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一之瀬帆波が彼とキチンと知り合ったのは、十二歳の秋頃。ある日の学校帰りのことだった。それ以前から交流自体はあったものの、精々挨拶を交わす程度。クラスが一度も同じにならなかったせいで、それ以上の接触が生まれない環境に置かれていた。
当時のシャルルは今と大して変わらない。言動と行動がやや奇天烈ではあるものの、顔も性格も良いおかげでクラスの中心人物であり、ポジション的には男子版の帆波とでも言うべき場所にいた。
二人とも男女問わず人気があったとはいえ、年齢的には思春期に該当する。シャルルの周りには男子が集まり、帆波の周りに女子が集まることが多くなるのは当然の話だ。
元気が有り余っている男子達を引き連れ、グラウンドや町中を駆け回るシャルル達。屋内で過ごすことの多い女子達を纏めて、偶に外に出ても縄跳びや一輪車程度で終わる帆波達。学校が度々開催するレクリエーションで絡むことはあっても、基本的に交わることはないグループに所属していた。
しかし、あまり関わりがなくとも、話題には上がってしまう。どの男子が好きだとか、どの男子がイケメンだとか。老若問わず、ある程度の会話ができる年齢の女子が集まれば、大抵の場合は出てきてしまう話だ。当然、色々と上澄みのシャルルは話の中心になってしまうせいで、帆波は一方的に彼のことを認識していた。ただ認識していただけなら良かったが、彼女は交友関係がかなり広い。そのせいで周りの女子から情報を大量に流し込まれており、無駄に彼について知ってしまっていた。
六年間も同じ学校にいるのに、今まで大した交流もないのだから、きっと今後も一方的に知っているだけで終わるのだろう。そんなことを考え始めた矢先、彼女は十二シャルルとまともに会話することになったのである。
その日は偶々一人で帰ることになり、偶々野良猫が路地裏へ行く場面を目撃してしまった。追いかけたところで触れ合える保証はないし、仮に触れ合えたとしても、ノミやダニを家に連れて帰ってしまうだけでしかない。だが、帆波は何となく追いかけてしまった。
結果、路地の奥にいたのは猫とは真逆の可愛げの欠片もない人間が一人。可哀想な話だが、同じ毛むくじゃらであっても、服を着てないおじさんは猫と比べると数億倍は恐ろしい存在だ。特に女子児童からしてみれば、ホラー映画の化け物とそう大差はない。
知識はあった。防犯ブザーも持っていた。そういう時の対処法を口にするだけならば、何個も出せた。
ただ、それを実践で使えるかは別の問題だ。どんな優等生であっても、不測の事態でマニュアルもなしに完璧な対応を取れる人間は少ないだろう。況してや、当時の帆波は小学生。いくらしっかりしていると言っても、目の前の恐怖に打ち勝てる程の強さはなかった。
振り向いたのも、助けを求めようとしたから。その先に白黒の髪と青い瞳の少年がいたのも、単なる偶然でしかなかった。
「た、助けて……」
目に映ったのが誰なのかを確認もせず、必死に口を開く。どうにか絞り出したのは、か細く震えた小さい声。
「任せろ!」
少年はそれを聞き届けた。木刀を片手に帆波の横を颯爽と駆け抜け、変質者の鳩尾に一撃を叩き込む。その時点で男は顔を真っ青にしていたのだが、彼は容赦しなかった。
「
何やらカッコ良さげな技名を叫んでいたが、必殺技が飛び出すようなことはなく、繰り出されたのは単なる急所攻め。鼻っ柱に空いている拳を叩き込み、そのまま流れで脛を蹴り飛ばし、再度鳩尾への一突き。帆波に手を伸ばしていた変質者を宙に浮かせ、コンクリートブロックの壁に激突させた。それを成し遂げた得物は、修学旅行で買ったであろう木刀が一振り。
何故そんな物を持ち歩いていたのか。後から疑問は浮かんだものの、すぐに掻き消えた。シャルルの好き嫌いは他の女子からよく聞いていたから、解答も簡単に予測できたのである。
「大丈夫か?」
「う、うん」
「なら良かった」
無事で良かったと母親に抱き締められる帆波に対し、危ないことをするなと拳骨を振り下ろされているシャルル。殴られたという事実よりも、それに伴って木刀を没収された方がショックそうだったのは、危機を脱したばかりの少女も流石に笑ってしまった。
兎にも角にも、帆波と彼の関係はそこから始まった。
カッコ良い男子にカッコ良く助けてもらって、意識しない方が無理な話だろう。最初はお礼と称して、その後も色々と言い訳をつけて。段々とそれが自然な形になったのは、中学一年の終わり頃。一緒にいるのは当たり前になってしまい、クラスメイトにも親にも度々揶揄われるような状態になっていたものの、実際の関係性は宙ぶらりん。
