宇宙空間での次元を超えた死闘から数週間。
かつてユグドラシルのシステムがもたらした『世界敵(バグ)』の脅威は完全に消え去り、魔国連邦(テンペスト)の王都は、これまでにない規模の熱気と華やかさに包まれていた。
街のメインストリートには、リグルドやゲルドたちが徹夜で組み上げた豪奢なアーチや色鮮やかな提灯が連なり、屋台からは香ばしいタレの匂いや、鉄板が弾ける軽快な音が立ち込めている。
広場ではゴブタたち狼鬼兵部隊(ホブゴブリン)がアクロバティックな曲芸を披露し、新設された巨大コロシアムでは、腕自慢の冒険者たちによる武闘大会の予選が賑やかに行われていた。
迷宮の復旧と世界平和を記念して開催された、『テンペスト超大型・復興祭』。
その開会に合わせ、新世界の各国の王族や要人たちを乗せた馬車が、次々とテンペストの正門へと到着していた。
「ようこそ、魔国連邦へ。遠路はるばるのご到着、歓迎いたします」
正門で彼らを出迎えたのは、真紅の髪を揺らす侍大将、ベニマルであった。
彼は紅炎衆(クレナイ)を率いて完璧な警備体制を敷きつつも、その表情は武人としての威圧感を抑え、客人をもてなす穏やかな笑みを浮かべている。
バハルス帝国の若き皇帝ジルクニフは、馬車から降り立つと、目の前に広がる圧倒的な光景に息を呑んだ。
「これが、魔国連邦のお祭り……! なんという活気、なんという豊かさだ。空気中に満ちる魔素すらも、まるで心地よい音楽のように調和している」
かつてはテンペストの底知れぬ力に怯え、胃を痛めていたジルクニフだったが、星を喰らう怪物を打ち倒したリムルの姿を見て、彼の中の『恐怖』はすでに完全な『敬意』と『親愛』へと変わっていた。
「おう、よく来てくれたな! みんな、今日は堅苦しい挨拶は抜きだぞ!」
そこへ、見慣れた軽装の人型をとったリムルが、片手を上げながら気さくに歩み寄ってきた。その後ろには、満足げな笑みを浮かべるディアブロと、嬉しそうに胸を張るシオンが控えている。
「おお、リムル様! このような素晴らしい祭典にお招きいただき、帝国を代表して心より感謝申し上げます!」
ジルクニフが深々と頭を下げると、リムルは苦笑しながらその肩をポンと叩いた。
「だから堅苦しいのはナシだって。せっかくの祭りなんだ、迷宮に潜るもヨシ、屋台で食い倒れるもヨシだ。今日は思いっきり羽を伸ばして遊んでいってくれ!」
リムルのその言葉を合図に、新世界の人々は、まるで魔法にかけられたように緊張を解きほぐし、キラキラと輝くテンペストの街並みへと足を踏み入れていった。
祭りが始まって数時間。
大通りに並ぶ屋台では、早くも種族と世界を超えた交流が始まっていた。
「おおっ! この『たこ焼き』という料理、外はカリッと、中はトロリとしていて絶品だな! しかも噛めば噛むほど生命力が湧いてくる! おいフールーダ、魔法省の予算でもう百個ほど買ってこい!」
「陛下、既に五百個買っておりますぞ! それよりも、あちらの『射的』という遊戯をご覧くだされ。見事あの的を撃ち抜けば、神話級(ゴッズ)に匹敵する素材のぬいぐるみが貰えると!」
王冠もマントも放り出し、片手に焼きそば、片手にジョッキを持ったジルクニフは、完全に一人の観光客として祭りを満喫していた。
彼だけではない。リ・エスティーゼ王国の貴族たちも、スレイン法国の厳格な聖官たちも、テンペストの魔物たちと肩を組み、酒を酌み交わして大笑いしている。
そこには、ユグドラシルの理(システム)が強いていた『弱肉強食』の冷たい世界は微塵もなかった。
「……信じられない光景だ」
街角の静かなオープンカフェで、テンペスト特産の果実酒を傾けながら、白金の竜王(ツァインドルクス=ヴァイシオン)がポツリと呟いた。
人間の姿をとった彼は、目の前でオークと人間の冒険者が腕相撲をして盛り上がっている姿を見つめている。
「神のごとき力を持つ者たちが、こうして弱き者たちと共に笑い、酒を飲み、同じ目線で祭りを楽しんでいる。我々がかつて恐れた『プレイヤー』たちとは、根底から何かが違う」
「それは当然のことです。我らが主、リムル様がそれを望まれたからです」
不意に声をかけられ、白金の竜王が振り返ると、そこには警備の巡回を終えたベニマルが立っていた。
彼は手にした猪口を軽く掲げ、竜王の向かいの席に腰を下ろす。
「我々は、リムル様が思い描く『誰もが笑って暮らせる国』を実現するための手足に過ぎません。圧倒的な力は、他者を支配するためではなく、この平穏な日常を理不尽から護るためだけにある。……あなた方も、もう恐れる必要はありませんよ。共にこの酒を美味いと思えるのなら、すでにリムル様の『仲間』なのですから」
「……仲間、か」
白金の竜王は、フッと憑き物が落ちたように微笑んだ。
「ああ。本当に……途方もなく美味い酒だ。我々の世界を救ってくれた英雄たちに、敬意と感謝を」
「ええ、歓迎しますよ」
二人の強者は、種族も世界も超えて、静かにグラスを合わせた。
