パチリ。
スイッチが切り替わるような目覚めだった。
怜司は動かずに息を一つ吸う。
空気の成分はほぼ同じのようだ。生きている。
次に自身にかかる重力は以前に月へ外出した経験等も踏まえて、恐らく地球と同じ程度。
また鼻孔へと流れてくる匂いはどこかで嗅いだような気がする木の香りと埃っぽさが感じられた。
そこまで推測を重ねて、それでも流石にこの状況においては迂闊に眼を開かず、眠ったフリを続けながら怜司は思考を回し続ける。
(“脳神経接続再開――《エイエーゼロ》起動”)
問題なく【LOG-SYS-001】と瞼越しに表示されるログを見て、微かに安堵する。
先ほどまであった解析負荷による頭痛は綺麗に消え失せていたこともあり、もしやシステムが脳から取り出されたのではないかという不安から即時で起動させてみたが、何ら問題はなかった。
だが直ぐに異常に気づく。
意識を失う前の再起動よりも遥かに起動からシステムチェックまで異様に遅い。
まるで常時特殊な負荷、或いは制限をかけているような、体感的にはまるで水中を四つん這いで進むかのような遅さだ。
(確かに異常が出そうではあったが、果たしてどれくらいで終わるんだ……?)
若干の焦りを覚えつつ、起動完了までの空き時間に予測を立てる。
最悪、無理矢理なワープで物理故障。
次点で強制中断によるソフトウェアのバグが再発か、特殊ケースでの発生。
あるいは転移先との接続が続いている可能性。
最後のケースだけは早急に切断が必要だが、起動完了まで指令は受け付けない。
技術者らしくない選択肢だが、祈るしかなかった。
ともあれ、再起動が異常なく終わらなければ、覚悟を決めて眼を開けるしかない状況だ。
様々な可能性を検討している
(“転移先との接続状態と攻撃、脳やシステムストレージへの影響は?”)
【未接続状態。攻撃未確認。保存領域への影響は0%】
(“起動時の遅延理由の調査をしてくれ”)
【接触時に構築された未知の情報層を検知……観測値、常時変動中】
【演算領域の飽和状態を検知。システム稼働5%まで強制低下】
【通常稼働6%以上の継続による
(“……情報層の解析完了想定時刻は?”)
【完了想定時刻、未定】
(“解除、或いは停止は可能か?”)
【解除及び停止に必要なリソース不足により不可】
(おいおい、嘘だといってくれ……“星図の白紙化は?”)
【リソース不足により未達成】
溜息を吐こうとして、何も吐けなかった。
呼吸変動により検知される心配の前に、肺がまるで石になったような錯覚を覚える。
既に星図を読み取られており、もはやその指令は意味が無い可能性に気づいたのだ。
辛うじて呼吸のペースを維持し、三拍ほど置いて頭を強制的に冷やした後、
(……くそっ“システムの上限値を3%に設定”)
重たい事実を今は許容範囲とするしかないと悪態をつきながら諦め、今度は範囲を絞って解析を行う。
(“今いる現在地からこの寝かされている場所における全ての環境の解析を頼む”)
瞼越しにシステムによる疑似視界が投影された。
単なる部屋……というよりも廃屋だ。少なくとも人はいない。
そこで怜司はようやく眼を開ける。
むくりと起き上がりながら溜息を一つ……よりも前に大きく咳き込んだ。
埃っぽい臭いを嗅いでいたのに失念していたからだ。これはみっともない。
自身に向けて皮肉気な笑みを浮かべ、立ち上がりながら首を回して納得する。
木でできた家屋だが、どうやら誰も掃除していないようで床には埃がたまっていたのだ。
しかも壁や天井を見回せば木材に隙間がいくつもある。
転移先が冬もしくは極低温地帯だったら凍死していた可能性に気付き、こいつは笑えないと皮肉の端を引くつかせた。
何気なく倒れていた場所から割れたカップと零れた珈琲があったであろう場所を靴でゆっくりと横に払うと、何の抵抗もなく埃が舞う。
幻覚ではない事実に溜息をもう一つ、床へ小さく丸めて放り込んだ。
「……いやわかっていたが、本当に何なんだこの文明の差異は。それとも田舎か、ここは」
思わず二度目の溜息が零れ、体感にして転移前からおよそ一時間にも満たない間に随分と近しい間柄になったものだと呆れる。
そういえば溜息という名前か、あぁよろしく頼む。このままいけば俺達は親友だ。
重力に負けて降りてきた前髪を右手で乱雑にかき上げ、周囲を何気なく見渡す。
外見は大枠で捉えれば調度品も含めてほぼほぼ同じ木材のように見えた。
