水守の司たる陣衛は、関所における最高戦力の一人である。守人の中でも腕を認められたからこそ任じられる名誉ある役目である。だからこそ、司に求められることはただ強いということだけではないのだ。
関所には守人達が腕を磨くために設えられた二つの訓練場がある。一つは少人数での稽古や、個人の鍛錬に向けて建てられた板張りの間である。そしてもう一つが、大人数での集団稽古に用いられる野外訓練所だ。単に踏み固められた地面の広場ともいうが。
曇天の元、野外訓練所には死屍累々といった体で守人達が転がっている。息は絶え絶え、痛々しい青あざを体に浮かべている。半ば気絶している守人すらいる。端から見れば何事かと思うような異常な風景であるが、ここ一年においてはよく発生する光景でもある。うめく守人たちを周囲にして、広間の中央には未だ四人が健在であった。いや、一人と三人というべきか。
三人が激しい気迫を以て剣を向けるは笠間陣衛、その人である。
関所に勤める守人――いわゆる門士は人々をあやかしから守る最前線に身を置く。日頃から関所に近づくあやかしの討伐に城外へ出ることもあるし、水守の司と水調べを共にすることもある。常に実戦に備えて鍛え続けているから、腕に覚えのあるものばかりだ。そして門士として長く務める守人は連携の技も磨かれ、対あやかしの精鋭として育っていく。
今、陣衛に木刀を向ける三人も紛れもない精鋭である。人に化けた高位のあやかしすら討伐経験を持つ。守人としても上位の腕を持つ強者だ。三人は陣衛を前にして、一部の隙も見せない。そして、全く同時に陣衛へと斬りかかって見せた。
正面に立つ一人は点を穿つかのような突きを、陣衛の顔面めがけて放つ。
陣衛の左手側に立つ一人は、地をこすり上げるかのような下段からの切り上げを。
陣衛の後ろを取る一人はあえて足下を薙ぐような切り払いが振るわれる。
何の予備動作もなく、だというのに完全に意気の合った連携が陣衛を襲う。幾多のあやかしを屠ってきた門人が誇る必殺の連携だ。逃れる術はない。
それが、水守の司相手でなければ、だが。鍛え上げられた守人、その頂点に位置するのが水守の司なのだから。
陣衛にはいささかの迷いもない。軽く添えるようにして突きの軌道を変える。剛力により無理矢理剣をずらされた門人はわずかに平衡を乱し、陣衛の袈裟斬りに呼吸を止められる。陣衛は止まらない。振り向きざまに切り上げを狙う門士の手首に木刀を叩き込み無力化する。勢いをそのままに、足下狙いの横薙ぎをたたき落とす。即座に短木刀を抜く仕草を見せる門人であるが、腹に叩き込まれた柄に悶絶して膝を付く。
戦いの始まりと同じく、三人は全く同時に崩れ落ちるのだった。
訓練場に参加した門士全員が転がったことを確認し、陣衛は一つ頷く。そして自然な体勢でぶら下げていた木刀を腰に戻す。陣衛のその仕草は訓練終了の合図でもある。うずくまっていた者達も歯を食いしばるようにして立ち上がる。そして陣衛に向き直り、同じように木刀を腰に戻す。
「本日の稽古はここまでとする。……木元、田町。足運びは良い。だが、上体が追えていない。合せよ。次に長島。操剣を重んじるなら握りを指一本広く取れ。筋力ではなく体軸を使うことだ」
立ち会った門士達へ、評価と課題を告げていく。門士達は痛みに顔をしかめども、その目は鋭さを失わない。陣衛の指摘を一字一句聞きもらさぬとばかりに、ただ静かに頷いている。
そして最後に深々と礼を交わし合い、本日の稽古は終了となるのだった。
強い踏み込みで荒れた訓練場を、門士達が片付け始める。互いの体に付いた土埃をはたきあい、陣衛の容赦のない指導が辛いなと笑い合う。暴の嵐を耐え抜いた連帯感に、門士達は妙に明るい。そんな彼らの合間を抜けて朝芳が現れた。
「噂には聞いていたが、せっかくの非番だというのに随分と厳しい稽古をしてるんだな……。笠間塾は厳しさが売りか」
そういって朝芳はかかかと朗らかに笑う。
そうなのである。元々は非番の陣衛が一人剣を振るう姿をみた門士が声かけをしたことに端を発する。つまり、相手もなく振るうより、門士へ振るう方が実際に近いのではという訳だ。陣衛は斬り放題の相手が見つかる。門士は格上相手の戦いを学べる。そういう両者両得の自主練習であった。しかし陣衛からすれば一人二人の門士を相手にするのは巻き藁を斬るのと大差がない。腕に差がありすぎるのだ。だから門士は数を揃えた。多対一であれば、多少は持つし、陣衛の糧にもなるのではと考えたのだ。
結果としては息一つ乱すことのない陣衛と、死屍累類の門士ができるばかりであったが。
