ごほんゆび! 作:ハリセンボン
「なあ、聞いたことあるか? 薬指の腕を食って薬指になったやつの話」
庇護下の住民たちの作品を機械的に評価していると、そのような噂話が聞こえてくる。
経験缶詰を咀嚼する方がまだ有意義な着想を得られるだろうに、と落第した者を突き殺しながら視界の端に映す。
噂をしていた二人の評定はC。別に良くも悪くもない、敢えて減点する理由もないような作品。
自分のような、つまらないもの。だというのに彼らと、その作品から目を離せない。
「ちょっと、見てくださいよ! ほらこことか、前回指摘された部分を直してきましたから」
「見なくてもわかる。F。落第。以上」
私、ヨンソンはずっと芸術の中で自分を見つけられず、行き詰っている。
野獣派にこそ属しているが野獣派のような荒々しさもなく。そして点描派のような偏屈さもなく、立体派として表現できるような多角的な視点もない。
学びで得られる技法の、その先にどうしてもたどり着けない。いや、学びを活かせないというべきか。
だから気分転換も兼ねて何か着想は無いかと庇護者の採点を真面目にしているが、今ではむしろ後悔すらしていた。
気分転換にもならない。『こういうのが好きなんだろ?』と舐め腐った作品など、直視するだけで目と感性が腐る。
そんな中で聞こえた噂は、私の脳にへばりつくような甘さがあった。同じように眺めているスチューデントが、私のほかにもチラホラと。
可もなく不可もない凡作をわざわざ眺めているのは、きっと彼らも思うところがあったのだろう。
つまらないと理性では判断しているのに、捉えられたように釘付けにされていた。
「……学食、行くかな」
その時はまだ、話のタネになる程度でしかなかった。
◇
正午、薬指の学内食堂。私は友人のアミと共にトレイを手に取って学食の列に並んでいた。
今日は偶然廊下を歩いている姿を見かけて、連行した次第だ。
採点で腐った思考をリフレッシュするために、今日のメニューにガツンとした飯があることを祈る。
ここの学食は薬指割引で無料で食べれるし、何より味より芸術性に力を入れているお陰で見るだけでも価値がある。
過去に普通のメニューは出さないのか? と疑問に思ったスチューデントが「厨房は造形作品ではなく飯を作るところだ」と批判したが――
「バカ野郎! どこに行っても食える飯なんざ薬指の料理じゃねェ! 五感全てで感じる表現こそが俺たちの食らうべきアートなんだよッ!」
――と一蹴された後、じっくり下処理されて料理のトッピングに添えられて以降は、粛々と創作料理を楽しむ方向で満場一致することになった。
そんな意欲的な学食だが、無料だからか注文する人は多い。友達のアミと一緒に二人席に座りながら、日替わり定食の中から選んだ料理を机に揃える。
飾り切りのステーキに、齧れるほどに揚げた何かを使った骨料理。スナックを齧るようにサクサクと歯を立てる。廃材を使った表現がコンセプトだろうか、食べ忘れるもの・食べられないものだけをふんだんに使った料理は粗食のようにさもしく、今日の気分から外れている。
「おい、聞いたか? 芸術家の腕を食うだけで芸術家になれるってよ」
「はっ、発想が貧相だね。芸術塾にでも通い直した方がいいんじゃないの?」
「いやいや俺じゃねえって、庇護下の奴らが噂しててさ」
「えー?」
学食を頬張っていると、遠くのテーブルからさっき聞いたような話が聞こえる。
今食べているメニューは成分表を見る限りは幻覚作用を含む素材を含んでいないから記憶から引き出された幻聴ではない。
カリッカリに揚げられた骨を口に咥えながら、気づけばそのテーブルに目を向けていた。
「どうしたのヨンソン。あんな下らない噂話を気に入る性格じゃないと思ってたけど」
「うーん。さっき採点してたんだけどさ、その噂を丁度聞いたところだったんだよねー」
「ああー……それにしては、こう興味があるように眺めてたから」
「ちょっとスランプでね。でも大丈夫、アミのお陰で元気出たから」
「そう? そうは見えないけど。むしろ今にも壊れそうにも……」
「いやいや、人を食ったような表現なら創作料理で十分。わざわざ襲ったりなんてしないから」
ひらひらと手を振って、おどけたようにアピールする。噂について話していないことは分かってる。だけど、これ以上この話を続けたくなかった。
心に踏み入る話題を止めさせて、これからの話に切り替える。
合同作品。その進捗が全く進んでいない。
期日に余裕があるということが、精神に余裕を齎すものでもない。着想すら曖昧なままで、メンバーは技法について言い争っている。
意見交換をすることが、採点よりも有意義だと自分の心に蓋をして。飾り切りを手で千切りながら、ギリギリまでアイデアを語り合った。
