こちら死神局総務課   作:朝凪小夜

2 / 9
第二話 死の舞踏

 

「あのう、ペストマスクって、どこで支給されるんでしょうか」

 

 やはり面倒な部類だった。

 ペストマスク、というのは、あの鳥の嘴のような形をした、先の尖った白い仮面のことである。人間の医者が、その昔、疫病の患者を診るときにかぶっていたものだ。嘴の中に香草を詰めて、悪い空気を防ごうとした。防げてはいなかったが、少なくとも本人はそう信じていた。

 なぜ死神がそれを欲しがるのか、私には長らく理解できなかった。だが、こういう電話が今週に入ってもう五件目となると、理解とは別のところで、何かが流行っているのだということだけはわかる。

 

「支給されません」

 

「そこをなんとか」

 

「そういう部署ではないので」

 

「でも、雰囲気が」

 

「切りますよ」

 

 切った。

 受話器を置くと同時に、また鳴った。二回で切れた。間違い電話――ではなかったらしく、すぐにまた鳴りはじめた。三回、一拍、三回。相談。私は受話器を取り、名乗る前に、先に言った。

 

「大鎌もペストマスクも刀も、支給されません」

 

「……えっ、なんでわかったんですか」

 わからいでか。

   

 その日の午後だけで、私は十一件の同種の相談をさばいた。内訳を記しておくと、大鎌が四件、ペストマスクが三件、刀が二件、鎖鎌が一件、そして「黒いローブに骨の顔で、患者の枕元に静かに立ちたい」というのが一件。最後のは相談というより、ほとんど願望の吐露だった。

 共通しているのは、みな若いということだ。百歳前後。生まれて言葉を覚え、仕事を覚えたばかりの世代が、そろって人間じみた道具立てに憧れはじめている。

 先輩は、私が受話器を置くたびに、面白そうにこちらを見ていた。

 

「流行ってるなあ」

 

「流行ってます。何なんですか、これは」

 

「知らんのか。人間の絵だよ」

 

 先輩によると、こうだった。

 最近、人間の作った古い絵の複製が、若い死神のあいだで出回っているらしい。骸骨が生きた人間の手を取って、列をなして踊っている絵だ。王も、僧も、農夫も、子供も、みな骸骨に手を引かれて、同じ踊りの輪に加わっている。

 

「死の舞踏、というやつだ」と先輩は言った。

 

「六百年ばかり前の、あのペストのあとに、人間があちこちの壁に描きはじめた。教会の壁だの、墓地の回廊だの、そこらじゅうにな。身分がどうあろうと、金があろうとなかろうと、死だけは誰のところにも同じように来る――そういう絵だ。人間なりの、慰めだったんだろう」

 

「慰め」

 

「そうさ。あんまり大勢が、あんまりあっけなく死ぬもんだから、せめて理屈がほしかったんだな。死は誰のところにも等しく来る、金持ちも貧乏も関係ない、と。そう思えば、少しは公平な気がするだろう。実際には、公平でもなんでもなかったが」

 

 私は少し黙ってから、聞いた。

 

「実際のところ、どうだったんですか。あの頃は」

 

 先輩は、新聞のようなものを畳んだ。畳むときは、たいてい長くなる。

 

「公平なわけがあるか。逃げられる者は逃げた。城のある者は城にこもった。田舎に別荘のある金持ちは、さっさと街を出て、空気のいいところで難を逃れた。逃げられなかったのは、いつだって逃げ場のない連中だ。街に残るしかない者、病人の世話をするしかない者、死体を運ぶしかない者。そういう連中のところに、我々は通った。来る日も来る日も、同じ路地を」

 

「大鎌を持って」

 

「持ってたなあ。あの頃は本当に、みんな持ってた。持ってたというより――そうだな、あれだけ大勢に触れて回っていると、こう、抱えて歩ける何かがあったほうが、気分が締まったんだ。手ぶらで一日に何百人にも触れて回るのは、なかなかどうして、こたえるものだからな」

 

 先輩は、そこで少し、遠くを見るような目をした。

「農夫が使う、あの草を刈る鎌な。あれがちょうど、我々の仕事に似ていた。人間のほうが、先にそう思ったんだ。命が、畑の麦みたいに一斉に刈られていく。ならば刈る者には鎌がある、と。人間が我々にその形を着せた。我々じゃない。人間が、勝手に」

 

「で、着せられたほうも、まんざらでもなかった」

 

「……まあ、そうだな」

 

 先輩は、認めた。

   

 念のために言っておくと、我々には本来、姿というものがない。

 あるのは、空間のかすかな揺らぎのようなものだけだ。輪郭もなければ、手も、口も、嘴もない。それが本来の姿――というより、本来は姿がないのが正しい。

 ではなぜ、こうして手で受話器を取り、口でものを言い、椅子に座って新聞のようなものを読んでいるのか。答えは単純で、そのほうが落ち着くからだ。人間のかたちを一つ借りて、そのなかに収まっていると、なんとなく、据わりがいい。揺らぎのままでいるより、輪郭があったほうが、自分がここにいる気がする。

