恋剣水花 ~笠間陣衛にゃ分からない~   作:朝食付き

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7.陣衛と思惑

 陣衛の暮らすこの東松原の城は、霊峰白衣山より注ぐ大河を背にする歴史ある国である。

 その内外を隔てる関所が陣衛の職場である。この国においては、城を中心に、城内、城下、城下外と大きく三つの領域に分かれている。城下はこの国の大多数が暮らす街であり、城下外はそんな民の生活を支える水田や農場が広がっている。

 

 守人の多くは城下と城下外の見回りを務めとする。城下は城壁と水堀によって守られており、城下外に張り巡らせた水路があやかしの力を弱める。城勤めの僧があやかしの力を削ぐ祈祷を続けているし、見晴らしのいい平原だ。あやかしが農民を狙いに姿を現せばすぐに守人が駆けつける仕組みだ。

 

 人を食らうあやかしからすれば、東松原の城とは陽炎のごとき存在である。なにせ食い切れぬほどの人間がいるというのに、清浄な大河と難攻不落の城壁、厳戒態勢の見張りによって近づけない。しかしだからこそ、あやかしはこの国を狙う。外の守りは厳しくとも、中に入り込みさえすればいくらでも人を食らうことができると信じて。時に荷に紛れ、時に人を利用する。そして、最も多いのが人への変化である。人の姿を取り、人に潜む。

 

 特に年を経たあやかしは知能が高く、高度な変化を使いこなす。単なる問答程度では見破れぬほどに、人に交じりうる。故に、水調べと水守の司こそが城の守りにおいて最重要とされるのである。

 

 ***

 

 陣衛は本日の任を終えて詰所で終業の鐘を待っている。すでにやるべき仕事はなく、ぼんやりと時が過ぎるのを待つ。そこに朝芳が声をかけてくる。

 

「それにしても、あやかしが本当に増えたな。聞いたか? 昨日など友坂殿の組では二度も水浴びする羽目になったらしいぞ。風呂嫌いの御仁からすればたまったものじゃなかろうな」

「そうか」

「そうかってお前……。結構大事だと思うぞ?」

「分かっている。これが続けば東松原と他国との流通にも問題が起きる。米と魚だけでは美味い飯など食えん」

 

 間違ってはないがなぁ、と朝芳がなんとも言えない表情を浮かべる。陣衛としては真剣なだけに心外である。

 

「しばらくの間城外巡回に混ぜて貰うことを考えている」

「……なるほど、考えたな。確かに水守の司が見回りにいればあやかしへの抑止力になる」

「関所を、俺たちを越えられないことを叩き込んでやればこの騒動も落ち着くかもしれん」

「俺としては賛成だ。良い考えだと思う。だがな……」

 

 問題は人手である。ただでさえ水守の司を務められる人間は少ない。腕と信用を揃えて出せる人材などそうはいないのだ。

 

「ただでさえ年始の采配でがたついているからな。上も何を考えているんだか」

 

 着道楽の上役、その更に上の話である。水守の司は実働として最高峰であれど、組織の人間に変わりない。采配について多少の取り回しは許されようと、組織の動きに左右されることは変わりないのだ。

 

「やはり隠居を引き留めるべきだったな……」

 

 年末、水守の司を辞した二人の先達を朝芳は思い浮かべる。別に死んでいるわけではないが、すでに城を出て国元に戻っている。代わりに入った新人はまだ発展途上であり、教育役にも人手を割かれる。

 のちのちを考えれば必要なことだが、いかんせんしわ寄せを受ける身としてはたまったものではない。

 

 陣衛と朝芳が同時にため息をつく。この城を狙うあやかし増加は、守人ならば誰もが懸念する事態である。特に神経を尖らせ続ける水守としてはうんざりする状況だ。先だって述べたように、この時代、ある程度の規模を持つ城や街は術と流水によるあやかし対策が成されている。だからこそ、唯一の出入り口であり、人さえだませば入り込める門へとあやかしはやってくるのだ。

 直接対応する関所の守人として、水守の司としてはたまったものではない。

 

「何か、あやかしが組織だって動いている。そんな気がしないか?」

「普通、あやかしは群れないが」

「だから異常なんだろう? こうまで増えたならそういう考えもあるってことだ。それに、この国にいるならば、想起する事件があるだろう?」

「慰霊流しの由来か……」

「ああ。五十年前の大崩し。突然に現れたあやかしの群れに、どれだけの人が食われたのか。守人など文字通り半分以上が死んだ。俺の祖父も、だ。ま、慰霊の流しで少しは心安らいでいるだろうが」

 

 少しの間、沈黙が二人の目を伏せさせる。

 

「……坊主食らいの赤鬼に、旧都の蜘蛛。あとは大鍋山の竜人。異名持ちがうちを狙いだした、なんて理由じゃなきゃいいと思ってな」

 

 縁起でもない。ただの与太話だと、そう言えばいい話だ。だが、陣衛はなぜか口を開く気にはなれなかった。

 

 ***

 

 一日の務めを終え、陣衛は花千里へと足を向ける。いつもの通りを行けば、ちょうど店から美織が客を見送りに出てきたところであった。美織は食事を終えて満足げな客へと笑顔で頭を下げている。またごひいきにと、その声は不思議と耳に心地よい。

 陣衛は我知らず足を止めていた。なぜ止まっていたか。原因は美織を見たことにつきる。だが、その理由が陣衛には分からない。だが、自分の体を自在に扱うのが守人である。そう考える陣衛にとって、自分の挙動が自身の意識外にあるのはどうにも気分が良くなかった。詰まるところ、陣衛は美織に対してどうやら苦手意識ができたと思ったのだ。

 

