金持ち大学生「どうしたん? 大丈夫? 話きこか?」   作:あばなたらたやた

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⑦進むべき道

長崎そよ

 

 長崎そよを豊川家の応接室へ差し込んでいた。

 紅茶の香りが静かに広がる。

 向かいに座る少女は、ティーカップを丁寧に持ち上げ、小さく微笑んだ。

 

「今日はお招きいただいて、ありがとうございます」

 

 長崎そよ。

 祥子、睦、立希、燈。

 四人とは既に面識ができた。だからこそ、最後の一人には自然と興味が湧いた。

 祥子が選んだ五人目は、どんな少女なのだろう。

 そう思い、真我から招待したのだった。

 

「こちらこそ」

 

 真我は柔らかく笑う。

 

「祥子さんと仲良くしてくださって、ありがとうございます」

 

「そんな。」

 

 そよは穏やかに首を振る。

 

「私の方こそ、お世話になっています。」

 

 物腰は柔らかい。

 受け答えも丁寧。

 誰が見ても優しいお姉さんだと思うだろう。しかし真我の視線は、テーブルの下で小さく動き続ける彼女の指先を見逃さなかった。

 

 考えている。

 何をどう切り出すか。

 慎重に、そして、やがて。

 

「……祥子ちゃんは、お元気ですか?」

 

 真我は少しだけ目を細めた。

 

「元気、とは言い難いですね」

 

 嘘はつかない。しかし、それ以上は踏み込ませない。

 そよも、その返答だけで察したようだった。

 

「今は、どちらで暮らしているんでしょう?」

「それは」

 

 真我は静かに首を横へ振る。

 

「僕からお話しすることではありません」

 

 そよは笑顔を崩さない。

 

「そうですか」

「では、どうして学校を辞めてしまったんですか?」

「それも本人から聞いてください」

 

 短い沈黙。

 そよの指先が、小さく動く。

 

「……でも祥子ちゃん、今とても困っていますよね?」

「そうですね」

「だったら」

 

 そよは少しだけ身を乗り出した。

 

「事情くらい教えてくださっても……私たちなら力になれます」

 

 真我は穏やかに頷いた。

 

「その気持ちは、とても嬉しいです。ですが事情は本人の口から聞くべきだと思っています」

 

 そよの笑みが、ほんの少しだけ固くなる。

 

「……私達に秘密にすることが、本当に祥子ちゃんのためなんでしょうか?」

「場合によります。今回は、本人が話す権利を守りたい」

 

 そよは紅茶へ視線を落とした。

 

「……待ちます」

 

 ぽつりと呟く。

 

「祥子ちゃんが帰ってくるまで」

「家には戻ってきません。」

 

 その言葉に、そよは初めて目を見開いた。

 

「……え?」

「祥子さんは、自分で選んだ道を歩いています。だから豊川家へ戻ることはありません」

 

 応接室が静まり返る。

 そよは何かを考えるように指先を組んだ。

 

「……じゃあ」

「私が迎えに行けば。話を聞けば。支えれば」

 

 その言葉には焦りが滲んでいた。

 

 真我は優しく首を振る。

 

「迎えに行くことは否定しません。でも、答えを知るために会うのではなく、祥子さんと対話するために会ってください」

 

 そよは静かに真我を見る。

 

「違いがあるんですか?」

「あります。情報を集めることが目的になると人は相手を見なくなる。聞きたい答えだけを探し始めます。でも。対話は違います。相手が何を話したいか。何を話したくないか。その両方を尊重することです」

 

 そよは少しだけ息を吐く。

 

「……そんな悠長なこと、言っていられません」

 

 初めて、少しだけ感情が漏れた。

 

「困っているなら、すぐに助けないと」

「そうですね」

 

 真我は否定しない。

 

「でも助けることと、踏み込むことは同じではありません」

 

 そよは真っ直ぐ真我を見る。

 

「お兄さんなのにずいぶん冷たいんですね」

「そう見えるかもしれません。」

「祥子ちゃんが苦しんでいても待つんですか?」

「はい」

「どうして……?」

 

 信じられない、という表情だ。

 真我は少し考えたあと、静かに答えた。

 

「祥子さんの人生だからです。僕が正しいと思う道を歩かせるより、祥子さん自身が選んだ道を歩く方が大切だと思っています。そして、本人が逃げたい時に、逃げ込む居場所を用意しておくつもりです」

 

 そよは小さく笑った。

 その笑顔は優しい。けれど、どこか寂しかった。

 

