待つにはギルドカウンター前の待合席が良いだろう。空いているのだし問題ないだろうと判断して座り、貰った冊子を読む。
そこには冒険者ギルドの成り立ちや階級、建物の構造、冒険者区の説明と周辺地図が記述されていた。
だが怜司が特に気を引かれたものは、巻末の見開きで描かれている此処シェオル大陸の地図だ。
北西は今いるアレクサンドリアーク帝国があり、そこから時計回りに見れば隣国は北国のエルヴァリエが治めるエルヴァリエ樹盟。
東にはストレアとフロレア、そしてフロストレアと呼ばれる地霊達が集合し、広大な領地を持つ地霊連邦。
今いる帝国とは真逆に位置する南東には同じヒューマ主軸ではあるが、宗教国家であるカルナ=ガイア神聖国。
南はノクタリエが治めるヴェルノクタがあり、最後に南西にはまるで背骨のような太く一本通った火山帯に、ドルヴァ火山王国という地下活動を主とする国がそこにあるというのだ。
(確か、エルヴァリエは完全記憶能力を持っていた。という事はこれは常識的なものとして作られた可能性が高い。にしてもこの精度の高さは……)
残念ながら種族の詳細に関してはこの冊子には書かれておらず、どういう姿をしているかも定かではない。
ただ、こんなに国がある上に白紙領外縁部からここまでかかった時間から計算してみると、この大陸、恐らくはオーストラリア大陸程度の広さがあるということだ。
システムになるべく頼らず、知識として記憶する怜司の思考は興奮に染め上げられていた。
(冒険者制度も凄いな。帝都の冒険者は国内外の出入りも考慮しておおよそ二万人で、このギルド内の職員は約二千人か……いや凄い規模だ。いざとなった時の傭兵代わりとして考えると、帝国の魔導軍事国家という肩書は伊達じゃあない。それにこの建物も、受付や素材加工、武具作成に病院まで入っている。流石に上階については何も書いていないが、それでもここだけで一つの省として機能しているのが丸わかりだ。それに帝国のみならず全国に冒険者ギルドが存在しているとなると、ギルド自体の権力は一つの国家と言っても良い――)
感心しながら読み耽っていたその時。
【怜司とエリシエルに対する視線、同一人物から二十回検知】
【閾値を超えた為、監視と推定】
【距離、背後十メートル】
(……“監視者の解析と特定を。警戒範囲内に存在した場合、赤色でマーキングを指定”)
自身の背後に赤色のマーキングが付与された事を受け、軽く伸びをしてストレッチを行う。腰の捻りを加えて一瞬だけ視界に捉えて、すぐに体を戻す。
そうしてゆったりと座りなおして本を読むフリをしながら、システム越しに記録した情報と自身の視覚で見た記憶を照合した。
(身長は俺と同じ百七十二ぐらいの男で三十過ぎ位だな。何というか、何処にでもいそうな顔と佇まいをしている。少なくともヴァルナ達程の圧は全く感じられないが、いつからだ?)
怜司はシステムに蓄積された記録を逆再生していく。
システムの記録方式を完全記録に指定したのが幸いした。
視覚と聴覚を合わせた仮想現実を構築し、倍速で戻してみれば、どうやら冒険区に入った瞬間から尾行されていた事が映像として視界に映った。
流石に絶句する。怜司自体には心当たりが無いのだ。
あるとすればエリシエルか、ヴァルナだろう。冒険区に入った途端にそうなったのなら猶更だ。
そう思い込もうとした瞬間、アルンハイム卿の手のものというのも可能性としては無い事は無い事実だと思い当たり、溜息をついた。
なぁ溜息、もうお前は家族だ。ゆっくりしていけよ。
どの道、監視されている事は後々言っておいた方が良いだろうと判断し、一旦考察をやめるべきかを考えていていた、その最中。
「これは本当ですか、エリシエルさん!? 白紙領にこんな変化があったなんて……!!」
耳朶に驚愕という言葉を体現したような勢いと色が入った受付嬢の声が聞こえ、喧騒が止まる。
同時に探りをいれるような視線がこちらからエリシエルへ固定されたようだ。
すぐにそれらは再開するだろうと踏んでいた怜司だが、流石に三秒も時が止まったかのような静寂に包まれていれば気にもなり、一旦仮想現実を切って首を上げる。
(んん? なんだ、皆エリシエルを見ている? いや違う、二人を見ているのか)
そういえば白紙領に変化があるのは三百年ぶり、とかだったか。
恐らくそれ絡みで注目を集めているのだろう。
怜司にとってそれがどういう事態なのかはきちんと理解できていないが、白紙領へのアプローチをしてくれるなら地球に帰れるチャンスが増えるのでむしろ助かる、という気持ちしかない。
「報告書に記載したことが全てよ」
「あ、ありがとうございます。これはすぐに報告させて頂きます。後程ヴァルナさんにも話を伺わせて貰いますね」
