こちら死神局総務課   作:朝凪小夜

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第一話 大鎌の子

 電話が鳴っている。

 総務課の電話は、鳴り方でだいたい用件がわかる。二回で切れるのは間違い電話。延々と鳴り続けるのは回収課からの応援要請。今鳴っているのは、三回鳴っては一拍おいて、また三回。これは相談だ。しかも、面倒な部類の。

 受話器を取る。

 

「はい、死神局総務課」

 

「あのう、大鎌って、どこで支給されるんでしょうか」

 

 やはり面倒な部類だった。

 念のために言っておくと、我々に大鎌は支給されない。刀もローブも、頭蓋骨のランタンも支給されない。そういうものが要ると思っているのは、人間の書いた本を真に受けた新人だけだ。この電話の主も、声からして百歳そこそこだろう。生まれて十年で言葉を覚え、三十年で仕事を覚え、百年経ってもまだ大鎌に憧れている。順調に育っている証拠ではある。

 

「支給されません」

 

「え」

 

「触れれば済むので」

 

 そう、触れれば済む。これがこの仕事のほとんど唯一にして最大の要点だ。

 私が誰かに触れる。指先が一瞬、相手の肌をかすめる。それだけでいい。あとは相手が勝手に死ぬ。その晩に心臓が止まることもあれば、半年かけて肺が濁っていくこともある。人間の側の記録には、心筋梗塞とか、原因不明の衰弱とか、それらしい理由が残る。大鎌で薪でも割るように魂を刈り取る、というのははっきり言って人間の願望である。あの連中は、自分の死にすら様式美を求める。

 

「じゃあ、あの、雰囲気だけでも」

 

「切りますよ」

 

 切った。

 電話は最近のブームだ。少し前まではテレパシーで用が足りていたのだが、あれは若い連中に評判が悪い。頭の中に直接声が響くのは品がない、というのが彼らの言い分らしい。品。二百年やってきて、そんなものを気にするようになったのは、たぶん人間の姿を借りすぎたせいだ。手を持てば手で受話器を取りたくなる。口を持てば口で喋りたくなる。そうやって少しずつ、我々は人間の真似が板についてきて、そして――たぶん、少しずつ駄目になってきている。

 隣の席で、先輩がにやにやしながらこちらを見ていた。

 

「大鎌の子か」

 

「大鎌の子です」

 

「昔はよかったぞ。ペストの頃なんかな、こっちが何もしなくても人間が勝手に死んでいくもんだから、我々はただ回収して回ればよかった。あの頃はまだ、みんな大鎌を持ってたんだ。持ってても仕事が追いつかないくらいだったからな。ヴェネツィアなんか、運河が――」

 

「先輩」

 

「なんだ」

 

「それ、六百年前の話です」

 

 先輩は少し黙って、それから、そうだな、と言った。六百年前の話だった。

   

 総務課という部署について、少し説明しておいたほうがいいかもしれない。

 死神局には現場を持つ課がいくつかある。寿命を全うした者を迎えにいく回収課。事情があって早めに終わらせる必要のある者を担当する執行課。そういった連中は、外に出て、人間に触れて、仕事をする。

 総務課は、外に出ない。

 我々のところには、現場のトラブルの後始末と、下からの珍妙な相談が集まってくる。大鎌はどこで支給されますか、というのはまだ良いほうで、人間の恋人ができてしまったがどうすればいいか、とか、間違えて双子の兄のほうに触れてしまった、とか、そういうものが日に何件も舞い込む。現場の権限は何ひとつ持っていないくせに、現場が散らかしたものを片づける義務だけはある。それが総務課だ。

 だから、その電話が回収課ではなく執行課からで、しかも新人の声だった時点で、私は嫌な予感がしていた。

「あの、総務課さんですか」

 

「そうです」

 

「執行課の、今年の……その、十年生の者なんですが」

 

 十年生。言葉を覚えたばかりだ。

 

「触った相手が、たぶん、違う人でした」

   

 順を追って聞くと、こうだった。

 執行課には、ある人間の男を担当する仕事が回っていた。堅気ではない稼業の男で、そういう世界の抗争のなかで、そろそろ因果の帳尻として退場する予定になっていた。人間の側から見れば、それは組織どうしの争いの結果として処理される。誰かに撃たれるなり、消えるなりする。我々はただ、その死が予定通りに起きるよう、しかるべき瞬間にしかるべき相手へ触れればよかった。

 新人は、しかるべき瞬間に、しかるべきでない相手へ触れた。

 男にはよく似た体格の連れがいた。同じような背格好で、同じような黒い上着を着て、同じ車から降りてきた。新人は迷わずそちらに触れた。迷わなかったのが、いちばん良くない。

 

「で、その触れた相手は」

 

「昨日の夜に……その、亡くなりました。心臓が」

 

「本来の担当は」

 

「……生きてます。ぴんぴんしてます」

 

 私は少し黙った。先輩が、横から、どうした、という顔でこちらを見ている。私は受話器を耳から少し離して、小声で言った。

 

「執行課の新人が、人違いで殺しました」

 

 先輩の顔から、にやにやが消えた。

 念のために確認しておくが、我々の仕事に「やり直し」はない。触れて死んだ者は、もう死んだのだ。巻き戻すという概念がそもそもこの世界には存在しない。神様局が扱う「因果の調整」というのも過去をなかったことにする力ではない。あれは、これから起きることのランダムな部分――誰かが角を曲がる一瞬のタイミングや、飛んでいく弾の僅かな向き――を、細かく細かく突いて、大きな流れをずらしていく仕事だ。未来には効く。済んだことには、何も効かない。

 だから、今この瞬間、世界には二つのほころびがあった。

 死ぬはずのなかった連れが、死んでいる。

 死ぬはずだった男が、生きている。

 

