太陽に集いて   作:ロウシ

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ハーレム純愛ラブコメディです
気軽に読んでください


1人目:小牧春奈

1.

 

 

「アナタから産まれたいのおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」

 

 そう言って、ついさっき知り合ったばかりの女──鈴木文子は目前に包丁を掲げた。

 

「産まれ直したいおののののの!!!!! 愛してるううううううつううううううっ!!!!」

 

 喚き散らす文子をさておいて、俺は冷静に分析を進めた。

 包丁の刃渡は37.5cmか。

 市販の包丁の中ではかなり大きいサイズだ。

 いや──ちょっと、デカすぎないか?

 37.5cmって、30cm定規よりデカいぞ。

 家から持ってきたヤツじゃないな。

 こんなデカいの、家に置いといて、何を斬るんだよ?

 コイツ……ドン◯辺りで適当に、一番デカいからって、買ってきただろ。

 女子高生にコレ売る方もどうかしてるだろ……後で店を探し出して、クレームいれたろ。

 まあいい。

 分析を再開する。

 鋒が適度に揺れているのは、握りに適度なたるみを持たせていることの現れだろう。

 普通、これだけ興奮しているなら、力が入りすぎてガッチリ握ってしまうものだが、文子の握りにはそれがない。

 呼気の荒さに対して、心の逸りに対して、文子の肉体は冷静に獲物を見定めている。

 慣れているな、殺しに……。

 俺はふう、とため息をついて立ち上がり、文子に対面した。

 

 文子の心がどくん、と跳ねるのを感じる。

 頬肉は紅潮し、快楽のあまり弛緩しきっている。見るに、性的興奮が一定値を超え、暴力欲求と混ざり合っているのだろう。

 危機的状況に陥った獣が、よく、こういう状態になるものだ。

 

 俺が立ち上がるまでの瞬間に、つい、と文子が踏み込んだ。

 みごとなタイミングだ。

 他の行動の途中から、瞬時に動作を変えるのは難しい。

 本をガードに使うかを考えたが、瞬時に無理だと悟る。俺が手にしている本は300ページほどの文庫本。到底、あの包丁の刃は防げまい。

 包丁の鋒はこちらを向いている。

 突き出される腕──迷いがない。

 刃物を肉体に先んじて、姿勢を低く、体重を十分に乗せている。この俺の腹筋を刺し貫かんとする、みごとな突きである。

 手首を回し、刃を、上に向けているのがにくたらしい。殺傷力を上げるための持ち方をしているのだ。

 こうすることで、肉に刃が食い込んだ瞬間に、自然と刃に捻りが加わる。

 すると、開けた血管の断面から、血中に酸素が入り込み、その酸素が心臓を詰まらせて、刺した相手を確実に死に至らしめるのである。

 刃物で人を刺した時に、『捻りを入れているかどうか』は、裁判において殺意の有無や計画性を問われるほどに、人を殺すための重要なテクニックなのだ。

 慣れているな──

 分析を総括して、そう思う。

 残念なのは、文子の身体が、同年代の女子と比べても、いっそう細いことだろうか。

 文子の体重は、目算して38〜39kg。

 断言できるが、40kgは絶対に超えない。

 最低限の筋肉した纏わぬ骨、コケるギリギリを保つ頬肉、重力に耐えていることを讃えたくなるほどに細い下腿筋。

 これでは、全体重を乗せたとしても、熊やゴリラのような獣は、肉どころか皮膚を刺しきれず、とても殺せないだろう。

 

 離れた文子の足が、二歩目を踏む前に、つい、と俺も身体を前に出す。

 刹那のタイミング、到底、素人に見切れる間ではない。しかし、文子の眼窩がかすかに歓喜に震えているのがわかる。

 突き出された刃物を相手に、前に出る。

 普通の人間は、そんなことはしない。おそらく、文子にとっても初めての経験だったのだろう。

 倍の速度で距離が詰まる。

 包丁の鋒が、俺の腹筋に触れる。

 肌が、わずかに切れる。

 こればかりは仕方がない。

 皮膚は、鍛えられないのだから。

 

 だが──

 

 その刃先は、筋肉に入り込んで、きっちり三ミリの所で止まっていた。

 とても、内臓には届かない位置である。

 

「!!!?」

 

 文子がツンのめる。

 俺の胸に頭部を預けるカタチになった。

 慣性の法則がある、包丁をついたてに、自らの突進力で倒れ込んだのだ。

 

