なので中身もそういう感じになるかと思います。
令和へ反逆のバタフライ泳法。
第1話:神薙怜司、地球最後の朝
人類が空間歪曲型のワープ理論を完成させたことで地球という箱庭を象徴していた西暦を廃止。
そこから惑星開拓時代とする宇宙歴に名を変え、無人の惑星群に対して人類は三百年ほど足跡を刻み続けていた。
地球は研究型惑星と再定義され、豊富な環境資源と実験場が大部分となった旧日本国にある研究棟のとある一室。
そこは外と同じ、まるで春のうららかさを感じる清浄さと軽快な空気に満ちている。
──そんな軽快さとは裏腹に、この研究室の主である神薙怜司は、もそもそと歯磨きをしていた。
普段ならば怜悧さと不敵さを併せ持つ切れ長の一重が、どこぞへの文句を言いたそうに半開きになっている。
人類技術革新の為に作成している事象解析補強システム《エイエーゼロ》の主任研究者にしては、あまりにもポヤッとした朝だった。
ゆらゆらと首が上下に動き、軽く整えただけのミディアムな黒髪が柔らかく揺れる。
鶏が鳴き出すくらいの朝だ、自室とほぼ兼用している研究室には彼しかいない。
だからこそ怜司にとって、最も落ち着き、集中ができる時間と場所でもある。
うがいまで終わり、のっそりとした歩みで窓無しの戸棚から珈琲豆が入った瓶を取り出す。
西暦から連綿と受け継がれているコロンビア産の珈琲豆を、手ずから挽いてポットを持ち上げた。
左手で持ち上げたポットから微かにたなびく湯気に揺れて黒髪がふわりと動く。
怜司はそれを避けるように顔を少しだけ逸らし、右手に意識を集中させた。
この時代で脳に拡張装置を付けずに生活するのは余程の偏屈者か、億分の一以下で存在するという非適合者位だろう。
いずれにせよ怜司は見た事が無いし、興味も無かった。
適量をマグカップに注ぎ終え、自分のデスクへ向かい、席に座る。
そして怜司はマグカップを傾けて一度だけ口に含み、ゆっくりと嚥下して瞳を強く瞑って刺激を与える。
それら一連の動作が彼の仕事を始める際の儀式だ。
「──始めるか」
そして今日の仕事は九割がた完成しているシステムに対する最終テスト。
一回の時間はそこまでかからない。
精々昼食を取るぐらいの時間で十分な結果を得られると踏んでいた。
「脳神経接続再開──《エイエーゼロ》起動」
怜司がそう発声した瞬間――
【LOG-SYS-001】
【Analysis and Augmentation System / ZERO】
この二行が視界の中心部に表示される。
それは自らの脳に仕込んだナノサイズの機器が起動した証拠だ。
001の値が002へ、本人認証を通して003へ、そこからはあっという間の3桁台へと順調に進んでいく。
大きなあくびを一つ。
それが出終わるころには【SYSTEM ONLINE】と、全てのチェックが正常に完了したことを示す文字が示される。
その文字が【WELCOME BACK】と変化し、視界の右隅に移動してスタンバイモードに入り、同時に今しがた脳に保存されたデータを思い出して、怜司は結果に満足した。
(ログを見る限り、やはり長期スリープモードから異常復帰問題は無事解決できた。これで最後の課題は負荷テストのみになったか、流石は俺。ならお次は──“地球の表層データをキャッシュごと破棄。最初から解析を行え、報告は聴覚のみで良い”)
『【LOG-ENV-121:システム起動】』
口にせず心で命ずると、システムは無事怜司の聴覚に響くような形で情報を渡した。
勿論これは幻聴だ。脳へそういう処理をシステムが行ったに過ぎない。
珈琲を一度、口の中に軽く含んで嚥下する時間で結果は帰ってきた。
『【LOG-ENV-121:処理完了】』
マッピングデータを脳とリンクさせ、誤差を確認する。
ゼロだ。
怜司は小さな笑みを零し、やがて咳ばらいを一つ。
ここまでは予定調和。次からが本命であるからして。
「“システム保存領域から全惑星データのみ初期化、再解析を開始。脳負荷は幻覚・幻聴レベルの意識損傷まで許可する。結果は、あぁ──」
そこまで口にして、ようやく怜司は緊張のあまり脳神経接続から命令しているのではなく、口に出して命令していることに気づいた。
この短時間で珈琲によって潤いがあった口内は、既に乾きはじめてもいた。
我ながら緊張すると独り言のように喋ってしまう悪癖はどうにかならんものかと苦笑しつつ、命令文をそらんじる。
「──結果は、まぁアレだ。システムと俺の脳で突合。不備が発生した場合はセーフティモードに切り替え。報告は視界に出してくれ"」
視界に状況開始の文字、そして突合した結果、同一であるという事実が羅列されていく。
同時に僅かな疼痛が頭の中に湧き出てくる。
本来は外付けかつ大型の機材を使って行う規模の負荷実験をやろうとすればこうもなろうというもの。
だが、このシステムが完成すれば脳への簡易的な手術を行うだけで同じ処理が行えるようになる。
そうなれば宇宙船に搭載しなければならなかった大型基幹システムは刷新される。
