「信じられません! どうして私まで巻き込んだんですか!?」
ようやく解放されて店を出た二人。並んで歩きながらも、美織は陣衛に食ってかかる
「あなたへのお礼なのですから、受け取ればよかっただけでしょう?! 礼の一つくらい素直に受け取って下さい! 私抜きで!」
「話を進めてくれたからな。礼だ」
あなたが困っているのを楽しんでいただけです! ぷりぷりと怒りながらそっぽを向く美織。それもどうなのだと思いつつ、なぜか怒る気になれない陣衛。
「いいですか、できあがったらアレは私が買い取りますからね! 買って頂くいわれがありませんから、絶対にです!」
「いや、俺からの礼だ。俺が払う。礼は受け取るものなんだろう?」
「それとこれとは違います!」
二人、明るい路地をつかず離れず。気がつけば関所が近い。それはつまり、馴染みの店があると言うことだ。煮炊きの匂いが陣衛の鼻をくすぐり、気が付けば手を腹に当てている。
「腹が空いたな……」
「話を逸らさないで下さい!」
「近くに美味いうどん屋がある。うどんはきらいか?」
「……うどんは、好きですけど」
決まりである。気がつけば昼も回っている。店員の圧に流されていただけでも疲労はある。美織とて腹が空いていないわけがないのだ。
「笠間さんは、この辺りは詳しいんですか?」
「そこの関所に務めている」
なるほどと納得する美織。普段から花千里に通う陣衛である。その舌は信用していいだろうと判断する。加えて言うならば、陣衛が普段食べているらしい食事に興味もあった。
会話が途切れる。陣衛は美織を気にしながらも、ゆっくりと歩く。美織は時々陣衛をちらりと見て、それでも無理に口を開く真似はしない。ただ何となく、二人にはそれが心地よかった。
***
道中、陣衛の馴染みである屋台や飲食を営む者達からやたらと声がかかる。普段は奥ゆかしく陣衛が注文の声かけをするまで大人しいと言うのに、今日は完全に箍が外れている。その理由などただ一つ。美織だ。いつも一人飯でやってきて、静かに満足げな顔をするだけの陣衛が、女連れなのである。それもまごう事なき美少女だ。野次馬根性で話しかけないでいられるわけがない。
「思ったより慕われているんですね。ちょっと意外です」
「そうか」
話しかけてくる理由は陣衛にも想像がついた。堅物、硬派と言われる陣衛だって木石ではない。野暮ったい陣衛やむさ苦しい屋台の店主。
対して華やかな空気を纏う美織だ。少しでもお近づきになりたいという男の悲しい性がよく分かる。
精一杯客引きを繰り返す屋台や露店の連中に目を白黒させる美織。普段は軽く客を捌く美織であっても、路上となれば話が違うのだろう。だがあまり美織に近づかれても困る。何がかは分からないが、それは良くないと陣衛は思う。
「今日は行く当てがある。買うのは今度だ」
そう言い放ち、美織の袖――迷ったあげくの選択だ――をつかみ引く。
美織はちょんとつままれたその袖が引かれるままに、はぐれないように陣衛の後に着いていくのだった。
陣衛が案内したうどん屋は、入り口を背の低い紅葉が門のごとく構える特徴的な店であった。中へと入ればまるでアリの巣のように、小さな個室が通路に並んでいる。
そのうちの一室へ案内された二人は、ようやくとばかりに小さな椅子に腰を下ろす。
「変わったお店ですね……」
「他の客と離して、食事に集中しやすくしていると言っていた」
「へぇ……。確かに回転率が良くなりそうですね」
食事自体を気にする陣衛に対して、店員としての視点を見せる美織。客としてしか店に入らない陣衛からすると、店側の視点は新鮮だ。
「味も、期待していい」
ふふんと口元を緩める陣衛に、不思議そうな表情を浮かべる美織である。
「なんだ?」
「いえ。そんな顔もできるんですね。いつも仏頂面だなと思っていたので」
「守人たるもの、みだりに感情を表すべきではない」
「そういうものですか。他の守人様は良く笑っている気がしますけど」
陣衛の頭にもいつも笑みを絶やさない相方の顔が浮かぶ。だが、陣衛はそう育ったのだから、そうあるべきなのだ。そう陣衛は考えている。
一瞬眉を潜めた陣衛も、店内に漂いだした出汁と醤油の香りに再び気が緩む。
「……今は、いいんですか?」
「……今は、いい。危険も注意も特にない」
「あの。そう言われると、普段うちのお店でだって笑って頂かないとおかしいんですが」
「…………他の人間もいるからな」
「じゃあ……私は、いいんですか?」
「警戒するまでもない」
人をなんだと思っている、そう美織が文句を言おうとした丁度その時、うどんが運ばれてくる。 二人は一瞬目を合わせ、一時停戦とする。