 先日のいきさつで互いの名を預け合ってからこの方、どうにも動きがぎこちなくなっているのだ。これは幼少の頃犬に噛まれて以来、犬を見るときに感じた感覚に似ている。そう陣衛は判断していた。

 だというのに、美織が別の人間と接している時の優しげな表情。それがどうにもこうにも気になって仕方がない。美人姉妹がこの店の看板娘である。二人の姿を見たくてやってくる客もいるだろう。

 飲食店としては客をないがしろにするべきではないし、美織の性格上、適当な対応をするはずもない。

 

 それがどうにも、うまく飲み込めない陣衛であった。

 

 美織にいつも通りの席に通された陣衛は、腰を下ろすなり注文を通す。日替わりを、と品書きを聞かぬままに告げる陣衛は珍しい。

 軽く眉を上げた美織だが、注文を復唱するとすぐに厨房へと戻っていった。

 陣衛は落ち着きたかった。最近の自分は少しおかしい。陣衛はそう考えている。しかしどうにもその理由が判然としない。剣と食事、あとは務めについて。陣衛の頭を占めるのは概ねその三種であり、このようなふやふやとした気持ちなどは初めてなのであった。

 

「今日の日替わりです。菜の花のかき揚げと、小茄子の浅漬けも付いてますよ」

 

 しばらくしてお盆に今日の夕餉を載せた美織が陣衛の元までやってくる。そしてすらすらと日替わりの説明をするのだ。いつも通り、日常のままだ。違うのは陣衛の心持ちである。目の前にある食事と、美織が同じくらいに気になっている。ちらと目線をやれば、美織が不思議そうな顔をする。

 

「なにか、ありますか? 珍しいですね。小茄子は好物でしょう?」

「……ああ。言ったことがあったか?」

「見れば分かります」

 

 あなたは好きなものをじぃっと見る癖があるんです。そう言うとくぷくぷ笑う。

 有り体に言って単純だと言われているに等しい。怒るべきところであるが、だというのにその気にならない。その気持ちの動きを説明するならば、事実であるからだろう。図星を突かれて腹を立てるのは男らしくない。守人として、意見は受け取るべき。だから腹が立たない。陣衛が考える限り、その理屈には瑕疵一つない完璧さがあった。

 

「頂こう」

「はい、どうぞ」

 

 箸を取ると同時に美織の名が呼ばれ、厨房へと戻っていった。その後ろ姿をジッと見た後、ようやく椀を取る陣衛であった。

 

 ***

 

 どうにも自分の感覚を掴み損ねている。陣衛はそう結論づけた。その理由については未だに判然としないまでも、まず状況を把握できたことで良しとしたのだ。

陣衛は単純な男である。思考は振るう剣のように実直かつ明快。異常はあれど、剣にも務めにも影響がない。そう判断した。急ぎ対応の必要がないと分かれば、座りの悪さを我慢すれば良いだけ。そういう思考だ。

 落ち着きを取り戻した陣衛は周囲を見渡し、美織に目を留める。美織が陣衛のいる方に顔を向けるのに合わせて片手を上げる。 美織も陣衛の挙手の意味するところを齟齬なく読み取り、少々お待ちをと声を上げる。頼んだのは茶である。

 

 間を置かずに現れた美織が持つお盆には湯気を上げる湯飲み。中身はいわゆるセンブリ茶である。緑茶よりはいくらか色が薄く、香りも独特である。だが苦みと効能は筆舌に尽くしがたく。花千里に通う客は多いが、この茶を好んで飲むのは陣衛と美織だけである。生真面目で頑な、そんな二人のもう一つの共通点なのだ。普段の料理や茶は厨房で店主が淹れる。しかし、このセンブリ茶だけは美織が手ずから淹れる。曰く、父にはこの苦みの良さが分からないので仕方ない、とのこと。

 陣衛は軽く息を吹きかけて湯気を飛ばし、香りを楽しむ。湯飲みを傾け、ゆっくりと茶に口を付ける。ぎゅっと舌が縮こまる程の強烈な苦み。それが良い。

 

「笠間さん、お茶のことなんですが……」

 

 知らず細めていた目を開けて、美織の顔を伺う。いつもなら茶を出した後は陣衛が落ち着けるようにすぐ離れていくというのに珍しいことである。

 

「どうかしたのか?」

「実はその一杯で最後なんです。いえ、品書きから外れるのではなくてですね、入ってこなくって」

 

 美織曰く、普段から懇意にしている問屋にも最近はまるで仕入れが入らないのだという。

 

「……貰っても良かったのか?」

 

 センブリ茶は美織の好物でもある。その位は陣衛も知っている。伺うように陣衛が横目に見れば、美織は平気な顔。むしろなぜか嬉しげにも見える。

 

「ふふ、ないならお茶を飲むだけですよ。笠間さんだってそうでしょう?」

「確かに、そうだな」

「笠間さんのお茶はとびきり渋く淹れてあげますからね」

 

 足取り軽く仕事に戻る美織の背を見つつ、陣衛は少しだけ考えてみる。荷の改めは陣衛の務めにない。だが、荷を運ぶ行商人ならば日頃から見ている。その日一日を思い起こしてみれば、確かに違和感がある。あやかしの頻度は増え、行商人が減っている。先だっては朝芳との会話にも出たが、あやかしの増加は流通を妨げる。この東松原は城の背後を流れる大河が物流の大動脈。船での取引がこの国の多くをまかなっている。しかし、全てではない。内陸の国でしか取れない産物はあるし、山越えでしか交流できない国もある。特に絹糸や反物は貴重で、驢馬や背負い物として人が行き来するしかない。そしてセンブリ茶もそのうちの一つだ。

 

 センブリ茶の苦みは他に代えがたい。だが、美織が手ずから入れてくれるという渋い茶も――悪くないと思っているのだ。

 

 

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