「先輩。これ、どっちも直さないとまずいやつですよね」

 

「まずいな」

 

「連れのほうは、もう戻せません」

 

「戻せんな」

 

「じゃあ、あとは」

 

 先輩は、言いにくそうに、しかしはっきりと言った。

 

「男のほうを、予定どおりにするしかない」

   

 言葉にすると、物騒である。

 だが、順序を思い出してほしい。あの男は、本来とっくに死んでいるはずだった。因果の帳尻として、昨日の夜に退場する予定だった人間だ。それが新人のしくじりで、まだ生きている。私がやろうとしているのは、無関係な人間をひとり殺すことではなく、遅れている一件を予定どおりに処理することだ。帳尻を合わせるだけである。

 と、頭のなかで何度も並べ替えてみたのだが、それでもやはりこれから生きている人間にひとり触れにいくのだ、という事実は、どう並べ替えても物騒なままだった。

 本来、こういう帳尻合わせは神様局の領分だ。彼らが未来の因果をうまく調整して、男が自然な流れのなかで予定どおりの結末を迎えるように仕向ける。角を曲がる一瞬を、弾の向きをほんの少しずらす。そうすれば、誰も直接手を下さずに済む。我々が触れにいくよりも、よほど穏当なやり方だ。

 私は神様局に電話をかけた。

 

「はい、神様局」

 

「死神局総務課です。因果の調整を一件、緊急でお願いしたいんですが」

 

「あー……緊急ですか」

 

 嫌な、伸ばし方だった。

 

「今ちょっと、立て込んでまして」

 

「どのくらい」

 

「順番にやってはいるんですけどね。なにぶん件数が多くて。ええと、緊急でも、いちばん早くて……半年待ちですね」

 

「半年」

 

「はい。半年後には、必ず」

 

 男が半年生き延びれば、そのあいだに因果はさらにこんがらがる。連れの死をきっかけに抗争の均衡が崩れ、死ぬはずのなかった別の人間が死ぬかもしれない。帳尻は、放っておくほど大きくなる。半年後に調整、では遅い。

 

「半年は、待てません」

 

「そう言われましてもねえ。うちも人が足りてないんですよ。そちらだって、足りてないでしょう」

 

 足りていた試しがない。それはお互いさまだった。

 

「こちらで、なんとかします」

 

「あ、やってもらえます? 助かります。じゃあそういうことで」

 

 電話は、あっさり切れた。助かるのはそちらだろう、と思ったが、言う相手はもういなかった。

   

 結局、その日の夜に私が出ることになった。

 総務課は現場に出ない、というのが建前だ。だが、執行課の新人にもう一度触らせるわけにはいかないし、回収課は回収課で手いっぱいだし、神様局は半年待ちで、先輩は「俺はもう、ああいう外の仕事は肩が凝る」と言って、露骨に椅子を回して背を向けた。消去法の果てに、いちばん現場から遠いはずの部署の、いちばん暇そうに見えた私が残った。

 男は生きていた。ぴんぴんしていた。

 夜の遅い時間、明るい店の並ぶ通りを、連れを一人亡くしたにしては軽い足取りで歩いていた。人違いで死んだ連れのことをこの男はどう聞かされているのだろう。抗争のとばっちりとでも思っているのか、それとも何も知らずにいるのか。いずれにせよ、この男にとって昨夜の死は自分の身代わりだったなどとは夢にも思っていないのだろう。当たり前だ。そんなことは我々の側の帳簿にしか書いていない。

 私は歩調を合わせて、近づいた。

 肩がぶつかる、ほんの一瞬。人混みのなかでは、誰にでも起きる、なんでもない接触だ。指先が、上着ごしではなく手の甲に触れる。それだけでいい。

 男は、振り返らなかった。舌打ちひとつせずそのまま歩いていった。数歩先で連れの誰かに呼ばれ、笑って手を上げた。今夜はまだなんともない。明日か、明後日か、あるいは半月後か、この男は予定どおりの結末を迎える。人間の記録にはそれらしい理由が残る。抗争のもつれとでも書かれるのだろう。帳尻は、合った。

 合ったはずなのに、私は少しのあいだ、その場から動けなかった。

 死ぬはずだった男が、笑っていた。死ぬはずのなかった連れは、もういない。順序を正しく並べ替えれば、これは間違いを正した、正しい仕事のはずだった。それでもいま笑っているこの背中が私の触れたせいで数日のうちに止まるのだと思うと、正しさというものが、ずいぶん薄っぺらいものに感じられた。

 こういうとき、人間なら何か言うのだろう。祈るなり、悔いるなり、酒でも飲むなり。だが我々には、それにあたるものがない。触れて、帳尻を合わせて、書類を出す。それでおしまいだ。

   

 翌日、総務課に戻ると、先輩が「済んだか」と聞いた。

 

「済みました」

 

「そうか」

 

 それだけだった。先輩はもう新聞のようなものに目を戻していて、私も自分の席についた。机の上には、昨日の一件の書類が伏せて置いてある。人違いで死んだ連れの記録と、遅れて予定どおりになった男の記録。二枚を揃えて、穴のあいた箱に入れれば、この件は終わる。

 箱の底がどこに通じているのかは、誰も知らない。放り込んだ魂がそのあとどうなるのか――どこかへ生まれ変わるのか、役目を終えたものとして解けてなくなるのか――我々のなかで、それを見た者はいない。ただ、入れれば済む。触れれば済むのと、同じように。

 電話が鳴った。三回鳴って、一拍おいて、また三回。

 相談だ。しかも、面倒な部類の。

 私は受話器を取る。

 

「はい、死神局総務課」

 

「あのう、ペストマスクって、どこで支給されるんでしょうか」

 やはり面倒な部類だった。

 

 

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