一方、祭りの中心地である大広場では、相変わらずのドタバタ劇が繰り広げられていた。
「クアーッハッハッハ! 見よ、我が究極の炎制御によって焼き上げられた『ヴェルドラ特製・爆炎焼き鳥』を! 新世界の者たちよ、遠慮はいらん、どんどん買っていくが良い!」
「ちょっと師匠! 火力が強すぎて半分炭になってるじゃないか! アタシの特製シロップをかけた『妖精のかき氷』の方が絶対に人気だし!」
「むむっ、生意気な! ならば売上勝負だラミリス!」
エプロン姿のヴェルドラとラミリスが屋台で張り合い、新世界の要人たちが「だ、大精霊様と竜神様が屋台を!?」と恐縮しつつも、長蛇の列を作っている。
その賑やかな光景を、リムルは少し離れた場所から目を細めて見守っていた。
「ふふっ、皆様本当に楽しそうですね、リムル様」
リムルの背後に控えるシオンが、嬉しそうに微笑んだ。
「ああ。色々あったけど、こうして皆が笑ってくれてるなら、頑張って宇宙まで出張った甲斐があったってもんだ」
「ええ、全くです。リムル様の偉大なる慈悲が、あの愚鈍な新世界の者たちにもようやく理解できたのです。この平和な光景すら、すべてはリムル様の御力によるもの……ああ、素晴らしい」
ディアブロが、両手を組み、恍惚とした表情で主を讃える。
相変わらずの様子に、リムルは苦笑しながらも、「まあ、お前たちが無事で一緒に笑ってくれているのが、俺にとっては一番だけどな」と小さく呟いた。
その言葉に、シオンは顔を真っ赤にして喜び、ディアブロは感涙に咽び泣きながら「もったいなきお言葉……!」と深く一礼した。
夜の帳が下り、街中を照らす提灯の灯りが、幻想的な輝きを放ち始める。
ふと見上げれば、ゼギオンが静かに時計塔の頂上に佇み、街の平穏をその鋭い複眼で見守っているのが見えた。彼もまた、この祭りの空気を彼なりに楽しんでいるのだろう。
「――さあ、そろそろ時間だな」
リムルは小さく深呼吸をすると、ふわりと宙に浮き上がり、大広場の特設ステージの上空へと舞い上がった。
魔王が姿を現した瞬間、大通りを埋め尽していた数万の群衆――テンペストの住人も、新世界の王族たちも――一斉に静まり返り、尊敬と親愛の眼差しを上空のリムルへと向けた。
リムルは拡声魔法を展開し、夜空に響くよく通る声で語りかけた。
「皆、今日はいっぱい食べて、いっぱい遊んでくれたか!?」
『おおおおおおおおっ!!』
地鳴りのような歓声が、リムルの問いに応える。
「俺たちの世界も、新世界も、本当に色んなことがあった。空が割れたり、変なバグが出てきたりして、怖い思いもさせたと思う。……でも、もう大丈夫だ。俺たちの明日を脅かすものは、もうどこにもいない」
リムルの言葉は、神としての威厳を押し付けるものではなく、ただ一人の友人として、家族として語りかけるような、温かい響きを持っていた。
「種族が違っても、生まれた世界が違っても、美味しいものを食べて『美味い』と笑い合えるなら、俺たちはもう友達だ。このテンペストは、そんな友達がいつ遊びに来ても、絶対に笑顔で帰れる場所であり続けると約束する!」
リムルが右手を高く天へと掲げた。
「平和な未来と、俺たちの新しい日々に――乾杯!!」
『乾杯ィィィィィィィィィィィッ!!!』
数万人の声が一つに重なり、夜空へと響き渡る。
それを合図に、クロベエたち職人陣と、ガビルたち飛竜衆が共同で仕掛けていた特大の魔法花火が一斉に打ち上げられた。
ドドドォォォォォォォンッ!!!
赤、青、金、緑。
ありとあらゆる魔素の光が夜空に大輪の華を咲かせ、星の海を覆い尽くすほどの輝きでテンペストを照らし出す。
歓声と拍手が鳴り止まない中、リムルは夜空に咲く大輪の花火を見上げながら、そっと目を閉じた。
(……スライムに転生した時は、一体どうなることかと思ったけどさ。色んな奴らと出会って、戦って、仲間が増えて……いつの間にか、こんなに大所帯になっちまったな)
ヴェルドラが笑い、ラミリスが飛び回り、ベニマルやシオン、ディアブロたちが傍にいてくれる。
新世界という新たな隣人も加わり、この騒がしくも愛おしい日常は、これからもずっとずっと続いていくのだろう。
「リムル様、最高のお祭りですね!」
シオンが隣に並び、満面の笑みで花火を指差す。
「ああ。最高の夜だ」
見下ろせば、世界中の誰もが笑顔を浮かべている。
理不尽なシステムも、世界を喰らうバグも、もはやこの平和を脅かすことはできない。
最初はただ、自分が快適に過ごせる場所を作りたかっただけだった。
けれど、今こうして見渡す景色は、いつか見た夢よりもずっと暖かく、そして眩しい。
「さて、明日からはまた、街の拡張工事と迷宮のイベント企画で大忙しだな。……頼むぞ、みんな!」
夜空に咲く花火の下、魔王リムル・テンペストは、これまでで一番の笑顔を浮かべた。
神々の戦いを終え、新たな世界との絆を結んだ魔国連邦(テンペスト)の、騒がしくも平和な『いつもの日常』が、ここからまた始まっていくのだった。
【完】