扉が静かに開き、怜司たちは依頼主の待つ部屋へと足を踏み入れた。
瞬間、部屋の雰囲気が外とはまるで違うことに怜司は気づいた。
門が自然の音を許可しているなら、廊下は静寂を強制している。そしてこの部屋はどこか重く、寒々しさを覚えた。
部屋の温度は間違いなく廊下と同じ快適さを保っているのにも関わらず、異質さが目立つ。
それはこの部屋の住人が発している焦燥と危機感によるものか。
部屋の中央には廊下同様の深紅の絨毯が敷かれ、その奥、窓際に置かれた大きな机の前に男が座っていた。
年の頃は五十前後。白髪混じりの金髪は丁寧に整えられており、鋭い眼光と鍛えられた体躯が相まって、威厳を纏っている。
しかし目元を見れば深い隈が刻まれ、指先が微かに震えている事に気づく。
(不眠特有の症状……この人、眠れていないのか。お抱えの技術者が行方不明なんだ、是非もない)
随分と情が厚い貴族だと、自身が持っていた貴族というイメージとは真逆の姿に、怜司は静かな敬意を抱く。
ヴァルナが前に出て、獰猛な笑顔を見せた。
「よぉ、久しぶりだなバルドー」
「何度も言うがいい加減アルンハイム卿と呼べ、馬鹿者め」
「ノクタリエに帝国式の礼儀を求めるのは、それこそ馬鹿ってモンだろ」
唸るような呆れ声を出すバルドーに呵々大笑という体でノラリクラリとかわすヴァルナの会話で、怜司はどうやら二人が長い付き合いだという事と、関所で出会った門番――コンラートの血縁者だという事に気づいた。
確かに良く見れば顔立ちが似ているし、体格も同じ位だろう。
「――来てくれた事にまずは礼を言おう。助かった、寄るべき縁がもはや貴様らしか居らぬ故な」
少しの間ヴァルナと談笑をしたバルドーが指で机を二回叩いて仕切り直し、そう礼を言った。
その言葉にヴァルナとエリシエルが纏う気配も一変する。
「エンブレア家も皇帝派も動かない……そういう事になったのかしら?」
「その通りだ、エリシエル殿。この件はどちらの支援も受けられなかった。我々が中道であることが仇になっているが、恐らくそれだけではないのだろう――金一枚で動けない理由があるということだ」
そう言ってアルンハイム卿が、机の上にあったエンブレア家と皇帝派からの手紙を指先で押し出した。
エリシエルがその紙を手に取り、すぐにヴァルナに渡す。
「ジェスが誘拐されたのは間違いないかしら?」
「可能性としては高い位だな。真っ先に自宅の検分をしたが、屋内外ともに何者かの足跡が残されていた。不可解なのは防犯用の魔導具が内部から魔力供給を落とされていた事だ」
「となると誘拐なのか、脱出なのかわからねぇな……にしても両派閥とも手を貸さないってのは余程だ。少なくとも貢献具合から見れば皇帝派は動くと思ってたんだが」
読み終えたヴァルナがそう疑問を口に出しながら怜司に紙を渡した。
システム越しに解析してみれば、要点は二つ。
誘拐か脱出かの判断が取れない事。
捜索には派閥間の調整を行う労力と、リスクに見合わない可能性がある事。
要するにやんわりと断られたようだ。
その文のあまりの回りくどさにシステムの翻訳が二転、三転してアップデートが入った結果、ようやくわかるレベルだった。コレ日本語よりも難解だぞ。
「あー、幾つか質問をしても良いでしょうか、アルンハイム卿」
「そなたは?」
「怜司、神薙怜司です」
一礼して手を伸ばす。
「成程、そなたが期待の新人か」
差し出された怜司の手首を軽く握りながら納得した風にアルンハイム卿は呟く。
一方、そう言われた怜司は困惑することになる。何で期待されてんの?
