「不出来な妻はいらない」と離縁されたので、幽霊城でお化けファミリーと暮らします ~家賃なし、家族つきのモンスター☆コメディ~   作:aquali

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5. 百年目の、みーつけた

「……もういいよ」

 

 その声に気づいたのは、リゼの名前が戻った晩からだ。

 

 夜更け、廊下の隅の暗がりから、小さな声がする。もういいよ。もういいよ。返事はなく、たっぷり間を置いて、また同じ言葉。子供の声である。城の静けさの底に、その声だけが、規則正しい雨垂れのように落ち続けている。初めて気づいた夜、私は燭台を持ったまま、しばらく動けなかった。怖かったのではない。あんまり小さくて、あんまり律儀な声だったからである。胸の真ん中を、細い針でまっすぐ刺された気がした。怖さの針ではない。放っておけなさの、針である。

 

「あの子は、ずっとああなんです」

 

 リゼが、繕い物の手を止めずに教えてくれた。ずっと、というのは百年、という意味らしい。

 

「かくれんぼしてるみたいで。でも、どこに隠れているのかは、わたしたちも、もう……」

 

 探さなかったんですか、とは訊けなかった。この城の皆さんは、順に忘れる。あの声の主は、たぶん、探してくれる相手ごと忘れられたのだ。それでも律儀に、鬼の口上だけを、百年繰り返している。誰かが「まだだよ」「もういいよ」と返してくれるのを、暗がりで膝を抱えて待ちながら。待つことなら、少しは知っているつもりでいた。とんでもない。私の三年など、この百年の前では、午後のひと休みにもならないのである。

 

 声を出す前に、一度だけ唾を呑んだ。この子の百年に返す、最初のひと言である。間違えたくない。

 

 私は廊下の暗がりへ向かって、声を張った。

 

「もういいかい!?」

 

 城中が、みしり、と揺れた気がした。

 

 棚の燭台が転げ落ちかけ、壁のご老人が「なんじゃ今の声は」と半分生え、ガレンの甲冑が廊下の角でがしゃりと軋む。暗がりの声は、ひゅっと息を呑んで――それから、震えながら、確かめるように言った。

 

「……もう、いいよ……」

 

「よーし、もう少しだけ、待っていてくださいね。すぐ見つけますから」

 

 暗がりは、それきり黙った。けれどその晩の城の静けさは、息を潜める硬さではなく、布団の中で寝返りを打つような、やわらかい静けさである。

 

 翌日から、捜索が始まった。

 

 ガレンは巡回路の記憶を辿り、床のきしむ場所と隙間風の道を数え上げる。リゼは掃除メイドの経験から、埃の積もり方のおかしい場所を挙げていく。私は燭台を持って、城中の「子供が入れて、大人が見落とす場所」を這って回った。長持(ながもち)の中、階段の裏、竈の脇の物入れ。埃で前掛けは灰色になり、膝は擦り剝け、蜘蛛の巣を三度かぶった。夜になると暗がりの声に「どーこかなぁ!」と返し、朝になるとまた這う。二日目の夜、声の間隔が少しだけ短くなった。待ち遠しいのだ、と思うと、膝の痛みなどどうでもよくなる。本当なら今すぐ、床板を残らず剥がして回りたい。けれど、かくれんぼには作法がある。隠れた子は、見つけてもらうまで勝ち続けているのだから、こちらも正しく見つけなくてはいけない。埃の匂い、黴の匂い、古い木の匂い。城の低いところの匂いを、私はこの三日で全部覚えた。

 

 リゼは「あの子、甘いものが好きだった気がします」と思い出し、ガレンは「子供の背丈で届く暗がり」を挙げては兜を振り、壁のご老人は「西の物見はどうじゃ」「(うまや)飼葉桶(かいばおけ)は見たか」と、壁から出たり引っ込んだりして忙しい。誰も名前を思い出せない子のために、城じゅうが総出だった。忘れても、忘れられても、探すことはできる。それがこの城の、たったひとつの取り柄である。

 

 三日目の夕方、礼拝堂で膝をついた。

 

 夕日が色硝子(いろがらす)を透かして、石の床に赤や青の光を落としている。祭壇脇の床板が一枚、四隅だけ埃の色が違う。指をかけると、板は素直に持ち上がった。

 

 床下の、狭い暗がり。冷たい風が、下から頬を撫でる。心臓が、ひとつ大きく鳴った。色硝子の赤い光は開いた床板の縁で止まり、その先の闇には届かない。

 

 燭台を差し入れると、隅の(はり)の陰に、小さな影がうずくまっていた。膝を抱え、顔を伏せ、百年分、じっと。

 

 喉の奥が、きゅうと痛んだ。たった五文字が、こんなに重い。私は精一杯やわらかく、約束の言葉を言った。

 

「みーつけた」

 

 影が、顔を上げる。

 

 (すす)けた頬。大きな目。九つかそこらの男の子が、そこにいた。唇が震え、開いて、閉じて、それから(せき)を切ったように泣き声が溢れ出す。名前は、泣きじゃくる合間に、しゃっくりと一緒に転がり出た。

 

「ピオ……! ぼく、ピオ! うまやの、見習いの……っ」

 

「ピオさん。かくれんぼの腕前は、この城でいちばんですね。百年、誰にも見つかりませんでした」

 

「うん……っ、うん……!」

 

 抱きとめた腕の中は、冬の朝の空気みたいに冷たくて、それでも確かに、しがみつく重さがあった。気づけば、頬が濡れている。離縁状の前でも、城の門前でも乾いていた目が、まったく、勝手なものである。埃のせいにするには、少し多すぎる量だった。リゼが床下を覗き込んで泣き笑いし、ガレンの甲冑が誇らしげに軋み、壁のご老人が「うむ、うむ」と何度も髭を揺らす。燭台は、はしゃぎすぎて蝋を垂らした。

 

 ひとしきり泣いたあと、ピオは私の袖を握ったまま、ぽつりと言った。

 

「あのね。あの夜も、みんなで隠れたの。しーっ、て。声を出しちゃだめ、って」

 

「あの夜?」

 

「うん。……ぼく、鬼じゃなかったのに、隠れろって言われて。それで、それでね」

 

 小さな手に、力がこもる。

 

「みんな、先にいなくなっちゃった。ぼく、ずっと待ってたのに」

 

 相槌が、出てこなかった。三年かけて磨いた自慢の相槌が、こういうときのためには、ひとつも仕込まれていないのである。私はただ、小さな手を強く握り返した。

 

 礼拝堂の床下から、冷たい風が吹き上げてくる。この風は、どこから来るのだろう。子供に「隠れろ」と言わなければならなかった夜が、この城にはあった。そして皆さんは、その夜の出来事ごと、名前を消され、百年、誰にも呼ばれずにいる――。

 

 答えはまだ、床下の暗がりの奥である。

 

 振り向くと、礼拝堂の入り口に、燭台と甲冑と、壁から半分のご老人と、若草色の上着を抱えたリゼが、鈴なりに詰まっていた。百年ぶりに見つかった子の、総出のお出迎えである。

 

 私はピオの冷たい手を引いて、明かりの下へ戻った。まずは温かい居間と、「ただいま」の練習からだ。謎解きは、家族の頭数が揃ってからでも遅くない。

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