恋剣水花 ~笠間陣衛にゃ分からない~   作:朝食付き

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6.陣衛と自己紹介

 陣衛には、剣士としての天稟があった。武家の三男坊として生まれ、物心つく前から刀に親しみ、刀を振るってきた。そして剣の腕をかわれてこの国で守人となった。

 暇さえあれば刀を振るい鍛錬に努める。自宅であれ、関所であれ。だから関所の屋内で、自席で黙々と書類を処理し続けているというのは珍しい光景であった。いつもの陣衛であれば、午前の早い時間に書類をある程度終わらせている。そして他の守人達に混じって訓練をするのが常だというのにだ。

 

「なんだ、詰所に居座りとは珍しい。今日はどうした? 鍛錬はいいのか?」

 

 そう声をかけてくるのは陣衛と組を成す男――辻堂朝芳である。

 陣衛よりも二つ上の、茶の明るい髪色を持つ男だ。陣衛より頭一つほど低い背(陣衛が大きすぎるというのもある)だが、その体軸は揺らぐことのない頑強さを持つ。

 二人一組となって働くのが守人であるから、その組である朝芳は陣衛の普段をそれなりに知っている。だからこそ、動かない陣衛を不思議に思うのだ。特に表情をほとんど表に出さない陣衛が、いかにも悩んでいる様子であれば興味がわくのも当然である。

 だから冗談めかしてからかう一言も、朝芳からすれば当然のことで、それに大した反応がないのを分かっていての言葉であった。

 

「女にでも振られたか?」

「…………そこまでではない」

 

 陣衛の返答に朝芳の口がぽかんと開く。なにせこの関所において陣衛は堅物の代名詞。守人としての務めと剣の鍛錬こそが至上とばかりに邁進してきたのだ。生真面目だとか四角四面という字を人型に焼き固めた男と呼ばれることすらある。色気のある話などありえない男だ。そのはずだった。

 朝芳などは何が楽しくて生きているのかと思っていたし、実際陣衛にそう問いかけたことすらある。

 そんな陣衛が、女に振られた(訳ではないと言うが)という。

 

「おま……、お前、いや待て! あれだろ、食堂のご婦人を怒らせたとかだな?」

 

 騙されんぞとばかりに首を振りながら、矢継ぎ早に言葉を繋ぐ朝芳。だが陣衛は妙に焦っている朝芳に一瞥をくれ、ぼそりと言う。

 

「ならば気にせずに済んだ」

 

 今度こそ朝芳の顎は戻らない。雑談はここまでと書類に向き直り筆を動かす陣衛と、陣衛を向いたまま固まる朝芳。しばらくは、さらさらと筆が紙をなぞる音だけが詰め所に漂うただ一つであった。

 

 ***

 

「うははははっは! お前、それは無い! それは無いぞ!! どんな判断してんだよ!」

「間違えた自覚ならある。だから、どう謝るかを考えている」

 

 関所から大して遠くもない蕎麦屋ののれんをくぐったのはつい先程。大して美味くも無いそばを手繰って、香りの抜けた冷酒をちびちびと飲む。そして先日のいきさつを話した陣衛に、返ってきたのが大笑いだった。

 陣衛の仏頂面に、朝芳はいよいよとばかりに机に突っ伏する。笑いすぎて呼吸すら怪しい程に、笑い転げている。こらえきれないと机を叩く音が陣衛からすればたまらなく不快だった。

 

 相談する相手を間違えた。

 

 判断をすれば行動は早い。サッと立ち上がった陣衛だが、人付き合いの巧みさは朝芳が一枚も二枚も上手だ。朝芳はすぐに表情を真剣なものに戻し、水を一口飲む。だから陣衛も座り直す。

 

「まあ、いいことだ」

「良くはないが」

「そうじゃない。笠間、お前は道理だとか規則だの、そういう堅苦しいこと一辺倒だったからな」

 

 真剣な声色に陣衛が口を閉じる。たかだか二つの年齢差ではあるが、水守の司としても守り人しても先達の言葉である。耳を傾ける必要がある。

 

「もう少し気を使えと、そう思っていた。この間のあやかし相手も、わざわざ正面から薙いでいたろう? その時、後ろに並んでいた人がどうお前を見ているか想像していなかったはずだ」

「あやかし打倒が優先で、あやかしが消えれば他の人間も安心するはずだ」

「想像じゃないんだよ。それは。お前の見方でしかない。だからそんな物言いが出来る。人を見ずに振るう剣では底が知れるというものだ」

 

 正しい忠告である。だが、それを今言う理由が陣衛には分からない。その疑念を朝芳は見通している。 

 

