冒険者ギルド正面、右手側の小扉から入った怜司は眼を瞬かせた。
幅も奥行きも百メートル近い空間がそのまま広がり、喧噪と魔導機構の駆動音が薄く反響している。
ロビーの中央は三階まで吹き抜けとなっており、柱が綺麗な等間隔で天井へ伸びていた。
解析するまでもなく、床や壁面、そして柱の素材は同一のものであり、構造の補強を兼ねて可視化されている魔力が循環しているように見えた。
中央を見れば、直径十メートル程の円盤状の台座に、大扉から輸送してきた荷台の中身を丁度降ろし終えた冒険者達がいた。
台座の周囲には腰の高さほどの金属柵が巡らされ、さらに柵の内側には淡い緑色の魔力光が展開している。
大きな象牙に似た牙が三本。
人を丸呑みできそうな巨大な紫蛇の死骸。
そして人間の肋骨のような白い骨がダース単位で置かれていた。
一体何を、とヴァルナへ追従する速度だけは変えずに視線を固定していると、彼らは台座から小走りに離れる。
直後、台座からガコンと大きな音がした。
吹き抜けの部分の全てが緑色の魔力光に覆われると同時、静かに台座が下へと沈み込んでいく。
どうやらあれは大型のリフト。となるとこの吹き抜けはリフトの昇降用か、と怜司はアタリをつけた。
【魔力による障壁を検知、物理的強度は鋼鉄に準拠】
(落下防止の安全対策もキッチリしている……これがあれば運搬は楽だな。冒険者が持ち帰った素材の査定もこの建物で行うんだっけか)
魔力障壁越しに吹き抜けを見上げれば、職員たちが書類の束を抱えて行き交う姿が見える。それに加えて規則正しく、何かを打ち鳴らす音も聞こえる。
(確か、大型の素材加工所が地下で、鍛冶屋と工房は二階だったな)
あげていた首を降ろしてヴァルナの姿を探そうとした時、視界の隅に妙な物が映った気がした。
紙が飛んでいたような。風も無しに?
「――はぁ!?」
視線を向けて素っ頓狂な声をあげた怜司に、ヴァルナは背を向けたまま手をヒラヒラと振って見せた。慣れろということなのだろう。
しかも掲示板は四つ。緑、橙、赤、黒色があった。
ギルドのカウンターからは各色の掲示板へ一定の間隔をもって張り付けていることは解った。
「エリシエル、アレ、何?」
驚きすぎてカタコトめいた言葉を発した怜司に、エリシエルは何の感慨も抱かない声で返した。
「ギルドの依頼掲示板よ。朝昼夕それぞれのタイミングで一括で張り出されるわ。緑が受注可能、橙は受注済みのスペアの用紙で赤は何らかの理由で破棄されたもの。黒は緊急時に使われるわ……あんな風にね」
見るとギルドのカウンターから血相を変えた職員が走ってきて、依頼書を黒の掲示板に叩きつけた。
すると、掲示板の隅にあった魔導灯が回転し始める。
近くにいた冒険者達がそれを眺めては、溜息をついて緑の掲示板へ流れていく。
「緊急時って事は、余程ヤバイものが発注されているってことか?」
「その理解で問題ないわ。それと指名されたものもあそこに。ただ、金に糸目さえつけなければ人探しや物探しでも張り出されることはある。それを狙う人もいるのよ」
「あー、楽して稼げるってわけか」
こくりと頷くエリシエル。
「そろそろ行くわよ、ヴァルナが待っている」
怜司はようやく掲示板から視線を引き剥がす。杖で示された方向へ視線を向けると、ロビー奥には受付カウンターがパッと見ても十列以上、配置されていた。
中央は冒険者で混み合っているが、隅の登録・初心者窓口と記述されたカウンターだけは比較的空いている。
ヴァルナは迷わずそこを選んでおり、職員と手際よく話を進めているようだ。
エリシエルと共に怜司がヴァルナの近くまで移動すると、
「――んじゃあ、コイツの冒険者登録を頼むよ」
丁度眼鏡をかけた受付嬢と話を付け終わったようで、ヴァルナはエリシエルの肩をガシャンと叩き、
「じゃ、アタシはちょっくら
「貴方、本当に……」
エリシエルの小言をさっくりと無視し、雑踏の中へ消えていった。
ここで放置するのか、と呆れる二人に対し、受付嬢は淡々と言葉を渡す。
「あなたが神薙怜司さんですね。アルンハイム卿から通達が来ております」
(……“アルンハイム卿?”)
