藤襲山の巫女鬼 きめつ隠れ里噺【完結】 作:chikuwabu
山道を歩くさなか、朱紗丸は少女たちに言ってのけた。
「そうそう、最初に言っておくが、この山に神社があったのは百年以上前のことじゃぞ。今はもう鳥居すら残ってはおらん」
「えー!?」
「……噂は、過去に失われたものだったのね……」
◆ ◆ ◆
朱紗丸に案内されて辿り着いたのは、山中に建てられた、全体的に古めかしさの漂う和風の屋敷だった。
小屋というには大きく、豪邸というほど大きくはない、つまりは普通の家である。これが、この山の管理人たる朱紗丸たちの寝泊まりしている屋敷なのだそうだ。
玄関には表札がついていないが、さすがに近隣に別の建物などないので、家を間違えられる心配もないのだろう。
「うわー、外から見た時は古かったのに内装は立派ですねー」
「じゃろ。しっかりリフォームしておるからな」
「……外から見ただけでは、真実は見えないものね……」
百合と詩音が案内されたのは屋敷の外観に反し、洋風の応接間だった。
決して大きくはないがきちんとした談話用ソファが向かい合うように並んでおり、壁際にはなかなか大きなテレビが設置されている。その横には『善逸伝』のコミックが並んでいるのが妙に目をひいた。
室内の所々に置かれている家電製品などには高級そうなものが多く、百合たちが見たこともないような機器も設置されていた。屋敷の外観こそ古めかしいけれど、建物の中は下手をすれば一般的な家庭より近代的なのかもしれない。
少女たちは促されるままにソファにつき、正面の椅子に座っている男性――獪岳をまじまじと覗き見る。
無造作に整えられたもさっとしたツンツン髪に、意志の強そうな眉。室内でリラックスしていたのか、彼はラフに黒い着流しの着物に身を包んでいる。
首元には何故か首輪のようなチョーカーをつけており、そこには大きな勾玉がかかっていて、なかなかのファッションセンスだなと百合たちは心の中で感心した。
朱紗丸に聞いた通り、彼はどことなく人相が悪く、唇から見える犬歯は獣のように鋭い。客を迎えても愛想笑い一つない。
だが、それはそれとして、百合と詩音は半ば無意識的に『彼は信頼してもいい相手だ』と、そう思った。不思議なことだが、そこにはまるで、ずっと前から知っている相手のような不思議な懐かしさがあった。
「もう朱紗丸には聞いただろうが、俺は獪岳。この山の管理をしながら『拝み屋』なんてのをやっている。お前ら、名は?」
「
「……
「胡蝶つーとあれか。お前まさか、胡蝶製薬の縁者か? この山の自然公園も『胡蝶』と『産屋敷』が共同出資してんだろ」
胡蝶製薬とは、大正時代に開かれた医療施設から始まり、その後は様々な画期的な薬を開発し成長していった企業である。
この藤襲山の中腹にあたる自然公園も、胡蝶製薬が出資者の一つのはずだ。
そして言うまでもなく、その血筋は鬼殺隊の胡蝶カナエと胡蝶しのぶに繋がっており、獪岳や朱紗丸とて無関係ではない。
が、胡蝶の名をもつ少女は照れくさそうに言葉を返す。
「えへへ、まあ縁者といえばそうなんですけど、私の家は傍流なので、関連企業に関わってる程度ですけどね」
「彼女はこうは言うけれど……なかなかの、お嬢様なのよ」
なかなかのお嬢様が、子供だけで勝手に山に登るものかと獪岳は疑問に思ったが、しかしすぐにどうでもいいことだと思い直す。
何故こんな子供が藤襲山の鳥居の存在を知っていたのかと疑問には思っていたが、彼女が胡蝶の血を引くのならば話が伝わっていたとしても不思議ではない。獪岳はそう納得して、話を進める。
「まあいい。で、お前らは何か『ワケアリ』なんだろ? 生憎角姫の神社はねえが、これもなにかの縁だ。俺にも聞かせてみな」
「こいつは見た目は恐ろしげな男じゃが、なんだかんだで女児には優しい男じゃから遠慮無く相談するとよいぞ」