「それじゃあダメだ」

 

 頭上から、俺は、ぽつりと言った。

 愛を囁くように、優しく、ゆっくりと──文子にしか聞こえない音で。

 文子の体温を感じている。

 熱い。

 緊張と動揺と、

 何より──愛情を感じてしまう熱。

 俺の心に波が立つ。

 ああ、

 俺は思う。

 ああ、この女子は、なんと健気で、なんと愛しいひとなのだろうか──

 

 ぴきん、と音がした。

 俺の掌底が包丁の腹を打ち、刃を折ったのである。

 所詮は市販の包丁なのだ。固定されていれば、俺にとっては折るのは造作もない。

 どてんと、文子が尻餅をついた。

 俺は、腹に残った鋒を摘んで、文子の足元に投げ捨てた。

 抜く瞬間、つぷり、と生ぬるい音がして、鋒にはわずかに血が滴っている。

 

「市販の包丁じゃあ、俺の腹筋は貫けねえ」

 

 斜めに見下す視線。

 それに、文子は興奮しているようだった。

 俺は、ふ、と息を吐いて、見せびらかすように握り拳を作っていく。

 顔の高さに揃えたそれを、引く。

 ゆっくりと、後方に。

 同時に、身体を、拳を引くのに合わせて大きく開いた。

 誰がどう見ても、殴る姿勢である。

 そう、俺は殴るのだ。

 思い切り。

 

 そう、俺は、文子を殴るのだ。

 愛を込めて。

 ()()()()()()に──

 

 

2.

 

 

 俺のことを好きになった女子は、俺を殺そうとする。

 その事実に気づいたのは、小学校の5年生に上がった時だった。

 

「九十九くん! わたし、アナタのことが好きです!」

 

 クラスメイトの女子に、そう言われた。

 放課後に呼び出された裏庭。

 四方の三方を壁に囲まれた場所。

 叫び声を上げたとして、職員室から先生たちが来るのに、5分はかかる場所。

 先に立ち入った俺──九十九九乃重(つくもここのえ)は背後に気配を感じて振り返った。

 後から入り、唯一の出入り口に立つ女の子がいた。

 小牧春奈──確か、そんな名前だったか。

 身長は120cm。

 体重は……30kgもあるだろうか?

 小柄で、薄ピンクの、桜模様のワンピースを着て、その上に丈の短くて軽そうな薄い青のアウターを羽織っていた。ツインテールの茶髪で、くりっとした眼の子だったと思う。

 とても、俺なんかに似つかわしくない、可愛らしい女の子だった。

 事実、クラスメイトの男子からは絶大な人気がある。

 女子からも一目置かれている。

 その容姿だけでも。

 しかし、春奈は性格もいい。

 勉強も良くできる。

 掃除の時間は雑巾を取って床を拭くし、トイレ掃除やどぶさらいなど、人が嫌がることを率先してやる子だったし、そこに「いやだけど、やってやっているのだ」と言うような、押し付けがましさを見せない。生真面目で愛くるしい性格も手伝って、学級委員長も務めている。先生たちからの信任も厚い子だった。

 

 だから、告白されて、嬉しくもあったが戸惑った。

 その頃の俺は、純粋だったから。

 その頃の俺は、身長で189cm。

 体重も90kg近くあった。

 小学五年生なのに。

 首は、顔より太かったし、大胸筋は大きく前に迫り出していた。

 肩が、ごろりとした岩のようだったし、そこから伸びる腕は、着ているTシャツを盛り上げて、肉肉しい弾力に満ちている。

 太い唇に、太い眉。黒々とした眼が鬱屈とした鈍色に飾られている。

 誰がどう見ても小学生の肉体ではない。

 誰がどう見ても、化け物に見えたことだろう。

 その、とてつもない肉の塊の上に、童顔そのものの、比較的端正な顔立ちが乗っているのだから、他の生徒にとっても、先生ら大人たちにとっても、俺は奇妙奇天烈な妖怪に違いなかった。

 おかげで、友だちもいない。

 両親からも、俺はいないものとして扱われ、突き放されている。

 俺は、自分が愛されないことはわかっていたから、目立つことを避けていた。

 文化祭では隅っこに立ち、体育祭では、いつも欠席していた。

 組体操の柱にも、騎馬戦の騎馬すらやらなかった。小学校だから、どうしてもイベントに出なければならない時がある。そういう時は、テントの隅っこでちぢこまって、揚々とした音楽に合わせて暴れ回る級友を羨ましく眺めるだけだった。