「……私は使えるものは全部使います。人も、情報も、全部。祥子ちゃんを取り戻すためなら。みんなの居場所を守る為なら必ず」

「そうですか。それが、そよさんの選ぶ道なんですね。応援します」

 

 そよは少しだけ驚く。

 

「止めないんですか?」

「止める理由はありません。ただ」

 

 真我は柔らかく微笑んだ。

 

「その道を歩くなら、困った時は相談してください。僕も傷を負うなら浅いようにしたい」

「なら、祥子ちゃんのことを教えてください」

 

 そよは黙る。

 

「祥子さんの秘密は話せません。でも、そよさん自身の悩みなら、いくらでも聞きます。個人のプライバシーなどの情報ではなく、金銭や権力が必要な時は頼ってください」

 

 その言葉に、そよの指先の動きが止まった。

 目の前の青年は、自分を利用しようとも、説得しようともしていない。

 ただ、自分自身のことを気遣っている。

 そんな相手は、あまりにも珍しかった。

 応接室には、静かな空気が流れていた。

 

 そよは紅茶へ口をつける。

 優雅な仕草。誰が見ても、おっとりとした優等生のお姉さん。けれど、ティーカップを持つ指先だけが、わずかに落ち着かずに動いている。

 

「……真我さん」

「はい」

「祥子ちゃん。今、笑えていますか?」

 

 真我は少し考えてから答えた。

 

「それは、僕から答えることではありません」

 

 そよは小さく笑う。

 

「そう、ですよね」

 

 その笑顔は柔らかい。けれど、どこか無理をしているようにも見えた。

 

「私、祥子ちゃんの力になれたら、と思っているんです」

「うん」

「みんなも困らないように。みんなが集まれるように居場所を守らないと」

「ふむ……誰も、居場所ですか」

 

 真我はその言葉にだけ、静かに反応した。けれど、そこには踏み込まない。

 

「なら、そこに自分も加えてください」

 

 そよはゆっくり顔を上げる。

 

「私は……別に。みんながいてくれれば、それで十分だと」

 

 言葉が止まる。

 確認するような優しい声だった。

 

「そよさんは祥子さんがいなくなって、それによって連鎖的に居場所が壊れるのを恐れているんですね」

 

 その一言で。

 彼女の指先が止まった。

 

「……そう、かもしれません」

 

 小さく。

 本当に小さく頷く。

 

「いなく、ならないでほしい。終わってしまうのは少し、嫌」

 

 その声は、幼い子どものように震えていた。

 真我は静かに頷く。

 

「それでいい」

 

 そよは驚いたように顔を上げる。

 

「え……?」

 

「そう思うことは、おかしくありません。大切な人を失いたくない。安心できる居場所を守りたい。誰だって思います」

 

 真我は少し笑う。

 

「だから、その気持ちまで、隠さなくていい」

 

 そよの目に涙が滲む。

 

「でも、私は。きっと。少し、欲張りなんです。祥子ちゃんのことも、みんなのことも、失いたくなくて。たぶん。自分のためでも、あるんだと思います」

 

 真我はあっさり頷いた。

 

「人の善意は案外、自分のためでもあるんです。安心したい。失いたくない。笑っていてほしい。全部、自分の願いでもある。だから、それを恥じなくていい。自分の感情は自分だけのものです。そこに優劣や善悪、正誤もありません」

 

 そよは静かに涙を拭った。

 

「……それでも。私はできることは全部やります。祥子ちゃんを取り戻せるなら、何でも」

 

 真我は穏やかに頷く。

 

「それが、そよさんの選ぶ道なんですね」

「はい」

「なら僕は、その道を祝福します」

 

 そよは少し驚く。

 

「止めないんですか?」

「止めません。ただ」

 

 真我は真っ直ぐ彼女を見る。

 

「誰かを繋ぎ止めるために、そよさん自身が壊れそうになったら。その時は僕を頼ってください」

「……」

 

「祥子さんを守る人も、守られるべき人なんです」

 

 そよは言葉を失った。

 自分が誰かに助けられる側だと。

 あまり考えたことがなかったからだ。しばらくして、小さく微笑む。

 

「……ずるいですね」

「どうして?」

「そういうことを言われると、少しだけ、頼ってみたくなるじゃないですか」

 

 真我は笑った。

 

「それなら、いつでも歓迎ですよ」

 

