではなく胸を張る陣衛であったが、思い出したように店へと視線を移す。別に髪を見せに来たわけではなく、食事に来たことを思い出したのだ。美織もそのことに思い至り、顔を赤くしながらも店内へと陣衛を招き入れるのだった。

 

 本日の定食は天ぷらである。関所近くに広げられる天ぷらの屋台と異なり、下ごしらえから油の種類まで念入りに調えられた天ぷらである。カリッとした衣と熱を秘めた川エビと旬の野菜たち。

 

 サク、と軽やかに衣が崩れる。大ぶりな川エビのプリッとした歯ごたえが次に来る。東松原の大河に住む川エビは食通であることが知られている。普通のエビであればどんなものでも食べる悪食であるが、この川エビは特定の藻しか食べない。

 そのため、藻の香りが川エビに移り、エビらしからぬ甘い香りを成す。粉末にした茶を混ぜた粗塩を付ければ、口中に心地よいうま味が広がる。天ぷら屋曰く、油の鮮度と温度、そして冷えた水が衣の食感を決めるのだという。

 

 陣衛には今一つ油に冷えた水の理由は分からないが、花千里の店主は腕利きの料理人である。きっとうまいこと水をなにかしているのだと陣衛は思っている。実際にどう水を使うのか、美織に聞くのもよいかもしれぬとも。

 

 ふぅ、と陣衛は夢中で動かし続けた箸を置く。

 お茶を用意しますねと、さっそく身を返した美織を陣衛は呼び止める。少しだけ気まずそうに、しかし目線は逸らさず。

 

「少し話を、いいだろうか?」

 

 店内で私用を果たすのはよろしくない。もっともらしく美織は言うが、常連や姉の目が気になっただけである。何、とは言わないが、美織にも”何か”があるならば二人でありたいと思う気持ちもないではないのだ。

 

 向かったのは花千里の裏手である。そして陣衛が取り出した風呂敷に、美織は棚上げしていた問題に大いに憤るのだった。

 

「払わせてください! 私が買いますって言いましたよね?!」

「無用だ。俺も礼だと貰ったのだ!」

 

 丁寧に風呂敷に包まれた小袖は、職人が腕によりをかけて織り上げた上物だ。だからこそ、気軽に手に入るようなものでもなく、その支払いについて二人は揉めている。

 陣衛は彩鳥屋に礼として貰ったと事実を言うが、このような高価な小袖が無償でなどと美織には信じられない。

 

 陣衛の口下手も相まって、いい格好をしようとしているように思えた。財布を片手に風呂敷を取り上げようと手を伸ばす美織と、風呂敷を高く掲げてそれを防ぐ陣衛。

 

 互いの袖がふれあう距離で、しかし本人達は真剣である。だが、それでは話が進まない。ガラガラと裏口の窓が開き、中から美那が顔を出す。

 

「いい加減にしなさい! 美織! 笠間様に恥をかかせるんじゃないの! 笠間様も、贈り物をするのであればちゃんと伝えないといけません!」

 

 言うだけ言うとすぐに引っ込む。というよりは同じように盗み聞きをしていたであろう、夫と父親に引き込まれたようであった。二人に任せないと、とか、気持ちは分かるけど、だとか、呆れた風な声が漏れ聞こえてくる。

 

 料理場まで聞こえていたとなれば、店内にも聞こえていてもおかしくはない。二人とも、顔を真っ赤に染める。

 ひゅるりと吹き抜ける風。花の香りがかすかに通る。陣衛は腹を決めた。すでに顔は火照っている。ならばこれ以上赤くなることを恐れることも、恥じる必要もない。掲げていた腕を下ろし、風呂敷を軽く整える。そして優しく丁寧に、美織へと差し出す。

 

「受け取って欲しい」

 

 陣衛の目にはただ一人だけが映っている。まっすぐに、揺るがずに、ただただ美織だけが。

 

「~~もうっ! なら! 私を一人で歩かせないで下さい!? それが、できますか?!」

「できる」

 

 陣衛の答えは間違えようもないほどに単純だ。だから戸惑いもためらいもない。

 

「それで……、良ければまた、改めて芝居を観に行かないか? 前に行けなかった約束をもう一度、埋め合わせというわけなのだが、どうだろう?」

 

 だというのに、逢歩きを誘う時には視線を逸らしてしまう。そのちぐはぐな様が、美織にはとても――。

 クスリと、美織が笑う。

 

「もう! 仕方ない人ですね。――もちろん。喜んで」

 

 言葉とは裏腹に、その顔には大輪の花が咲いたかのような笑顔が浮かんでいる。

 なるほど。陣衛は唐突に理解した。なるほど。これが、そうか。これが、そうなのか。自然に声が、笑い声がこぼれた。はははと、何のてらいもなくただ笑う。

 

「…………初めて、見ました。あなたは、そんな風に笑うんですね」

 

 そうして、美織は初めて、この街でただ一人、陣衛の笑顔を見たのだった。

 

 ***

 

 美織へと手を差し出す。無骨で融通の利かない、堅物の手だ。

 陣衛から手が差し出される。大きくて温かな、優しい手だ。

 

 既に夕暮れは遠い話で、深い紺の空には時折瞬く星がいくつか。

 二人の手がそっと触れあう。指先からはじまって、指と指、手のひらが重なる。

 陣衛は手を引き寄せる。美織は自ら引き寄せられる。小柄な体が、陣衛の腕の内へと納まる。

 陣衛からは美織の顔は見えない。見えるのは赤く染まった耳と首元だけ。

 美織の腕が上がり、陣衛の背に回される。日々の訓練で鍛え上げられた陣衛にとってはささやかな力でぎゅっと。

 

「こういうことで、いいですね?」

「ああ」

 

 陣衛がそうっと美織の体を抱き返す。

 それからのことは、書くまでもないことだ。

 

 ***

 

 曰く、東松原に住む者には、三つの自慢がある。

 

 一つ、風光明媚な景色。

 二つ、豊かな地の恵み。

 三つ、悪意を払う守人の剣。

 

 しかし、実はもう一つ、自慢すべきことがある。

 それは――たわいなくも続く、恋と愛。それは連綿と続く人の営みそのものである。

 

 完




これにて完結です。
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