 誰も、俺と対等になろうとはしてくれないし、俺はそこに関して、幼少にありながら諦めていた。小学生の日常に存在するには、あまりにも怪奇の塊すぎた俺は、いじめられることさえなかったぐらいである。

 

 その俺が、面と向かって好きと言われた。

 しかも、その子はクラスメイトの、いっとう可愛い子だ。

 俺は訝しんだ。

 何かの罰ゲームではないかと疑った。

 何か、小牧春奈は友達とじゃんけんでもして負けて、「クラスで1番キモいあいつに告白してこい」とでも言われたんじゃないかと思った。

 あるいは、ここで俺が告白にはい、と答えたなら、彼女の後ろから同級生たちがわらっと出てきて、俺に向かって嘲笑と共に卵やトマトを投げつけてくるんではないだろうか。

 だが、それもいい。

 無視されるよりは、嘲笑われる方がマシだ。

 そういう想いが、微かに、俺の心に生じている。

 

 俺はじり、と後ずさった。

 小牧春奈の眼を見た。

 その眼は、潤んでいた。

 悲しみのそれではなかった。

 演技には見えない、必死の色が浮かんでいた。

 サファイアのような瞳が、真っ直ぐに見つめ返してくる。

 ウソではない──?

 

 途端に、俺の肚の底から歓喜が噴き出てきた。俺を、好いてくれているのか、コイツは。

 そう思うと、もう、たまらなくなった。

 駆け寄りたくなる気持ちを抑えて、一歩ずつ歩み寄った。

 小牧春奈はさがらない。

 この俺を、受け止めてくれるつもりなのだと思った。

 

「俺も──」

 

 言った。

 震える声で。

 

「俺でよければ、その……どうか、よ、よろしく──」

 

 小牧春奈の顔に、花が咲いた。

 ぱあっと、お日様のように、輝いた。

 小牧春奈が駆け寄った。

 涙を流していた。

 身体ごとぶつかってきた。

 俺も、嬉しくなって、小牧春奈を懐に迎え入れた。

 

 ぶすり、

 

 そういう音がした。

 なんの音か──?

 疑問の最中、プチプチと水が弾けるような音が続いた。

 腹が熱い。

 痛い。

 

「うわあっ!!」

 

 俺は、反射的に小牧春奈を突き飛ばした。

 人に、たぶん、生まれて初めて全力近い力をぶつけた。

 小牧春奈が倒れる。

 がらん、と金属の落ちる音──

 俺は、視線を落とした。

 カッターナイフだった。

 そこにあったのは、血で染まった、カッターナイフだ。

 そこにあったのは、俺の腹が、そのカッターにサクリと切られて、血が滴っている景色だった。

 

「あっ、あっ、あっ、あっ……?」

 

 一瞬で、わけがわからなくなった。

 小牧春奈の方を見る。

 彼女は膝をつき、艶かしく背を逸らして、舐めるような視線をこちらに投げながら、血に塗れた指を蛇のようにしゃぶっていた。

 

「九十九くん──わたし、おかしいの。アナタを見ていると、お腹が空いちゃうんだよ?

 お腹の下のあたりがきゅうって痛くなって、頭がぽっぽしちゃうの」

 

 おかしいほどに、俺は冷静だった。

 冷静になっていた。

 滴る血の生ぬるさ、鉄の匂いをしっかり現実のことだと認識していた。

 

「それでね、まえに、九十九くんが帰った後に、がまんできなくて、九十九くんの机を開けちゃったの。ごめんね、別に縦笛を舐めたりはしてないよ。ただ、そこにあった、九十九くんの使い古した消しゴムを見つけたの」

 

 それでね、わたし、その消しゴムを食べちゃったの。

 

「……ッッ!!」

「おかしいよね? どうかしてるよね? どうかしてたと思うよね? わたしもそう思う。でも、九十九くんのモノを、食べちゃった──九十九くんがね、午前中のテストの時、消しゴムを使ってたシーンを思い浮かべながら食べるとね、とっても幸せでね、頭が弾けちゃったの。わたし、その時ね、オシッコまでしちゃったんだ。足がガクガクしてね、立てないぐらい嬉しくて、気持ちよくてね。自分のオシッコの上にへたり込んじゃったの」

