テレパシーが廃止されるらしい。
正確には、廃止ではない。使ってはいけない、という決まりができたわけでもない。ただ、若い連中がまったく使わなくなったので、事実上動かす者がいなくなった。それだけのことだ。設備は残っている。誰も触らないだけで。
私のところにその通達――通達というほど大層なものでもない、回覧のようなもの――が回ってきたとき、隣の席の先輩は露骨に不機嫌になった。
「テレパシーの、どこが悪いんだ」
「品がないそうですよ」
「品」
「頭の中に直接声が響くのは、無作法だと。若い子が言ってました」
先輩はしばらく何か言いたそうにしていたが、結局、大きく息を吐いた。息を吐く必要など本来ないのだが、人間の姿を借りているとこういうときに息を吐きたくなる。
「あれは、いい仕組みだったんだぞ」
我々の連絡手段はこれまでに何度も変わってきた。
先輩に言わせればいちばん古い頃は何もなかったらしい。用があれば、揺らぎのまま、直接そばに寄って揺らぎで伝えた。声もなく、言葉もなく、ただ、揺らぎが重なることで意味が通じた。私はその頃を知らない。生まれたときすでにテレパシーがあった。
「あれはな、狼煙みたいなもんだった」と先輩は言う。
「遠くの揺らぎに、こう、ぽん、と信号を送る。相手が気づけば、返ってくる。のんびりしたもんさ。急ぎの用なんか、そもそもなかったからな。人間ひとり死ぬのに、こっちが急いだって仕方がない」
「狼煙って、実際に使われてたんですか。人間に」
「使ってたとも。山の上で火を焚いて、煙で報せる。敵が来た、とかな。昼は煙、夜は火だ。峰から峰へ、次々に上げていく。うまくやれば、端から端まで、半日もかからずに報せが届いた。たいしたもんだよ。……もっとも、煙で伝えられることなんぞ、たかが知れてる。来た、か、来ない、か。それくらいだ。込み入った話は、狼煙じゃ無理だ」
「テレパシーも、そんなものでしたか」
「いや、テレパシーはもっと通じた。なにせ、頭の中に直接だからな。込み入った話も、機微も、全部通じる。あれ以上に通じる手段は、たぶんない。だからこそ――」
「品がない、と」
「うるさい」
込み入った話も機微も全部通じてしまうからこそ、無作法だ、というのが、若い連中の言い分なのだった。相手の頭の中に土足で上がり込むようなものだ、と。彼らはもう少し、間口の狭いよそよそしい手段を好む。用件だけが、きちんと用件として届く手段を。
その点、電話はちょうどよかったのだろう。
人間の通信の歴史というのは、先輩に言わせれば、「だんだん遠くの相手とだんだんつまらない話をするようになった歴史」だそうだ。
「昔はな、遠くに何か伝えるのは、命がけだった」と先輩は言う。
「飛脚って知ってるか。手紙を持って、走るんだ。人間が、自分の足で。街から街へ、昼も夜も走って、次の走り手に渡す。渡されたやつが、また走る。そうやって、繋いでいく」
「走って、ですか」
「走ってだ。何日もかけてな。だから、そうまでして伝える手紙ってのは、たいてい、よほどの用件だった。誰かが死んだ、とか。戦が始まった、とか。金を貸してくれ、とか。命がけで走ってもらうんだから、くだらん話は書けん。書けば走り手に悪い」
私は、少し想像してみた。何日もかけて人間が走って届けた手紙に、たいした用がなかったときの、受け取った側の顔を。
「で、電報ってのが出てくる」先輩は続けた。
「これは速い。線を張って、その線に信号を流す。とん、とん、つー、とん、と。文字を、点と線に置き換えて送るんだ。飛脚が何日もかけたところを、電報は一瞬だ。ただし、これは、一文字ごとに金がかかった」
「一文字ごとに」
「そうさ。だから、みんな、削りに削った。よけいな言葉は全部落として、用件だけ、ぎりぎりまで短くして送る。『チチキトク』とかな。父危篤、だ。てにをはも何もない。金がもったいないからな。あの頃の人間の文章は、そりゃあ引き締まっていたよ。一文字が、金だったんだから」
「今は、そうでもないですね」
「今はひどいもんだ」
先輩は、心底ひどい、という顔をした。
「電話だ。線が繋がって、声が、そのまま届く。速いし、安いし、いくら喋ってもいい。そうなると人間は、どうなったと思う」
「どうなりました」