私が野獣派なら、アミは点描派だ。二人で合同作品を作ったこともある。正確には外的要因でメンバーが減って二人しか残らなかったアトリエの作品だが。
アミと私でお互い派閥は違えど、それなりに話は合った。齧った程度の知識では、話を合わせるだけしかできなかったともいう。
今回取り組んでいるアートについて取り繕われていない生の制作秘話を聞けるのは助かるが、どうも壊れたパズルのように話がチグハグに思える。
アミ達のメンバーはどうやら作品の仕上げにかかるようだ。話して得られたものは、危機感と、あとやる気にはなったかな。意味はあったと信じたい。
「はい、ということで進捗いかがかね君ら。この真っ白なキャンパスと美しい立方体の粘土から着想を思い浮かべた人は手ぇ挙げて~」
「コンセプトなんかねえよ! ばーか!」
「とりあえず描きながら見えてくるものがあるのでは?」
「じゃあ手を動かしてろよ! どう見ても白紙じゃねえか!」
「つーか仕切ってるお前はなんかあんのかよ!」
「出がらしだよ!!!」
合同作品用のアトリエへ足を運んだ私は、ワーワーギャーギャーと合作メンバーと罵り合う。ここから扱う技法の話に移り、そして自分の派閥がいかに優れているかの話を展開し、取っ組み合いの果てに何も進捗が生まれずに解散となる。そんないつもの流れが見える。
パンパン、と手を叩いて話の腰を折る。時間があるということは進まないということだから、話を直面している議題に向けなければ手遅れになる。そう意識をして取り組まなければ一向に進まない気がした。
「あぁー。マジでなんかいいアイデアない? 着想……コンセプトを決めてやんなかったらとっ散らかったものにしかならんしょ」
「とりあえず立体造形作ろうぜ、粘土で。ほら一面だけですべてを表現するって奴」
「少し齧った程度の知識で何が分かる!」
「じゃあ言ってみろよその御大層な知識でよ! 威張るならコンセプト出せますよねぇ!?」
「あ゛ぁ゛!?」
「はいはい、そういうのは後にしてね。ほんとマジで勘弁してよ……」
「うーん、じゃあもっかい展示されてる作品でも見返してみる、とか」
「コンセプトを無意識でパクって劣化だ模倣だとボロクソに言われる未来が見えるー!!!」
「でも正直それしかやれること思いつかないね。私はドーセントさんでも捕まえてキュレーション受けようかなって思うんだけど、どうする?」
そう取り仕切って仲間を見渡してみる。反対意見も無かったが、誰もが乗り気でない。
正直分かる。私もダメ元だから。ハズレの中からどれがマシかを選んでいるような感覚。
そして私はマシなハズレだと思う選択をした。廊下を進んで捕まえたドーセントに、アトリエのキュレーションをお願いする。
突然のお願いではあったが、本気で頼み込んでいることが伝わったのだろう。快く引き受けてくださった。
ちなみにその辺に生えてる腕を捥いで食べるという案は、その場で却下した。ドーセントを襲うなんて自殺行為だし、そうでない腕なんて食べる価値もないだろうから。
◇
作品を提出に来たアミと合流し、一緒にキュレーションを受けないかと誘って作品の展示室へと足を運ぶ。
ゲリラ的に開催されたものの、一度始まってしまえば傾聴するメンバーは一人二人と集まってきた。
スチューデント達に向けて熱心に語るドーセントの言葉を必死で咀嚼しながらも、私はいまいち作品の着想を得られない。
どういうコンセプトで、何の技法を使ったか。それを理解できても、コンセプトそのものに手が届かない。ただ情報だけが脳を上滑りするように、空虚に耳の中を通り過ぎていく。
それでも聞き逃さないように必死で食らいつくが、創作に還元できるような得られるものが見当たらない。
私は模範解答のように受け答えをする。それを受け取ったキュレーターによくできました、と褒められる。だけど『問われた内容を返せる』というそれは誰かの意図を察する力であって、自己表現ではないように思える。
嚙み合わないようなもどかしさの中、満点なだけの答えを繰り返していた。
そんな中、見知らぬ人間がギャラリーの中で作品の観賞していることに気づく。真っ白なマントを着用した二人。
パッと見は薬指の装いかと思ったが、どうも違和感がある。注視してみれば、それは人差し指の構成員だ。
今日はギャラリーを外部に開放していないので、正規の見物客でないことは確かのはずだ。
あまりにも堂々と作品を眺めているから、実は誰かが招いたのではないか? そんな考えも頭によぎりつつ、ヒソヒソと話し合う。
ギャラリーに紛れ込む推定部外者。その中の伝令と思わしき人が、今この場で展示室を仕切っているドーセントに声をかけた。
「そこのドーセントの方、キュレーション中のところ失礼します。チュファン、あー、そこの彫像についてお話を伺いたいのですが、よろしいですか?」
