藤襲山の巫女鬼 きめつ隠れ里噺   作:chikuwabu

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最終選別

「うわああ! くそっ、来るな! 来るなぁぁっ!」

 

 夜の藤襲山に、まだ声変わりを迎えたばかりであろう少年の声が響く。

 恐慌状態に陥っているその少年は、腕にきつく包帯が巻かれているにも関わらず、その手に握った鬼狩りの刀――日輪刀を、とにかくがむしゃらに振り回している。そこには残念ながら、型も呼吸もありはしない。

 

 一方。その前に対峙するのは、呆れたような様子を見せる二人の鬼だった。

 

「けっ、情けねえなあ。テメェを助けてくれた巫女鬼に礼の一つもありゃしねえ」

 

 一人は、その首に複数の新たな腕を巻いた少年姿の鬼――手鬼。

 手鬼は日輪刀を振り回す少年を前にして、両腕を組んだままの余裕の構えだ。目の前の少年に対して、一切の恐れを抱いていない。

 

「まあまあ、手鬼。このくらいの年齢なら、普通はこんなものだと思いますよ?」

 

 そしてもう一人は、胸から下が赤く染まった白装束で、一見すると巫女服にも見える幼い少女姿の鬼――巫女鬼こと、花枝(かえ)

 小さな彼女は、元々はその隊士の持ち物だった応急処置に使う包帯を手にしたまま、手鬼に庇われる位置で苦笑を浮かべている。

 

 そう、この少年はつい先ほどまで、他でもない花枝によって怪我の応急処置を施されていたのだ。

 無論、堂々と鬼の姿を晒して処置をしていたわけではない。彼が気絶しているところに偶然出くわした花枝が、ただの気まぐれで手当をしていただけである。

 

「う、うわあああ!!」

 

 しかし結局、目覚めたその少年は花枝に恩を感じるどころか、二体の鬼に追いつめられ食い殺される寸前――というわけではないのだが、なんにせよこの状況に冷静ではいられずに、そのまま山を駆け下りるように走り去ってしまった。

 

「わあ、荷物も置いて行っちゃった。下山しちゃうんですかね」

 

「いいんじゃねえか? あんな体たらくで鬼殺隊士になんざなっちまったら、あっという間に鬼の餌だろ」

 

「うーん……それは否定できませんね」

 

 二人は、恐らくこのまま失格になるであろう少年の後ろ姿を見送った。

 今し方逃げていった彼は、鬼殺隊の入隊希望者である。

 そう。つまり今はまさに『最終選別』の真っ只中だった。

 

 

  ◇  ◇  ◇

 

 

 花枝が眠りから覚めて手鬼と出会ってから、すでに一年が経過していた。

 目覚めた後に手鬼の話で知ったことなのだが、花枝が目覚めた時点ですでに、花枝が藤襲山に運び込まれてから二年は経過していたのだという。

 つまり今は、花枝がこの山に来ておよそ三年目だ。

 

 手鬼の話は、花枝にとっては寝耳に水のような、まさに驚きの新事実ばかりだった。

 まず最初の驚きだが、手鬼は山に運び込まれた花枝を鱗滝憎しで『食った』のだそうだ。その結果として彼は、鬼であって鬼でない、別種の何かに変異してしまったらしい。

 そもそも鬼が具体的になんなのかを知らなかった花枝は、目覚めてから手鬼と行動を共にする中で、色々なことを知った。

 

 曰く、鬼は人を食い、日の光と藤の花を苦手とすること。

 曰く、自分たちをここに放り込んだのは鬼狩りたち――すなわち鬼殺隊で、この山は入隊試験に使われる、弱い鬼たちを閉じ込める『檻』だということ。

 曰く、花枝の血肉で変貌した手鬼からは、人食いの衝動が消え去っていること。日の光こそ苦手なままだが、藤の花は平気なのだという。

 最後についてはあとから調べてみたが、やはり花枝も同じ体質であることがわかった。

 