【門番:コンラート・アルンハイムと推定】
つまり貴族って奴か。成程、そりゃあ帝都で会うかもしれないと納得する。あの立ち居振る舞いも貴族教育の賜物か。
「ええと、コンラートさんの事ですか?」
「はい。記憶喪失であり、魔力反応が無いと。ここに来るまで体調に問題は有りませんでしたか? 記憶喪失による魔力低下は極端になるほど頭痛や幻覚、幻聴症状が出ますので」
「ん? いや、特にそういう感じは無いですね。いつもと特に変わりはないかなぁと」
首を捻りながら答えた怜司に、多少ながら受付嬢の興味を引いてしまったようだ。
「それは……珍しいですね。魔力反応が無い方は、記憶喪失や精神疾患が重くなる傾向にありますので」
「えっ。あー、まぁ、そうですね……確かに何も覚えていない、と思います」
右足のつま先にコツン、と靴が当たった。誰のものかなんて確認するまでもない。
右手からじっとりとした空気感が吹き込んできているから尚更そりゃもう。
「記憶に関しては治療を受ければ問題ないと判断しているわ。彼の判断力と理解力を見るに、彼の能力は問題無し。道中での行動に異常も無く、問題を起こすような人間性は確認できなかった。これがその報告書よ」
努めて自然に二人の間に割って入ったエリシエルが、怜司の行動記録書を受付嬢に渡す。
これまでの旅路の行動を細かく記録しているものだ。
怜司が思っていたよりも厚いそれに、受付嬢は特に感慨も無く受け取った。
慣れている所作だと怜司は感じた。それはつまり、エルヴァリエの完全記憶能力は当たり前のものとして社会に受け入れられているという事だろう。
また中身を検める為にパラパラっとかなり早く捲っている事から、速読能力があることを窺わせる。
怜司がシステム抜きで同じことをやれと言われたら速読技能のインストール後なら出来るかもと答える位は早い。
受付嬢というのはそういう特技も必要なのかもしれない。
「――確かに、エルヴァリエである貴方から見て問題ない記録が並んでいますね。先ほどヴァルナさんからも問題ないと太鼓判を押されました。お二人の保証があるので問題無しとします」
そう言って、職員は手元の端末に指を滑らせると淡い光が走り、怜司の名前や外見の特徴が記録されていく。
「本来ならここで出身地なども記録するのですが、今回は記憶喪失とのことで空白で記録しておきますね」
「ありがとうございます」
全ての作業が終わり、端末をカウンターの隅にある金属の上に乗せる。すると、金属が削られる音が響く。
暫くすると音が消え去り、受付嬢が端末を手に取ると、金属がカード状に切り取られているのが見えた。
共通語でレイジ・カムナギ、ランク土級と刻印されており、色もそれに準じている。
「どうぞ、これに魔力を……あぁそうでした。魔力が無いのでしたね」
手渡されてしげしげと眺めているだけの怜司に、受付嬢が困ったように呟き、手元の端末で何かしら確認して溜息を吐いた。
「すいません。間が悪く、病院での記憶修復は一か月先まで埋まっていますね」
「あー、それは全然構わないんですが、魔力が通せないと何か不都合があるってことですか?」
「帝国内に限って言えば魔導工学を軸にしているので、魔力が無いと色々不便ですね。例えばですが室内暖房のスイッチ、ドアの開閉等が全て手動になるので、そうですね……あの大扉を開ける事は出来ないと思います」
「――確かに、どう頑張っても無理ですね。他の記憶喪失になった方だとどうしてましたか?」
