こちら死神局総務課   作:朝凪小夜

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第二十話 こちら死神局総務課

 

 電話が鳴っている。

 総務課の電話は鳴り方でだいたい用件がわかる。二回で切れるのは間違い電話。延々と鳴り続けるのは回収課からの応援要請。今鳴っているのは三回鳴っては一拍おいてまた三回。これは相談だ。しかも面倒な部類の。

 同じだ。

 二百年同じ電話が鳴っている。

   

 私はまだ消えていない。

 手がすり抜けたのはあれから何度かあった。減ってはいない。増えてもいない。相変わらずたまに机に手がめり込む。相変わらずたまに受話器を掴み損ねる。

 持ち直したのかどうかはわからない。

 古株は持ち直すやつもいると言った。なぜ戻るのかは知らんとも言った。何も知らんのだと。

 私も知らない。

 明日消えるかもしれない。百年後かもしれない。七百年やってそれから消えるのかもしれない。誰にもわからない。私にもわからない。

 わからないまま私は今日も電話を取る。

   

 受話器を取った。

「はい死神局総務課」

 

「あのう」若い声だった。

 

「大鎌ってどこで支給されるんでしょうか」

 二百年この相談が来る。

 ペストマスクも来た。刀も来た。鎖鎌も来た。骨の顔で枕元に立ちたいというのも来た。

 人間の描いた絵に憧れて我々はその絵のとおりになりたがる。先輩が言っていた。あれは怖さのかたちだと。骸骨が楽しそうに踊るのも嘴に香草を詰めるのも大鎌を欲しがるのもみな怖さのかたちだと。

 

 私は答える。

 

「支給されません」

 

「え」

 

「触れれば済むので」

 

 ここまでは、同じだ。

   

 だが私は続ける。

 

「ただ済まないこともあります」

 

「済まない」

 

「触れても死なない人がいます」と私は言った。

 

あの人間だ。もう我々には殺せない。机の上に一枚目の紙がある。

 

「触れていないのに、死ぬはずだった人が死ななくなることもあります」

 

 荷役の男だ。二枚目の紙。

 

「死にたいと言っている人が四十年死なないこともあります」

 

 河沿いの人間だ。三枚目。

 

「間違えて触れて、関係のない人が死ぬこともあります」

 

 荷が崩れた若い男。名前のわからない人間。四枚目と五枚目。

 電話の向こうは黙っていた。

 

「そういうときは」と私は言った。

 

「どうにもなりません」

 

「どうにもならないんですか」

 

「なりません」と私は言った。

 

「ですがこちらに電話してください。解決はしません。ただ聞きます」

   

 電話を切った。

 隣で新しいのがこちらを見ていた。

 

「うまく言えましたか」とその子は言った。

 

「言えました」と私は言った。

 その子は少し笑った。

 この子はもう五十年になる。

おかしくないですかと言った。

 あの一言が私を変えた。二百年おかしいと思ったことのなかった仕組みをおかしいと私は言った。言ってから自分で驚いた。

 この子はそれを知らない。知らないまま隣に座って電話を取っている。

   

 その日の午後私は河岸へ行った。

 もう行かないと決めた。触れないと決めた。だからそれきり行っていなかった。

 何年振りか。

 なぜ行ったのかは自分でもよくわからない。触れるためではない。それは決めた。決めたことを覆すつもりはない。

 ただ見たかった。

   

 男はいた。

 もう長く経っている。人間の時間は我々にとってはほんの少しだ。だが人間にとっては長い。

 男は老けていた。

 シャッターを下ろしていた。重そうなシャッターを両手で引き下ろして途中で一度止めてまた引いた。

 同じ手つきだった。

 同じところで一度止める。

 私は通りの向こうからそれを見ていた。

 なぜ止めるのかはわからない。重いのか腰が悪いのか癖なのか。何度見てもわからない。聞く仕組みがない。

 わからないまま私はそれを見ていた。

   

 男は錠をかけて腰を少し伸ばした。

 それから歩き出した。暖簾のかかった店のほうへ。

 私は追わなかった。

 あのとき私はあと二歩まで行った。手を上げかけた。上げかけて止まった。

 止めたのは私だ。誰にも命じられていない。誰にも止められてもいない。

 あの男はそれを知らない。

 自分が本来ずっと前に死ぬはずだったことも。誤って生き延びたことも。死神があと二歩のところまで来て手を上げかけたことも。何一つ知らない。

 知らないままシャッターを下ろして腰を伸ばして店へ行く。

 それでいいと私は思う。

   

 この男はいつか死ぬ。

 人間はいずれ死ぬ。回収課の古株がそう言った。二十年後か三十年後かあるいは明日か。そのときに回収課が行く。帳簿はいつかは合う。

 そのときに行くのは私ではないかもしれない。

 私はそのころには消えているかもしれない。この男が死ぬころには私はもうどこにもいなくて、誰かが飽きたんだろうと言って、それで終わっているのかもしれない。

 それでもこの男は死ぬ。

 誰かが迎えに行く。魂を受け取って箱に入れて穴に落とす。

 穴の底がどこに通じているかは誰も知らない。

   

 総務課に戻った。

 机の上に五枚の紙がある。

 五枚とも出す先がない。片づかない。

 私はそれを見た。

 片づけないと私は決めた。誰にも命じられず、誰にも責められず、誰にも止められないまま、私が一人で決めた。

 二百年で初めて決めたことだった。

 それだけのことがこんなに重いとは思わなかった。

   

「あの」と新しいのが言った。

 

「はい」

 

「六枚目書かないんですか」

 

 私はその子を見た。

「六枚目というのは」

 