「どういう用向きだ?」
陣衛が非番であるなら、組である朝芳も当然非番である。思考の大部分を剣が占める陣衛とは違い、朝芳が用もなく訓練場に現れるとは考えられなかった。だから返ってきた言葉に陣衛にしては珍しく、眉を寄せて驚いてみせた。
「いや? 何となく寄っただけだ。用はないな」
「……どうせだ。やっていけ」
そう言って陣衛が予備の木刀を朝芳に放り投げる。朝芳は木刀を受け取り、口角を上げてみせる。
「――たまには悪くない、か」
その言葉に耳をそばだてていた門士達があっという間に場を整える。置きっぱなしだった上着や草履をたちまちのうちに片付け、邪魔にならないよう広間の端へと広がっていった。
「よく鍛えられてんな……。ま、じゃあやるか」
言葉が先か、剣が先か。たちまちのうちに縮まった二人の距離は一刀一足。袈裟懸け切り上げ横薙ぎに諸手突き。瞬くほどの間に幾重にも木刀が打ち合わされる音が響く。二人は一切下がることなく、まるで決まっているかのように間合いを保ち続ける。それはつまり、互いの首に刃を突きつけ続けることに等しい。
無口で鉄面皮、陣衛が体格を活かした剛剣を叩き込めば、陽気で快活、朝芳は虚を突くような柔剣で迎え撃つ。距離を取る、そんなことは一切頭にない。ただ、意地でも下がりたくない。見た目も振るう剣も対照的な二人だったが、負けず嫌いだけは共通している。つまり、意地である。
結局木刀が同時にへし折れるまで、二人は一切下がることなく意地を張り続けるのであった。
***
夜の山道を風のように駆け抜ける影があった。影から影を渡るように、ひとたびたりとも止まることなく走り続けている。時に藪を、獣道すらない山を走り続けている。
だがその顔には焦り、怯え、恐怖が浮かんでいる。山の獣でさえ置き去りにするその身のこなしですら、不安を振り払うこと叶わない。
雲の合間から月光が差し込む。満月ともなればはっきりと影が地に映る。木々の影を渡る男の影が一つ。木々を跨ぎ、次に映ったのは二つの影。瞬時に飛び退く男。
影が映すは、手足に一尾。人にあらざる影。気がつけば、男の首にしなやかな尾が巻き付いている。ばたばたと手足を動かそうと、抗えるものではない。ゴキリ、と嫌な音が響く。
「これでは、食いでがない」
喰って良いぞと、影が男の体を背後に放り投げる。まるで人形のように放られた体は、暗がりからわらわらと現れた影どもに引きちぎられ、その血肉を奪われていく。
ガリガリと骨を砕く音が響く中、月がその獰猛な何かを映す。口元を真っ赤に染めて、人肉に舌鼓を打つ影とは、鱗持つあやかし――竜人であった。 全身をかたびらのごとく頑強な鱗で覆い、顔の半分以上を占める口と深く落ちくぼんだ眼窩に覗く、ぎょろりとした目玉は捕食者としての特性を示している。人と蜥蜴を組み合わせ、蜥蜴の野生を色濃く残した姿。その戦闘能力は竜人一匹につき、守人五人。数多のあやかしの中でも、ひときわ凶暴で危険度の高いあやかしである。しかしこの場においては、竜人の群れですら問題ではない。竜人ですら小柄に見えるほどの巨体、古き時代より生き続ける原始の竜人がいるのだ。身の丈は人の倍では利かず、目方にするなら十倍にもなろうかという大竜人である。
「……食いでのある人間が、増えたのだろうな?」
ぐちゃぐちゃと咀嚼音が響く中、大竜人は中空に向かい問いを発する。縦に裂かれた瞳孔が向ける先には暗がりがある。何もないはずの暗闇であるにも関わらず、返る言葉がある。
「間違いなく。人の暦に倣うならば五十年。脆弱な人の身には長い時です。それだけの人間が育っておりましょう。私どもの手のものも、全て排されておりますのも、裏付けとお思い頂ければ」
「蜘蛛の手ではなぁ」
なぁ、と大竜人がうごめく竜人達に声を投げれば、カカカ、と乾いた擦過音が音のない森に響く。
「かの時も、御身の無事は我ら蜘蛛の手引きがあればこそで――」
突然に衝撃が森を揺らす。声の主がいただろう地面が衝撃でメコリと割れる。竜人の太く逞しい尾が、たたきつけられたのだ。ゆらりと尾が持ち上げられる。そこには、何もない。
「気に障りましたか?」
「蜘蛛のやり方は好かぬぞ」
「左様でありますか。では蜘蛛は去りましょう」
金の瞳は見えぬ蜘蛛を既に捉えている。殺すことは容易く、失う益は多い。だから大竜人は蜘蛛を見逃す。蜘蛛は気にした様子もなく、ただ去るのみ。
「獲物は殻をこじ開けるのが良いのだ。全く、無粋なことよ」
げげげと、周囲の竜人どもが賛同の声を出す。
「此度の守人が強き者であること、精々期待をすることとしよう」