この店が出すうどんは一種類。その日店主が材料を元に決定するのである。きつね、かき揚げ、山菜にとろろと、多彩なうどんを日ごとに楽しめる。
今日は五目うどんだ。つやつやのかまぼこに鮮やかな緑のほうれん草。つゆが中まで染みこんだ大根と人参、鶏肉が崩すのがもったいないほど丁寧に並べられている。
透き通った琥珀色のつゆからは芳しい香りが立ち上り続けている。
「色味が薄いですね。上方の味付けでしょうか……」
「店主の奥方がそちらの出だ」
「そんなことまで聞いたんですか?」
「なぜか聞かされた」
美織が驚くのも当然で、普段陣衛が花千里で食事のこと以外に興味を示すことはない。だから"聞いた"のではなく、"聞かされた"という陣衛の言葉に不思議なほど安心をしていた。
そのどうにも言葉にしにくい感覚も、ゆっくりと立ち上る湯気の前に消えていく。なにせ冷める。二人は同時に箸を付ける。
陣衛は麺をつまみ上げて勢いよく啜る。美織は出汁の色に染まった大根を一つ、口に放り込む。もぐもぐと二人が黙って口を動かす。
「おいしいですね……!」
「出汁がいい。枯節の雄だけを使っていると店主が言っていた」
「……それ、意味を分かって言っていますか?」
悪戯っぽく美織が問いかける。
「雄の枯れ節を使っているんだろう?」
「多分思っているのとは違う意味ですよ。ここで言う雄雌は性別ではなくて、部位の話です。確か、背中側を雄節、お腹側を雌節と言うんです」
「そうなのか。勉強になる」
「……あまり料理そのものに詳しくはないんですね」
ふふふと美織が笑う。陣衛はなぜか座りが悪くなった気がしている。どうにも心が波打つ感覚があった。もしかしたらこの位の話は常識なのかも知れない。無知をさらした恥であるかも知れぬと陣衛は思う。
「料理人なら知っているべきですが、笠間さんは違いますから。素直に聞いたことだと言えるのは良いことですよ。下手な蘊蓄よりもおいしく食べられることの方が大事だと父も言ってます」
それは、あなたもだろうか。そう言うつもりで口を開けて、そうして今更なことに陣衛は気がついた。陣衛はまだ美織の名を正しく聞いてはいない。そんな状況で、いきなり美織と呼んでも良いものだろうか。突然に生まれたその疑問が、陣衛の口を重くする。陣衛は美織の名前を知っている。だが、美織本人から直接聞いたわけではないのだ。なのに、知らぬ間に名を知られているのでは嫌な気はしないだろうか。そんな気遣いや深読みがぐるぐると頭を回る。つるつると喉を滑るうどんとは裏腹に、陣衛の言葉はまるでどこかに詰まったように出てこない。
「どうしたんですか?」
聞くべきことと、聞きたいこと。耳元でほつれた美織の髪が、妙に気になった。うどんよりもなお白い、その肌が。
だから、どうにかして勢い込む感情を抑える必要があった。
だから、聞くべき問いかけが、おかしなままにまろび出た。
「その、名前はなんだっただろうか?」
ようやく出てきたその言葉に、美織はゆっくりと自分の顔を指さす。陣衛は瞬間、失言を悟った。ぶわっと背中に汗が噴き出る。間違いなく、まごう事なき悪手である。誰に言われるでもなく、陣衛自身が分かっていた。だが出た言葉は戻らない。突き進むしか能のない自らを呪いながら、陣衛は美織の声なき問いかけに頷いて見せた。
パクパクと、言葉にならない感情が美織の口を無音のままに動かし、ようやく追いついてきた激情が陣衛に向けて叩きつけられる。
「……っ、馬鹿じゃないですかっ!!」
あまりにあんまりなその言葉に、美織が怒りを表す。当然の怒りに陣衛はなすすべもない。
美織は怒りのままに猛烈な勢いでうどんを啜り、あっと言う間につゆまで飲み干すと、キッと陣衛に一瞥を加えてあっという間に店を出て行く。
残ったのは美織がたたきつけるように机に置いていった食事代と、空になった器。そして引き留めることすらできずに無様に固まったままのあほうが一人。
少しして、店主が恐る恐る顔を出す。
「あのぅ、何か不手際でもございましたか……?」
「うどんは美味かった。……不味かったのは俺だ」
後悔先に立たず。自分のやらかしの大きさに、一人頭を抱える。そうではないのだ。そういうつもりで聞いたのではないのだ。その言葉を聞くものもなく、ただ一人、うどんを啜るしかないのであった。
「…………どう、呼びたかったんだ、俺は」
実のところ、陣衛は彼女のことをどう呼べばいいのかが分からなかったのだ。ただ、改めてどう呼べばいいかを聞けばいいと、それだけのことだったのだ。
だと言うのに、出てきたのは名を知らぬとばかりの問いかけ。まさにやらかし以外の何物でもない。
結局のところ、陣衛という男は剣と勤め、食事以外はからきしの男なのであった。