恋剣水花 ~笠間陣衛にゃ分からない~   作:朝食付き

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4.陣衛と休日

 朝、良く晴れた空に白峰が刃の切っ先のように輝いている。

 

 軽く身支度を調えた陣衛は守人の宿舎となっている長屋を出る。非番の日であるからして、さっさと家を出るのだ。月に何度か回ってくる非番の日であるが、常であれば早朝より剣の鍛錬をする。そうして汗を流してから食事に出かけるのだ。

 勤めがある日は関所の近辺しか店を選べないが、休みであればその制限もない。だからとにかく食べ歩けるように腹を空かせるのが陣衛の習いなのである。

 

 しかし今日は予定がある。一昨日の帰り際、上役より言い付かった用事があるのだ。

 物言いとしては顔を出せ、その程度ではあるがやらぬわけにはいかない。今寺はいつも詰所の奥にある上役部屋に籠もっており、気まぐれに詰め所に顔を出しては長話を嫌がられている。

 厄介な御仁だが、関所の守人が担う勤めや細々とした他部門との折衝、商人とのやりとり諸々を取り仕切っている。やり手なのである。そんな上役が名指しで陣衛に行けというのだ。半ば命令に近い。行き先が呉服屋ということもあり、上役が根掘り葉掘り顔出しの顛末を尋ねてくることも間違いない。なにせ、着道楽だ。多分に趣味を兼ねているはずである。

 

 陣衛からすれば着物は着られるならば良い。その程度の認識で、必要でなければ行きたくない場所である。が、どちらにしても行かねばならない。行かねば雷が落ちることになるのは目に見えていた。

 仕方がない。適当に小袖の一着でも増やせば洗濯の手間も省けよう。陣衛はそう考える。せめて自分自身にとって利があるのだと、そう自分を慰めるのであった。

 

 ***

 

 良く晴れて気持ちのいい空の下を歩くことしばし、人通りの多い繁華街へ入る。カラリとした風が通る町並みでは行き交う人々も、陣衛には足取り軽く見えた。どんよりとした気分の自分はこの場にふさわしくないとも。

 

 道沿いに開かれた店舗からは呼び込みの丁稚が声を張り上げている。陣衛が足を運んだこの付近では、最近建てられた店舗が並んでいる。

 この国の人々は新しいもの好きであるから、人通りも多い。着流し姿でふらりと訪れたであろう老爺が店主とたわいもない話をする横で、まだ年若い女子が展示された簪に真剣な視線を注いでいる。

 最近の商店は、出入り口を広く取ることを良しとしているらしく、外からでも中がうかがい知れる。だからその店の流行廃りが一目で知れる。

 その意味で言えば、陣衛が訪れるべきその呉服屋はなかなかの大入りであった。

 

 彩鳥屋。その屋号の通り、店内には色とりどりの着物や布が並んでいる。この近隣では最も大きい店構えだ。店の外、庇の下には価格の安い着物が並んでいて、往来の通行人も少し覗いていこうかとふらり立ち寄っている。身丈が合えばその場で買うことも、直しを依頼することもできるようだ。

 しかしこの彩鳥屋、艶やかな色合いを得意とするためか、客層は女性が多い。陣衛は異性との交流どころか友人の一人すらいない男だ。頭にあるのは剣と食事と務めだけ。普通の人間が集めてきた経験が、陣衛にはない。まるで自分に縁のない世界――単なる呉服屋だが――へ入ろうにも入れず尻込みをしているのだ。

 

 二度三度と往来を往復し、そのたびに入ろう入ろうと少し踏み出して、そして戻る。どれだけ凶悪なあやかしを前にしようと揺るがぬ鋼の意思も、女性の園を前にすれば枯れ木の如し。

 いっそ不審だと警邏中の守人でも来ないか。そうすれば店に入らない理由になる。そんな情けないことを考えながら、陣衛は往復を繰り返す。

 

 そんな風にうろうろしていれば目立つのも必然である。陣衛は守人であるから、非番であっても刀を手放すことはない。よく鍛えた肉体と上背、適当に結んだだけの伸びた髪。そんな男が何度も店の前で立ち止まり、鋭い視線で店中を見回すのである。怪しいことこの上ない。

 守人の一人でも来てくれないか。 奇しくも陣衛と店の人間との願いは一致する。最もその理由は対極であるが。

 

