こちら死神局総務課   作:朝凪小夜

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第六話 繁忙期

 

 その相談は若手からのものだった。

 

「あのう、繁忙期って、いつなんでしょうか」

 

 繁忙期。人間の役所にはそういうものがあるらしい。決まった時期に仕事が集中して、その時期だけみなが遅くまで働く。それを真似て死神局にも繁忙期があるのか、あるとしたらいつなのか、備えておきたい、というのがその若手の相談だった。感心なことではある。

 

「決まった繁忙期は、ありません」と私は答えた。

 

「うちの繁忙期は、暦では来ません。別のもので、来ます」

 

「別のもの」

 

「疫病です」

 

 電話の向こうは、少し黙った。それから、いつ来るんですか、と聞いた。

「わかりません」と私は言った。

 

「向こうの都合で、来ます。こちらの都合は聞いてくれません」

   

 その日、休憩室に古株が集まっていた。揺らぎが少しくつろぐ一角のことを、便宜上そう呼んでいる。先輩と、回収課の古株と、もう一人、私より遥かに古い死神。若手の相談を横で聞いていた先輩が、何か思うところがあったらしく、めずらしく自分から昔の話をはじめた。

 

「繁忙期の話をするならな、あれを話さないわけには、いかんな」

 

「あれ、というと」

 

「六百年前の、あれだ」先輩は、少し声を落とした。

 

「黒い死、と、人間が呼んだやつだ」

 

 黒死病。人間の歴史のなかで、最も多くの人間が、いちどきに死んだうちの一つだ。先輩に言わせれば、あれは、我々の歴史のなかでも、最も忙しかった時期だった。

「ひどかった」と先輩は言った。

 

ひどかった、という言葉に実感がこもっていた。

 

「街ひとつが、ひと月で、半分になる。半分だぞ。昨日まで市場で野菜を売っていた者が、今日は荷車に積まれて運ばれていく。その荷車を引いていた者が、翌週には、その荷車に積まれる。そういう調子だった」

 

「回収が、追いつかなかったんですね」

 

「追いつくものか」先輩は、乾いた笑いのようなものを漏らした。

 

「執行課は、暇だった。こっちが手を下すまでもなく、人間が、勝手に、いくらでも死んでいくんだからな。だが、回収課は地獄だった。受け取っても、受け取っても、次が来る。箱が、足りなくなった。穴に落とす暇もなかった。受け取った魂を、抱えたまま、次の家へ走る。そういう日が、何ヶ月も続いた」

 

「神様局は、もっとひどかったらしい」と、いちばん古いのが言った。

 

「この前、あんたが行ってきた、あの列な。あれが街の外まで続いていたという。誰が生き残って、誰が死ぬか。どの家が絶えて、どの家が続くか。全部がいちどきに狂うんだからな。あいつらはあの頃何十年ぶんの仕事を数年で片づける羽目になった」

 

「よく、回りましたね。それで」

 

「回ってない」先輩は、はっきりと言った。

 

「回っていなかった。ただ、なんとか、やり過ごしただけだ。あの数年間、我々は、仕事をしていたというより、ただ、溺れないように、していただけだ」

   

 黒死病の話を、先輩は、いくつも覚えていた。

 人間が、どう振る舞ったか、という話が、多かった。

「逃げられる者は、逃げた」と先輩は言った。

 

「金のある者は、田舎の別荘に、こもった。何人かで屋敷にこもって、外の者をいっさい入れない。そして、退屈しのぎに代わる代わる話をした。おもしろい話、こわい話、みだらな話。外で人がばたばた死んでいるあいだ、屋敷の中ではそういう話が続いていた。……人間というのは、たいしたものだ。世界が半分になっても退屈はするらしい」

 

「その話は、残ったんですか」

 

「残ったとも。本になった。今でも読まれているらしい。疫病から逃げた金持ちたちの、暇つぶしの話が、だ」先輩は、少し可笑しそうなそれでいて苦いような顔をした。

 

「皮肉なものだろう。死んだ者のことは、名前も残らんのに、逃げた者の暇つぶしは、本になって六百年残る」

 

 私は少し考えた。死んだ者は我々が箱に入れて穴に落とす。名前も、記録も、穴の底へ消える。だが、逃げて生き延びた者の暇つぶしの話は本になって残る。残るのはいつも生き延びたほうだ。

 あの笑っていた男の背中を少し思い出した。私が予定どおりにした、あの男だ。あれもいっとき生き延びたほうだった。生き延びた者は笑って歩いて本を残す。終わった者は、穴の底へ消える。そのあいだに、たいした理由は、ない。ただ、順番がそうだった、というだけだ。

   

 黒死病だけでは、なかった。

 いちばん古いのが、指を折るようにして、数えあげた。指を折る必要など本来ないのだが、人間の姿を借りていると数えるときに指を折りたくなる。

 