 これは、たぶん、あまり良い兆候ではない。

 揺らぎであった頃の我々は、道具などいらなかった。姿がないのだから、大鎌を提げる手もなかった。それが、人間の姿を借り、人間の道具を借り、いまや人間の描いた絵に憧れて、その絵のとおりの仮面を欲しがるところまで来ている。省くために借りたはずのものに、少しずつ、寄りかかっていく。手を持てば手で受話器を取りたくなり、絵を見れば絵のとおりになりたくなる。

 若い連中がペストマスクを欲しがるのを、私は笑えない。私もまた、揺らぎのままでいるより、こうして椅子に座っているほうを選んでいる。程度の差でしかない。

   

 その週の終わりに、一件だけ、少し毛色の違う相談が来た。

 声からして、かなり若い。四十歳そこそこ、まだ仕事を覚えている途中の世代だ。

 

「あの、道具のことじゃ、ないんですけど」

 

「はい」

 

「先輩たちが、こう、大鎌とか、刀とか、格好つけてるじゃないですか」

 

「つけてますね」

 

「僕、この前、初めて一人で仕事に行ったんです。人に、触れる仕事に」

 

 私は、受話器を持ち直した。こういうときは、たいてい、道具の話より面倒だ。

 

「触れて、その人、次の日に亡くなって。ちゃんと、書類も出して。全部、手順どおりにやったんです。でも」

 

「でも」

 

「なんにも、格好よくなかったです。大鎌も刀もいらなくて、ただ、電車で肩がぶつかっただけで。それで一人、いなくなって。……先輩たちは、どうしてあんな、格好つけたがるんでしょうか。あれをやったあとで、よく」

 

 私は、少し考えた。

 考えて、それから、たぶんこういうことなのだろう、と思ったことを、そのまま言った。

 

「格好をつけていないと、やっていられないからじゃないですかね」

 

「……はあ」

 

「大鎌があれば、自分は死を刈る者だ、という気になれる。仮面があれば、これは仕事だ、という顔ができる。何もないと、ただ、電車で肩がぶつかっただけになる。それで一人いなくなった、という、それだけになる。たぶん、それに耐えられる者ばかりじゃ、ないんですよ」

 

 電話の向こうは、しばらく黙っていた。

 

「あなたは、耐えられるんですか」

 

 いい質問だった。私は、正直に答えた。

 

「耐えているというより、慣れてしまっただけです。慣れると、格好をつける気力もなくなります。それはそれで、あまり良いことじゃ、ないのかもしれません」

 

「そう、ですか」

 

「道具が要るなら、要ると思ううちは、要るんでしょう。無理に取り上げることもない。そのうち、要らなくなります。たいていのことは、そのうち、どうでもよくなりますから」

 

 電話は、静かに切れた。

   

 受話器を置くと、先輩が、こちらを見ていた。

 

「珍しいな。ずいぶん親身だったじゃないか」

 

「そうですか」

 

「らしくないぞ。いつもは三言で切るくせに」

 

 言われてみれば、そうだった。私は少し、決まりが悪くなって、机の上を片づけるふりをした。

「あの絵な」と先輩が言った。

 

「死の舞踏の絵。あれ、なんで骸骨がみんな踊ってるか、わかるか」

 

「さあ」

 

「楽しそうだからだよ」

 私は、先輩のほうを見た。

 

「人間が描いたんだ。死ぬのは怖い。あっけなくて、理不尽で、順番もめちゃくちゃで、怖い。だから、せめて描くときくらいは、笑って踊っていることにした。骸骨のほうを、楽しそうにしてやった。手を取って、輪になって、踊っていることにな。そうすれば、こっちへ来るのも、少しは怖くない気がするだろう」

 

 先輩は、畳んだ新聞のようなものを、また広げた。

 

「若い連中がペストマスクを欲しがるのもな、案外、同じことなのかもしれん。あいつらだって、本当は怖いのさ。人に触れて、いなくしてしまうのが。だから、格好をつける。骸骨が踊るのと、同じだ」

 

 私は、何も言わなかった。

 その日の帰り――帰る場所などないのだが、便宜上そう呼んでいる――に、私は、若い連中が回しているというその絵を、一度だけ見てみた。

 なるほど、骸骨は、楽しそうに踊っていた。王の手を取り、子供の手を取り、順番もかまわず、みな同じ輪のなかで踊っていた。よく見ると、そのなかに一人、こちらに背を向けて、手ぶらのまま、少し疲れたように立っている骸骨がいた。踊りの輪から、半歩だけ外れて。

 たぶん、そういう気分で描いた人間も、あの頃、一人くらいはいたのだろう。

 電話が鳴った。三回、一拍、三回。

 私は、受話器を取った。

 

「はい、死神局総務課。大鎌もペストマスクも刀も、支給されません」

 

「あ、いえ、あの」少し慌てた、若い声だった。

 

「支給の話じゃ、なくて。……この前、電話した者なんですけど。お礼を、言おうと思って」

 

 私は、少しだけ、受話器を持つ手に力を入れた。

 

「どういたしまして」

 それだけ言って、切った。

 珍しく、面倒な部類では、なかった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。