 店員は陣衛と言う不審者への対応を考える。まずは店主へ相談の上、最寄りにある守人の詰め所に走る。そんなことを思いながら、店員が店主を呼びに行く。

 険しい顔で店へと顔を出した店主は、しかし不審人物――陣衛を目にして破顔する。

 

「これはこれは! いやいやよくお越し下さいました!」

 

 店主はでっぷりとした恰幅のよい五十絡みの男だ。身に付けている着流しはとかく派手。金の糸で縁取りがされた明るい赤の着流し。趣味は良くないが、質は良い。そんな特徴ある服装であるから、さすがの陣衛も店主に覚えがあった。ついこの間、あやかしに襲われかけたところを助けた商人である。たしかその時は黄緑色の上掛けだったように思う。陣衛からすれば務めの途上だったから名乗ることすらなく立ち去ったが、わざわざ上役にまで話が伝わるほどに陣衛を探していたのだろう。

 

 寡黙さを男の指標と考えている陣衛からすると信じられないほど、店主の口は良く回った。陣衛の剣を褒め、立ち回りの機転を褒め、体格の良さを褒める。店主からすれば仏頂面すら冷静と読み替えるのだから大概である。

 元より手放しで褒められることに陣衛は慣れていない。既に帰りたくなっている。顔を出したのだから、さっさとお暇していいはず。しかし店主の切れ目ない会話に口を挟む余裕がない。

 

「時に、笠間様のお名前は、もしや篠田の笠間を由来とするものでしょうか? なるほど、そうでしたか、それはそれは! 笠間の漆器と言えば名品揃いでありますから。私も漆器には目がありませんで、いくらか良い物を使わせて頂いておりますよ」

 

 刀を切り結ぶこととはまた違う呼吸の読み合い。城下でも有数の剣士たる陣衛だが、ことこの分野については赤子同然。店主は陣衛の動き出しを巧みに読み取り、口を開く間を与えない。命の礼をする。だが商人としての性か、つい相手を乗せようとしてしまうのであった。

 

「それにしても身丈といい締まった筋肉といい、さすが見栄えがしますなぁ。いやはや、ここは一つ、私に笠間様を見立てさせて頂きたいものです。いえいえ、もちろんお代など結構でございます」

「礼は十分受け取った。勤めを果たしたまで」

 

 しかし店主は引かない、引く陣衛をのらりくらりと引き寄せていく。断るには理由がなく、受けるに値する理由はある。どんな弁才ある人間であってもこれでは分が悪い。口下手の陣衛からすればお手上げだ。どうしようもなく、ではそこの吊しを一着、と言えば、とんでもないと首を振られる。

 

「笠間様ほどのお方にはふさわしい召し物が必要です」

 

 それほどの者ではない。本心からの否定も謙虚と美徳扱いで、陣衛は完全に困り果てた。意味もなく周囲を見回す。既に半ば店内へ押し込まれている。溺れる者は藁をも掴むと言うことわざを身で確かめる陣衛である。

 そして見回した先に思わぬ人を見た。美織である。店で見かけるときの前掛けや袖折をしていない、少しだけ余所行きの装いをしている。陣衛にその違いは分からないが、日差しの明るさだけではない美織の華やかさと言うものを感じていた。二人の目がぴたりと合う。知らず動きを止めた陣衛に、店主が不思議に思って視線を追う。その先には陣衛と同じようにピタリと動きを止めている、見目よろしい美織がいるわけで。二人の思考停止状態を見て、店主は感じる何かがあったらしい。当然のように問いが出る。

 

「お知り合いですか?」

 

 その問いかけに陣衛は、ああ、と答えた。そして不味いと思う。何が不味いのかは陣衛にも分からない。ただ、思いのほか日差しが明るかったのが良くないと陣衛は思った。

 美織の黒髪がいつもより艶めいて見えたから、何かが駄目だと思ったのだ。しかし店主は素早い。一瞬でも物思いに意識が飛んだ陣衛では制することはできない。

 結果、あっという間に連れられてきた美織と共に店内へと押し込められてしまった。

 

「あの、どういう状況でしょう?」

「いえいえ、失礼いたしました。なるほど、お急ぎのわけですね。直ちに用意いたしますので、楽にされていただければ。今茶を用意させますのでね」

 