「やめろ、言い方を考えろ。朱紗丸はさっさとガキ共に茶でも出してやれ」
「キャハハハッ、わかったわかった」
「で、改めて聞くが――何があった?」
朱紗丸は獪岳を茶化すだけ茶化して奥の部屋へと行ってしまった。獪岳が少女たちに視線を向ける。
ピリピリした空気――というわけではないけれど、少女たちは目の前の獪岳の妙な迫力に、背筋がピンと伸びる思いだった。
百合と詩音は視線を合わせ、目と目で相談をしていたけれど、すぐに百合が話し始めた。
「実は……友達の妹がいま寝込んでいて、学校も休んでいるんです」
「ふん。それで」
「それで、その子のお兄ちゃんは看病で来られないので、代わりに私たちが角姫様にお願いをして、その子を助けて貰おうと思って」
「寝込んでるってぇと、具体的には? 周囲で奇妙な現象が起きただの、奇妙な生き物や、明らかに人とは違う外見の奴が目撃されただのはあるか」
さすがはプロの拝み屋だ。子供が苦しんでいると聞いて、病気や怪我の確認ではなく、真っ先に口をついて出てきたのはそれらの人ならざるものが絡んでいないかどうかの確認だった。
なにせ、この山奥に建てられた屋敷を訪れる客人など、拝み屋としての依頼にくる者が大半なのだから。
朱紗丸が奥から持ってきた茶と茶菓子を卓に並べている。少女たちは茶を受け取り、朱紗丸に礼を述べてから、何があったのかを語り始める。
だが。
少女たちが語った話は、獪岳にとっては実に想定外のものだった。
◇ ◇ ◇
少女――胡蝶百合は、お茶をごくりと飲み込んでから、続きを語る。
「ええと、おたふく風邪です」
「あ?」
「写真を見せてもらったら、顔がどことなく丸くなってましたから、おたふく風邪で間違いないと思います」
寝込んでいる原因。それはまさかのおたふく風邪。
鬼でも妖怪でもなければ、尋常ならざる特殊な症状という訳でもない、むしろ昔から子供がかかることの多い病気である。
獪岳は一度、目をつむり。
ふぅ、と一息ついてから。
「……そうか、医者に診せな。俺はもう行くが、菓子を食ったら帰れよ。朱紗丸に送ってもらえ」
「ちょ、待ってください! 違うんです、この山のこともその子に聞いてるんです!」
呆れたように席を立った獪岳を引き留めるように、百合は慌てて話を続けた。
「その子、元から結構スピリチュアルな子で、たまに不思議なことを言うんです。この山の鳥居の奥にある神社も、その子が教えてくれたんです」
「……続けろ」
獪岳が席に座り直し、どことなく鋭い目つきで続きを促した。横でお菓子を貪っていた朱紗丸も、手をとめて黙って聞いている。
百合に続いて、今度は詩音が語り始めた。
「……彼女は、藤襲山の神社で、角姫様と鬼たちが、蜂蜜のパンケーキやあいすくりんを皆で食べながら、平和に暮らしていたのだと……。そう、語って聞かせてくれたわ……」
「そうそう。だから私たち、本物の角姫様がいた神社に神頼みに来たんです! まあ、神社がなくなってるとは知らなかったんですけど」
獪岳と朱紗丸は訝しむ。
その話は明らかに、花枝たちが住んでいた隠れ里の話である。胡蝶の縁者ならば口伝で伝えられている場合もあるだろうが、はたしてこの時代の子供がそこまで詳細にそれを知ることがあり得るのだろうか、と。
特に、蜂蜜のパンケーキやあいすくりんなど、変なところが具体的すぎる。そもそも今時の子供が「あいすくりん」などと口にするだろうか。
獪岳は数秒の思考の末、更に追及することにした。
「……そいつの名は? 写真はあるか? 他に、どんな話を聞いている? ああ、別に個人情報を抜こうって話じゃねえぞ。ただ、名前や顔がわからねえと判断しようがないこともあるってだけだ」
ずいと、獪岳は身を乗り出して、少女たちに質問を投げかけた。