 その穏やかな笑顔を見つめながら、そよは初めて胸の奥で思った。

 ――この人は、誰かを繋ぎ止める人ではない。

 帰ってきた人も、迷っている人も、長崎そよ自身も、静かに迎え入れる場所なのだ、と。

 

 そよはゆっくり立ち上がり、小さく一礼する。

 

「……ありがとうございます」

 

 そして応接室を後にする。

 扉が閉まる直前、真我は静かに声を掛けた。

 

「そよさん」

 

 そよは振り返る。

 

「改めてお伝えします。一人で抱え込む人ほど、『誰かを助けたい』と言います。だから、そよさんも、助けが必要になったら遠慮しないでください」

「はい」

「自分を救えない人が、他人を救うことは難しい気がするんです。だから他人を助けるように、自分も労わってあげてくださいね

「はい。お母さん、みたいですね」

 

 一瞬だけ、そよの表情から”優等生のお姉さん”の仮面が揺らいだ。しかし彼女はすぐに微笑み直し、小さく頷いて部屋を後にした。

 

 

◼️ 真我はノートを取り出し、静かに書き綴る

 

 ……そよさんは、優しい人だった。でも、優しいだけでは説明できない。

 あの人は「失うこと」を極端に恐れている。だから繋ぎ止めようとする。

 人も。関係も。居場所も。全部。

 ……最初は祥子さんを助けたいからだと思っていた。でも話していて分かった。

 違う。助けたいのは本当。だけど、その奥にある願いはもっと個人的だった。

 

「終わってほしくない」

 

それが一番大きかった。

 

「みんなも困らないように」

 

 あの言葉。

 一見すると、とても立派だ。でも、少しだけ気になった。「誰も」の中に、自分が入っていなかった。

 

 あの人は、他人を守ることには慣れている。でも、自分を守られることには慣れていない。そして、今日、一番ぶつかったのは、秘密の話だった。

 

 彼女は、「知ること」が救うことにつながると思っている。

 

 僕は、「話すかどうかを選ぶ権利」を守りたいと思っている。

 どちらも、救いたいという気持ちから始まっている。でも、救い方が違う。

 正直に言えば、少し怖かった。

 彼女は目的のためなら、情報も、人も、全部使うと言った。

 あれは脅しじゃない。

 覚悟だった。だから止めなかった。

 止めても、きっと意味がない。

 彼女は、自分で選ぶ人だから。でも、一つだけ伝えたかった。

 

「困ったら頼ってください。」

 

 あれは社交辞令じゃない。

 

 そよさんは、人を支え続ける。だからいつか、誰にも支えられない日が来る。その時に「私は大丈夫です」と笑ってしまいそうだった。

 それが心配だった。

 最後、「ずるいですね」そう笑った。

 あれは、今日初めて見た、本当の笑顔だった気がする。

 優等生のお姉さんじゃない。一人の中学生としての笑顔。

 少し安心した。全部は無理でも、あの人にも、寄りかかる場所が一つくらいあっていい。

 

 内なる自分が言う。

 

「今回は、君もかなり頑固だったね。」

 

……そうかな。

 

「そうだよ。彼女は『助けるためなら秘密も知るべき』と言った。でも君は最後まで教えなかった」

 

 教えられなかった。

 あれは僕の情報じゃない。祥子さんの人生であり情報だ。

 

「なるほど? つまり今回の対立は、善悪ではないわけだ」

 

 

 うん。どちらも善意だった。だから難しい。

 

「整理しよう。そよは、結果を守ろうとしている。君は、過程を守ろうとしている」

 

結果と過程……。

 

「そよにとって一番大切なのは、『CRYCHICが壊れないこと』だ。だから、そのためなら多少の踏み込みも必要だと考える。一方、君にとって一番大切なのは、『本人が自分で選ぶこと』だ。たとえ結果として遠回りになっても、その選択権を守りたい」

 

……そうか。だから最後まで、お互い相手を否定しなかったんだ。

 

「そう。価値観が違うことと、相手が間違っていることは別だからだ。むしろ君は、そよという人間を高く評価している。」

 

 もちろん。あれほど誰かを大切に思える人は、そう多くない。ただその優しさは、時として相手の境界線を越えてしまう。だから少しだけ心配なんだ。

 

「そして、そよも君を理解し始めた。君は人を引き止める人じゃない。帰ってきた時に扉を開ける人だ」

 

……それでいい。無理に誰かを変えたいとは思わない。帰ってきた人に、おかえり、と言える人でいたい。

 それが、僕の選んだ在り方だから

 

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