 店主は美織を店の畳の部分に座らせると、少々外しますと店の奥へと姿を消す。

 

「あの、本当に一体どういう状況なんですか? 私、布巾を買いに来ただけなのですが」

「……俺も困っている」

 

 すぐに戻ってきた店主はニコニコとえびす顔である。後ろには盆に湯飲みを載せた丁稚がいて、二人へと茶を勧める。

 

「いやいや、お似合いのお二人でありますから、揃いの柄というのも良いかも知れませんな」

「……そういう仲ではない」

「あの、誤解があるようなのですけれど……」

 

 へりくだって陣衛に接する店主に、美織もかすかながら事情を察する。守人である陣衛に助けられた店主が、礼をすべく陣衛を説得している。そう見えたのだろう。守人ならずとも、助けて貰った店持ちが礼をするというのはたまに聞く話だ。

 が、礼を受けるべき当人ならともかく、ただの知人である自分が巻き込まれるのは納得がいかない美織である。しかも礼を受けるべき陣衛は単に着物に興味がない。美織をとっかかりに陣衛に礼を送ろうとしているのが分かるから、美織は余計に困る。

 礼ならばおいしい干物の一つでも渡せば大喜びするのが分かる。が、店主は陣衛の態度を奥ゆかしい武門らしさと受け取っているらしい。その清廉さが良いとばかりにやる気に満ちている。意地になっていると言ってもいい。うっかりするとキンキラキンのド派手な守人がうまれることになる。陣衛であれば、着られるなら良いかと普段着にする恐れがある。そんな派手な身なりで花千里に通われるわけにはいかない。

 

 だから美織は腹を決めた。

 

「分かりました。では、布を見せて頂いてもいいですか? この人は……そうですね、藍色やそれに近い色を」

「畏まりました! 直ちに用意いたします」

 

 店主は嬉しげに、そして誇らしげに差配を始める。突然の成り行きに固まる陣衛。

 

「どういう――」

「……素直に礼を受け取って下さい。梃子でも譲りませんよ、あの店主さんは」

 

 すぐに巻き尺と布を山ほど持って店主が戻ってくる。次々に運ばれてくる布は、店中からかき集めてきたのだろう。その量に陣衛は絶句する。あとはなすがままである。

 集まってきた店員による採寸と、色合わせ。美織と店員が生地の仕立てだとか色合いだとかをああだこうだと話している。身丈を測られている陣衛はそれを憮然と見るしかない。

 その陣衛の姿は、知らぬ人からすれば冷静沈着な頼もしき若守人である。

 

 そして内実を知る美織からすれば、流され続ける陣衛は愉快な見世物であっただろう。店員が奥へと向かう合間にからからと笑う。まさに楽しんでいますと、そういう表情を隠さない。

 普段陣衛が見る美織は、日暮れの店内で忙しそうに動く姿だ。店内と客へのもてなしに気を張る姿に比べて、あまりに無防備に無邪気に見えた。客へと微笑む営業的なそれ――陣衛に対して向けられることはなくなって久しい――とは異なる、純粋な喜色。

 

 天井の窓は開かれていて、気持ちのいい日差しが店内を照らしている。明るい光の中で笑うその姿に、陣衛の気も緩む。普段は剣士かくあるべしと、自らを律する軛が外れたように穏やかな気持ちが浮かぶ。

 だから、陣衛がいたずら心を引き起こしたのも仕方のない話なのだ。

 からかうように口元を隠す美織へ、意趣返しのように目を瞑る。いつの間にやら戻ってきていた店主――相変わらず陣衛と美織を褒め続けている――店主へ告げる。

 

「彼女のも、頼む」

 

 反応は劇的である。唖然と口を開けた美織へと、店員が集まる。当然のことながら、むつけき男子より見目麗しい女性をこそ着飾りたい。そんな内心が透けて見える動きであった。

 なんで! と陣衛に迫ろうとするものの、店員達の楽しげな――着せ替え人形確定である――声に押し流されていく。奥へと連れられていく姿に満足な鼻息をもらせば、店主がいやに優しく見つめているのに気付く。

 

「かわいらしいお連れ様ですね」

「……支払いは俺に回してくれ」

「畏まりました。では、笠間様へ。勉強させて頂きますので」

「助かる」

 

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