三人がほぼ同時に振り向くと、異様な光景が目に入った。
いつの間にか八つの死体が集まっていた。壁の向こう側にあった死体さえも倒れ伏したまま、ズルズルと何かに引っ張られるようにしてこちらへと向かっている。
そしてそれぞれの傷と地面を繋ぐ白い輝き。
パキパキ、と枯れ枝を踏むような音。
傷口から白い輝きが全身を覆い切った後、横一列に伏していた白く輝く死体達は立ち上がった。
怜司が疑似経験したライブラリでは、いわゆるアンデッドモンスター、ゾンビやグールと呼ばれるものに近いと感じた。
魔法もあればゾンビもあるかと妙な納得をしかけていた怜司だが、二人の表情を見るにどうやらこれが普通ではない事に、ようやっと気づいた。
「
「気を付けて、記録だとこの場所では今まで起きた事が無い。怜司、私達の後ろに――」
言葉がバツンとぶつ切れる。
八つの死体が一斉に走り寄って来たのだ。それらは人間が走るよりも遥かに早い速度を出している。
肉体が自壊しないのは結晶が原因のようで、走るたびに亀裂が入り、それを地面から伸びる光の輝きが修復しているように怜司には見えた。
「<氷よ、雨となりて>」
エリシエルは杖から氷の矢を弾幕めいた数を撃ち込む。
文字通り、矢の発射速度である秒速百メートル程度の速さで突き進む氷の矢の雨。
それらがガキンと。人から出ない筈の音がして、全て弾かれる。
「これは、内縁部の結晶体と同じ強度……!?」
「下がれエリシエル!!」
詠唱する時間は最早無い。
ヴァルナが文字通り怜司の視界から消え去る程の速さで一瞬で距離を詰めた。
片手半剣でまず一体目を縦に両断、次いで二体目は真横に切り飛ばす。
次いで短槍で三体目を突き刺し、そのまま投擲して四体目の胴体を抉り、壁に縫い留めた事で四つの死体は粉々に砕け散った。
だが残り四体がエリシエルに殺到している。
杖で迎撃の構えを取ったエリシエルの横から、ふわりと風が揺れた。
「――え」
(ええい、万が一怪我されたら寝覚めも悪いってもんじゃあないしなっ。“エイエーゼロ、解析から強化へ切り替え。体術モジュールA.C.T、
【
【システム搭載者の肉体強化開始――現時点での許容消費精神力:三分】
【Adaptive Combat Tactics並列起動】
強化モードにより精神力が四肢へ注がれる。それは、怜司の世界での肉体強化における常套手段の一つだ。
次いで、体術が全ての神経に巡り終えた。
そうすれば怜司にとっての三秒は、世界にとっての一秒へと引き延ばされる。
システムによる音速思考が反射へと変化し、弾丸のように
三歩、音速には及ばない速さで跳ぶように大きく踏み込む。
五メートルの距離が瞬間的に零へと変わる。
怜司を知覚した四つの死体が全く同じ動きで掴みかかろうとする。
その動作はまるでコピー&ペーストされたような同じものであるからして、知能は無く、出来の悪い操り人形のようなものだと察した。
(反応が早いだけだ。そこ止まりなら、何とでもなるんだな、コレがっ)
まず右端の死体の肘関節を横に打ち払い、更に
次の死体へと向き直った怜司が前に一歩踏み込み、膝を一気に払う。
結果、ほぼ同時に二つの死体は壁と大地に叩き付けられた。
残り二体。
左手側に居た死体は仲間の事を気にせず掴みかかって来る。
(手応えからして相手の強度は銃弾を防ぐ程度だ。ならやはり転倒狙いが一番だな)
掴まれる直前、体をクンと沈み込ませて右足を相手の腹に置く。
システムによる荷重判定が瞬時に
その反動で跳躍、残り一匹の頭に対し、空中で縦に回転しながら左の踵落としを決めた。
全てが反射レベルで組み込まれた体術とシステムによる肉体強化の相乗効果が如何無く発揮された結果は、僅か四秒。
強化済みの足でエリシエルの後ろへとバックステップしながら、一言叫んだ。
「後は頼む!!」
「――<氷よ、鋭く、大雨となりて、長く降り注げ>」
魔力と言葉を増やした詠唱により、鋭さと硬度を増した氷矢の雨が文字通り結晶体へと降り注ぐ。
先ほどまでなら弾かれていたが、今回はまるで違う結果になる。
量が桁違いであり、結晶の皮膚を上回る質、そして速度も音速へと強化されている。
轟音と共に壁や大地ごと抉れ、破損し、そして損壊していく。
射出が止まったのは十秒後、死体を覆っていた結晶の欠片だけが残されていた。
(“エイエーゼロ、解析に切り替え”……にしても妙なタイミングでデータが取れたな、ラッキーではある)
【
「やれやれ……何とかなるもんだな」
削れた精神の負荷が微かな頭痛となって返って来るが、誤差だと吐息ごと捨ててエリシエル達に向き直る。
(――ラッキーではあるが……そりゃまぁ怪しまれるわけだ)
槍を壁から引き抜いたヴァルナがこちらを静かに見つめ、口を開く。
「助かったぜ。にしてもヒューマがそんな動きが出来るとはな。それもテメェの言う
「あー、誤解されているようだから言っておきたいんだが、これも俺の中にあるモノのお陰でね。これがあるからある程度の荒事には耐えられるってわけ」