「これはこれはご丁寧に、是非歓迎しますよ! ……そうだ、折角いらっしゃったなら、一つと言わず展示品それぞれのキュレーションでもいかが?」
ドーセントは訝しげな顔からニコニコと人当たりのいい顔へと変え、キュレーションの手を止めて伝令との対話を優先した。
不満があるわけでもない。私たちもまた彼らが気になって、少し……意識が散漫になっていたから。
「ははは、是非とも。しかしやるべきことが残ったままでは、ゆっくり観賞も出来ないもので。……実は、その生きた彫像は僕たち人差し指の処刑対象でございまして。なので、差し支えなければ指令を遂行させてもらってもいいですか?」
そう伝令が伝えると、取り出した水筒に口を付けた。私は「ここは飲食厳禁ですよ」と口を出そうとしたが、それをドーセントに止められる。
展示された作品を壊すなど、許されることではない。スチューデントの間で剣吞な空気が漂う中、アミと、そしてドーセントだけが反応を示さない。
マナーを守る事よりも、そんなことよりもこの場で彼らと語り合うことが重要だとばかりに、ドーセントは私たちを腕のジェスチャーで抑えたまま話を続ける。
「……まあ、いいでしょう。これはスチューデントの作品の中でも技術が拙いし、技法も荒い。無くなっても別に全体の構図が変わるものでもない」
「おや、僕としては交渉の手間が省けて助かりますが……よろしいのですか?」
「人差し指の庇護者を使うなら、そのエッセンスを取り入れなければ作品と言えない! それに、代わりの作品は既に着想が出来ていますよ。画材には是非ともその布地を使いたいものですね」
ちらり、と私を見る。ギャラリーから返すな、出入口を囲め、というメッセージだろう。筆を構えながら周囲に声をかけて行動しようとするも、肩を叩いてもアミの反応がない。
あの作品はアミの合作だったはずだ。うつむいた顔からは表情を伺うことが出来ない。ただ、それは無だった。
まるで夢遊病のように、あるいはひび割れた陶器が砕けるように、自然な所作でアミは動いていた。
「僕のことがご所望ですか。それも布地だけで済ませようとしていないようですね。不穏な気配が漏れ出てますよ」
「それはあなたの誠意に従う、とだけ言っておきますよ。ギャラリーのキュレーションもまだですし、何よりこうしてギャラリーにのこのこと足を運びながら、たった二人で無事に指令を遂行できるとは思わないことだ」
「ふふ。あなたの手を取らなければ指令を遂行できないと。その時はよろしくお願いしますね」
「何を……!?」
後ろから突き刺されるドーセント。背中に筆で刻まれた色は困惑と衝撃。そして下手人はスチューデントの、私の良く知る人。
「アミ、何故……っ」
「残念ですよ、名前も知らぬドーセントの貴方。できれば貴方のキュレーションを聞きたかった」
伝令がその剣で傷ついたドーセントの首を切り離す。背中から刻まれたインクの後押しもあってか、首はあっさりと胴体から切り離された。
血しぶきは作品には飛び散らなかった。意識して斬首したのだろう、床だけが汚れるように意識されている。
伝令は血の付いた剣を鞘に仕舞うと、見て回りたいので作品に傷を付けないように、と代行者に言伝してギャラリーの奥へと歩き去っていった。
それを聞いた代行者はアミの作り上げた造形作品をさっさと破壊して、駆け足でその背を追いかけていく。
代行者は手に持った謎の機械を弄ったまま、壊す際に一度も顔を上げなかった。伝令もまた、アミが作り上げた作品を一度たりとも見向きもしなかった。
そしてアミもまた、自分の作品が壊される光景に目を向けず、一心不乱にドーセントの死体を筆で刻み続けていた。
二人は雑談をしながら作品を急ぎ足で見て回り、感想を言い合いながらさっさと帰っていってしまった。
残されたのは戸惑うスチューデントの集団。何も分からずに困惑する皆と、私と、膝をついて死体を弄るアミ。くつくつとした泣き笑いの声が響くことに、落ち着くまでは意識を向けられなかった。
◆
「なんだい、これは。もしかしてパパを描いたのかな? アミは絵の天才かもしれないな」
誰かの真似をしなくても、人は何でも描けるんだ。
「なんだこりゃ。あのな、この世界に輪郭なんてものは存在しねェんだよ! もっと構造をよく見ろ!」
でも誰かの真似をしなきゃ、人には評価されない。
「なんだこれは……そうだな、君はこれから点描派の技法を学びなさい。そうすれば表現の幅が広がるし、これからの君の為になるはずだ」
ヘレニズム、キュビズム、表現主義……。アートムーブメントが無ければ教養という名前で足切りされる。
「これは、何だい? コンセプトのない作品は作品じゃない。もう一度作ってきなさい」
低評価以前の問題だ。評価されない芸術は存在しないと同じじゃないのか?
