【高校三年生 無人島特別試験最終日】
大型モニターに最終結果が表示された。
「嘘だろ……?」
最初に声を出したのは堀北クラスの池くんだった。
騒ぐほどの意外な結果ではない。
[最下位 椿 雪]
一つ上に池くんがいる。
篠原さんへトークンを集めれば、次に最下位へ落ちるのは池くんだった。
だから私は、池くんより3つ少なくなるよう、自分のトークンを減らした。
池くんへ直接トークンを渡した記録はない。
必要なのは、私が偶然最下位になったという結果だけだった。
私は清隆に顔を向けた。
彼は大型モニターを確認している。
皆が私をチラチラ見る中で、私は彼の横顔から理解していると判定できた。
篠原さんを追い詰めているように見せた行動が、実際には彼女にトークンを集める誘導だったこと。
3という差をはじめから作っていたこと。
私が篠原さんの代わりに退学するという事を、全て計算の上で行った。
清隆が私に近づけば、周囲は関係を疑い、止めれば私の選択に介入することになる。私が誰かに理由を聞かれれば、私が隠してきた情報まで説明しなければならない。
何もしないことが、最も損失の少ない答え。
彼はいつも通り正解を選んだ。
それでいい。
誰もが『椿雪』という生徒の名を見て、自らの名前でなかったことに安堵する。その後、どんな生徒だったのかを確認しようとし、地味で目立たない生徒だと知ると他人事のように考える。
◇
退学する私は別室に隔離された。
クラスリーダーの坂柳さんの代わりに清隆と、二年の一夏と拓也が入ってくる。
「雪先輩、何、してんですか」
一夏が私の腕を掴んだ。爪が皮膚へ食い込む。暴力というほどではないが、友好的な接触でもない。
「試験を受けただけだよ」
「ふざけないで」
一夏は笑っていなかった。
普段のニヤニヤが消えると、ホワイトルームにいた頃の顔へ戻る。
社会適応の授業で付け足された部分は、感情が一定量を超えると剥がれるらしい。
「綾小路先輩…トークン?を渡してください。まだ処理前なら」
「終了時刻は過ぎている」
「だったら異議申し立てを」
「天沢、規則通りだから無理だ」
「なんで!」
一夏が振り返った。清隆は動かない。
一夏が清隆へ向かおうとする。
拓也がその腕を掴んだ。
「離して」
「一夏、もう決まっています」
「拓也まで何を…」
「先輩が決めたことです」
拓也は私を見ない。声にも変化はない。
ただ、一夏を止める手には、一夏が私を掴んでいる時より強い力が入っている。拓也も止めたい側なのだろう。
しかし、私ではなく一夏を止める。彼らしい配置。
「私は退学します」
一夏がこちらを向いた。
「どうして」
「篠原さんが残るため」
「だからって、雪先輩が代わる理由にはならないでしょ」
「理由はあるよ」
篠原さんが退学すれば、池くんを中心とした人間関係へ長期的な損傷が生じる。堀北クラスの結束にも影響する。
個人の能力だけなら、私の方が高いが、一人分の能力と、複数人へ与える損失を比較すれば、評価は逆転する。
計算は単純。
私より篠原さんの方が、高育に残す価値は高い。
それだけではない。
メガネは、もうない。
無人島へ向かう前日、星之宮先生へ預けた。
証拠として保管してほしい。
伝えたのはそれだけだ。
星之宮先生は、何の証拠なのか聞かなかった。質問しなかったのではない。もう答えへ到達していたのだろう。
私が清隆の周辺から消えれば、既知の監視経路は閉じる。
清隆には椎名ひよりがいる。
私が残る必要はない。
篠原さんも池くんも残る。
メガネも星之宮先生の手元にある。
私がいなくなれば、清隆を見る監視がなくなる。
あとは、椎名ひよりとの間に私が入らなければいい。
問題はない。
そういう計算だった。
「清隆先輩は、それでいいんですか?」
一夏が聞いた。清隆は、そこで初めて私を見た。
真正面から視線が合うのは久しぶりだった。
呼吸が一度遅れたが、測定するほどではない。
「椿が選んだことだ」
当然だ。星之宮先生が何を話しても、清隆は本人の選択を優先する。私が自分を計算へ入れていなくても、私自身が決めた事実は消えない。
清隆は正しい。
一夏の顔が無表情になる。
「そうですか」
私の腕から手が離れ、皮膚に指の跡が残った。
「では、もう知りません」
一夏は背を向けた。