「ある程度、ねぇ。テメェがいたところはどんな魔境だったんだ?」
「いや、そうじゃない。わかりやすく言えば、この動きは他の連中が培ってきた体術の経験を体の中に入れているってだけで、俺自身のものじゃない。借り物ってやつが正しいな」
怜司の言葉で、
特にエリシエルは理解したと言う風に頷いており、逆に怜司の方がすんなりと受け入れて貰えるとは思っていなかったので、違和感が拭えない。
とはいえ、詮索すると厄介な事になると思った怜司は、首を振って残された結晶に意識を向けた。
陽の光を受けて虹色に輝く銀の結晶。
何故白い大地から光が伸び、死体をそれに変質させたのか。
単純な興味本位だった。
(“あの結晶の解析を頼む”)
【解析開始】
瞬間、背後から閃光が走った。
「なんだ!?」
「これは、白紙領の中枢から……?」
怜司が二人よりも遅れて振り向いてそれを視た瞬間、体が勝手に震えだした。カチカチという煩い音も顎から響き始める。
廃村の更に奥。遠目でギリギリ何かの建物群が小さく見えている場所、それらを全て覆うようにして真っ白い光が天へと昇っていた。
その太い白が、瞬時に黒へと反転する。
悲鳴のような風がよりハッキリとした声のように聞こえる。
何を言っているのかわからないが、
【ERR-SEC-1001:視覚経由による精神へ不正なアクセスを検知。微弱な接続確立を確認】
【ERR-SEC-1002:1001から1002へ定義変更】
【ERR-SEC-190:未知の情報層によるセキュリティシステムへの接触を検知】
視覚や聴覚はこんなにおかしくなっているのに、ログには精神とシステムへの異常値しか出てこないのは何故――その疑問を潰すように、意味がわからないほどの圧倒的な恐怖が思考を埋め尽くした。
自らの存在がひしゃげるような、全てが無意味だという精神的圧力。
そして身に覚えのある脳への激痛が遅れてやってくる。
間違いない、これは転移前の時のものだ。
幸運にもその痛みで、予感を命令へと変換する余裕を得ることができた。
(“――転移痕跡との、照合を”)
【保存領域と照合……97.71%合致】
「なんだよあの光。白紙領の
「一体何が……怜司? 貴方、顔が真っ青よ」
「お、俺を呼んだ奴が、た、多分あそこに……なん、だコレ」
歯の根が全く合わない。そしてまるで固定されたかのように視線を外せない。
低温域に晒されたような体の震えは最早痙攣といっても過言ではなく、体はエリシエルと最初に目線を合わせた時のように動かせない。
何かと体が繋がるような感覚。
一つの狂信的な想いが心を満たす。
相互解析という言葉に、全てが塗りつぶされていく。
そこに怜司の意思は無い。
お互いが丸裸になるような感覚。
それなのに相手が視えないもどかしさ。
その心が呼び水になったのか、圧倒的な情報量が流れてくる予兆をシステム越しの疑似視覚で受け取った。
黒い光から自身へ今にも奔り出すような、未解析情報の津波。
浴びれば廃人確定の量。
このままでは、死――
スッと。誰かが自身の首を無理やり別の方向に向かせた。
視界は黒い光の柱と情報の津波からエリシエルの美貌のみ映し出された。
首に両手を添えて向きを無理矢理変えたのだと理解した、途端。
【不明な接続、解除確認】
【精神へのアクセス、解消】
【システムへの接触停止を確認】
「――<落ち着いて>」
【LOG-PSY-012:精神への再アクセスを検知】
【精神防壁により鎮静化を阻止】
不自然な勢いで体の震えや脳への痛みが小さくなる。
エリシエルの顔が視界いっぱいに広がり、それすらも滲んで、怜司の意識は途切れ途切れとなった。
茫洋とした状態になった怜司に対し、彼女は微かに口を引き締める。
自身の眼と合わせた上で言葉を乗せても弾かれることは予想済、そこには一切期待していない。
疑問に思ったのだ。ヒューマ……いやヒューマ以外でも良い。
誰かが白紙領の光を視ただけであんな恐慌状態になるものなのか。
少なくともヴァルナやエリシエルが感じたものは強い忌避感だけだった。
白紙領に居るだけで感じる忌避感が更に強くなった程度。今更その程度で恐慌状態なぞ起きる筈もない。
ましてや視線を切った後に気絶するなど、起こり得ない事象だった。
そして怜司の「俺を呼んだ奴」という言葉。
怜司と白紙領中枢にある何かが繋がっている、そう考えるのが自然だろう。
まだ誰も到達したことも無ければ、帰還者も居ないあの場所と
「早くキャンプ地に戻りましょう」
「あぁ、さっきから厭な感覚が強くなってきやがる。撤退だ」
重鎧を纏っているとは思えない程の軽やかさでヴァルナが駆けだす。
エリシエルは意識を無くしても尚、震えている怜司を片手で抱えてヴァルナと同じ速さで飛ぶように走り抜けた。
背後にある光が名残惜しそうに消えたのは、怜司達がキャンプ地点――つまり白紙領の外縁部から完全に離脱した直後であった。