顔だけが良い人間ならば、彼女も距離を置いただろう。しかし、彼は全体的にスペックが高かった。噂通りに性格も良く、運動でも勉強でもほぼ確実に上位に入る能力。
そんな男が年頃の少女の近くにいるのは非常に良くない。ことあるごとに男性という存在に求めるハードルが上がっていくし、何かにつけてシャルルの存在がチラついてしまう。人によっては即効性だが、彼女にとっては遅効性の致命的な毒だった。
ただ、帆波が抱いている感情に名前がついたのは割と遅かった。正確な時期を示すとすれば、中学三年の夏のこと。
ことの発端は家庭内の軋轢。ずっと家庭の為に我慢していた妹と、妹の為に必死で働いていた母親。二人の関係が拗れるのを黙って見ていることもできず、悩みに悩んだ末の軽率な行動。少年少女の関係値が少しだけ変わったのは、それのおかげでもあった。
人の少ない店内。店員の視線もない。対象も自身も監視カメラの死角。少しだけ手を動かせば、目標は達成できる。一之瀬家のギクシャクは自分が沈黙するだけで解決する。
そう思っていた。
「んー、それはちょっとカッコ悪いと思うぞ」
以前のように偶然、そして以前とは真逆に最悪のタイミング。持っていたヘアピンを仕舞い込む直前、その手の進路を塞ぐようにして、少年は手を伸ばしていた。
「あ、いや、違っ」
見られた。嫌われる。逃げたい。家族に迷惑がかかる。学校に知られる。怒られる。言い訳は。謝らなきゃ。
不安と後悔が一気に押し寄せた結果、溢れ出たのは涙だった。取り繕うこともできず、ただボロボロと涙を溢す。何も被害を受けていないシャルルに向けて、戯言のように謝罪の言葉を吐き出した。
「カッコ悪いってのは言い過ぎたな」
そんな状態の彼女の背を摩りながら、少年は語り始めた。
「誰だってさ、カッコ悪いことをやらかすことはあるんだ。魔が差したり、タイミングが悪かったり、色んな理由がある」
付き合いの長い帆波にも未だによく分かっていない、彼独特の価値観だ。カッコ良い。カッコ悪い。男子に聞けば分かるかと思って、問い掛けたことがある。結局分からなかったが、今なら何となく分かる気がした。
「一之瀬、本当に手段はそれだけしかないか?」
赤くなった瞳が青い瞳と交差する。
「お前がこんなことする奴じゃないってのは、俺もよく知ってる。私利私欲の為じゃないってのも、これだけ一緒にいたら分かる。しようとした理由も、考えたら何となく分かる」
彼は彼女の家のことを知っている。何十回も登下校を共にしたのだ。どういう家庭であるのか、どういう事情を抱えているのか、どうやって暮らしているのか。それぐらいのことは帆波の口から話してしまっていた。
多少は恥ずかしかった。仲の良い男子に裕福ではないと話すのは、若干嫌な部分もあった。それと同時に隠すことも嫌だったのだ。いつか知られるぐらいなら、早めに言っておいた方が良い。それで嫌われるぐらいならば、その程度で終わり。
けれど、終わらなかった。その程度ではなかったのだ。
「だからさ、俺は一之瀬が誇れる一之瀬でいてほしい」
真っ直ぐな瞳に込められていた信頼に対し、どうすれば良いのか分からなかった。
「お前の周りには、お前が作ってきた人の繋がりがある。周りは何かある度にお前をアテにするのに、その逆が許されないと思うか?」
「分からないよ」
皆にとって、自分は何なのか。
頼りになる生徒会長。何でもできる帆波ちゃん。そう扱われてきた自分が突然周りを頼り始めたら。その内容が金銭的なものだったら。どう思われるかは想像が難しかった。
「これは俺の意見だが、誰かの為に頭下げてる奴がカッコ悪いとは思わない」
彼の価値観はイマイチ分からない。
「むしろ逆だ。そんなの、めちゃくちゃカッコ良いじゃねえか!」
結局、よく分からなかった。
「それに、今は目の前に俺がいる」
ただ、拳でドンと胸を叩く姿はいつもより頼りになる気がしたのだ。
「あの時みたいに言えば良いだろ?」
「あの時?」
「路地裏で変質者に絡まれてた時だよ」
「……ぁ」
忘れるはずがない。あの時の介入が偶然にしろ、必然にしろ。
少なくとも、帆波にとっては一部始終が消し難い記憶だ。人に襲われかけたという恐怖の記憶も、シャルルに助けてもらったという歓喜の記憶も。その後に慰められたことも、大人が来るまで側にいてくれたことも。
「また」
まだ失望されていないのか。もう一度希望を持って良いのか。
「また、助けてくれるの?」
