金持ち大学生「どうしたん? 大丈夫? 話きこか?」   作:あばなたらたやた

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九話:初華(初華ではない)①

 

 豊川の本宅から帰宅した翌日。

 午前九時。

 豊川家が所有する邸宅の長廊下には、今朝も冷ややかな静寂が満ちていた。

 磨き上げられた床に朝日が差し込み、整然とした窓枠の影を黒々と落としている。その幾何学模様を踏みしめながら、真我は一人歩を進めていた。

 

(……かつてここには、祥子さんも、睦さんもいた)

 

 何気ない朝食の匂いや、取るに足らない他愛もない会話。二人にとって当然の日常だった残像が、いまや静けさに呑まれて薄れていく。

 重厚な執務室の前で足を止め、軽く二度ノックする。

 中から低く短い声が返ってきた。

 

「入りなさい」

 

 真我は静かにドアノブを回した。

 壁一面の本棚と、部屋の奥に鎮座する巨大な机。窓際に佇む豊川定治は、背を向けたまま淡々と言い放った。

 

「お前に仕事を任せたい」

「何でしょうか」

「アイドルユニット『sumimi』の管理だ」

 

 真我はわずかに眉根を寄せた。

 

「……管理、ですか」

「そうだ」

「恐れ入りますが、プロデュースではなく『管理』という言葉を選ばれた意図がわかりません。詳しく教えてください」

 

 定治はゆっくりと旋回し、皮張りの重厚な椅子へ腰を下ろした。

 

「sumimiには、豊川グループにとっての『爆弾』が抱え込まれている」

 

 その一言で、室内の空気が一気に氷点下まで下がった。

 爆弾。

 一人の人間を、意思も心もない危険物質として扱う言葉。

 真我は静かに定治の眼光を受け止め、先を促した。

 

「sumimiは純田まなと三角初華による二人組だ。人気、影響力ともに業界トップクラスと言っていい」

 

 定治は淡々と事実を列挙したのち、本題へと切り込んだ。

 

「三角初華は、初華ではなく初音。私の娘だ」

「…………なるほど」

 

 真我は表情を変えなかった。驚きがないわけではない。だが、豊川という家の闇を思えば、合点のいく話でもあった。

 

「別荘の島に隔離していたが、奴は生きている妹の名を騙り、勝手に表へ這い出てきた」

 

 三角初華という人生そのものが、豊川の生み出した巨大な捏造であり、極秘事項。

 

「この事実が公になれば、豊川の信用は失墜し、勢力を大きく削がれる。株価、取引先、政財界への波及は計り知れん。……当然、真我、お前も無事では済まんぞ」

「……把握いたしました」

 

 真我は脳内で瞬時に構造を組み上げる。感情を排し、純粋な論理として定治の意図を汲み取ってみせた。

 

「つまり、sumimiの管理という命の真向にあるのは、三角初華さんが、初音になって豊川グループへ牙を剥かないよう手元でコントロールすること……そういう認識ですか?」

 

 定治の口元が微かに歪んだ。

 

「お前は相変わらず頭が回る」

 

 称賛ではない。単なる利便性の評価だ。

 

「初音の手綱を握れ。豊川の敵ではなく、利となるよう躾けろ」

(……躾け?)

 

 真我の思考が一瞬、凍りついた。

 躾ける。娘に対して。一人の少女に対して用いる言葉か。だが、定治は真我の胸中に芽生えた微小な波紋に気づく様子もなく、言葉を重ねる。

 

「お前には期待している。裏切らぬ限り、相応の権限と支援を与えよう。……しくじることは許さんぞ」

「承知いたしました。適切に対応いたします」

 

 真我は深々と一礼した。

 

「11時までに現場へ向かえ」

「あと2時間ですね。裏の意図は理解しました。現場側への表向きの建前はなんという内容ですか?」

「豊川グループと芸能部門の連携強化だ。お前には業務監査兼連絡調整役として現場に入ってもらう。現場支援という名目で十分だ」

「承知いたしました。では、これにて失礼いたします」

 

 執務室を出て、廊下を歩く。

 背筋を伸ばし、完璧な足取りで歩を進める。だが、誰もいない手洗いに滑り込むと、素早く鍵を締め、個室の壁に背中を預けた。

 

「……はぁぁっ」

 

 深く溜め息を吐きだし、両手で顔を覆う。

 

(保守、保身、組織の防衛……それが豊川定治の方針)

 

 理解はできる。巨大な組織や制度を守るためには、個の犠牲や秘密の隠蔽が必要になる局面もあるのだろう。

 だが——。

 

「爆弾を作ったのは……あんたでしょうが」

 

 ぽつりとこぼれた独白は、冷たいタイルに吸い込まれて消えた。

 秘密を作り、少女を隠し、人生を掠め取っておきながら、歪んで戻ってきた存在を『爆弾』や『危険物』と蔑む。更に本物の初華さんにも被害及んでいる。

 あまりにも理不尽で、あまりにも身勝手な残酷さだった。

 

(……で?)

 

 真我は突然、ガシガシと頭をかきむしった。

 

(いや待て、指示が大雑把すぎる。報連相が圧倒的に足りてない)

 

 一人、トイレの個室で激しいツッコミが炸裂する。

 

(『管理しろ』って何だ? 勤務表の作成? スケジュール調整? 現場のメンタルケア? それとも経費の監査? どこまでが俺の領域なんだよふわっと命じるな、クソじじい。こ、ころ……ころ、し、たい……けど、そういうのは想うだけ)

 

 怒りと、呆れと、理不尽さへの不満が混ざり合い、一周まわってすっと肩の力が抜けた。

 

「……ふぅ」

 

 鏡の前へ立ち、冷水で顔を洗う。水滴を拭い、己の瞳と向き合った。

 

(……違う。怒っている場合じゃない。切り換えろ。これは人を磨り潰す仕事から、人を救う仕事になったと解釈しよう)

 

 真我のなすべきことは、定治への反発ではない。

 救うことだ。祥子を。初音を。そして、名を奪われ『爆弾』とまで呼ばれることになった、もう一人の少女を。

 

(私が天に立つ)

 

 権力とは、人を従わせるための道具ではない。大切な人の選択肢と居場所を守るための『力』だ。

 

(豊川のすべてを掌握する。誰一人として、理不尽に泣かなくて済む未来のために。その為に、まずは目先の仕事をちゃんとやる)

 

 覚悟を決めると、真我はネクタイを整え直し、個室をあとにした。

 11時の初顔合わせに向け、手元の資料へ目を通す。

 純田まな、三角初華。

 管理や監視とか裏の仕事、表向けの仕事、感情的な問題は置いておいて、そもそも人間関係はまずは相手を知り、理解することが肝要だ。

 アドリブで回してしかないが、二人からの信頼関係を築いていこう。

 

サブストーリーとして一番交流してほしいキャラは?(メインは祥子と初音

  • 若葉睦
  • 椎名立希
  • 長崎そよ
  • 高松燈
  • 野良猫
  • 祐天寺にゃむ
  • 八幡海鈴
  • モーティス
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