こちら死神局総務課   作:朝凪小夜

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第五話 神様局の窓口

 

 神様局から詫びが来た。

 正確には詫びのようなものだ。あの半年待ちの一件を覚えているだろうか。人違いで生き延びた男を予定どおりにするために、私が神様局へ因果の調整を頼んで、立て込んでいるからいちばん早くて半年待ちだと断られた、あの件だ。あのとき、結局こちらでなんとかした。神様局は何もしなかった。

 それが今ごろになって、あのときは対応できずに申し訳なかった、ついては一度こちらへ来て話を聞いてくれないか、という連絡が来た。半年が経っていた。半年経てば必ず、と言っていた、その半年だった。

 

「行くのか」と先輩が言った。

 

「行きます」私は言った。

 

「あれだけ袖にされたので、一度、中を見てやろうかと」

   

 神様局は、死神局とは別の系統だ。

 我々死神局が人間ひとりの寿命と魂を扱うのに対して、神様局はもう少し世界寄りの仕事をしている。因果の調整というのがその中心だ。過去を巻き戻すのではない。そんな力は、誰にもない。彼らがやるのはこれから起きることのランダムな部分を突くことだ。

 たとえば、誰かが交差点で右を向くか左を向くか。飛んでいく石があと数センチどちらへ逸れるか。すれ違う二人が、同じ瞬間に同じ角に来るか、それとも一歩ずれるか。世界には、そういう、どちらでもよかった分かれ道が無数にある。神様局はその分かれ道をほんの少しずつ突いて、大きな流れをあるべきほうへ寄せていく。

 一つ一つはごく小さい。石が数センチ逸れる。それだけだ。だが、その数センチが積み重なって、やがて、戦の勝ち負けになったり、王朝の興りになったり、あるいは、一人の男が予定どおりの結末を迎えるかどうかになったりする。小さな接触が、波及して、大きく動く。我々が一回の接触で個を終わらせるのと、原理は同じだ。ただ規模と、細かさが、違う。

 その神様局がいつも混んでいる。

 なぜ混んでいるのか、行ってみてわかった。

   

 窓口があった。

 人間の役所の窓口をそっくり真似たような、長い机が並んでいて、その向こうに神様局の者たちが座っていた。机の上には書類のようなものが山と積まれている。そして机の前には、順番を待つ列ができていた。

 列を作っているのは、人間ではない。因果だった。

 うまく説明できないのだが、調整を待っている一つ一つの案件が、ぼんやりとした塊になって、順番待ちの列を作っているのだった。あの戦の帰趨をどちらに寄せるか。あの疫病を、どの街で食い止めるか。あの一族を、興すか、絶やすか。そういう案件が無数に列をなして、窓口が空くのを待っている。

 列は、見える範囲の、ずっと先まで続いていた。先が見えなかった。

 

「これは……」と私は、思わず言った。

 

「多いだろう」と、案内役の神様局の者が言った。

あのとき電話に出た者かどうかは、声だけではわからなかった。

 

「これでも、減ったほうなんだ。昔は、もっとひどかった」

 

「昔は」

 

「疫病の頃なんかな。人がばたばた死ぬと、そのぶん、因果が乱れる。誰が生き残るか、誰が死ぬか、どの家が絶えて、どの家が続くか。全部が一度に狂うんだ。そうすると、調整の案件が一気に増える。あの頃はこの列が街の外まで続いていた。処理が、まったく追いつかなかった」

 

 私は、少し、理解しはじめた。

「もしかして」と私は言った。

 

「あの、半年待ち、というのは」

 

「本当に、半年待ちだったんだ」

 

案内役は、少し疲れたように言った。

 

「嘘でも、方便でもない。この列を見ればわかるだろう。あんたの案件もちゃんと列に並んでいた。ただ、順番が半年先だった。それだけだ」

   

 私は、少し、言葉を失った。

 あの案件のとき、私は神様局が仕事をサボっていると思っていた。混雑を口実に、面倒を押しつけていると。だがこの列を見ると、そう単純な話ではなかった。彼らはサボっていたのではない。ただ、追いつかなかったのだ。案件が多すぎて、どうしても、追いつかなかった。

「なぜ、増やさないんですか。人を」と私は聞いた。

 

「窓口を、増やせば」

 

「増やせるものなら、増やしている」

案内役は、力なく笑った。

 

「だが、うちも、あんたのところと同じでな。人は増やそうと思って増えるものじゃない。気づいたら、いる。気づいたら、いなくなる。増えるのを待つしかない。そしてたいてい、案件が増える速さのほうが人が増える速さよりずっと速い」

 

 気づいたら、いる。気づいたら、いなくなる。それは、我々とまったく同じだった。別系統だ、世界寄りの仕事だ、と言っても、根っこのところは同じ穴だった。誰も両端を握れない。増えるのも、消えるのも、勝手に起こる。そのあいだの真ん中だけをなんとか回している。

「大変ですね」と、私は、つい、言った。

 