「くだらん話を、延々とするようになった。飛脚なら書けなかったような、電報なら一文字が惜しかったような、心底どうでもいい話を、何十分も。遠くの相手と、顔も見ずに、ただ、どうでもいい話を。……便利になるってのは、ああいうことなんだな。命がけの用件が、どうでもいい世間話に、置き換わっていく」
先輩は、そこで、少し愉快そうに笑った。
「で、そのどうでもいい機械に、今度はうちの若いのが、こぞって憧れてる。もしもし、はい、死神局です、ってな。あれだけテレパシーを品がないと言っておいて、ずいぶんな話じゃないか」
その日の相談は、案の定、電話にまつわるものが多かった。
「電話の、声の低いやつが格好いいと聞いたんですが、どうすれば低くなりますか」
「なりません。生まれつきです」
「留守番電話、というのを入れてみたいんですが」
「総務課にかけないでください。留守にできないので」
「電話をかけるとき、名乗るのと、名乗らないのと、どちらが玄人っぽいですか」
「仕事してください」
最後の一件は、さすがに私も、少し語気が強くなった。相手は「すみません」と小さく言って、切った。
先輩が、また、面白そうにこちらを見ている。
「玄人っぽさを、気にしてたなあ」
「気にしてました。仕事の中身じゃなくて」
「昔はな、そんなことを気にする余裕もなかった。狼煙も、飛脚も、道具そのものが用件だったからな。道具に凝ってる暇があったら、走れ、って話だ。それが、道具が便利になって、余裕ができて、そうすると人間も我々も、道具のほうに凝りはじめる。低い声だの、名乗り方だの、留守番電話だの」
「余裕ができた、ということですかね。良いことなんでしょうか」
「さあな」先輩は、新聞のようなものをめくった。
「余裕ができたぶん、みんなどうでもいいことを気にするようになった、というだけかもしれん。忙しいうちが花、というのは、案外、当たってるのかもしれんぞ」
その週、テレパシーの設備が、正式に止められることになった。
誰も反対しなかった。反対するほど使っている者がいなかったので、反対のしようもなかった。ただ、止める前に一度、動作の確認をするという名目で、私と先輩が、その古い設備のところへ行くことになった。総務課は、こういう、誰もやりたがらない立ち会いだけは、なぜか必ず回ってくる。
設備といっても大したものではない。揺らぎが集まる、少し空気の澄んだ一角があるだけだ。かつては、ここに立つと遠くの誰かの思念が直接頭の中に届いた。込み入った話も、機微も、全部。
先輩が久しぶりにテレパシーを送ってみた。
声ではなく言葉でもなく揺らぎが直接私の中に入ってきた。
――昔は、これで、全部済んだんだ。
言葉にすれば、そういう意味の何かだった。だが、テレパシーで受け取ると、そこには言葉にならない部分も一緒についてきた。少し寂しいような、それでいて、どうでもいいような、うまく名前のつかない感触。電話では絶対に届かないものだった。電話は用件しか運ばない。よそよそしい。だからこそ若い連中はそれを好む。
なるほど、これは品がない。
人の中にこんなにまっすぐ入ってくるのだから。用件だけでは済まない。余計なものまで、全部届いてしまう。若い連中が嫌がるのもわからなくはなかった。届きすぎるのは確かに少し、しんどい。
「止めましょうか」と私は言った。
「止めるか」と先輩は言った。
私は、揺らぎの澄んだ一角に、そっと触れた。触れれば済むのは、人間だけではない。設備も、触れれば、止まった。
少しだけ空気が普通になった。
帰り道――便宜上そう呼んでいる――に、先輩がぽつりと言った。今度は、口で。
「テレパシーがなくなると、俺たちも、だんだん、電話みたいになっていくんだろうな」
「電話みたいに」
「用件しか、伝えなくなる。余計なものは、届かなくなる。よそよそしく、なっていく。……まあ、そのほうが楽なんだろうがな」
私は、返事をしなかった。
その晩、机の上の電話が鳴った。三回、一拍、三回。相談だ。
私は受話器を取った。もう頭の中に直接声が響くことはない。ただ、線を伝って用件だけがよそよそしく届く。
「はい、死神局総務課」
「あのう」若い声だった。
「テレパシーって、どうやったら使えるんでしょうか。なんか、昔のやつのほうが、味があるって聞いて」
私は、少し黙った。
それから、言った。
「……今日、止めたばかりです」
人間の真似も我々の流行も、たいてい、こういう順番で来る。要らなくなってから、惜しくなる。惜しくなった頃には、もう、止めたあとだ。