「不出来な妻はいらない」と離縁されたので、幽霊城でお化けファミリーと暮らします ~家賃なし、家族つきのモンスター☆コメディ~   作:aquali

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6. 家族だろう? と兄は言った

 ピオが見つかってからの居間は、にわかに賑やかである。

 

 夜ごと「ただいま」と「おかえり」の練習が行われ、燭台は張り切って茶を運び、リゼの針が鳴り、壁のご老人が采配を振る。暖炉の火は絶やさず、湯気の立つ茶碗は、いつも頭数より一つ二つ多い。頭数、という数え方が正しいのかは、考えないことにしている。静かに暮らすはずだった私の目論見は崩れていく一方だが、不思議と、悪い気はしないのだった。

 

 その平和に、足音は前触れなく踏み込んでくる。

 

 昼下がり、門を叩く音がした。開ければ、仕立ての古びた盛装に、髪だけ念入りに撫でつけた男が両手を広げている。

 

「アメリア! ああ、我が妹よ! 息災だったか!」

 

 三年ぶりに見る、実家グレン男爵家の当主――兄のオスカーである。

 

 離縁が決まった日、実家から届いたものを、私は覚えている。手紙が一通。いわく、出戻りは困る、うちにも体面と都合がある。署名の筆跡は、いま眼前で感涙にむせんでいる人のものだった。あのとき、返事は書いていない。書けなかったのではない。書くことが、ひとつも見つからなかったのである。三年ぶりの「我が妹よ」が、返事のなかったあの手紙の上に、ぺたりと重なって聞こえる。

 

「ご無沙汰しております、兄様。本日は、どのようなご用でしょう?」

 

「用がなければ妹の顔も見に来られんのか? 水くさい。……いや、しかし驚いたぞ。あのロンバルト伯爵家から、城を頂いたそうじゃないか。城だぞ、城!」

 

 用件まで、二呼吸。兄様の最短記録である。

 

 広間へ通すと、兄様は椅子より先に壁と天井の検分を始めた。石積みの厚み、梁の太さ、燭台の数。柱を指の背で叩いては、耳を澄ませて頷いている。あの目は、知っている。値踏みの目だ。三年間、嫁ぎ先で浴び続けたものと同じ、値段を探す目である。背筋が、勝手に強張った。あの目の前ではそうする癖が、体にまだ残っている。……いいえ。ここは、あの屋敷ではない。私は強張りをほどき、息を、肺の底まで吸い直した。

 

 広間の空気が、すう、と冷えた。……皆さん、ご覧になっている。

 

「なあアメリア。グレン家はいま、その、少々立て込んでいてな。城をよこせとまでは言わん。名義を貸せ。この城を担保に、いくらか借り入れをだな」

 

「お断りします」

 

「話が早すぎる! なあ、頼む。家族だろう?」

 

 家族。その言葉を、兄様は切り札のように盤へ置いた。私は膝の上で指を組む。この人の帳簿の中で、私は三年前に一度消され、城一棟の値がついた途端、書き戻されたらしい。家族、の二文字が、胸の古い縫い目を無造作に引っ張っていく。痛くない、と言えば嘘になる。ただ、その痛みは未練ではなく確認である。ここには元から、糸が通っていなかった。

 

「兄様。わたしが差し上げられるのは、お茶が精々です」

 

「……強情になったな、お前」

 

 兄様は舌打ちし、それから聞こえよがしに言い捨てた。どうせこんな辛気くさい化け物屋敷、まともに住めるものか。いっそ取り壊して、石材だけでも売り払えば――。

 

 燭台の火が、いっせいに膨らんだ。

 

 広間の空気が氷室のように冷え、窓という窓が骨を鳴らす。風もないのに帽子がさらわれ、床へ転がった。ガレンの甲冑ががしゃりと踏み出し、壁の中からは、腹に響く唸りが石伝いに湧いてくる。

 

「帰れェェ……!」

 

 ――と、私には聞こえた。皆さんの姿は視えず、声も聞こえない兄様には、言葉にならない地鳴りと、ひとりでに歩く甲冑と、青白く膨らむ火だけで、もう十分だったらしい。

 

「ひっ……ひいっ、ひいいいっ!」

 

 兄様は帽子も拾わず、自分の手で正面扉を跳ね開けて転がり出ると、前庭を、来たときの三倍の速さで駆け抜けていった。帽子は私が拾い、門の外へ、ぽい、と放って届けてやる。お忘れ物までお持たせする、行き届いたお見送りである。

 

「皆さん、ありがとうございます。……でも、あの」

 

 言いかけて、やめた。石材、という言葉の残した冷えで、広間の空気はまだ硬い。この城は、皆さんの家であるより先に、皆さんそのものなのかもしれない――そんな気が、し始めていた。

 

      ◇

 

 果たして、その晩である。リゼの様子が、おかしかった。

 

 繕い物の針を、二度落とす。燭台の明かりに透ける輪郭が、心なしか薄い。名前を呼ぶと、一拍遅れて「……はい」と返る。その一拍が、こわい。

 

「奥様……変なんです。売られる、壊される、って考えたら、指の先から、すうすうして……わたし、また忘れそうで。せっかく拾った名前が、また霧に……」

 

「では、落とせないようにしましょう」

 

 私は裁縫箱を引き寄せ、若草色の端切れに白糸で二文字を刺した。リ、ゼ。読みやすく、大きく。針目は、彼女に教わった通りに。燭台の火が手元で静かに揺れ、白糸がひと針ごとに小さく光る。リゼは息を詰めて、針の行方だけを目で追っていた。仕上がった小さな名札を、お仕着せの胸元へ縫い付ける。

 

「あなたの名前は、ここにあります。霧が出たら、ここを見てください。読めなくなったら、わたしが毎朝、読み上げて差し上げます」

 

「……リゼ。わたし、リゼ」

 

 名札を両手で押さえて、彼女は何度もその名を口にした。輪郭に、ゆっくり色が戻ってくる。大丈夫。名前は軽いから、落としても、何度でも拾えばいい。拾う係は、当面わたしである。血の繋がった兄様の頼みは断って、百年前のメイドの名前は引き受ける。家族とは何かと問われたら、いまの私は血ではなく、針目で答えるだろう。ひと針ずつ、毎日縫い足していくものです、と。

 

       ◇

 

 ――数日後。麓の村から、妙な報せが届いた。

 

 兄様が帰りの宿場で、さんざん言い触らしたらしい。妹は幽霊城で化け物どもに囲われている、あれはもう人の世の者ではない、と。

 

 ところが村では、これが逆に効いた。伯爵家に捨てられ、実家に無心され、それでもあの城にひとりで住んでいる奥様は、よほど肝の据わったお人に違いない――そういう筋書きで、同情が集まってしまったのである。

 

 翌朝、門の前に籠がひとつ。芋と卵と、たどたどしい文字の書付が入っていた。

 

『おばけに まけるな』

 

 炭で書いた、太くて曲がった字である。霜の降りた朝、籠を抱えて戻る道々、吐く息が白い。冷えた芋と卵の籠が、なぜだか少し、あたたかかった。兄様の「家族だろう?」より、見知らぬ誰かの炭文字のほうが、よほど家族の声に似ている。

 

 負けていないし、どちらかといえば養われ始めている気がする。ご厚意は、ありがたく頂くことにした――。

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