「もっと近いところでは、百年ばかり前のやつだ」と、いちばん古いのが言った。

 

「風邪だ、と、人間ははじめ思っていた。ただの、たちの悪い風邪だ、と。だがあれは風邪ではなかった。世界中に広がった。戦のあとで、ただでさえ人間が弱っているところに来た。若い者が、多く死んだ。それがあれのいやなところだった」

 

「若い者が」

 

「そうだ。たいていの疫病はな、年寄りと、子供から、いく。弱いものからいくのが道理だ。だが、あれは、違った。いちばん元気なはずの若い者がばたばたいった。道理に合わなかった。道理に合わない死は残った者をよけいに混乱させる。なぜ、あの子が、と。順番が違う、と」

 

 順番が違う。私も、同じことを思った。人間の死はいつも順番どおりに来るわけではない。だが、順番どおりでない死ほど残った者を苦しめる。

 

「その頃には、電報だの、汽車だの、船だのが、あった」と、回収課の古株が言った。

 

「だから疫病も速く動いた。昔の疫病は歩く速さでしか広がらなかった。だが、あの頃には、人間が速く動く手段をたくさん持っていた。人間が便利になったぶん疫病も便利になったんだ。あちらの街を回収し終えて、ふり返ると、こちらの街がもう始まっている。追いかけっこだった。世界中を、ぐるぐると、追いかけて回った」

 

 

先輩が言っていた。便利になるとは、命がけの用件がどうでもいい世間話に置き換わっていくことだ、と。それと同じ理屈で、便利になるとは、歩く速さの疫病が汽車の速さの疫病に置き換わっていくことでもあった。便利さは良いことだけを速くするわけではない。悪いことも同じだけ速くする。

 

「あのときも総務は駆り出された」と先輩が苦い顔をした。

 

「総務は現場に出ない、というのが建前だが、あの規模になると建前も何もなかった。出られる者は、全員、出た。……あれは、思い出したくない」

   

 いちばん最近の繁忙期は私も覚えていた。

 そう昔のことではない。人間の暦で、ほんの数年前だ。あのときも世界中でいちどきに増えた。だが、あのときの人間はこれまでと少し違った。

 人間は家にこもった。

 黒死病のときのように、金のある者だけが逃げたのではない。ほとんどみながこもった。外に出るな、人に近づくな、と、決めて、しばらくのあいだ、世界中の人間がめいめいの家でじっとしていた。街から人が消えた。市場も、祭りも、止まった。

 あれは我々にとっては少しやりにくかった。

 

「なにしろ、触れなければ済まないからな」と、いちばん古いのが言った。

 

「人間がみな家にこもって誰にも近づかなくなると、我々は触れる相手に近づけない。執行課が困っていた。予定どおり終わらせるはずの相手が家から出てこない。出てきてもこちらも近づけない。人混みに紛れて肩をぶつけるといういつもの手が使えない。がらんとした街で一人の人間に近づくのは存外難しいんだ。目立つからな」

 

「で、どうしたんですか」

 

「工夫したさ」いちばん古いのが、少し、得意そうに言った。

 

「宅配便に化けた者もいた。荷物を届けるふりをして、玄関先で、触れる。あの頃はみんな、家に荷物ばかり届けさせていたからな。ちょうどよかった。あとは医者や看護の者に紛れた者もいた。あそこには否応なく人が集まってくるからな」

 

 想像してみた。荷物を届けるふりをして玄関先でそっと手を触れる死神を。受け取った人間は、宅配便が来た、としか思わなかっただろう。まさかその手が自分の予定を届けに来たとは。

 便利になった人間の暮らしに、死神も律儀に合わせていた。テレパシーから電話へ、大鎌から宅配便へ。人間が新しい暮らしを作るたびに、我々はそのなかに新しい紛れ方を見つけていく。少しずつ、人間じみていく。それが堕落なのか、順応なのかは、わからない。ただ、宅配便に化ける死神、というのは六百年前に大鎌を提げていた死神からは、ずいぶん、遠くまで来てしまったものだ、とは思った。

 

「人間は、賢くなった」と、いちばん古いのが言った。

 

「こもれば、疫病が広がりにくいと、気づいた。気づいて実際にこもった。世界中でいちどきに。あれは、たいしたものだったよ。あの黒い死のときは、ただ逃げるか、祈るか、だった。今度はこもって、待って、しのいだ。六百年でずいぶん賢くなった。……我々は、六百年で何か進歩したかな」

 

 私は、少し、考えた。

 

「大鎌を、やめました」と私は言った。

 

「それは、退歩じゃないか」と先輩が言った。

   