「ギルド証があれば基本的には識別できるので、失くさない限りは不便に感じる事は無いかと。ギルド証については物理的に破損する事はありますので、その場合は登録元のギルド証をコピーして再配布しています」
魔導による近代化、管理社会となればそうもなるかと感じた怜司は腕組みをして手段が無い事に溜息を吐いた。
魔力なんて器官、地球人的が持っているわけないのだ。病院にいったとて、治すべきものが無い。
これからの生活に暗雲が立ち込めたのは事実として受け入れるしかない。
先ほどから試しに握り込んだり気合を入れたりしているが何の反応も無いし。
いや待てよ。
(“ギルド証をスキャン。魔力を通す回路に欺瞞情報を送信できるか調査をしてくれ”)
【調査開始......欺瞞情報に必要な魔力生成構築手段を模索......情報不足により不可】
(まぁ、流石にか)
道中で大気中にも魔力が酸素のようにあることはわかっていたが、それを取り込むことはどうしてもできなかった。ギルド証と大気中の魔力を直接組み合わせる、或いは怜司のシステムがバイパスとなる事でどうにかなる可能性も、これで潰えた。
困ったな、と頭を掻く怜司に受付嬢が慌てた様子で、
「あぁすいません、不安にならなくても大丈夫です。今回のようなケースは珍しいですが、方法は無いわけではありませんから」
「というと?」
「エリシエルさんのギルド証に登録している魔力とパーティ情報を怜司さんのギルド証と紐づける事で、一時的にですが簡単な魔導具の発動ができるようになります」
(成程、他者の情報と魔力を紐づける事で信用情報と魔力の蓄積装置を兼用させているってことか……けど、それって俺が犯罪者になったら下手しなくとも連座制って事にならないか?)
それで良いのかと怜司がエリシエルに目線を送ると、フードが縦に動き、自身の胸元から銀色に鈍く光るギルド証を取り出して受付嬢に渡した。
(クラスは銀、か。金とどっちが上なんだっけ?)
「銀は上から三番目よ。上から
「お、おぉ、良く分かったな……」
「ヴァルナのギルド証を見た貴方なら、気になると思っていたから」
短いながらも一緒に旅をしていたのだ。
しかも帝都でわかりやすい位、技術者としての目線で物を見ていた怜司に対し、ぐうの音も出させない言葉を手渡ししたエリシエル。
「はい、登録完了です。それと、こちら初級者向けの説明書もお渡しします。魔導具の扱い方や依頼の流れや地図など、最低限の情報が纏まっていますので、必ず目を通してください」
「ありがとうございます、助かります」
およそ五十ページ程度の薄い冊子だ。
魔導具については使えるかは定かではないが、一度試せば済む話であるし、依頼回りについても知っておく必要がある。
パラパラと捲ると文字よりも絵にページを割いているようだった。
文章より視覚的にわかりやすい方が助かるのは確かにそうだ。常人でも時間も大してかからない内に覚えられるような工夫がされている。
言い換えるとこの世界の常識を何一つ知らない怜司でもちゃんとわかるレベルで描かれており、この書いた絵師と構成者は相当の腕だなと感心する。
同時に本による知識伝達という手段は、この大陸において常識レベルの事でもあるということがうかがい知れた。
(地方民でも読み書きができる可能性があるって事だな……識字率が高い大陸か、旧暦の地球じゃ考えられない位だ。何がどうしてそうなったか、どこかで調べてみるか)
怜司の知的好奇心がそこへ向くさなか、エリシエルが声をそっと渡してくる。
「白紙領の報告があるからもう少し待っていて。終わったら声をかけるから」
「了解」