「お互いさまだろう」と案内役は言った。

 

「あんたのところも、足りていないんだろう」

 足りていた試しがない。今回も、そうだった。

   

 窓口の一つで実際の調整を見せてもらった。

 神様局の者が、机の上の案件に、そっと触れる。触れれば済むのはこちらも同じらしかった。触れると案件の塊がほんの少し形を変える。それだけだった。派手なことは何も起きない。石が数センチ逸れる分の調整を机の上でやると、こういう、地味な手つきになる。

 

「これで」と私は聞いた。

 

「何が、変わるんですか」

 

「今日どこかで、誰かが、右じゃなくて左を向く」と、その者は言った。

 

「それだけだ。だがその左が、十年後には、大きくなっている。かもしれない。ならないかもしれない。因果は、そういうものだ。今、確かめる術はない。十年経って、初めてわかる。あるいは、十年経っても、わからない」

 

「確かめられないのに、やるんですか」

 

「やるさ」その者は、次の案件に手を伸ばした。

 

「確かめられないから、やるんだ。確かめられるならこんなに手間はかからん。見えないものを、手探りで、少しずつ寄せていく。だから時間がかかる。だから、列ができる。……あんたたちの仕事は、まだ、はっきりしているほうだ。触れれば、死ぬ。結果が、すぐ出る。うらやましいよ」

 

 結果がすぐ出るのを、うらやましがられたのは、初めてだった。

 我々は、触れれば、死ぬ。はっきりしている。だがはっきりしているぶん、逃げ場もない。触れた瞬間に結果が出る。神様局のように十年後にわかる、あるいはわからない、という曖昧さの中に、隠れることができない。どちらが良いのかは、これも、わからなかった。この仕事は、どちらを向いても、良いも悪いも、わからないことばかりだった。

   

 帰りぎわに、案内役が、思い出したように言った。

「そういえば、あの男は、どうなった。あんたが、こっちでなんとかした、あの」

 

「予定どおりになりました」と私は言った。

 

「私が触れました。神様局が、間に合わなかったので」

 

「そうか」案内役は、少し、申し訳なさそうな顔をした。

 

「本当は、あれは、うちの仕事だったんだ。うちが間に合っていれば、あんたが手を下さずに済んだ。石を数センチ逸らすだけで済んだはずだった。誰も直接は触れずに」

 

「そうですね」

 

「すまなかったな。あんたに、余計なことをさせた」

 

 私は少し黙った。

 あの晩、笑っていた男の背中を思い出した。あれを私は直接終わらせた。神様局が間に合っていれば、私は触れずに済んだ。男は、自分では気づかないうちに右ではなく左を向いて、その左が、いつのまにか、予定どおりの結末に繋がっていた。誰にも触れられず、ただ、そういう流れの中で。そのほうが、たぶん、私にとっても、男にとっても、いくらか楽だった。

 だが、間に合わなかった。だから、私が触れた。

 

「気にしないでください」と、私は言った。

それは、半分は本当で、半分は、そうでもなかった。

   

 総務課に戻ると、先輩が「どうだった、神様局は」と聞いた。

 

「混んでました」と私は言った。

 

「本当に、混んでました。サボってたわけじゃ、なかったです」

 

「そうか」先輩は、少し意外そうだった。

 

「お前、あそこはサボってると、ずっと言ってたじゃないか」

 

「思い違いでした」私は、席についた。

 

 

「あそこも足りてないんです。うちと、同じで。増やせないんです。人が勝手にしか増えないので」

 

 先輩は新聞のようなものをめくった。

 

「どこも、同じだな」

 

「同じでした」

 

「上が、いないからだろうな」先輩は、めくる手を止めずに言った。

 

「増やせと命じる者も、こう回せと決める者も、どこにもいない。ただ、なんとなく、こういう仕組みができていて、みんな、なんとなくそれを回している。増えるのも、消えるのも、勝手にな。……誰も決めてないんだ。この仕組みを、誰も、始めた覚えがない」

 

私は返事をしなかった。

 誰も始めた覚えのない仕組みを、誰にも命じられないまま、みんながなんとなく回している。神様局も、死神局も同じだった。上はいない。列は増える。人は、勝手にしか増えない。それでも、なぜか、世界は回っている。回りつづけている。誰も止めようと決めていないから。

 その晩、電話が鳴った。三回、一拍、三回。相談だ。私は受話器を取った。

 

「はい、死神局総務課」

 

「あのう、神様局って、うちより、楽なんでしょうか」若い声だった。

 

「なんか、世界寄りの、格好いい仕事してるって聞いて。異動できないかなって」

 

「やめておいたほうがいいです」と私は言った。

 

「あっちも、列が街の外まで続いてます」

 

 どこへ行っても同じだった。列はどこにでもある。両端を握れる者は、どこにもいない。ただ、真ん中を、みんながなんとなく回しているだけだ。それでも回っているのだからたいしたものだ、と思うことにした。そう思わないと、この先の見えない列を、明日もさばく気になれなかった。

 

 

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