疲れて、ふと見た車窓にかつての初心と同じ空が広がっていた。
揺れる電車。手は吊革に、目は窓の向こうのビル群を虚ろに見つめていた。
研究所での徹夜明け。植物研究のためとはいえ朝まで起きて、寝て、それでこんな時間に帰路に就く。夏が近い。もうすぐ午後五時だと言うのに空はまだ青い。
「……はぁ」
思考がまばら。自覚はある。長い文章を作れない、頭が。
完全に疲れている。そりゃ溜息も出る。気付けば僕の目はビルより手前の、透明な窓に薄っすら映る自分の姿を眺めていた。
景色模様の自分の姿。
社畜の僕に相応しい、なんとも皮肉の利いた姿だ。
「ふっ。」
虚ろな瞳で、自分を冷笑する。周囲には乗客がそこそこいるが、今は誤魔化す気力すらない。きっと、疲れ切って変になった社会人だとか、根本から変な人だと思われてそうだ。
と、そんな僕を諭すように電車がトンネルに入る。
真っ暗になった窓の向こう。今度ははっきりと自分の姿が目に映る。
絵に描いたような、くたびれたオジサン。
しわしわのシャツに、少しだけ生えているが故の汚い髭。眼鏡の奥の瞳は疲れと空虚さを携えていて、目の前のトンネルの闇より暗い感情を宿している。
けれど、こんな僕でも研究所に入る時は違った。夢と希望に溢れた目をして、あの日に感じた自然への畏怖と興味、感動を胸に現代社会で何ができるかを妄想していた。
「……あっ」
トンネルを抜けた先、真っ赤な世界に思わず言葉が漏れる。
これは『レイリー散乱』か、『ミー散乱』だろう。大気分子の散乱。もしくは春特有の黄砂や花粉により、空も雲も強く赤く染まる。こういう自然現象を見ると初心を思い出す。
光の散乱。今だから分かることで、あの日の僕はただただ自然の神秘に恐怖していた。
あの日見た、緑色の太陽。『緑閃光』と呼ばれるあの現象。
幼い頃、電車の窓から見たあの現象に、当時の僕は本能的な恐怖を感じた。
「パパ! パパ!」
なんの帰りだったかは覚えていない。
太陽の明らかな異常。周囲の人の、珍しい現象の真実を知らぬ者のどよめき。困惑。それらを子供ながらに感じ取った。太陽を絵に描く時だって、使うのは赤・黄色・オレンジと相場が決まっている。緑だなんて、到底信じられない。
だから僕は車内の椅子から降りて、前に立つ父に抱き着いた。
父は高校の科学教師で、なんでも知っていた。いや、当時の僕にとっては全知全能にすら思えていた。だから……
「おぉ! 『緑閃光』だ。珍しい、いいものを見れたな」
だから、その言葉を聞いた時、何か心と体がちぐはぐになったような気がして。
僕の恐怖を、父は幸運だと言ったのだ。それからの僕は科学を信じるようになり、自然を疎むようになった。犬猫、赤ちゃん、台風などの自然現象。そういった科学の力ではコントロールできない事柄が苦手になった。
けれど人間不思議なもので、嫌いなものほど詳しくなる。
科学でコントロールしようと思う僕は、少しでも自然を制御しようと勉学に励んだ。特に中学生の時にやった自由研究『人工的に紫の紫陽花を作る』については、今の僕を作る大きな収穫がいくつもあったと思う。
きっかけは単純だ。
本やアニメで見る紫陽花の多くは紫だが、現実で見る紫陽花の多くがピンクか青。名に紫を冠しておきながら、何故ピンクと青に分かれてしまうのか。この理由も単純で、いわゆる『pH(ペーハー)』によるもの。中学生だった僕の、科学を信じ科学に詳しいと自負していた僕の、最初の一歩に相応しい。初歩的で、いとも簡単に行える自然制御だと、実際に実験を行うまでそう思っていた。
「……え? なんで!? どうして!?」
だが、現実の『自然科学』は決して甘くなかった。
ノートに書いた理論とは別。ビーカーの中とは別なのだ。
まず影響する物体の性質が違う。
土と水。それに肥料。それらを中性に近づけなくては、紫陽花は紫にならない。しかし当時の僕が絶望したのは、そのやり方や調整以上に『植物を育てる』という難しさ。
人の手で管理し、育てる。むしろ自然界より簡単に思える。