 繁忙期の話は、たいてい、最後は静かになる。

 ひとしきり、あの案件は多かった、あの時期は地獄だった、と語り合ったあとで、みな、少し黙る。数えあげた案件の一つ一つが、本当は人間ひとりの死だったことを語っている当人たちもどこかでわかっているからだ。わかっていて業務量として数えている。怖くないから数えられる。だがまったく何も感じないわけでは、たぶん、ない。感じないなら、最後に、黙ったりはしない。

「なあ」と、いちばん古いのが、ふと言った。

 

「人間は、あれだけ死んで、それでも増えつづけているだろう。三人に一人死んでも、また増える。世界中に広がる病が来ても、また増える。……たいしたものだと、思わんか」

 

「思います」と、私は言った。

 

「我々は、増えないのにな」と、いちばん古いのが言った。

 

「気づいたら、いる。気づいたら、消える。増やそうと思っても、増えん。あんなに簡単に死ぬくせにあんなにしぶとい。妙なものだ」

 

 あんなに簡単に死ぬくせに、あんなに、しぶとい。その言い方はなんとなく私の中に残った。我々は、簡単には死なない。消えるだけで、死なない。だがしぶとくもない。増えもしない。人間のように、何度でも立ち上がって、また増える、という、あのしぶとさは我々にはない。ただ消えるまでなんとなく続けているだけだ。

   

 休憩室を出ると先輩があとからついてきた。

 

「今日の話な」と先輩が言った。

 

「若いお前には、少し、薄情に聞こえたかもしれん」

 

「少し」と、私は正直に言った。

 

「街が半分になった、というのを、思い出話にするのは、少し」

 

「そうだな」先輩は、うなずいた。

 

「だが、あれをいちいち重く受け止めていたら、あの繁忙期は、越えられなかった。何百人にも触れて、そのたびに重く受け止めていたら、たぶん途中で消えていた。飽きるより先に、潰れて消えていた。……業務量として数えるのは、あれは我々なりの身の守り方なんだ。人間が、死者を洗って、拝んで、慣れていくのと、たぶん、逆向きの同じことだ」

 人間は、手間をかけて、慣れていく。我々は業務量にして感じないようにする。向きは逆だがどちらも飲み込むための工夫だった。飲み込まなければ、続けられない。続けなければ、その日の列は減らない。

 

「先輩は」と、私は聞いた。

 

「あの繁忙期のこと、本当はどう思ってるんですか」

 

 先輩は、少し、黙った。それから、いつもの、新聞のようなものを、広げるときの手つきで、言った。

 

「二度と、御免だな」

 

 それが、たぶん、本音だった。業務量として数えても、思い出話として笑っても、根のところでは二度と御免だと思っている。だから最後に黙る。だから、二度と、と言う。感じないふりが、いちばん上手な先輩でさえそうだった。

 

  

 その相談の若手には、けっきょく、こう伝えた。

 

「繁忙期は、暦では来ません。備えようがないんです。来たら、しのぐ。それしかありません」

「しのぐ、というのは」

 

「溺れないようにするんです」と私は言った。

 

先輩の言葉を、借りた。「回すのは諦めて、目の前のものだけ片づける。それで、精一杯です。繁忙期というのは、来てしまったらなんとか溺れずにいるものです」

 

「それで、いいんでしょうか」

 

「よくは、ないです」と私は言った。

 

「でも、そういうものです。上がいないので備えろと言う者もいません。増えたら、増えたぶんだけ、目の前のものを片づける。それだけです」

 

 若手は少し心細そうに、そうですか、と言って切った。

 私は、受話器を置いて少し思った。六百年前に街が半分になったとき。百年前に若い者が道理に合わず死んでいったとき。数年前に世界中の人間が家にこもったとき。そのどれもが、我々にとっては、あの年の残業、というだけだった。人間にとっては、世界の終わりのような出来事だったのに。

 その温度の差が、たぶん、我々と人間のいちばんの違いなのだろう。仕事の量として数えているうちは、我々は人間にはなれない。なれないから、こうして、続けていられる。

 その晩、電話が鳴った。三回、一拍、三回。相談だ。私は受話器を取った。

 

「はい、死神局総務課」

 

「あのう」若い声だった。

 

「繁忙期の手当てって、出るんでしょうか。先輩たちが、昔の繁忙期は大変だったって、自慢げに話してて」

 

「出ません」と私は言った。

 

「それに、あれは、自慢できるようなものじゃないです。次が来ないことを、祈ってください」

 

「祈る相手は、いるんですか」

 

「いません」と私は言った。

 

「それでも、祈るくらいはできます」

 

 上はいない。祈っても、聞く者はいない。それでも次の繁忙期が来ないことを私はなんとなく、祈った。祈る相手のいない祈りは、たぶん、ただの願いだ。願うくらいは上がいなくてもできた。

 

 

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