彼の放つ異様な圧に少女たちは少し引きつつも、獪岳にスマートフォンを差し出し、ひとりの少女の写真を見せてくれた。
それは恐らく、夏祭りか何かで撮影した写真なのだろう。黄昏の太陽に照らされた、白い浴衣姿の幼い少女の写真だった。赤い袴こそ穿いていないし、額に角も生えていない。けれど、獪岳の心には百年前の記憶がはっきりと蘇る。
横には兄らしき浴衣姿の少年も写っている。瞳はバッテンではないし、当然腕は左右に一つずつしかない。けれどやはり、獪岳の心には懐かしい風が吹く。
兄妹は黄昏に照らされながら、しっかりとその手を繋いでいた。
「巫女の"巫"に"花"で、
「微妙に難読で、平成って感じじゃなあ」
「……」
朱紗丸が横から声をかけるが、周囲の声が聞こえているのかいないのか、獪岳はただジッと、瞬きもせずその写真を見つめ続けている。
不穏な様子を見せる獪岳に、朱紗丸が横から肘をいれて、明るい声で場を和ませた。
「キャハハハッ! 獪岳よ、幼女の写真をそうガン見するでないぞ。それとも、ことを起こす前に警察でも呼んでやろうか?」
「……うるせえ、知り合いのガキに似てただけだ」
朱紗丸に小突かれた獪岳は百合にスマートフォンを返すと、目の前の二人の少女に視線を向ける。
改めて見れば、目の前にいる二人の少女にもまた、獪岳の記憶に残る面影があることに今更ながら気がついた。
「ったく……そういうことかよ」
獪岳は、再び目を瞑り。
大きく、大きく呼吸を吐いた。それはまさに、安堵の溜め息だった。ずっと、ずっと抱えていたものが、彼の肩からようやく降りたような、そんな溜め息だった。
「……で、こいつの名は?
「いえ、
「ああ、なるほどな、鱗滝を選んだか。……あいつらしいぜ」
獪岳は朧気な記憶を辿る。鱗滝左近次に子がいたかどうかは定かではないが、少なくとも『狐の子』と呼ばれていた彼の弟子のうち何人かがその苗字を名乗っていたはずだ。あの水柱もそうだったかもしれない。
それを思い返して何かしら納得している獪岳に、少女たちは不思議そうな視線を向けている。
しかし獪岳は彼女らの視線など意に介さずに、ひとり、ただ上機嫌そうに口元に笑みを浮かべているのだった。
――その後。
獪岳が上機嫌だろうがなんだろうが、現実問題として拝み屋にはおたふく風邪をどうにかする力などない。
なので最終的にお菓子を食べ終えた百合と詩音は、遅くなる前に朱紗丸に連れられて、大人しく山を下っていったのだった。
獪岳が持たせた、手提げいっぱいの、色々なお土産を重そうに抱えながら。
◆ ◆ ◆
「昼間の写真の子は、本当に御霊矢花枝の生まれ変わりだったのかのう?」
「さあな。ただ、間違いなく角姫の面影はあった」
その日の夜。
台所で牛すきの準備を進めている獪岳に、朱紗丸が不思議そうに話しかけている。
彼らは百年前に、光となって消えていく御霊矢花枝を見送った側だ。それからずっと『あやかし』として現世で生き続けてきたため、花枝の魂があれからどこへ向かったのか、そして生まれ変わりというものが本当にあるのかもわからない。
けれど――。
「だが、御霊矢の子孫だろうが生まれ変わりだろうが、いいじゃねえか。角姫みたいな娘が生まれて、鬼なんかにならずに平和に育ってんだ。祝おうぜ」
「キャハハ、良いぞ良いぞ、ならば今日は私の秘蔵の酒も空けてしまおうか。お前の作る牛すきは美味いからのう!」
二人でテーブルにつき、カセットコンロにかけた鍋を囲む。
この牛すきは、獪岳がずっと昔から何かしらの良いことがあった日に作る料理だった。
レシピというレシピはないのだが、獪岳にとっては思い出深い料理であり、共に長いこと生きてきた朱紗丸にとっても今では楽しみの一つとなっている。
