みょん柱。 作:みょん!
旅は道連れ世は情け。
鬼化した禰豆子の御目付役も含めて、竈門兄妹の旅に同行している。
一人は気楽だが退屈だ。
旅の道程を楽しむのであれば、一人旅よりも二人旅。
三人程度であればより賑やかだ。
現状、行く当てのない旅でもある。
路銀は炭治郎と折半、禰豆子は人間の食事を摂らず、昼は背中に担いだ籠の中で眠っている。禰豆子と私の身長は同程度だったのだけど、炭治郎に背負われている間は、何処ぞの小鬼みたく幼子の身体へと縮こまってしまった。ちんまりである。なんか小さくてかわいいやつである。
日が傾く頃に野宿の準備を始める。
料理は炭治郎の仕事、私も料理に自信があるのだけど火加減は炭治郎に軍配が上がる。炭焼き小屋の息子なので、と何度もドヤ顔を噛ましてくるのが妙に腹立たしかったりするのだが、悔しいけど、設備の整った環境でなくては彼と同じ芸当を行う事は出来ない。特に米を炊くのが無性に上手い。余裕がある時には、炭焼き小屋の息子なんで、とドヤ顔決める彼の隣に座り、勉強させて貰う時もある。
こんな事があっても良い。期限はあるが、急ぐ旅でもないのだ。
目指す先は狭霧山、夢と現の境界。もしくは三途の川よりも短い距離になるはずだ。
旅に出る前、三途の川の渡し守にも菓子折り持って挨拶に出向いたが、異界の関所の近場を通る時に菓子折り渡した番人のニワタリ様が「あの子なら今、閻魔様の命で駆り出されていますよ」と言われた事をふと思い出す。昼の軽食を頂く時、「どうしたのですか?」とぽけっとしていた私に炭治郎が問い掛ける。「少し故郷の事を思い出していました」と短く返す。帰る場所も、待っている人も居る私の話を彼に聞かせるものでもない、と思っての事だったが「聞かせて欲しいです」と言われたから、美味しいご飯の御礼にと冥界の事を口にする。
見上げる程の白玉楼階段。庭には桜で埋め尽くされており、春が訪れると冬眠から目覚めた賢者が主人と共に花見に興じる。賢者には、九尾の式が居る。まだ家事手伝いもままならない従者見習いだった時、彼女の凛とした佇まいと無駄のない所作に憧れを抱いた。主人に恥じない従者という目標は、彼女が元になっていたのだと今なら分かる。揶揄い癖のある人で、少し素っ気ない態度を取ると、昔は可愛かったのに、と云うのが少し煩わしい。そんな事を賢者の前で云うと「藍も昔は可愛かったわよ」と言って、式を困らせるから揶揄い癖は主人譲りだと思っている。「まあ今も可愛いけど」と付け加えて、式の機嫌を取る甲斐性までは似なかった様だ。そんな主従愛を見せ付けられて、手持ち無沙汰になった私の主人が「妖夢も可愛いわよ」と絡んで来るのが一番、対処に困る。軽く受け流せば良いのだが、私は主人ほど達観出来ていない。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花と其処に在るだけで絵になる主人の領域に並ぶまで何時になるのか。
一生を費やしても、死後を足しても主人や賢者、賢者の式と同じ様にはなれない気がする。
主人に揶揄われている事は省いて、語り聞かせている時の炭治郎は暖かい瞳で微笑んでいた。
一通り語り終えると「帰らないといけませんね」と彼が言ったので「ちゃんと帰ります」と白湯で喉を潤す。
旅の道程、安息の一時。
私達が狭霧山を目指しているのには、理由がある。
炭治郎の家族が鬼の襲撃を受けた日。
別れる前に冨岡義勇は、竈門炭治郎に自身の置かれた現状を過不足なく語り聞かせた。