その分の対費用効果は長期的に見れば計り知れない。
宇宙船をワンサイズ落とせる、或いはその分物資を積み込みできるのは偉業といっても過言ではない。
だからこの穴倉生活を志願したのだ。負荷実験の失敗を重ねていけばいずれ終わりを迎える。
そうなればシステムは販売され、自分は晴れて次の研究に没頭するだろう。
それは最早、いつものサイクルといっても良い。
「それにしても我ながら中々なことを考えたもんだ……あ痛っ……だぁくそ、反対されたが今のところ問題なしか」
皮肉にも愛想にも見えるとも言われる、いつもの曖昧な笑みで痛みを押し殺し、独り言を呟く。
これから何十も失敗するであろう負荷実験で、彼は痛み止めを使わない方針でいた。
まずはプレーンな状態で成功してから痛み止めによる影響測定を行うことを想定しているからだ。
痛みが徐々に強くなるが、珈琲を更に二飲みすることで自分を誤魔化す。
現状、うまくいっている。
自身にある元々の記憶と再取得された記録の一致も確認済みだ、解析は完璧に動作している。
代わりに頭痛と不快さに磨きがかかりっぱなしだが、これだけの負荷をかけて尚、耐えられる事の実証は今のところできている。
そうなることは前回の事故で、脳負荷の限界を把握できたお陰だ。
後は負荷のかけ過ぎで解析速度の低下等の不具合を検知できれば良い。
最悪システムクラッシュ、それに引きずられた自分が気絶しても問題ないと考えていた。
死ななければ問題はなく、問題点は修正してリトライすれば済む話なのだから。
──そう、思っていた。
【ERR-NET-10111:存在未実証領域からの不明な通信を検知】
【警戒モードへ移行、情報パターン解析開始】
「……なんだって?」
聴覚と視覚に入る警告に怜司はいつもの笑みすら消して硬直する。
存在未実証領域、つまり人類が認識していない外宇宙からの通信が入ったというのだ。
まず怜司は自身の耳目を疑い、次いでそんなバカげた情報を受け取った自身の脳を疑い、最後にようやくシステムを疑った。
前提として解析範囲は自分がいる場所、今回は地球から放射状に探索していくように設定をしていたにも関わらず、全てが終わる前にそこを引き当てることは有りえない。
まだ太陽系の精査が仮で終わった段階なのだ。
頭痛と予想外の事態に怜司は混乱する。
【ERR-SEC-191:セキュリティシステムの無意味化を検知】
【ERR-SYS-0002:中枢システムへの侵入を検知】
脳が焼けるような錯覚。視界は白く千切れたノイズまみれのものにすり替わった。
「ガッ!? グぅ……“システム間の接続強制中止っ今すぐにだ!!”」
激痛が脳を焼く。それでも怜司は歯を食いしばって判断した。
接続を切る。
電源ごと落とせばハックは止まる。
気絶はするが、死にはしない。
あとは定時前に上司が見つけてくれることを祈るだけだ。
しかし、その判断は遅かった。
視界を埋め尽くすエラーログ、聴覚に響きっぱなしの失敗報告。
全てが最悪だった。
いもしない外宇宙生命体用のエラーコードが、よりによって今起動するなんて、誰が想像できるか。
冷静さを失い、パニック状態となった彼の状態は結果として致命的だ。
激痛で無意識に振り回した手がマグカップにあたり、床に落ちて叩き割れる音と最悪の報告が届くのは同時。
【LOG-ENV-2311:未確認の転移接続を検知】
【地球からシステム搭載者の転移開始を確認】
「バっ……これ、つまり誘拐──」
不明領域と自身のシステムがつながったことによるワープが発動したと報告を受け、終わらない痛みと膨大なエラー量に痙攣する怜司の脳裏にアブダクションという言葉が浮かび。
ついに椅子から転げ落ち、目の前にある割れたマグカップの欠片と珈琲の残滓が真っ白な床を汚していくという視界情報が徐々に茶色に染められた木製の床らしい模様と重なり出し。
【ERRRRRR―—RRRLOGERRRRR:——接続——転———】
見えていた筈のエラー情報の赤い文字がまるで癇癪を起した子供が絵を描いたような滲みかたをし。
ワープ特有の空間の座標が書き換わる感覚と、大きな津波が建物にぶつかった時のような残響音を何度も聞いて。
二度と戻れない可能性とワープ先でどのような扱いを受けるかを想像し、怜司の理性は一瞬にして凍り付いた。
いつもの飄々とした態度も、皮肉めいた笑みも、無意味化されるほどの衝撃と恐怖。
「“全ての星図を白紙化しろ、頼む……!! ”」
緊急時の規則に従った、半ば技術者としての矜持と意地を絶叫に変えて。
やれることをやった後に思ったことは場違いにもほどがある、妙な心配だった。
(割れたマグカップと珈琲、誰が片づけるんだコレ……)
痛みの奔流の底に引きずり込まれるさなか、呆れたような、皮肉気な笑みを一つだけ零し。
そうして、怜司の意識は電源を落とすような呆気無さで一度途絶えた。
ちゃんとした設定関連は活動報告で書く予定です。
本文読むのに邪魔になると思うので。