恋剣水花 ~笠間陣衛にゃ分からない~   作:朝食付き

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3.陣衛と伸びた髪

 陣衛といえば、美織を見送ることなくさっさと箸を手に取っている。

 まずは味噌汁で喉を湿らせる。大根と豆腐の味噌汁で、良く出汁が利いている。空腹に注がれる汁物は食欲を更に高ぶらせる。早く次をと急かす腹の虫をなだめつつ、半分に割られた柑橘をぎゅっと搾る。それから主菜へと箸を伸ばす。良く脂の乗った鮎である。香ばしく焼かれた皮はぱりっとしていて、箸で突けばいい音をさせて破れてくれる。そして箸で押し広げればきれいな白身を覗かせる。

 

 身から染み出た脂が明かりを反射してきらりと光る。身離れも良い。口元に運べば柑橘の爽やかな香りと良く焼かれた香ばしい匂いが食欲をそそる。たまらず口に含むと、塩っ気が舌に現れる。魚の脂に溶け出して、まろやかながらもはっきりとした鮎の旨みを強調している。柑橘の酸味が旨みを更に引き立てる。身はかみしめるたびにぎゅっと鳴るほどで、食感も楽しむことができた。口内に白身魚の上品な風味と合わさり、最後の最後までかみ続けたくなる。

 

 そして何より米だ。塩っ気の効いた鮎の繊細な味と香りを損なうことなく、穏やかな甘みでうま味を底上げする。ふっくらと炊き上げられた白米を口へ放り込めばいくらでも入ろうというものだ。

 合間につまむ漬物もぽりぽりと歯切れが良く、これだけでも茶碗一杯は食べられそうだった。

 

 しばらくの間黙々と食事に集中する。そうして一通り食べ終えたら、あえて残しておいた内臓を当てに冷酒をちびちびと飲む。ほろ苦さが酒の甘みを引き立てる。最後のひとしずくまできっちり飲み干して、満足そのものの深呼吸を一つするのであった。

 

 ***

 

 陣衛がふと気付けば、美織が膳卓の脇に立っている。何ぞ用でもあるのかと陣衛が片眉を上げて尋ねる。

 

「……何か?」

 

 客と店員という関係ではあるが、常連であることを考えれば多少は気心の知れた仲、と言えなくもない。陣衛からしても美織からしても、歳が近くて頻繁に顔を合わせる相手というのは多くない。だからか、時折、美織は食事を終えた陣衛にちょっかいを掛けるように話しかけてくる。陣衛としても、話しかけてくれる美織に悪い気はしない。口下手と頑固な性格が邪魔をするが、人との交流を嫌っているわけではないのだ。

 

「良かったでしょう?」

「……ああ」

 

 大した話をするわけではない。料理の感想を聞かれ、何の面白みもない言葉を返す。陣衛自身、呆れるほどにつまらない会話だ。だと言うのに、なぜか時々、美織は陣衛の言葉に嬉しげな顔をする。

 それはいつもではないし、呆れられたりもする。だが、美織は陣衛の意見を聞きに来た。もちろん店内に客が多ければすぐに仕事に戻るし、ただの時間つぶしにも思えるようなやりとりだ。

 だが陣衛にとっては、それが妙に居心地が良かった。陣衛が花千里に足を運ぶ理由には、自覚がなくとも美織とのひとときが含まれているのは間違いのないことだった。

 

 美味い料理に美人姉妹の看板娘。当然のごとく賑わう花千里であるが、今日は珍しいことに、客は数えるほど。ちびちびと酒を舐める老人や仲間内での会話に夢中な大工たち。

 

「お茶を用意しますね」

 

 陣衛の返事を待つこともなく、ほどよい温度に冷まされた茶が陣衛の前に用意される。薄い褐色で癖のある香り。茶は茶でも、センブリ茶である。

 

「大事に飲んでくださいね。まだ新しい茶葉が入ってきていませんから」

 

 センブリ茶は極めて苦い薬草茶である。普通の緑茶よりも需要は少ない。だが、陣衛はこの茶を好む。舌を突き抜ける苦みに陣衛はかすかに口元を綻ばせた。その姿を美織はジッと眺める。時折見せる美織の癖であると、陣衛は気にもしない。

 

「……随分と髪が伸び放題ですね」

「暇がなかった」

「あら、切りに行くつもりはあるんですね。てっきりどこまで伸びるか試しているのかと思っていました」

 

 からりと笑う美織に陣衛は表情を変えない。ただ、足下まで髪が伸びた自分を想像する。どう考えても邪魔にしか思えず、わずかに眉を寄せる。が、そんな陣衛の考えなど知ったことかと美織はからかいの言葉を続ける。人差し指をくるりと回しながら、この頃の流行を陣衛に伝授する。

 

「長い髪を束ねるよりも、さっぱりと短く切ったざんばら頭にするのが流行だそうですよ? 笠間さんは流行に疎そうですしご存じないでしょうが、ばら髪だなんてしゃれた言い方をするようです。ふふ、笠間さんも試してみたらいかがです?」

 

 ばら髪。そう説明されれば陣衛にも覚えがある。関所を通るものを守るのが陣衛の仕事であるので、人を見る機会が多いのだ。だから、時折見るやけにさっぱりとした髪型はそういうことであったかと得心する。実のところ、関所に勤める陣衛は流行というのに触れる機会が多い。

 この国では"ものの流行りはお外から"という格言がある。その言葉通り、国や街を渡り歩く行商人は流行の発信源である。彼らがこの東松原に入る時に初めに通るのは関所である。水守の司である陣衛は、その多くを見続けるのが務めだ。つまり、ある意味では流行の元を見続けているのが陣衛なのだ。

 もっとも、直接商人達と話すわけではないから、少し知っている程度に収まるのであるが。

 

「もし、急にばら髪になっていたら笑ってしまうかも知れません。でもその時は怒らないでくださいね?」

 

 あ、でも剃髪は止めてください、そうなったら私、笑いすぎて仕事ができなくなってしまいますから。自分で発言しておきながら、その内容に美織は笑いが堪えられないとばかりに口元を抑えている。つるりと坊主頭の陣衛でも想像したのだろう。押さえきれないおかしみが美織の整った顔をつついているようだ。ギュッと口を笑いを堪えようとすればするほどに、衝動は大きくなるばかり。

 そんな美織に文句の一つでも言いたい陣衛であったが、声に出すよりも先にみおちゃん、と他の客からの声。

「ふ、ふふふ、すぐ行きます! ええと、すみませんね、笑いものにする気はないんですが、ちょっと面白過ぎる想像になってしまって」

「……そうか」

 そして注文へと向かう美織。残るのは憮然とした表情の陣衛だけ。

 

 剃髪はともかくとして、ざんばら頭――ばら髪と言うべきか、にしてみるのは面白いかも知れない。陣衛は苦い茶を飲みながら、そんなことを考えてみる。

 

 いきなりさっぱりとした姿に成れば、美織はさぞ驚くだろう。そんな稚気に身を任せるのも、もしかしたら悪くないのかも知れない。

 が、そうもいかないだろう。なにせ陣衛のなじみの床屋は高齢だ。ばら髪などと、しゃれた言い回しが通じるわけもない。いつも通りで良いだろうとどやされるのが関の山だ。

 

 それでもそんな些細な想像は陣衛の鉄面皮を少しだけ和らげるのだった。

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