 そして重要なのが、もう一つ。

 今の手鬼は、憎しみや暴力衝動に囚われることなく、まともな自我と理性を取り戻していること。

 実際に花枝の目から見た彼の背には、少なくとも山で見かける他の鬼たちが背負っているような、禍々しい漆黒の呪いの影は見えなかった。

 むしろ今の手鬼は、花枝の目から見ても非常に健全な状態に見えた。鬼であるのが残念なほどだ。

 

「テメェの『浄化の力』とやらが、俺たちの中の鬼の呪いを祓ったのかもな」

 

 とは、花枝のこれまでの経緯を聞いた手鬼の談だ。

 もっとも、鬼化の影響か、それとも彼自身が意図的にそう振る舞っているのか、手鬼の口調は粗暴であり、露悪的な言動が多い。

 また、理性を取り戻した今でも鱗滝左近次に対しては思うところがあるらしく、ことあるごとに鱗滝への憎まれ口が飛び出てくるので、花枝としては嘆息ものである。

 

 

  ◇  ◇  ◇

 

 

「はぁ、今回も収穫はなさそうですね」

 

「そりゃそうだろ。普通はこんな試験に、わざわざ邪魔になる物を持ち込んだりしねえよ」

 

 花枝と手鬼は、今しがた逃げ去った少年が置いていった手荷物を漁っていた。

 

 この山で生活することおよそ一年。藤の花を苦手としない花枝たちは、山を下ろうと思えば下ることもできたのだが、やめた。

 何の計画もなしに山を下りたとしても、巡回している鬼殺隊の隊士に見つかり問答無用で頸を斬られるだけだろう。ならば、今はこの山の方がいくらか安全なのだ。

 

 だが、その上で困るのが、この山にはあまりに『道具』が少ないのである。

 植物や肉を切るための刃物ならば、ここで果てた若者たちの持っていた刀がいくらでもある。だが、逆に言えば数に困らないのは刀くらいなのだ。

 

「前に女性隊士さん……いえ、襲ってきたところを手鬼が返り討ちにして藤の花の下に放置してましたから、隊士にはなれなかったかもしれませんが……彼女が持っていた『鏡』はとても良いものでした」

 

「その後すぐ、別の隊士にお前が襲われて、あっさり割れちまったけどな」

 

「むうー」

 

 花枝の血肉を食った手鬼は、この山に潜む並の鬼よりもはるかに強くなった。

 一方、花枝は鬼とは思えぬ程に弱かった。もちろん鬼特有の不死性は持ち合わせているのだが、その身体能力は最終選別に参加している隊士候補たちにすら劣るのだ。

 なのでこうして共に暮らしている間は、花枝に近づく隊士候補や他の鬼たちを手鬼がボコボコにしてくれている。

 

 ボコボコにした人間は、藤の花の下に放り出す。殺しはしないが、積極的に助けもしない。

 花枝も手鬼も、自分たちのもつ「人間としての倫理観」が薄れている自覚があった。

 

 

 

「でも手鬼。もしかしたら他の試験参加者が、何かいい物を落としていっているかもしれませんよ? もっと色々探してみましょう」

 

「馬鹿っ、巫女鬼! テメェはそうやって簡単に身を晒すんじゃねえ!」

 

 先ほど逃げた隊士の残した袋には、ろくな道具は残っていなかった。

 袋そのものが便利な道具ではあるので、花枝はそれを手にして無警戒に森を歩き出す。

 そんな花枝に向けて手鬼の忠告が飛ぶ。

 

 が。

 

 その忠告は、遅かった。

 

「そこにいたか、鬼! 見つけたぞ!」

 

 現在この山は、最終選別の真っ只中であり、鬼殺隊への入隊を目指す若者たちが何人か入り込んでいる。

 もちろん全員が入隊前の若者であり、そのほとんどが大した力を持ちはしない。それこそ先ほどの逃げ出した少年のように、本物の鬼に対して全く力及ばぬものもいる。

 だが。必ずしも全員が弱い人間だとは、限らない。

 