「息子から連絡は受けている。その二人のパーティ参加は実に十年ぶりだ。以前と同じ仮のままで終わるかどうかはそなた次第ではあるが、直々にスカウトされたのは初めての筈だ。実力十分だと思われているのだろう?」
「そ、そぉなんですかねぇ……え、殆ど二人でやってきてたの?」
「そうね、別に入れる意味も無いし、理由もなかったから」
理由に関してジャストで心当たりがある怜司は、頬を引くつかせながらいつもの笑みを浮かべて誤魔化す事にする。
「あー、でですね。現場の検分と今の状況についてもう少し深掘りしたく」
「検分は許可しよう。警備も引き上げておるから邪魔にはならんだろう。それで、深掘りとは?」
「少なくとも五つ。まずは何日前の出来事で、いつ気づいたのか、何か変わったことが無かったか、までは聞かせてください」
「三日前の夜から一昨日の朝にかけてだな。食事を運ばせている者から通報があった。応答が無かったので中に入った所、もぬけの空だという事がな。変わった事……そうだな、我が領土で出土した小骨の研究で気になる事があったという報告を受けた位だ。だがその内容を検めてみてもな、多少の珍しさはあったが何かの技術発展になるとは到底思えなかった。故にさして気に留めてはいなかったものよ」
その小骨がアタリを引いた可能性もあることを視野に入れつつ、怜司は四本目の指を曲げて言葉に出した。
「彼が行方不明となって得をする人物は?」
「腐る程いるな。エンブレア家と皇帝派、中道派いずれもだ。技術者の引き抜きであろうとも暗殺であろうともアルンハイム家の力を削ぐことになるのは間違いない。今後、権力闘争が激化するのもあってな」
「……権力闘争とは一体何が?」
「――そうか、そなたは帝国出身ではないのか。技術者が生み出す技術や道具、魔導具などは全て保護している貴族の力そのもの。故に、
怜司は息を呑んだ。つまり、発明品の多寡のみならず、劇的なゲームチェンジャーが現れれば大貴族ともなりうるし、維持ができないのならば没落する。
この国では、技術者そのものが財産であり、トップクラスの重要資源でもあるという事だ。
「何故、権力闘争が激化するとお考えで?」
「それはそうであろう。エリシエル殿が持ち帰った報告書は昨日の夜には全ての貴族に渡っておる。この三百年、白紙領への介入は悉く失敗してきたのもあり、近年では下火も下火、辺境伯として監視を代々行っていた我々が最も知るところよ。だが此度の変化は様々な研究が立ち上がるだろう……だからこそジェスの技術力が必要であったのだが」
そこでアルンハイム卿は言葉を切った。額には深い苦悩の証が刻まれている。
言葉の節々から諦念が感じられる程、恐らくジェスは帰ってこないと確信している。暗殺か、引き抜きか、それとも脱走か。
いずれにせよこの家にとっては大打撃なのだろう。下手をすればこの館の持ち主が他の貴族へ渡る程の。
だが怜司としてはこの扱いに納得がいかなかった。
技術者は尊ばれるべき、とは言わないがそこに少なくとも敬意があって然るべきと考えていた。少なくとも地球はそういう者達を集めた花形部署であったのだ。
それを暗殺だの誘拐だの引き抜きだので抗争を行う帝国に対し、若干の嫌悪感を覚えたのは致し方ない事。
「最後にお聞きしたいことが。ジェスさんは普段どのようにして過ごしていましたか? 先ほど夜から朝にかけて行方不明と仰ってましたが、外出した際にさらわれる可能性もあったかもしれませんので行動範囲、を……」
いよいよアルンハイム卿は困惑半分、苦笑半分の表情を浮かべた。その視線はいっそ憐れんでいるといっても良い。
ヴァルナ達もどこか居たたまれない空気を纏っている。
何だよとたじろぐ怜司にエリシエルとヴァルナがアルンハイム卿へ頭を下げる。
「すまねぇバルドー、こいつはまだそこら辺に理解が無ぇんだ」
「アルンハイム卿、彼に悪気はありませんし、貴方が予想した通りの生まれではあります」
「わかっておる、帝国出身ではない事位はな……怜司よ、技術者は大切な資源だ。それは今までの話で理解しておるな?」