「鬼の首魁は、鬼舞辻無惨。彼、もしくは彼に連なる鬼であれば、万が一にも妹を人間に戻す手段を知っている可能性がある。これから先、妹を鬼に戻す為に鬼と関わる道を選ぶのならば力が必要だ。狭霧山に鱗滝左近次という者が居る、俺の師だ。頼ると良い、必要な力を教えてくれるはずだ」
この人、話が早く、要点を纏めてあって凄く分かり易い。
「魂魄妖夢、鬼殺隊のお館様に文を窘めておく。藤の花の家紋を頼ると良い。俺達が探す鬼とは別だが鬼の噂ぐらいは聞けるかも知れない。鬼狩りに力を貸してくれるのであれば、褒美も貰えるはずだ」
彼とは違って鬼の被害者ではない私に対しては、鬼殺隊への直接的な誘いはなかった。
まあ別の鬼の被害者とは云えなくもないのだけど。
年に一度の頻度で呼んでもないのに白玉楼にやって来る。
主に花見の時に勝手に来る。
とある日の事、私達は獣の襲撃を受ける。
真正面から突っ込んで来た猪を楼観剣で一息に切り伏せた。
今日はぼたん鍋など気を良くしていると背後に居た炭治郎が意を決した様に両膝を着いて、土下座した。
「俺に剣を教えてください!」と叫んだ、彼の顔には覚悟がある。
「一応、私は祖父に免許皆伝を頂いていますけど、教える事は全て教えた、という意味で腕前としてはまだ未熟です。本命が控えている前で下手に教えて、変な癖を付けたくありませんし……教えるとしても何処の流派でも共通する基礎の中の基礎くらいしか教える事が出来ませんよ?」
私の言葉に「構いません」と彼は強い意志と共に答えた。
降り積もっていた雪が解け始める晩冬、彼は朝と晩に木刀を握り締める様になる。
西行寺家の剣術指南役、基礎の術理は身に付けている。
刀の握り締め方と構え方、基礎的な型を教えた。
先ずは木刀を振る事に慣れる事、彼が素振りを続ける様子を眺めながら私の知見を口にする。
「ほとんどの武術に共通して云える事なのですが、基本は脱力です。正しい型で正しく剣筋を画く事が出来れば、力を込めるのは一瞬だけ──正しい道筋に刃を添わせる」
さすれば、と朝露に濡れる葉の気配を感じ取り、スッと腰の白楼剣を抜く。
落ちる雫は綺麗に分かたれ、振り抜いた刀身がピタリと止まる。
残心。周囲の空気が静まり返るのを肌身に感じ取り、ゆるりと白楼剣を鞘に収める。
「真実は斬って知るものだと、私は祖父に教えられました。だから全ては斬る事から始まる。真実は目で追い掛けるものではなく、耳で聞いてからでは遅い。肌身に感じ取り、起こりを察知する。正しい道筋は剣が教えてくれます。語り掛けるべきは剣そのもの。剣が真実に導いてくれる、はずなんです」
師は、雨を斬れる様になるのに三十年掛かる言った。
だけど愚鈍な私は雨を斬るだけで苦難し、空気を斬るにはまだ遠い。
いずれは時を斬る。
だけど未熟な私にはまだ感じ取る事も出来ていなかった。
奥義の型と術理は知っている。
型は形だけ、術理は言葉だけ。
モノにする。という段階には程遠く、至れるかすら分からない。
「要は、根気です」
にっこりと笑う私に対し、炭治郎は笑みを引き攣らせた。
狭霧山の付近に辿り着くまでに費やした日数は、約一ヶ月。
炭治郎に優れた剣才はない。だけど補って余りある素直な心と諦めない根性を兼ね備えていた。
地頭も良く、毎夜、飽きる事なく繰り返した型に試行錯誤の跡が見える。
魂魄流の技も基本的なものをひとつだけ教えた。
本当に基本的なものだ。
これひとつで下手な癖も付かないはず。
魂魄流指南剣術の大本は、物の怪相手を想定しているので鬼殺隊で使えるものかは分からない。
……人非ざる存在を想定してるという点では一緒か?
