■金持ち大学生「どうしたん? 大丈夫? 話きこか?」 作:あばなたらたやた
……結局。
僕は誰も救えていない。
祥子さんは苦しみ続けている。
睦さんは自分を責めている。
立希さんは居場所を探している。
燈さんは人の痛みを抱え込んでいる。
僕は話を聞いただけだ。
「本当にそう思う?」
少なくとも、問題は残った。
解決していない。
「それは当然だ。君は魔法使いじゃない。人間一人の人生を、一時間の会話で変えられると思う方がおかしい」
でも、もっと上手くやれたんじゃないかな。
もっと説得できたかもしれない。
もっと背中を押せたかもしれない。
「その『もっと』は、誰のためだ?」
答えられない。
「祥子を安心させるためか。それとも、君自身が安心したいからか」
……たぶん。
両方だ。
「なら忘れるな。支援者も人間だ。『助けたい』という感情には、必ず自分自身の願いも混ざる。それを恥じる必要はない。ただし、その願いを相手へ押し付けた瞬間、支援は支配へ変わる」
だから、僕は止めなかった。
「違う。止めたかった、だ」
……そうだね。止めたかった。帰ってきてほしかった。苦しんでほしくなかった。全部終わらせてあげたかった。
兄だから、妹の幸せを願うのは当たり前だ。
「それでいい。その感情まで消したら。君は人を愛せなくなる」
でも、感情だけでは、相手の人生は歩けない。
「そう。だから君は兄でありながら、最後は一人の人間として向き合った」
少し沈黙が流れる。
僕が一番怖いのは、誰かが「あなたの言う通りにしました」と言うことなんだ。
「なぜ?」
もし失敗したら、その人生は、僕の責任になる。いや、違う。責任というより、その人自身の人生じゃなくなるのが怖い。
「だから君は、答えを渡さない」
渡したくない。一緒に考えたい。本人が選んでほしい。苦しくても、遠回りでも、それがその人の人生だから。
「その代わり、君は何を渡してきた?」
安心かな。
「具体的には?」
否定されない場所。
話を途中で遮られない時間。
疲れたら休める部屋。
温かいご飯。
眠れる夜。
困ったら頼っていいという言葉。
……それくらいしか渡せない。
「それくらい? 君は勘違いしている。人は人生を変える言葉で救われることは、案外少ない。しかし人生を変える前に、一晩眠れたことで救われることはある。温かい食事を食べたことで。 否定されず最後まで話を聞いてもらえたことで『困ったら来ていい』と言われたことで、人はもう一日だけ生きてみようと思える」
……派手じゃないね。
「派手である必要はない。君の役目は誰かの人生を引っ張ることじゃない。歩けなくなった人が、もう一歩だけ歩けるようになるまで支えることだ」
真我は窓の外を見る。
それぞれの少女たちが、それぞれの道を歩いている。もう自分には見えない場所まで。
願うことくらいは、許されるかな。
「もちろん、支援者は願っていい。泣いていい。苦しんでいい。ただ、最後に選ぶ権利だけは相手へ返せ」
……うん。それが、僕の在り方なんだろう。
「そう。君はヒーローではない。教師でもない。裁判官でもない。救世主でもない。君は、『どうしたん? 大丈夫? 話きこか?』と声を掛け、相手が再び自分の足で歩き出せるまで隣に座る人だ」
なんかチャラい。
「そして、その人がどんな道を選んでも、『いってらっしゃい』と言い、いつか戻ってきた時には『おかえり』と言える場所であり続ける」
なるほど。
「それが、豊川真我の物語。その物語で主人公を張り、この作品全体を貫くものだ」
今日までに出会った少女たちの顔が、一人ずつ浮かぶ。
祥子。睦。立希。燈。
誰一人として、同じ苦しみ方はしていなかった。
誰一人として、同じ救われ方を望んでもいなかった。
だから真我は、同じ言葉を使わなかった。
同じ正解を押し付けなかった。
「……これで、良かったのか」
誰へ向けるもない、小さな問い。
その瞬間、もう一人の自分が、静かに現れる。
責めるためでもない。
慰めるためでもない。
もう一人の真我が現れる。
『それは前と同じ迷いか? それとも前へ進むための確認か?』
「……僕は何も解決していない。祥子さんは苦しみ続けている。睦さんはまだ答えを知らない。そよさんは危ういままだ」
そう、ただ話聞いただけなのだ。
「燈さんも、自分を責め続けるかもしれない。立希さんだって、これから傷付くだろう。僕は結局、誰も救えていないんじゃないか」
内なる真我は静かに首を振る。
『お前は「救う」ことを目的にしなかった。だからだ』
真我は苦笑する。
「でも、結果は出ていない。何も変わっていない。結果だけで、人の行動を裁くのか? それなら」
親切も。
愛情も。
信頼も。
『全部、成功した時だけ価値があることになる。お前は、本当にそう思うか?』
真我は答えられない。
内なる真我は続ける。
祥子は、自分で歩くことを選び、お前は、その自由を守った」
防衛成功。
「睦は、自分だけを責めていた。お前は、可能性を一つ増やした」
支援成功。
「立希は、自分自身として見られたかった。お前は、立希そのものを見た」
認識成功。
「燈は、自分の言葉を待ってくれる人を求めていた。お前は、待った」
尊重成功。
「どれも、解決じゃない。だが。確かに、その子たちの世界は少しだけ広がった」
真我は静かに息を吐く。
「……そうだと、いいな」
内なる真我は微笑む。
「お前らしい。最後まで確信を持たない。だから、お前は相手の人生を奪わない」
沈黙。
やがて、内なる真我は一歩近付く。
その表情は穏やかだった。
兄でもない。誰かの相談役でもない。ただ、自分自身として。
そして、静かに言葉を贈る。
『お前は自らの信念に従い、納得できる行動を貫いた。その結果がどうなるかは、まだ誰にもわからない。それでも、過程は決して失われない』
相手を支配せず、相手を見捨てず、相手の尊厳を守りながら、自分にできることを考え続けた。
『それは簡単なことじゃない』
苦しんでいる人を前にして、何もしない勇気ではなく、必要以上に踏み込まない勇気。
手を伸ばせる力を持ちながら、その手を相手が望む時まで待つ覚悟。
『その覚悟は、お前自身にも苦しみを与えた。それでも、お前は逃げなかった。だから誇れ』
内なる真我はだんげんする。
『お前は、自分の信じる人の愛し方を最後まで貫いた。その姿勢は、たとえ誰にも評価されなくても、お前自身が否定してはいけない』
真っ直ぐ、自らの心を見つめて。
『お前は精一杯頑張って生きている』
その言葉は、誰かから与えられた慰めではなかった。
自分の弱さも、迷いも、届かなかった願いもすべて知っている自分だからこそ言える、偽りのない肯定だった。
真我はゆっくりと目を開く。
胸の奥の痛みは消えていない。
祥子たちの未来も、まだ分からない。
それでも、その痛みを抱えたまま歩いていくことが、自分の選んだ生き方なのだと、改めて受け入れる。
そして静かに立ち上がる。
「……よし」
今日もまた、誰かが助けを求めた時に手を差し伸べられるように。誰かの人生を代わりに生きるのではなく、その人が自分の足で歩き続けられるように。
それが、豊川真我という人間の信念であり、揺るがない在り方なのだから。