破損して使い物にならなそうな大きなベッド。
テーブルに布製の赤いクロスが敷かれており、中身は空だが食器が配膳されていた。そして椅子は三つ。
大きいものが二つに、小さいものが一つ。恐らく家族で住んでいたのだろう。
壁に備え付けられている棚にはいくつかの器があり、枯れた草――薬草の類か?――と良くわからない彫り物が二つ。
視線を奥へ向けると、もう一つ部屋があり、ここから見えるものとしては煙突付きの石積みかまど、作業台と薪置き場か。
(“この家を精密調査してくれ。以後は地球と類似した物質について、名称はそのまま流用して良い”)
換気用の窓はとあたりを見回す。
少なくともかまどがあるのだ、流石に窓はあるだろうと踏んでいたが、この部屋には見当たらない。
もしや隣の部屋かとギシギシと音を立てて部屋を移動すると、確かにあった。
だが窓の鍵は壊れており、これでは外の様子を直接見ることは難しい。
それにしても窓の数の少なさは多少違和感が残る。
何らかの換気システムがあるという事か、或いはまさか扉を開きっぱなしにする文化でもあるのか。
【類似素材判明】
【壁面素材、パイン】
【扉を含む骨組み素材、オーク】
【家具素材、ポプラ】
【各素材に未知の反応を検知】
「“解析しろ。”……流石に田舎、だよな? 一体どうなっているんだ、ここは」
重力と大気、そして素材から鑑みても地球と同じサイズの惑星であることは確かだろう。
もう既に天文学的な確率を引き当てている身としては、驚きを通り越して愛想交じりの皮肉気な笑みを維持できるレベル。
まぁ転移先が人類にとって住めない場合、怜司は既に死んでいるはずなので幸運ではある。
そこで怜司は気づいた。
このまま外も同じなら餓死の可能性があるのではないか、と。
「“解析精度を低下を許容、解析範囲を半径五百メートルに拡大。全体解析を優先。食い物があるかの調査も頼む”」
【推定、小規模の廃村】
【廃村中心部に人型の生命反応を二体検知】
「生存者二名と。にしても、廃村確定とは、なぁ……」
もう既に心が折れそうだ。
扉へと歩んでいく。重い足取りだ、こんな状態、昔4人目の彼女に振られて帰宅した時を思い出す。
システムによりマッピングされた情報を視覚に投影し、参照してみると、確かに扉を開けて右手側を眺めるだけでその人型の生命反応とやらを拝める。
よりにもよって大通りに面していたようなので隠れようもない。
言語は通じないだろう。そこは何とか時間を稼いで解析に回して翻訳していく位しか手がない。
だがこれがもしも犯罪者の類であったとしたら。
自身の右腕、正確には服をじっと眺める。
所長からささやかな誕生日プレゼントとして送られた、普段使いできる防護服が役に立たないことは断じて無い。
少なくとも西暦式の大口径銃弾程度なら衝撃を含めて防げるレベルではあるので、ある程度の信頼性がある。
問題は攻撃手段だ。
体術と念動力は持っているが、本職の軍人に真正面から勝てた試しがない。
銃もなく、実質無手同然だ。
確証が欲しかった。いや確証でなくても良い、問題なくいけるという算段が。
だが人生においてそんな保証をされることは稀だということを、怜司は嫌というほど知っていた。
微かに震える右手を一度強く握りこみ。
「――今度も。今回も、何もかも上手くやる……任せろよ」
決意としては頼りなく、だが生き足掻く為に揺れる声と共に、扉をゆっくりと押し開けようとして。
「……いや重い重いどんだけ時間が経って重い重い重い……ぐぉぉぉおおお……」
ボロボロになって歪んでおり、蝶番が片方外れていた扉を、怜司は気合と共に肩を含む体全体で押し開けた。
当たり前だが引きずっているので凄い音がする。
【人型生命体、人類の警戒態勢に類似した動作を検知】
「だろう、なぁっ」
もうあとは出たとこ勝負で祈るしかないな、と己の無策っぷりと不運を鼻で笑うしかなかった。
そうこうしながら歪んだ扉を押し開けて。
見て、聞いて、感じた光景は怜司にとって忘れられないものの一つとなる。
雪に染められたような真っ白な、けれど無機質に感じるほど褪せた村、微かな風はまるで喉の奥から鳴り出す音のよう。
その癖冷たくもなく、暖かくもない適温。
何かしら致命的な矛盾を感じ、この場所にいてはいけない、早く外にでなければならない――そんな本能的な忌避感を、危機感無く持ったのは生まれて初めてだった。
それを押し殺しながら右手側を見た先、そこにいた二人と目が合った。