「今お前が直面してるのも、相手の反応を想像出来てなかったからだろう? 人が安心するのはどういう時か。人を怒らせるのはどんな言葉か。それをお前は考えていない。短絡的に刀に頼り、言葉を選びそこなった。それはお前の浅さだ。不徳がゆえにその人を怒らせたんだ。なら、お前はどうする?」

 

 陣衛は思考を回す。人を怒らせたのなら、することは一つではないか。

 

「頭を下げる」

「そうだな、詫びだ」

 

 それしか無いと朝芳が言う。そして盛大に音を立ててそばを啜る。一転雰囲気が和やかなものに戻ったせいか、陣衛もつい余計なことを考えたりもする。――汁をつけ過ぎではないかと。濃い目の汁をちょいと付けるのがそばの風味を損なわず味を楽しむコツだ。

 

 ではない。軽く陣衛は頭を降る。揺らぐ髪に意識が戻る。

 美織に頭を下げ謝意を示す。それしか無いのだと陣衛が頷く。

 

「分かった」

「いや、お前は分かってない。どうせあれだろ、その子の前までズカズカ行って、スマンと頭を下げるつもりだろう?」

「悪いのか?」

「悪い。想像力がない。ま、それで終いの縁で良ければそうすればいいがな。……どうせ客と店員だろう?」

 

 確かに朝芳の言うとおり。陣衛が考えるとおりに頭を一つ下げる。そうすれば、美織は謝罪を受け取るだろう。彼女について陣衛が知っていることは多くはないが、筋を重んじる生真面目さは知っている。

 分かりました、そう言ってこのいざこざはおしまいになる。これから先も、陣衛が店で食事を取ることを拒みはしまい。陣衛はこれまでどおり美味いご飯を食べられる。店員と客という慎み深い距離を取り直し、はじめの頃のような関係を取り戻す。ならばそれでいい。味と量、それさえあればよいのだ。問題など――ある。

 

 あるのだ。真剣に謝るべきだと、陣衛はそうしなければならないと思っている。でなければ朝芳にこのような美味くも無い店で話などしない。相談をしたのは、自分の行動に自信が無いからだ。

 

「――美味い料理を出す店だ。空気を悪くすれば行きにくくなる。それは、困る」

「はいはい、わかったわかった。そーいうことにしといてやるよ。ま、いいだろう。……もう少し踏み込むべきだとは思うけどな」

「怖がらせるだけだ」

「そうじゃない、この石頭め」

 

 朝芳による詫びの指南は続く。

 

「いいか、ちゃんと目を見て、それから頭を下げろ。それからすぐに釈明をしろ。お前のそのアホみたいな発言がどうして出てきたのかをな!」

「言い訳など……」

「するんだよ。お前がな。やったことは戻らない。そりゃ当たり前だけどな、それは俺たちの理屈だ。それで十分だと思わないからわざわざ俺に相談したんだろうが」

 

 その通りである。言い訳など男らしくない。守人たるもの、結果で示せ。そういう価値観で育った陣衛の頭は固い。何とか自分自身でかみ砕き、飲み込む。

 

「……義母は、よく父上への文句を言っていた。言い訳の一つでも言ったらどうかと、そう怒っていた」

「それだな」

「それか」

 

 陣衛は覿面にそわそわし始める。ぐいと、酒では無く水を煽る。

 朝芳は面白げに口を曲げる。早々に手じまいを始めた陣衛はサッと立ち上がった。

 

「忠告はありがたくいただく。だがもう行く。……理由を聞くか?」

「いらんよ。さっさと行け、唐変木」

 

 まだ、宵の口には早い。花千里は、まだ開いているのだ。

 

 ***

 

 夕暮れの町並みを陣衛はただ前だけを見て歩く。いつもならば空腹と料理のことで一杯になる頭の中も、今はまるで気にならなかった。剣に集中する、それ以外で食を忘れるなど、陣衛にとって初めての経験であった。宵の口、早くも顔を赤く染める酔客や帰り路を急ぐ者たちの間を縫って陣衛は歩く。そして花千里の暖簾を目にして一度立ち止まる。

 

 花千里と丁寧に書き付けられたのれんが揺れて、中から出てきたのは、陣衛が頭を悩ませるその人、美織だった。陣衛は一瞬ひるむ。だが、陣衛は腹を括っているのだ。そして決意をもって一歩目を踏み込む。

 その足音に美織が顔を向けた。陣衛に気がつく。その目が、とまどいと共に逸らされる。おそらく、次に陣衛を見たときにはその目は全く別の色に変わっているだろう。

 単なる客と店員だ。はじめからそうだったように、元に戻り、二度と変わることはない。鈍い陣衛にも、それが分かった。

 

 ――だからその前に。

 

 陣衛は勢いよく頭を下げた。腰を基点にして、そのまっすぐに伸びた背筋は地面と平行になっている。勢い余ってぶわりと跳ねた髪が力なく地面に向けて垂れ下がった。

 