「えぇ、それは、はい」
「
「……つまり、技術者は家と研究室のみ出入りを許されている、と?」
「当然だ。資源が外に出歩く等、危険そのものよ。どの家も誇りに掛けて許すまい」
地球での折衝役としての仮面がこんな所で役に立つとは思ってもみなかった。お陰で笑みの色合いが変わらずに済んだのだから。
まさか言葉の通りの意味で、技術者に人権なぞ無い。
握り込んだ拳の中で、爪が掌に食い込んでいた。
そんな事が有り得るとは。
恐らくだが、生まれてから死ぬまで技術者は資源なのだろう。替えが効く消耗品のような扱いを受けている。
これで国が成り立っているのが信じられない。
怜司の中にあった薄っすらとした嫌悪感は、今や大きな怒りへと変化していた。
瞬間。
(――いや、違う。成り立つ)
怜司は地球人類の歴史と自身の思考で答えを導きだせたことに気づいた。
技術者を一箇所に集め、管理下に置き、研究に専念させる。
安全を保障し、資材を提供し、成果を吸い上げる。
資源としての効率だけを考えれば、これ以上の合理的な仕組みはない。
これは地球の研究所と本質は同じだ。
怜司自身、あの穴倉に何年も籠もって研究に没頭していた。
違うとしたら、自分にはそれを選ぶ自由があったということだけ。
確かに大きな怒りが込み上げている。これは人として正しい怒りだろう。
だがその裏で、体制としてはこれが合理的だと認める自分がいた。
故に怒りと自己嫌悪が入り混じって、何も言えないのだ。
同時に、エリシエル達が最初に言っていた「技術者であることも絶対に隠した方が良い」という意味は、嫌でも理解が出来た。
人間扱いされず、職業選択の自由も無い。バレたら良くて勧誘、悪くて監禁の可能性もある。
そして忌々しい事に、この帝国ではそれが常識なのだ。
誰も疑問にさえ思っていない可能性もある。或いはそこに蓋をしているか。
怜司自身、数瞬前に蓋をしかけたのだ、ならば誰もがそうであるハズ。
曖昧な笑顔の仮面の中で湧き続ける怒りを延々と磨り潰し、怜司は頭を下げて礼を言う。
礼だけはどんな人物にも欠かすことはしない。自分を下げるような真似をする事は無い故に。
「ありがとうございます、理解できました。ではわかり次第、報告をすれば良いでしょうか?」
「うむ、頼むぞ」
「調査した結果、わからなかった場合は?」
「内容次第だが減額は免れぬな。ただ少なくとも六割は出そう」
その言葉に驚いたのはヴァルナ達だ。
金級と銀級に依頼する額は当然ながら高くなる。
そしてヴァルナ達を直接指名をしていることや、緑ではなく黒の掲示板に張り出すのだから相場の倍以上はかかる。
現にヴァルナが依頼書で見た額は、銀月館に二か月泊まって尚お釣りが来るものだ。
だが技術者の捜索依頼は基本的に生死が確定するか、奪還まで行って報酬が支払われるものであり、行方不明のままでは報酬は殆ど出されない事が多い。
故にヴァルナは初めて懐疑的な目を向けた。
「おいおい、随分と羽振りが良いじゃねぇか」
「無論条件がある。コンラートを連れていけ。アレもこの手の経験を積まねば困る事になる。そろそろ現場に到着している頃だろう。合流して事に当たれ。奴がそなたらの動き全ての証人となろう」
ここに来て聞いたことのある人名に怜司は驚きの表情を浮かべ、ヴァルナ達は納得したように頷いた。
アルンハイムの血族が直接監視するならば監視なり査定なりには十分な条件となる故に。
「わかった、じゃあ行ってくるぜ」
「あぁ、ワシもそろそろ執務の時間だ。この地図を持っていけ」
そう言ってアルンハイム卿はヴァルナへ一枚、紙を渡した。その後は視線を机に戻し溜まっている紙の群れを捌き始める。
互いに話すことはもう無い、という空気と圧力に自然と足を扉へと向かせた怜司だが、去り際に視線をアルンハイム卿に向ければ、存外小さく見えた。
きっと彼が抱えている重責と疲労感でそう見えているのだろう。そう予測して、怜司は館から立ち去った。