「雷の呼吸……!! シィィィ……」

 

「わあ」

 

 たった今、花枝の目の前に躍り出た剣士は、見るからに強かった。年齢も先ほどの少年よりもかなり上であり、花枝から見ればほとんど大人の男性だ。腕も立つようで、刀を構えている時点ですでに、纏う覇気が違っている。

 可能性としては、鬼殺隊に出会う前から刀剣に触れていたのか、あるいは純粋に素質に恵まれていたのか。

 どちらにせよ、その剣士は獣道を歩く巫女姿の鬼を見つけると同時に、その特徴的な呼吸音を発する。

 

「馬鹿がっ!! 言ったこっちゃねえ!!」

 

 月の光の下。まるで空気が破裂したような音と同時に、剣士の体がかき消えた。

 否、彼は恐るべし速度で、花枝に斬りかかったのだ。剣士の使う雷の呼吸とは、その一瞬の速度で勝負を決めることのできる、瞬発力に秀でた呼吸である。

 

 暗い森に、肉が斬り裂かれる湿った音が響く。

 しかし、刃が花枝を切り裂く寸前、地面から幾つも伸び出てきた『腕』が壁となり、刀の軌道をねじ曲げた。切り裂かれたのはその『腕』である。

 花枝と剣士、双方が目を丸くしてその腕の壁に驚いている隙に、手鬼が花枝の小柄な体躯を抱えて駆けだしていく。

 

 今の『腕』は、手鬼の力だった。

 彼は地面を通じて己の腕を伸ばし、離れた場所に不意打ちを放つことを可能としていた。

 だが、いくら手鬼がその力で剣士をはね退けようが、貧弱な花枝はそうはいかない。戦う力もなく、このままではあっさり頸を落とされるのがオチである。

 

「逃げるぞ! 俺はまだ戦えるが、お前が斬られる!!」

 

「わあ、速い! 手鬼、あの人すごいですよ!」

 

 手鬼に抱えられながら、花枝は背後に見える剣士の姿に興奮気味だ。事実、彼はこの手鬼の速度に追いすがっていた。

 鬼が全力で森の中を走っているというのに、それに追いすがるのはやはり、瞬間的な速度に秀でた雷の呼吸の使い手ということなのだろう。

 

「鱗滝のくそが! 今の奴は最終選別の強さじゃあねえだろ!」

 

「鱗滝さまは今は関係ないですよねっ?!」

 

 手鬼は花枝を肩に担ぎ、とにかく鱗滝への恨み言をまき散らしながら。

 ただひたすらに、雷の剣士から逃走を図るのだった。

 

 

  ◇  ◇  ◇

 

 

「おい巫女鬼、テメェ腕は大丈夫かよ!」

 

「さっきの剣士さんに少し斬られてしまったみたいです。大丈夫ですよ。これくらいなら勝手に治りますし」

 

 花枝の右腕から、血が流れ出ていた。

 ようやく雷の剣士を撒けた頃、手鬼がようやくそれに気がついたらしく声をかける。

 肩に担いでいた花枝の小さな体躯を地面に降ろし、その袖を捲りあげて斬られた部位を確認する。それなりに深い傷ではあるが、じわりじわりと裂傷が再生し始めているのが見てとれた。

 

「ならいい。またアイツが来たら面倒臭ぇ。今回の『最終選別』は安全な場所で過ごすぞ」

 

「でも、私たち鬼にとって、安全な場所なんてないでしょう? 山には剣士たちがいます。藤の花の咲く範囲に下りても、例の鴉に見つかったらそれこそ逃げ場がなくなりますよ」

 

「チッ、うざったい鴉だ……」

 