「えぇ、そうして。私は彼に宿を案内するから、これで」
そう言ってエリシエルは受付嬢から離れて、怜司の方へ向かってくる。
その身に好奇の視線を受けながらも全く頓着せずに彼女は怜司の前に立ち、
「行きましょう」
と声をかけた。
本を閉じ、立ち上がって後ろに続く。
例の男は小扉側の壁に背を預け、何をすることもなく視線を彷徨わせており、通り過ぎても何の反応も示さなかったように見えた。
だがシステムは男の全身の筋肉に微かな緊張が走った事を検知している。無意識化での行動だ、例え訓練していようとも流石に抑えられるものでもない。
全く、色んな意味で一体どっちなんだと口の中で溜息を飴玉のように転がす。
小扉から外へ出て三分程度の時を経て、尾行されていないことを確認した怜司が横手に居るエリシエルに声をかけた。
「あー、何か尾行されるような事、やってた?」
「――いえ。何時から?」
「ええと、冒険区に入ったあたりからだったな」
「そう、今は?」
「着いてきていないな」
「なら捨ておきましょう」
バッサリと切り捨てたエリシエルに、何故という視線を向ける。
その視線が来ることがわかっていたようで、フードを左右に揺らして彼女は答えた。
「私達の宿はここ半年は変えていないから尾行の意味は無い。となると怜司、貴方への興味でしょうね」
「え、俺?」
「どんな情報でもお金にはなるもの。私とヴァルナが連れてきた人物に興味が湧いたから派遣したと考えるべきよ。けれど、白紙領に動きがあったとわかった以上、私達にかかずらう事は絶対に無いわ。暫くは盗賊ギルドも白紙領にかかりきりになるでしょうね」
「成程なぁ。盗賊ギルドもあるなら、暗殺者ギルドもありそうだ」
「――貴方が本当に白紙領の調査をしたいなら、それを出さない方が良いわ」
そう言って口を噤んだエリシエル。
その反応を見て、つまり帝都には少なくともそういう組織群がある事と、口外していると迂闊に死ねる可能性があるという指摘だと気づき、頬を引きつらせる怜司。
話題替えの為、冊子に書かれていた宿について確認をする為、口を開く。
「そういえば三つ質問がある。土級に泊まるお金は借りれるってことで良いのか? それと、君達とはどうやって連絡を取れば良い? 連絡用の魔導具が宿別にあるっていう事かな?」
「何を言ってるの。貴方は私の宿で寝泊まりするのよ」
「……もっかい言ってくれない?」
「安心なさい、依頼を受ける少し前、同じ階に一つ空きが出来ていたから、そこに住んでもらうわ」
もしかしなくても死んだって事じゃないかそれ、と喉元まで出かかった言葉を呑み込む。
そんな事実確認、流石に怖くてやりたくない。
それに加えて遥か上のランクで寝泊まり、怜司にメリットがあってもエリシエルにはデメリットしかないハズ。
「いや、そんなお金ないんだが」
「ヴァルナと私の持ち出しで問題ないわ」
「いやいや、流石にそこまでして貰う必要はないんじゃないか。良いよ土級が住む宿で」
両手を振って断ろうとする怜司に、エリシエルにしては珍しく、大きく肩を上下させ、ゆっくりと視線を合わせた。
どこまでも澄み渡る蒼色の眼が、怜司の顔を捉えて離さない。
真正面から見据えられる絶世の美女の圧力にたじろぎながら、せめてもの確認を投げかけた。
「あー、じゃあアレだ。何でそこまでする必要が?」
「冒険者の作法も常識も知らない中で土級の宿に入れてみなさい、何処かで間違いなく失言するわ。銀級ともなれば余計な詮索はしない。それに貴方と私は約束をしている。知りたいことは私達が教えるし、調査も協力すると」
なんとなく解っていたことだが、約束の裏にあるのはそこまで信用されていないという意味だ、コレは。
同時にエリシエルの眼についても詮索されたくない故の手段だと認識した怜司は、渋々と頷いた。
「……成程、一旦理解したよ。でも良いのか? 上から数える方が早いクラスの宿なんて高いだろう?」
「そうね。けれど、私は銀、ヴァルナは金。宿代が払えないわけないでしょう。どうしても嫌なら約束ではなくて、取引と考えなさい」
「わかったよ。ありがとう」
溜息を一つ路地に転がしてから、改めて礼を言う怜司に、エリシエルが幼子のように眼を瞬かせて思わず呟く。
「――貴方、何にでも礼を言うのね」
「してもらったことにお礼を言わないと、それが当たり前って考え出すからな。そういうの嫌なんだよ、俺はさ」
「そう」
ふわっとした言葉が怜司の耳朶に入り込む。その表情は殆ど変わらない。
しかし眼差しが柔らかなものに変わっている事に気づくが、指摘するほど野暮ではない怜司はそのまま視線を切って宿へと歩み続けた。
勿論、様々な物質や人を見て眼を輝かせてはしゃいで回る怜司に対し、エリシエルの温度が元に戻っていくのは致し方ない事だったが。