 

 言いながら、小牧春奈は興奮していた。

 紅潮では済まないほど顔が真っ赤になり、呼気が強くなっている。

 スカート越しに、股の間から細い足に沿って、ピチャピチャと滴るものが見えた。

 

 小牧春奈は、ポケットから新しいカッターを取り出した。チキチキ……と音を立て、九十九の命を抉り取らんとする静かな殺意が立ち上がっていく。

 

「わたしね、九十九くんのことを考えると胸がきゅっ、てなるんだよ!? おかあさんにそのことを、恥ずかしいけど聞いてみたら、それは『恋』だって言ってくれたの! わかる? 恋だよ!? わたし、九十九くんのこと、大好きなんだって!!」

 

 小牧春奈は自分の頭を潰すかのように掴み上げ、垂れ流すよだれや鼻水や涙を一切気に留めずに捲し立てた。

 

「消しゴムで、あんなに幸せだったんだよ!? だったら、

 その太い指──

 その唇──

 そのおめめとか!?

 食べたらわたし、どうなっちゃうんだろうね? オシッコも鼻水も全部垂れ流れちゃうのかな!? 涙も全部こぼしちゃって、わたし、死ぬんじゃないかな!? わたし、九十九くんのこと、大好きだからさ!! 九十九くんのこと、愛してるから──!!」

 

 悍ましいほど可愛らしく、必死な顔で、小牧春奈は愛を叫んでいた。

 狂気であり、狂愛であった。

 小牧春奈の小さな身体のいったいどこに、これほどの殺意と熱量がおさまっていたのか、小牧春奈の肩からむわり、むわりと湯気が立ち昇っている。

 九十九は──

 

 九十九は、笑っていた。

 九十九は、泣いていた。

 嬉しかった。

 『愛している』。

 そう言われたことが。

 それが、おそらく、嘘ではないことが。

 小牧春奈は、真剣に、自分を愛している。

 小牧春奈は、この、デカくてキモい人間に対し、真正面からぶつかってきてくれるのだ。

 九十九は泣いた。

 涙が止まらなかった。

 愛されていいのか、俺は。

 愛を受け取っていいのか、俺は。

 母すらも、産んだ瞬間には侮蔑の眼差しで見ていた、この俺が。

 教師にすら見捨てられ、父からはいないものとして扱われている、この俺が。

 見てくれ、小牧春奈の眼を。

 サファイアの瞳が、真剣な眼差しで、愛と殺意を見事に同居させ、俺を射抜いている。

 剥き出しの感情、それを、俺に──

 

「うっ、うえっ……げ、げはあっ……」

 

 嗚咽が漏れた。

 息が詰まりそうだった。

 抱きしめてやりたい──

 その想いが、九十九九乃重という存在の、底の底から湧き出して仕方がなかった。

 この愛に、俺は、どう返せばいいのか──

 記憶を探る。

 たった11年の人生を。

 ひとつ、あった。

 ただいちど、母から愛を向けられた瞬間が。

 母を殴る父を、殴り飛ばした瞬間だ。

 刹那の間、勘違いと思うに十分なほど短い一瞬、母の眼の中に愛を見た。

 

 それを、やろう。

 俺は、それしか知らないから──

 

 九十九は拳をにぎりしめた。

 人生で、はじめて、これ以上にないほど力を込めて、握りしめた。

 股間が硬くなっているのを、ひっそりと感じていた。

 

「小牧さん──」

 

 言った。

 

「きみを殴る」

 

 泣き笑いの顔で九十九が拳を引いた時、小牧春奈は狂乱に心を震わせていた。

 

 

3.

 

 

 小牧春奈は左手にカッターナイフを握っている。

 刃を、限界まで伸ばしていた。

 必然、九十九の意識が左手に集中する。

 小牧春奈の有効打、本命はあのカッターだ。

 拳も、蹴りも、体当たりも、自分には通じない。

 だから、あの左手だけに注意すればいい。

 小牧春奈が左手を振りかぶって走ってきた。

 フェイントも何もない、たた振り抜くそぶりである。

 こともなげに、九十九は自身の左手で小牧春奈の左手首を握り、勢いを殺した。

 

 しゅぱっ、

 

 と音がした。

 なんだ──?