数歩進み、振り返らずに言った。
「雪先輩なんて、大嫌いです」
「うん。今までありがとう、一夏」
妥当な評価だ。相談せずに退学を決めた。止める時間も与えなかった。一夏の感情を、計算へ含めなかった。嫌われる条件は揃っている。
「清隆先輩も」
清隆は答えない。
一夏は走っていった。
拓也は、その後を追う前に一度だけ私を見た。
「雪先輩が決めた事、僕は…賛成しません」
「うん、ありがとう」
彼は一夏の後を追った。
二人とも、余計なものを身につけたらしい。不便な教育。
扉が開き、真嶋先生と星之宮先生が入ってくる。
私は星之宮先生へ、小さく頭を下げた。
誰も、次の言葉を発さなかった。
[newpage]
[chapter:エピローグ]
退学者を運ぶ小舟は、島の東側へ来ることになっている。
私は一人で船着き場へ向かった。
荷物は少ない。
メガネはないが問題はない。もともと度が入っていなかったからだ。
数日前から、季節外れの冷気が南下していると通知されていた。海面水温の変化。偏西風の蛇行。上空へ流れ込んだ寒気。説明はいくつか並んでいる。
どれも、結果の後から理由を貼りつけた文章に近い。人間は異常が起きると説明を欲しがる。正しい説明よりも、説明が存在することを重視する。
海から、夏には似合わない風が吹いていた。
波の白い部分だけが、暗い海の上を動いている。
清隆が来ないのは当然だ。
彼には学校へ残る理由がある。
それに、椎名ひよりがいる。
クラス間の均衡も完成させる必要がある。
私を追う利益はない。
星之宮先生は、感情に訴えて説得したはずだ。
清隆は感情を否定しないが、感情が存在することと、判断材料へ採用することは別だ。
清隆は正しい選択をする。
だから来ない。
来ないことが、清隆なのだ。
それが私が物心つく頃から見て来た、恐らく赤ちゃんの頃から一緒にいる幼馴染なのだから。
船着き場が見えた。
小舟が一隻、波に揺れている。
船員らしい人影が二つ。
その手前に、もう一人。
眼鏡がないため、顔は判別できない。
背丈、肩幅、立ち方。
足元には鞄。
沖縄の空港で、到着口の端へ並べて置かれた二つの荷物を思い出した。
足が止まる。
風だけが、濡れた髪を動かした。
人影がこちらを向く。
「遅かったな」
清隆の声だった。
「どうして……ここにいるの?」
「お前を待っていた」
回答になっていない。
「見送り?いらないよ。船へ戻って」
「戻らない」
「…なんで?」
「自主退学を申請した」
言葉の意味は理解できる。
文章として成立しない。
清隆。
自主退学。
待っていた。
「取り消して」
「受理された」
「まだ間に合うでしょ」
「間に合わない」
「清隆なら、どうにかできる。理事長と交渉して、処理を止める方法を探して」
「しない」
「どうして…??」
清隆は答えない。
回答を保留しているのか、必要がないと判断したのか。
「クラスに説明も必要だよ。一之瀬さんとの計画も残ってるし。椎名さんもいるじゃん」
「…二人には話をした」
「二人は、なんと?」
「自分で決めるべきだと言われた」
意味が分からない。
私は今でも目の前の男性が、清隆とは別の、ドッペルゲンガーなのではないかと信じていた。
「私の退学は予定通り。篠原さんも残った。OAA評価も高くない私が消えても何も問題はないはず。それに、私が裏でやってきたことも露呈せずにすむ。あとは、清隆が学校へ残れば…」
「終わっていない」
「終わっている」
「オレがここにいる」
船の綱が、濡れた杭へ擦れている。
きしむ音が、何度も同じ場所を往復する。
「それが間違いなんだって…」
声が少し震えた。
「私が退学した意味がなくなるじゃん」
「そうだな」
「三年間、清隆に知られないようにした意味もないでしょ?」
「ああ」
「ホワイトルームの監視を解いた意味も、篠原さんを助けた意味も、全部、全部なくなる」
「分かっている」
「分かっていない!」
声が船着き場へ響いた。
海鳥が一羽、岩から飛び立つ。
「清隆くんは卒業するんです。Aクラスでも、Cクラスでも、どこでもいい。ここに残って、好きな人を選んで、あの人から自由になって、それから…それから…」
言葉が止まった。
自由になった後の清隆。
その先を、私は一度も具体的に考えていない。
必要がなかったから?