安全で、確実。だが現実の僕は紫陽花を枯らし、根腐れを起こし、花に至るのだって数日では足りない。失敗を重ねるごとに夏休みは減っていく。結局僕は両親に手伝ってもらい、それでようやく望んだ紫色の紫陽花を手に入れた。
同時に、僕は自分の無力さを知った。
「どうした? 自由研究表彰されたんだろ? 嬉しくないのか?」
「違う」
「じゃあ何が違う?」
「それは……」
リビングで、僕は父さんに正直な気持ちを伝える。
自分の無力さ。科学の非力さ。自然の理不尽さ。学べば学ぶほど、自分は何も知らないし、世界は未知なる自然の法則に溢れている。毎年の新型インフルエンザだって、今の世界では防げない。それなのに何故、父さんや世界は科学を信じるのか。
すると父さんは少し考えて、頭でっかちになっていた僕に言う。
「そうか。それはあれだ、順序が逆だ。科学は自然を支配するものじゃなくて、自然に僕たち人類が対処するためのものだ」
「対処? 逆?」
「例えば滝は重力に従い、上から下に流れるだろう? じゃあ水を下から上に流すにはどうしたらいい?」
「えっ、それはポンプで吸い上げて――」
「どうやって吸い上げる?」
「えぇっと、電気で……とか?」
「そうだ。でもそれは支配や制御か?」
「……分かんない」
正直に答える僕に父さんは優しく微笑んでから、自分の横に座れとソファーを軽く叩く。
「制御と言うのは完全に操るのに等しい。アニメの魔法みたいなもんだ。水を制御する、操る。滝は重力が既にあるから成り立つ。何もしなくたって、勝手に上から下に流れてくれる。対して人類の科学は下から上に水を流すのに、多くの技術と電力などの力を使っている。全然割に合わないだろう?」
「確かに」
「でも水を上げる電力を、僕たちは重力と水の力によるダムで発電している。つまり自然と化学はセットなんだ。前提となる問題文が自然で、解き方が科学。地球から重力を消せないように、インフルエンザの変化だって自然。でも科学はインフルエンザの脅威と解き方を知っている。だから毎回新しいワクチンが生み出せて、多くの人を救っているんだ」
その言葉に、僕は研究者になることを決めた。
夢が決まったと。確かその場で僕は両親に言った気がする。覚えているのは、そんな熱量任せの宣言に父も母も大いに喜び、応援することを誓ってくれた。そして父は目指すべき将来の目標を見つけた僕にある本を与えてくれた。
【『序曲』ウィリアム・ワーズワース著】
それは、百年以上も前に書かれた一冊の本。
当時まだ中学生だった僕には難しい部分も多く、内容は正直あまり思い出せない。ロマン溢れる長編自伝詩は、作者のワーズワースが自然との交感と想像力を通じて詩人としての自らを目覚めさせていく過程を書いた作品。
そんな概要と、それ以上に思い出されるのは当時の自分との共感だ。科学だけでなく自然にも目を向けるようになった当時の自分の熱量と、本の内容は重なる部分が多くあった。特に作中に出てきた『神秘な見えざる働き』というのは、日本語翻訳特有の違和感を覚えさせる一文であると同時に、その意味も相まって僕の心に深く刻まれた。
自然とは何か。日本語訳ではあるが、ワーズワースの言葉を借りるなら『神秘な見えざる働き』だ。神の手による、既に実行され続けている法則。
制御とは何か。紫陽花の研究で言えば、完全に同じ環境を作り、土と水と肥料の配分を、自分が望むように一グラム単位で制御する。それでようやくピンクから紫を通って青に至る紫陽花のグラデーションを生み出せる。
拙いながらに、僕は先の文言で大学の面接も今の研究所も受かったのだ。
感動。熱量。人の心を打つのに、大した理屈や理論は要らない。何故なら人もまた自然の一部だからだ。そして、その拙さや荒さを正確に捉えるのが科学であり、今の僕が少しブラックな研究所に入った訳はそこにある。
『次は――――次は――――』
「っ! ぶない! 降りまーす! ごめんなさーい!」
気付くと僕は立ちながら夢を見ていたようだ。
閉まりそうになる扉に向かい、なんとか下車する。
いや、むしろあの日の夢を叶えた僕は、文字通り夢の上に立っている。