 思うのと同時に、九十九の視界が半分、赤に染まっていた。

 理由はすぐにわかった。

 九十九の左瞼が斬られたのだ。

 小牧春奈の右手に、別のカッターナイフが握られていた。

 左は、囮だったのか。

 小牧春奈は、自由な右手、刃を最小限に出したカッターナイフで、自分と九十九を結ぶ九十九の左腕をめった刺しにした。

 

 痛い──

 だが、離さない。

 この程度では、自身の肉までは切り裂けない。

 死ぬような傷は負わない。

 ならば、この、小牧春奈の()()()()は、是非とも受け止めるべきだと思ったのである。

 そう、これは愛情表現だ。

 俺を、心の底から愛しているのだが、小牧春奈にはこういうカタチでしか、愛を示せないのだろうと、九十九は思っていた。

 

 右腕で春奈の胸ぐらを掴む。

 途端に、鋭い痛み、指関節からの出血。

 襟の裏に、剃刀を仕込んでいる。

 それで、握り込んだから切れたのだ。

 滴る血を見て、春奈はさらに興奮を高めたようだった。

 悪魔的に笑っていた。

 だが、九十九は指を離さなかった。

 むしろ、より強く握り込んだ。

 春奈を離さないために。

 その愛に、報いるために──

 血が滲む。

 そのまま振りかぶった。

 九十九から見て左の壁に、小牧の背中を叩きつけた。

 

 げほっ、と小牧がえづいた。

 その隙に、九十九は──

 

 九十九は、小牧春奈を抱きしめていた。

 

 暖かい。

 九十九の肉体は、滴る血が緩く感じるほど、暖かかった。

 九十九は、泣いていた。

 春奈は泣いていた。

 九十九は、また、笑っていた。

 春奈もまた、泣いていた。

 ともに、良く似た、愛嬌のあるカタチをしていた。

 うん、と春奈は頷いた。

 うん、と九十九は頷いた。

 

 ふっ、と九十九が息を吐く。

 九十九は、春奈を思い切り抱きしめた──

 

 

4.

 

 

 孤独だった。

 小牧春奈という少女は、異質だった。

 人の世と、自分とは、別の世界を生きていると思った。

 春奈は、自分の胎内に、別の世界があると思っていた。

 

 小牧春奈が、まだ小学生になる前である。

 親しくしていた猫がいた。

 飼っているわけではなかった。

 小牧の親は、特に父親の方が、ペットを飼うことを厳しく禁じていたからである。

 その猫は、一軒家の軒下に、たまにはね休みをしにくる野良だった。

 野良にしてはしなやかな身体付きをしており、人嫌いの孤高の目つきを備えた、美しい黒猫である。

 小牧はすぐに、猫のことを好きになった。

 猫は小牧に我関せずと、好きに立ち寄っては気ままに過ごし、時に餌をもらい、時には餌にも遊び道具にも興味もなく振る舞い、その態度は春奈の好奇心を刺激してやまなかった。

 好きになっていた。 

 一緒におふとんでねたい、と思うようになっていた。

 

 ある日、春奈がこっそり猫を家にあげた。

 父は、仕事で今日には帰らぬと母に聞いていた。

 春奈は嫌がる猫を軽く洗ってあげると、その日の夜は、一緒にふとんに入って眠りについた。

 幸せだった。

 猫の身体は温かく、柔らかく、その時初めて春奈は生き物とは()()()()()()だと知った。

 

 次の日の朝、猫がいなくなっていた。

 寝ぼけまなこの春奈は、しかし、特に不思議には思わなかった。

 性分が気ままな猫である。

 夜に、こそりと腕から抜け出して、外に出て行ったのだろう──

 そう思って、部屋から出た。

 

 リビングに入るより前、春奈は、父に思い切り殴られていた。

 廊下に頭から強かに打ちつけ、春奈はわけもわからず泣き出した。

 ボコボコに顔を腫らした母が、父に飛びかかっていた。

 父は、母の鼻っ柱に肘を打ちつけて引き剥がした。

 

「おまえは悪い子だ!!」

 

 父は怒鳴り上げた。

 母がうずくまって、ごめんなさい、ごめんなさいと囀っていた。

 猫の死体を、父は、さも汚らしいものを持つ持ち方で、春奈の前に突き出した。

 物言わぬ、ボロ雑巾のようになった猫の姿は、春奈の歪んだ思考でも、それが何を意味し、これから自分がどうなるのかを、ハッキリ明示していた。

 