違う。
考えれば、その未来のどこかへ自分を配置してしまう。
だから考えなかった。
「──それから、私の知らない場所で生きればいい」
清隆は答えない。
「私がいなくても問題ないって、証明してよ」
「できない」
「できる」
「できない」
清隆の声は変わらない。
変わっているのは、私の方だけ。
何を私は考えているのだろう。
これは、怒っているのだろうか。
「どうして??」
清隆はすぐに答えなかった。
「お前が、いないからだ」
海から白いしぶきが上がる。
すぐに消えた。
「そんな、そんな理由で……?」
息が吸えず、喉が辛い。こういう時は深呼吸だ。鼻から吸う。止める。吐く。失敗。もう一度。失敗。
「そ、んな…理由で、清隆の人生を捨てないで…」
「捨てていない」
「捨ててるじゃん!!」
私は清隆の胸を押した。
動かない。
もう一度押す。
やはり動かない。
物理的な差。
ムシャクシャする。
「取り消して!」
返答はない。
ジャージを掴んだ。
布地が指の間で皺になる。
白いシャツの下に、体温がある。
「私は大丈夫です。別の場所へ行けます。必要な仕事を探せます。これまで通りにできます。だから」
頬を水が伝った。雨は降っていない。波しぶきでもない。
「だから戻ってよ!」
清隆のジャージを握ったまま、もう一度胸を押す。
清隆は抵抗しない。
「なんで来たの」
声が潰れる。
「どうして、来たの」
清隆は何も言わない。
「来ないと思ってた」
言葉が勝手に出てくる。
「清隆は来ないって、分かってた。椎名さんを選ぶって。学校に残るって。私がいなくなれば全部うまくいくって、ちゃんと計算したのに」
視界が崩れる。
眼鏡がないせいではない。
何度瞬きをしても、清隆の輪郭が戻らない。
空と海の境もなくなる。
「全部、うまくやったのに」
膝から力が抜ける。清隆のジャージを掴んでいるため、地面には倒れない。結果として、近づいてしまう。本来なら離れるべきなのに、腕が動かない。
「誰にも、気づかれないようにしたのに」
息を吸うたび、喉から知らない音が出た。
「清隆にも、気づかれないようにしたのに」
言葉の途中で呼吸が途切れる。
「私がいなくなれば、清隆は自由になれたのに」
額が清隆の胸へ触れた。
離れろ。
そう、頭では思う。
だが動かない。
役に立たない身体だ。
清隆の胸から、規則正しい音が伝わる。
私の方は、もう規則を失っていた。
「どうして、無駄にしたの」
返答はない。
「私を無駄にしないで」
清隆の手が、私の肩へ触れた。
抱き締めるためではない。
倒れないように支えただけ。
「オレはお前を一人にすることはできない」
「違う」
「違わない」
「違う!」
「違わない、雪」
清隆の胸を叩いた。
一度。
二度。
力が入らない。
攻撃としては無効。
抗議としても弱い。
それでも止まらない。
「私は清隆のために、ちゃんと消えたかったの!」
声が海へ出た。
波に吸われず、白い空へ上がったように聞こえた。
実際には、船着き場の範囲だろう。
どうでもいい。
「それを受け取ることはできない」
「受け取ってよ…受け取って。お願いだから。私がいなくても幸せになって。私がしたことを正しくしてよ」
清隆は答えない。
「お願いだよ…」
誰かへ頼んだことがないわけではない。
物を取ってほしいとか、情報を渡してほしいとか。
でも、それは頼みではなく、必要な手順だった。
今のこれは、違う。
何の役にも立たない。
私がそうしてほしいというだけのお願い。
「戻ってよ、清隆」
喉の奥から声が漏れる。
泣くという現象を、私は正確に理解していなかった。
涙が出る。
それだけではない。
呼吸が途切れ、喉が勝手に震える。
身体の内側に押し込めていたものが、順序を無視して外へ出ようとする。
白いものが、空から一つ落ちた。
清隆の肩で消える。
雪なのか、みぞれなのか、判別できない。
夏の島には不要なものだった。
「いやだよぉ…」
自分の口から出た言葉に驚く。
幼い。
それでも、今の状態を最も正確に表している。
「こんなの、嫌」
清隆のジャージへ顔を押しつける。
声を隠すのに失敗する。
白いものが、また一つ落ちた。海へ触れる前に消えた。
「私のせいで、清隆が全部なくすのは嫌!」
泣き声が出た。
ただ、叫んだ。
こんにちは。
お疲れ様でした。だいぶ凝り過ぎて、何がしたいんだか分からない物語になってしまったかもしれませんね。
ですがプロローグから読み進めればなんとなく分かるくらいの話にはなったと思います。
お読みいただきありがとうございました。
雪という少女は、どんな生涯を送るのか。から逆算した結果こうなりました。
なんとなく「そうかも」という点は見せられたんじゃないでしょうか。
次は何系を書こうかな…。
希望があれば教えてくださいね。
それでは
彪