「すまないな朱紗丸。楽しみにしてるところ悪ぃが、今日の割り下はいつものとは違う味だ。藤の花の蜂蜜は昼間のガキ共に全部やっちまった」
「やれやれ、随分と浮かれておるのう」
「ああ、自覚はある」
「今度また、麓に降りて蜂蜜を買ってこねばな。ついでに珠世様と愈史郎にも、今回のことは報告しておくか」
獪岳の作る牛すきには、牛肉の他に菜花が大量に入っている。
さすがに食用の菜花を冷凍で保存しておいたものだが、大量の菜花に藤の花の蜂蜜、それにじゃがいもやニンジンといった根菜。これが獪岳の牛すきだ。
朱紗丸は肉をはむっと頬張り、秘蔵の酒に頬を染めている。
獪岳は、肉より菜花を多く食べている。菜花を食べていると、彼の脳裏には百年前に仲間と食べた牛すきの景色が蘇る。
この百年。獪岳は人間に戻る道を選ばず、不老の存在として生きてきた。
珠世や愈史郎の元で、外見を人間そっくりに変化させる術を学んだ。それ以降は『拝み屋』と称し、あの日逃げた多くの鬼やあやかしたちの相手をしながら生きてきた。
鬼殺隊のなくなった今では、獪岳はこの世界に残された最後の鬼狩りだ。
もっとも、人喰い鬼自体はあれからさほどの時を置かずに全滅したと聞く。獪岳が相手をしているのはもっぱら、人間社会にちょっかいをかけるあやかしや、鬼とは無関係にこの世界に存在する怪異、あるいは怪異の皮を被った人間たちだ。
どれも一筋縄ではいかないものばかりだったが、自分がそんな生活を続けてきたのは、もしかしたらこの日のためだったのかもしれないなと、彼は心の中で考える。
「のう、獪岳。人間を辞めてまで鬼を狩り続け、この山を守ってきた甲斐はあったか?」
「……そんなもん、言うまでもねえだろ」
窓の外から見える月を眺めながら味わった、その夜の酒は。
この百年で、一番美味い酒だった。
◆ ◆ ◆
――半月後。
山中の屋敷に、バイクのエンジン音が響く。
日光の少ない曇りの日を選び、麓まで買い出しに出かけていた朱紗丸が戻ってきた音だ。
朱紗丸は全身をライダースーツで包み、日光への対策も万全だ。
朱紗丸はついでに、麓の郵便局まで届いていた郵便物も受け取っていた。
「おーい獪岳。こないだの子供、鱗滝巫花から葉書が届いておるぞー?」
「よこせ」
屋敷から出てきた獪岳が、にやけた顔の朱紗丸の手から葉書を奪い取る。
そこには、子供らしいどこか丸い字でしっかりと、『鱗滝巫花』と書かれていた。
獪岳は葉書の文面を読むと、ふん、と鼻を鳴らして、すぐに朱紗丸に背を向ける。
◇ ◇ ◇
かいがく様
百合と詩音がごめいわくをおかけしました。
藤の花のはちみつをありがとうございます。わたしははちみつが大好物なので、パンケーキにつけていただきました。本当はあいすくりんにもまぜて食べたかったんですけど、甘いものを食べすぎだってお兄ちゃんに怒られちゃいました。
おかげで、おたふく風邪はきちんと治りました。
わたしももう少し大きくなったら、山に遊びに行きたいです。その時は、よろしくお願いします。
鱗滝巫花より
追伸
約束通り、ちゃんと幸せになってくれましたか?
◇ ◇ ◇
「……ったく。相変わらず、のん気そうでなによりだぜ、角姫」
そんな、獪岳の文句は。
優しいそよ風とともに、
『藤襲山の巫女鬼 きめつ隠れ里噺』完
『藤襲山の巫女鬼 きめつ隠れ里噺』をここまでお読みくださりありがとうございました。
活動報告にあとがき等も書いております。キャラ語りなどをつらつら書いているだけではありますが、気が向いた方はどうぞ活動報告やXも覗いてみてくださいませ。
また、完結ということで、評価や感想など頂けましたらとっても励みになります!
花枝たちの物語を、皆様の記憶の片隅にでも『良いもの』として残していただけたら嬉しいです。
ではでは。
ここまでありがとうございました!