 鎹鴉。その名までは知らないが、二人ともすでに鬼殺隊が鴉を使役していることは把握している。

 それぞれの隊士が連れているだけでなく、定期的にこの山の様子を空から巡回して監視しているのも鴉たちだからタチが悪い。

 あくまで今の脅威となるのは先ほどの雷の剣士だけだろうが、逆に言えば期間中はあの雷の剣士がこの山の中をうろついているのだ。人間を喰わない花枝と手鬼からすれば、ただひたすらに厄介なだけである。

 

「でも、聞いて下さいよ手鬼。血を使って、なんだか新しいことができるような気がするんです。言葉では説明し辛いんですけどね」

 

「はぁ?」

 

「たくさん血を流したからでしょうかね。こうやって、こうやって……」

 

 花枝は、血に濡れた自分の右腕を振り回して、いま自分たちが立っている地面にその血を振りまいた。

 手鬼がわけのわからなさそうな顔で花枝の所業を見ているが、花枝自身もわけはわかっていない。

 ただ、本能的に。自分の『血』を使えば、何かしらの力を行使できるのだと理解しているだけだ。

 

 花枝は振りまく血が足りなくなると、今度は空いた左手の爪を右腕に突き刺して、再びそこから流血させていく。

 鬼になっても痛みがなくなるわけではないし、普通に自傷は怖い。花枝はギュッと目を瞑って、自身の右腕から更に血を絞り出していく。

 そして最後に屈み込み、地面に出来た血だまりをその手で触れて、『力』を込めた。

 

 すると。

 

「お、おい!? なんだよ、こりゃあ……!」

 

「わあ。本当にできるだなんて、自分でもびっくり」

 

 血だまりが、黄昏色に輝きはじめた。

 暗闇だった山の中に光が発生し、手鬼と花枝の二人は地面から照らされる。

 光は徐々に大きくなっていき、大の大人が三人は横になれるほどの範囲に広がったところで。

 それは、まるで蜃気楼が実体化したかのように、光の中に静かにその姿を現した。

 

 花枝の腕でどうにか抱えられるほどの太い丸太。

 まるで長い年月を過ごしてきたかのように色あせた朱色。

 

「丸太? いや、こりゃあ……どういうことだ?」

 

「鳥居です。うん、やっぱりこれは間違いなく、わたしの家の神社の鳥居です」

 

「お前はなんでそんな冷静でいられんだよ! いきなり鳥居が生えてきたんだぞ!? 生えねえだろ、普通!」

 

 花枝の見間違いでないのならば。これは長い歴史を御霊矢(みたまや)の一族と共に過ごしてきたはずの、花枝がずっと見てきた木製の明神鳥居であった。

 見上げれば、中央の額部分には微かにまだ読める文字で『御霊矢神社』と彫られているのが見える。

 あの日、社と共に焼け落ちたはずの鳥居が、まさに今この藤襲山に出現したのだ。

 

「意味がわかんねえよ、なんだよこれ……」

 

 鬼であっても、理解できることとできないことがある。

 いま目の前で起きたことは、残念ながら手鬼にとっては『理解の外』の出来事だった。

 けれど、その横に立つ小さな下手人は、手鬼と比べるとさほど驚いた様子は見られない。というより、自分の血が鳥居を呼び寄せるということを、薄々予感していた顔である。

 

 花枝は、手鬼の手をきゅっと掴むと、くいくいと引っ張る。

 

「手鬼。とりあえず、入りますか? ここで驚いていたら、心臓がいくらあっても足りませんよ?」

 

「あ、ああ……」

 

 気付けば周囲の光は止んでいる。

 だが、あれだけ派手に光ったのだから、鬼狩りがいつここへやってきてもおかしくはない。

 これ以上あの剣士に追いかけ回されてはたまらないので、花枝は手鬼の手を引いて、ずんずんと。

 たった今ここに現れた鳥居の、更にそれを潜った『先』へと向けて、意気揚々と歩いていくのだった。

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