「今日の」とその子は言った。

 

「河岸に行ったんですよね」

 

 行った。久しぶりに行った。そしてあの男が同じ手つきでシャッターを下ろすのを見た。

 それを書くのか。

 書けば六枚になる。

 書かなければ五枚のままだ。

   

 私は紙を引き寄せた。

 そして書いた。

 あの男は年月が経っても同じところでシャッターを一度止める。なぜ止めるのかはわからない。見てもわからない。

 老けていた。

 それだけを書いた。

 六枚目を机の上に置いた。

   

「意味あるんですか」とその子が言った。

 

 悪気はなかった。ただ聞いていた。

 

「ありません」と私は言った。

 

私は同じことを言った。意味はない。何も変わらない。ただなかったことにはできない。

 二百年意味のないことをしてきた。電話に出て聞いて切った。ほとんど何も解決しなかった。大鎌は支給されない。人間には触れられない。魂は待つしかない。死にたい人間には何もできない。間違えたものはなかったことにならない。

 解決できないまま聞いてきた。

 それが総務課の仕事だった。

   

 私はそれを電話番だと思っていた。

 若い者にそう言われた。総務課は電話番だと。格好よくない。大鎌もない。現場にも出ない。人気がない。

 そのとおりだった。

 だが電話は鳴る。

 鳴れば誰かが取らなければならない。取って聞かなければならない。聞いて解決しないと言わなければならない。解決しないが聞くと。

 誰かがそれをしていなければこの局はたぶんもっと雑になる。

 怖くないから雑なんだと古株は言った。人間は死ぬのが怖いから丁寧になる。我々は怖くないから雑になる。

 だがこわがっている死神がいる。

 こわいと言った子がいた。二日後に倒れるのを見てしまった子がいた。そういう者たちが電話をかけてくる。

 かけてきたときに誰かが取る。

 それだけのためにこの部署はたぶんある。

   

 その晩電話が鳴った。

 三回一拍三回。相談だ。

 新しいのがこちらを見た。

 

「出ますか」とその子は言った。

 

「出ます」と私は言った。

 

 私は手を伸ばした。

 伸ばして受話器を掴んだ。

 掴めた。

 今日はすり抜けなかった。

   

「はい死神局総務課」

 

「あのう」

 

 若い声だった。知らない声だった。生まれてまだいくらも経っていない声だ。十年か二十年か。言葉を覚えたばかりの声。

 

「あのう僕今日初めて人に触れました」

 

 私は受話器を持ち直した。

 

「触れましたか」

 

「触れました。ちゃんと手順どおりに。書類も出しました」

 

「はい」

 

「でも」とその子は言った。

 

 少し間があった。

 

「なんにも格好よくなかったです」

   

 同じだった。

 あのとき電話をくれた子はこう言った。ただ電車で肩がぶつかっただけでそれで一人いなくなって。先輩たちはどうしてあんな格好つけたがるんでしょうかと。

 私はこう答えた。格好をつけていないとやっていられないからじゃないですかねと。

 あの子はいま私の隣に座っている。

   

「大鎌が要りますか」と私は聞いた。

 

「え」

 

「大鎌があれば」と私は言った。

 

「自分は死を刈る者だという気になれます。仮面があれば、これは仕事だという顔ができます。何もないと、ただ肩がぶつかっただけになります。それで一人いなくなったという、それだけになります」

 

 電話の向こうは黙っていた。

 

「要りますか」と私はもう一度聞いた。

 

「……わかりません」とその子は言った。

 

「では要らないです」と私は言った。

 

「わからないうちは要らないです。要ると思うようになったら、また電話してください。そのときも支給はしませんが」

 

 その子は少し笑ったようだった。

   

「あの」とその子は言った。

 

「一つ聞いていいですか」

 

「はい」

 

「触れるとこわいんですけど」とその子は言った。

 

「これ慣れますか」

 

 私は少し黙った。

 慣れる。二百年で私は慣れた。慣れて雑になった。何百人にも触れて業務量として数えてそれでなんとかやってきた。

 先輩はこう言った。業務量として数えるのは、我々なりの身の守り方なんだと。飲み込まなければ続けられない。続けなければその日の列は減らない。

 そのとおりだった。

 だが。

 

「慣れます」と私は言った。

 

「ですが慣れないほうがいいです」

 

「え」

 

「こわがったままやってください」と私は言った。私は同じことを言った。

 

「慣れると楽になります。楽になると続けられます。ですが慣れてしまうと、こわがっていた頃の自分がいなくなります」

 

「それでいいんですか」

 

「よくはないです」と私は言った。

 

「でもそういうものです」

   

 電話を切った。

 私は受話器を置いた。

 置いた手を少し見た。

 まだある。

 明日もあるかはわからない。明日消えているかもしれない。机の上に六枚の紙を残して。読みかけの先輩の新聞を引き出しに残して。

 誰かが飽きたんだろうと言うだろう。

 隣のこの子が六枚の紙を読むだろう。声に出して。それから捨てるだろう。頼んである。

 それでいい。

   

 だが今日はまだ消えていない。

 今日は電話を取った。取って聞いて答えた。解決はしなかった。何も変わらなかった。

 明日もたぶん鳴る。

 大鎌はどこで支給されますか。ペストマスクは。刀は。人間に惚れられました。魂が離れません。人間が死にたいと言っています。間違えて触れてしまいました。触れたのに死にません。

 全部来る。

 二百年来た。これからも来る。私が消えても来る。誰かが取る。

   

 電話が鳴った。

 三回一拍三回。

 相談だ。しかも面倒な部類の。

 私は受話器を取る。

 

「はい、死神局総務課」

 

 

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