「ああ、当然だろ。大事な友達を助けない奴がどこにいるんだ」
大事な友達。そう言われたのが少しだけ悲しかったが、少しだけ嬉しくもあった。それだけ想われている事実が、帆波にとっては宝物だ。
「金の貸し借りは良くないって言うけど、ここでお前を助けない方がよっぽどカッコ悪い。というか、そもそも貸し借りにしなきゃ済む話だしな」
少女の手から落ちそうになっていたヘアピンを受け取り、シャルルはレジへと駆けていった。
その場で待つこと数分。行きと同じように駆けてきた少年の手の中には、綺麗に包まれた箱が一つ。それだけでもいくらか取られただろう。しかし、一切惜しむ様子もなく、彼は差し出した。
「ほら」
「……良いの?」
大きく頷き、歯を見せて笑う少年。
「ありがとう」
その言葉が本当に伝えられていたのか、帆波には分からない。女の子として見せられない顔をしていたし、声もグズグズだったはずだ。ボロボロと泣きながら、右手にラッピングされたヘアピンを持って、左手を引かれながら帰ったことだけは鮮明に覚えている。
その後は家に帰ってベッドの上でバタバタと暴れ回り、その後も思い出す度に顔を赤くする始末。教室、帰り道、家の中。ふとした時に思い出してしまうのだ。
学校内で彼と遭遇してしまえば、いつもの一之瀬帆波ではなくなっていた。元より冷静沈着というタイプではなかったが、落ち着きを何処かに置いてきてしまったかのような状態になった。声は裏返り、テンションも乱高下。シャルルにどうしたのかと心配されると、更に酷いことになる始末。
自分の状態を自覚しない方が無理だった。誰がどう見てもそうなのだから、認めないわけにもいかない。ただでさえ絆されていたのに、完全に壊されてしまったのだ。頭の中からシャルルの笑顔が離れなくなっていたのが、何よりの証拠だった。
そして、最後に表出したのは進路の問題。
私立に特待生で入学するか、それとも感情を優先してシャルルを追いかけるか。悩みはした。当然、母親にも妹にも相談はした。ただ、最初から帆波の気持ちは傾いていたし、彼女の心情など十五年も一緒にいた母親にはお見通しだった。
結果、彼女の進路は高度育成高等学校へ。行きのバスで会うことはできなかったが、入学式で姿を確認することはできた。相変わらずクラスが違うのは若干ショックだったものの、また三年間同じ学校だというのは喜ばしいことだ。思わず、鼻歌交じりにスキップをしてしまうぐらい。
「あ、シャル……」
目的のクラスへ向かう道中、曲がり角から件の少年が現れた。
反射的に声を出そうとした瞬間、続けて目に映るモノがあった。
「え?」
いつも帆波がいたポジションに、我が物顔で居座ってる小柄な少女。
「シャルル君のおかげで手に入ったポイントなんですから、受け取ってください」
「だからってポンと一五〇万はおかしいだろ。俺も坂柳と一緒に二〇〇万ポイント貰ったんだぞ?」
「……何か問題が?」
「……俺がおかしいのか?」
数秒前まで顔を覆っていた笑みが、完全に消えていた。
別に彼が女子生徒と立っているのは良い。十二シャルルという人間は天性の人気者で、交友関係も帆波と同等かそれ以上だ。だから、女子生徒が寄ってくることに一々目くじらを立てはしない。
問題はその距離感である。そこにいるのが当然とでも言うように寄り添っており、さり気なく体に触れている。
「一之瀬!」
気づいてくれたことへの安堵。気づくのが遅かったことへの嫉妬。隣にいる少女に向けた苛立ち。それら全てをグッと飲み込む。
「久しぶりだね」
笑顔を作り、幼馴染との挨拶を交わした。
そして、目を向ける。白っぽい少女も帆波と同様、色々な感情のない混ぜになった目をしている。何が起こったら、ここまで淀むのか。一瞬そう思ったものの、自分も同じ穴の狢でしかない。
「あ、こっちは坂や」
「いえ、大丈夫です」
「……えっと、いち」
「私も大丈夫。自己紹介ぐらいはできるから」
俺は邪魔みたいだな。シャルルは二人の発する威圧感から何となく理解し、少しだけ距離を置いた。
「Bクラスの坂柳有栖、シャルル君のクラスメイトです」
「私はAクラスの一之瀬帆波、シャルル君の幼馴染です」
両者、察する。
目の前の人間は敵である、と。
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英霊シャルルマーニュの宝具。シャルルはこれを知っているだけで、実際にジュワユーズなど握ったことはないし、それっぽいことすらできない。単なる必殺技の掛け声のようになってしまっている。