「失礼をした。申し訳なかった。俺が悪かった。できれば、話を聞いて欲しい」

 

 これに慌てたのは美織である。刀を佩いた守人が、小さな料理屋の看板娘に頭を下げる。そんなことがそうそうあるわけもない。

 

「えと、ちょっ、ちょっと待って下さい!」

 

 陣衛は待たない。ただ頭を下げ続けるのみ。これが美織の良心を利用した小ずるい手口であることは分かっている。みっともない方法だとそう思った。

 だが、絶対に言い訳を聞いて貰うために、陣衛は恥も外聞も無く頭を下げると決めたのだ。

 

「~~っ! もう! 頭を上げて下さい! 聞きます! 聞きますから!」

 

 ゆっくりと陣衛は頭を上げる。目の前にはムスッとした表情の美織が立っている。腕を組んで、まなじりを上げて。言いたいことがあるならさっさと言えと、物言わぬままに、その目はそう言っている。

 ―――陣衛の言葉を待ってくれている。

 

「美織」

 

 ピクリと美織が身じろぐ。

 

「そう呼ばれているのは知っていた。知らない訳じゃないんだ。興味が無いとか、そういう訳でもない。ただ――」

「……ただ?」

「そう呼んでいいか分からなかったんだ」

 

 拙い、普段とは違う、幼さを覗かせるその言い訳に、美織は黙ったままに陣衛を見ている。その視線に、陣衛の背中から汗が噴き出す。まだ足りない。何か言わなくてはならない。どうしてそう思うのか、陣衛は訳も分からずただ言葉を探す。 どうにかこうにか、思いついた先から口に出していく。

 

 ――みおちゃんと呼ぶのは違うと思った。呼び捨てるのも、さん付けも、しっくりとこなかった。かといって、名前一つ言わぬまま話を続けるのも誠実ではない。守人なのだから、誠実であることは必要だ。どうしたら良いかと思って、ならば聞くしかないと、そう判断したのだ。陣衛は美織から視線を逸らして、ぼそぼそと続ける。

 しかし口下手で話し下手な陣衛である。言い訳などすぐに途切れる。言葉をなくし、慣れているはずの沈黙が陣衛の方に重くのしかかる。夕時であっても辺りから人がいなくなるわけがない。だと言うのに、陣衛にはまるで水の中に潜ったかのように静かに感じられている。静寂が続き、大きく息を吐く音が陣衛の耳に届く。大きな、大きなため息だ。

 

 陣衛は恐る恐る、視線を美織の元へと戻す。そこには本当に呆れましたと言わんばかりの表情を浮かべた美織が陣衛をまっすぐに見ている。

 

「……それで、出てきたのがあれですか?」

「…………ああ。済まないと思って――」

「私の――」

 

 陣衛の言葉を遮るように、美織がぽつりとこぼす。

 

「――私のことを、どう呼びたいと、思ったんですか?」

「……分からない。だから、まずは名を聞かなければと、思ったんだ」

 

 はぁ、と気の抜けたため息が美織の唇からこぼれた。

 

「本っっっ当に呆れた人ですね。どう呼べばいいですかと、そう聞けばよかったじゃないですか。言い方、言い方ですよ」

「まるで知らないわけでは無かったんだ。嘘じゃない」

「……信じてあげます。笠間さんは、嘘がつけなそうですから」

 

 陣衛の体から強ばりが抜ける。気付かないままに全身に力が入っていたことにようやく陣衛は気がついた。自分の体は意思を以て制するのが剣士だと、そう育ってきたというのに。

 陣衛は自分の至らなさをここまで思い知らされたことはない。

 

「美織です」

「……ん?」

「だから、私の名前です。ん、じゃないですよ。あなたが聞いてきたんでしょう? 美織、美織です。美しく、織る。それだけで、良いです」

「では…………、美織。そう呼ばせて貰う」

「仕方ないから呼ばれてあげます。……それで笠間さん、あなたの名前は何でしたっけ?」

 

 いたずらっぽく、美織が小首をかしげる。陣衛の言葉を真似て、人差し指を口元に当てて問いかける。

 

「笠間、陣衛だ。陣形の陣に、衛士の衛」

「かさま、じんえ……。ふふ、なんとも、画数が多くて笠間さんによく似合った名前ですね。では笠間陣衛さん? 今日は肉豆腐です。食べていかれますよね?」

 

 ぐぅと、言葉より先に腹が答える。眉を寄せる陣衛に、美織が笑う。朗らかに、空に昇る月よりも優しい光のようだと、陣衛は腹を押さえたままに思う。そうしてもう一度腹が鳴る。

 

「大盛りですね」

「……頼む」

 

 そうして、二人はようやくお互いを知ったのだった。

 

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