まあ使えるのであれば、それはそれで良い。
秘伝の技、という訳でもないのだ。
狭霧山を越えるまであと一山、夜も更けた頃に事件は起きた。
「血の臭いがする!」
光が灯る御堂を見て、一泊を願い出ようと炭治郎と話し合った時の事だった。
妙な気配に私が身構えた直後、炭治郎が叫んだ。
私が制止するよりも早く「此処の道は険しいから誰かが怪我したんだ!」と彼は駆け出した。
石段を駆け上がり、躊躇もせず御堂の扉を開け放った。
屋内から外に吹き出す濃厚な血の香り、遅れて石段を昇り切った私の鼻が異臭を嗅ぎ取る。
肌身に血が沁み込んだ、物の怪が発する腐敗臭。
「大丈夫ですか!」と叫んだ彼が二の句を紡げない理由は、見ずとも分かった。
「止まるな、動けッ!!」
私の声に炭治郎の止まっていた時が動き出す。
次の瞬間、ふっと御堂の火が消える。
数瞬の間を置いて、炭治郎を押し倒す様に人非ざる存在が飛び出した。
恐らく鬼、幻想の鬼ではない。
鬼舞辻無惨の鬼である。
炭治郎は鬼に押し込まれた姿勢から腰に佩いていた斧を横に薙ぎ払った。
鬼の喉元が切り裂かれて、二人の距離が離れる。冨岡義勇の話によると鬼は日輪刀と呼ばれる刀で頸を落とさなければ、殺す事が出来ない。恐らく、魂に直接、傷を負わせる楼観剣であれば、殺し切る事が出来るはずだ。
……しかし、炭治郎の動きは良かった。
彼を助けるよりも先に御堂の前に立ち尽くす禰豆子を見た。何時の間に籠から出たのか、夜になると勝手に出て来るのだけど……あの様子は少し不味いか。禰豆子の背後まで現世斬の時と同じ要領で間合いを詰めた後、彼女の首筋に手刀を叩き落す。
本当は危険な行為だけど、まあ仮にも鬼なら大丈夫だろう。
御堂の扉の前で倒れ落ちる禰豆子を支えて受け身を取る炭治郎と向き合った。
「鬼は身体能力任せで武芸の嗜みがない!」
炭治郎は一瞬、目を見開いた。そして斧を両手に握り締めて構えを取る。
「炭治郎、今、此処で鬼と戦う覚悟を示せッ!!」
「はいッ!!」
実際、あの程度の鬼が相手であれば、徒手でも一撃を与えられる。
禰豆子を床に寝かせて、臨戦態勢だけは解かず、腕を組んだ。
危なくなれば、横槍を入れるつもりだけど、多少の怪我は許容する。
初めて人喰い妖怪を相手にした時の事を思い出す。
祖父の立ち合いで我武者羅に剣を振った日の事を。
「二人がかりじゃなくても良いのかぁ? 舐めんなよッ!!」
仮にも鬼、身体能力は脅威。
真正面から飛び込むだけでも一般人が相手ならば為す術がない。
しかし炭治郎は体勢を低くし、斧を振り被った。
十五夜の空に浮かんだ月を画くかの如く、斧の切っ先が足元から頭上を目掛けて弧を画く。
跳び込んで来た相手に対する切り返し。
全身の
「魂魄流指南剣術、弦月斬ッ!!」
これほど綺麗に決まるとは、師匠冥利に尽きるというものである。どやん。
◆
半人半霊を自称する魂魄妖夢との旅の道中。
彼女に守られながら、俺、竈門炭治郎はずっと考えていた。
本当に妹を元に戻す事が出来るのか。鬼に成った妹は人を喰わずには居られるのか。
もし俺が一人で鬼の妹を抱え込んで居たならば、此処まで余裕を以て先の事を考える事は出来なかった筈だ。
目の前の事だけで精一杯で、救いの手を求めるだけで狭霧山を目指していた。
だけど与えられるだけでは駄目だ。
妹の事は、俺がなんとかしないといけないのだ。
助けられるだけでは駄目だと思った其の日、俺は妖夢に指南を請うた。
少しでも変わりたかったからだ。今すぐにどうにかなる話ではない事は分かっている。
だけど、この時は、今すぐに動かないといけないと思った。
狭霧山に着いてから、と考えるのは甘えだ。
今出来る事があるのであれば、するべきなのだ。
それをしないのは覚悟が足りないからだ。
戒める。自分の決断が妹の今後を決める、と。