「これは……、団体課題か。遠目から眺めれば全体的に静的な印象を齎す点描の第一印象から、絵に近づく毎に中心に添えたフォーヴィスムの荒々しさが浮き出てくるように見せる。対比される原色の使い方と組み合わせ方から……そこにあるものの恐ろしさは近づかなければ気づけない、距離に従って変化する印象の表現がコンセプトかな。うん、良く出来ている」
誰かの真似をしなきゃ、人は何も描けないんだ。
◆
「何が作品だ、何がコンセプトだ! ……それで何が変わるというんだ」
「……。」
「は、はは! 所詮ドーセントもこの程度だって知るべきだった!」
壊れた笑いを続けるアミ。気を取り戻したスチューデントは、とりあえず人を呼ぶためかどこかへと行ってしまっていた。
アミはさっきまでキュレーションをして指導していたドーセントの死体を引き裂いては、ゴミのように放り捨てている。
なぜ友人の変化に気づけなかったのか。そんなどうでもいいことに意識を向けるより、私は目の前の出来事を見逃さないようにした。
アミの行いはスチューデントとして落第の愚行だろうか。私にはそうは思えない。
これこそが原初の芸術のように思えて、培ってきた芸術を捨て去るように人をゴミに変えていく様を私は食い入るように視界へ収め続けた。
身体派は時代遅れ、身体派はもはや食傷だ。私はそんな言葉を信じ続けてきたけど、これを見て心を動かされたという気持ちに噓をつくことは出来なかった。
ドーセントから手をもぎ取って、そして放り投げて狂乱したアミは、空洞のように暗く輝いて見えた。
なあ、聞いたことあるか? 薬指の腕を食って――
アミによって放られ地に落ちた腕を手に取り、私はドーセントの腕を齧った。
大した理由はなかった。ただ、何かが変わると思った。
身体派のような発想だけど、それでも肉体から得られる着想は私の経験になるって思った。
味・食感・刻まれた皺、技巧を詰め込んだ神経細胞。その一つ一つを味わい尽くすように貪りつくした。
変わらないと思わなかった。意味があると信じた。
闇雲に食べるのでは駄目だ。着想をもって取り組まなければ意味はない。明確な意図を以て、腕のすべてを食べつくした。
咀嚼し飲み下した後で、もしも何も変わらなかったらどうしよう、そんな恐ろしさが全身を駆け巡る。
だから、気づけば私も笑っていた。只管に、笑っていた。
暫くして薬指の皆が戻ってきた。集まった中にはマエストロも居た。傍らのドーセントの指示のもと、スチューデントは散開していった。
恐らくはアトリエに散らばったゴミを撤去でもするのだろう。そしてきっと、片付けるゴミの中に私の友達も含まれている。
すべての条件が着想を表現するのに絶好だった。私は駄々を捏ねるように死体で遊んでいる友達に目を向けた。
私はアミの胸倉をつかみ、壁へと叩きつけた。そして、その壊れた笑いを繰り返すものをダクトテープで貼り付けにした。
一連の作業を終えると私は振り返って、これが作品だと全員に向けて笑いながら叫んだ。
マエストロは何か言いたげにしていたが、その言葉が口から出る前にスチューデントによって「人を使った作品は見飽きていたが、その中でも特に酷い!」「こんなものはアートですらない!」と貼り付けていた人体を破壊された。
芸術を舐めているとでも思ったのか真っ赤になって怒り狂うスチューデントと、不愉快そうな目で静観するドーセント。熱狂した空気が流れて殺意の矛先を私に向け始める。
しかしマエストロが一声かけて引き留めると私に、どのような名前を付けるか? と訊ねた。
私は笑うのに忙しかったので、さっきまで命だったものを張り付けていた壁に大きく一筆で『C』と塗りたくった。
マエストロは頷くと、A+とだけ言って去っていった。
ついさっきまで顔を赤くしながら友達を破壊していたスチューデントは真っ青に恐慌している。そして残されたドーセントは納得がいかないような表情で、作品を破壊した下手人を連れてアトリエを出ていった。
私は作品がもたらした相互作用を眺めながら、照明が落ちるまでひとしきり笑い続けた。
ハッピーバースデー、トゥーユー。
私は芸術分野に詳しくないため、読者の皆さんはこの小説で語られる芸術論に不満があるかもしれません。不満がある場合は上手く脳内補完してください。