 春奈はその日、学校にいけなかった。

 学校には風邪のせいだと父から連絡が入っていた。

 夕方、猫の死骸と共に、庭に放り出された春奈は、父の機嫌がなおるまで、母が、もうしばらく父のご機嫌をとりきるまでは、敷居を跨ぐことはできないと悟っていた。

 

 春奈は泣いていた。

 涙が、とめどなく溢れていた。

 別に、自分の身体をしこたま殴られたから、泣いているのではない。

 痛みは慣れっこだった。

 身体の痛みは。

 だが──これは違う。

 目の前で、どんなに頭を撫でても、頬をつまんでも、物言わず地面に落ちる猫の死骸──その肉の硬さと冷たさ──を実感して、それが耐えられなくて、春奈は泣いていた。

 

 春奈は、改めて、この名も知らぬ猫のことが好きだったと思い知った。

 猫に、せめて、これ以上冷たくなってほしくなかった。

 家の中には戻れない。

 春奈は身体を引きずって、庭を散策した。

 倉庫の中から、錆びた高枝ハサミを見つけると、横たわる猫の前に立った。

 

 大丈夫。

 そう言った。

 もう、冷たくならないよ。

 そうも言った。

 

 あくる日、父の機嫌が直り、母が朝ごはんの準備を済ませた頃、春奈は家に入ることを許された。

 春奈が猫を、ドブに捨ててきたと言うと、父は極めて柔和な声で、極めて朗らかな表情で、高らかに家族への愛を謳いあげた。

 春奈の頭を撫でて、その身体をそっと、優しく抱きしめた。

 

 春奈は泣き止んでいた。

 父の声は、遠い世界の出来事だった。 

 額にキスをされても、もう、なんとも思わなかった。

 目を閉じれば、自らの胎内に耳を澄ますことができた。

 なぁ、と言う声がした。

 あの猫の、興味なさげにこちらを振り向く、しなやかな振る舞いが浮かんだ。

 

「ひ、ひ……」

 

 春奈は笑った。

 父の腕の中で。

 

「ひ、ひ、ひ、ひひ、ひひひ、ひひひひひひひひひひ」

 

 春奈は笑った。

 すごい。

 何も悲しくなかった。

 すごい。

 何も虚しくない。

 ずっと、いっしょだよ。

 これからは、ずうっと。

 何があっても辛くないよ。

 わたしは大丈夫だよ!

 きみが、いっしょにいるからね……

 

 春奈が泣かなくなり、質実ともに父好みの優等生となったのは、その日からだった。

 

 その、3年後だった。

 春奈の父が行方不明になったのは。

 その、1年後だった。

 春奈の家からおよそ550キロ離れた山中で、父の遺体が発見されたのは。

 

 父の肉体は、眼球をえぐられ耳を削がれ、舌を引っこ抜かれて、四肢を失っていおり、絶叫の表情であったという。

 その他にも、ひどく損壊して、野生動物に弄ばれたもいうより、何者かの悪意によって、酷い拷問を受けて死んだのではないかという状態だったという。

 

 春奈と母は、警察からその報告を受けても、「そう」と短く頷いただけであった。

 

 

5.

 

 

 煮えたぎる想いが灯っていた。

 九十九の体内に、肉の(うち)に。

 目の前で、糞尿も鼻水も涙も涎も血も、およそ、ヒトが体外に出せるほとんどの液体の溜まりに沈む春奈を見て、九十九は燃え上がる何かを感じていた。

 ズボンの中が湿っていた。

 陰嚢が縮み上がり、肉棒が熱を持ち、聳り立って仕方がなかった。

 それを冷やすような感覚がある。

 初めて、九十九は射精していたのである。

 

 春奈は笑っていた。

 血か涙かどうかわからないものに瞳を潤ませて、九十九を見上げていた。

 

「小牧さん──」

 

 九十九は言った。

 

「俺は、アナタが好きです」

 

 指が、腕が、今更になってジクジクと痛み出した。

 心臓が大きくなっていた。

 顔に熱が集まっているのを実感していた。

 

 春奈の口が動いていた。

 

 わたしもです。

 そう言っていた。

 言葉にならずとも、九十九にはわかった。

 

「俺と、付き合ってください」

 

 九十九はピシリと姿勢を整えて、丁寧に頭を下げて、言った。

 

 なぁお、

 

 と、どこかで猫が鳴いていた。

 




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