だけど俺にはまだ覚悟が足りなかった。御堂の中で鬼が人を喰らっている光景を見て、鬼になった妹を連れ歩く事が本来、許されざる事だと自覚せざる得なかった。妹を守る、と意思を表明するだけでは駄目なんだ。妹が鬼になり、自分が襲われる可能性もあるのに同行を引き受けてくれた妖夢の度量、そして覚悟。俺は一生を懸けて、彼女に感謝をし続けないといけない。それだけの事を彼女は俺達にしてくれていたんだという自覚が足りていなかった。彼女の存在が、どれだけ俺達の救いになっていたのか。一ヶ月である、自覚が遅過ぎる。義勇に力が必要になると言われていたのに鍛錬を始める決断も遅過ぎた。家に帰るのも遅かった。俺は何もかもが遅過ぎる。
だから、俺は、覚悟を決めないといけない。
妹を人に戻す。それは決意だ、覚悟とは痛みを伴うものでなければならない。
もしも妹が人を食ってしまった時、俺はどうすれば良い。
鬼になった妹を連れ歩くのは、俺の我儘だ。
今だって妖夢に迷惑を掛けている。
義勇の世話にもなっている。
今日までだけでも人に助けられていて、また人に助けられようとしていた。
覚悟が必要だ、強くなる為の覚悟が。
斧だと鬼を倒し切る事が出来ない。
日輪刀と呼ばれる特別な刀で頸を斬る必要がある。
なので首を斬り飛ばし、頭だけになった鬼を斧で大木に縫い付けた。
胴体は、首を斬り飛ばした後で四肢を切断したら再生しなくなった。
後は朝日が来るのを、待つだけだ。
頭から腕を生やした鬼が斧を抜き取れず喚き散らす。
末明の最も暗い刻が過ぎる。更けた夜が明ける緩やかな時間、迫る朝日に次第に鬼が怯え始める。
俺には、まだ覚悟が足りない。
彼は恐らく、今日まで何人、もしかすると何十人と人を食い殺して来た。
決して許される事ではない。
極悪人だ、此の世に存在してはいけない人種だと分かっている。
だけど、朝日に怯える鬼の姿を見るのは苦痛だった。
「鬼が鍛えたという曰く付きの刀、この楼観剣には一振りで幽霊十匹分の殺傷力が備えられていると云います」
恐らく、この刀ならば。と背負った楼観剣を鞘と共に外す。
「貸しましょうか?」
身の丈程ある刀が差し出される。
「是非」
慎重に受け取り、鞘から刀を抜き取る。
刀身の美しさに息が漏れる。刃の鋭さに息が詰まる。
素人目にも分かる名刀、自分は今からこの刀に使われるのだと一瞬で悟った。
この刀を自分の身体と同じ様に扱う妖夢は、やはり剣の達人である。
深呼吸を一度、楼観剣の機嫌を損ねない様に静かに構える。
剣の道筋は、刀が教えてくれるのだと彼女が言った。
だから目を伏せる、問い掛けてみる。
よく分からない。分からないけど、なんとなく分かる。
振れば、殺せる。
振ると、死ぬ。
刀に問い返されている。
──汝、覚悟はあるか?
禰豆子を人に戻す。これは決意だ。
禰豆子に人を襲わせない。責任である。
禰豆子を殺す。これが覚悟。
覚悟と責任を果たすには力が要る。
俺は、妹が人を襲った時、速やかに取り押さえる力が必要だ。
妹が人を食った時、無慈悲に殺す力が要る。
俺の覚悟は、妹が人を殺めた時、共に死ぬ覚悟である。
「御免」
一言、零して刀を振り抜いた。
苦しみを和らげる為に一瞬の一振りで。
剣筋は楼観剣が導いてくれた。
鬼は、遺体を遺し、絶命する。
義勇から聞いた話と違う。
魂を傷付ける一撃では、塵にならないようだ。
「冨岡義勇の紹介は、お前で間違いないな?」
不意に背後から話し掛けられる。
足音もしなかった。
「みょん!?」と妖夢が驚きのあまり飛び退いた。
なんだか妙な奇声だった気がする。
振り返ると天狗の面を付けた初老の男が佇んでいた。
「妹が人を喰った時、お前はどうする?」
急な質問に戸惑い、頭が真っ白になった。
だけど白い空間に予め考えていた答えがスッと浮かび上がる。
言葉にするのに意思は必要なかった。
「禰豆子を殺す。俺は腹を切って死にます」
過激な言葉、反して心は驚くほどに澄んでいた。
「……判断が、早い」
そう呟くと初老の男は無言で俺を抱き締める。
温かい。
何がどうしてこういう結果を生んだのか分からない。
だけど身を震わせる彼からは、とても強い、悲しい臭いがした。
同時に、優しい臭いも。
彼の抱擁を俺は、甘んじて受け入れる。
嗚呼、なんだか泣きそうだ。
まだ心には、甘えが残っているようだった。