学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build― 作:UG-san
学校を出てから、どれくらい歩いただろう。
太陽の位置は少しずつ高くなり、陽射しも強くなってきている。
それでも街は静かだった。
静かすぎるくらいに。
風が道路脇の看板を揺らす音だけが耳に残る。
昨日までなら、この時間は車が行き交い、駅へ向かう人たちが歩いていたはずなのに。
今は違う。
止まったままの車。
割れたガラス。
放り出された自転車。
誰もいない歩道。
たまに見かける人影は、もう人じゃない。
ゆっくりと、意味もなく道路を歩き続けるだけの"奴ら"。
その姿を見るたび、胸の奥が少しだけ冷たくなる。
――昨日まで、生きていた人。
そう思うと、目を逸らしたくなった。
でも、逸らしたところで現実は変わらない。
私は小さく息を吐いて前を見る。
先頭を歩く海人くん。
その少し後ろに悠斗。
その背中を見ていると、不思議と落ち着いた。
悠斗は、ずっと前を見て歩いている。
怖くないわけじゃない。
初めて奴らを倒した後、震えていた姿を私は知っている。
それでも歩く。
立ち止まらない。
だから私も歩ける。
そう思えた。
ふと隣を見る。
莉乃が歩いている。
目が合うと、小さく笑った。
その笑顔に少しだけ肩の力が抜ける。
……よかった。
莉乃も生きてる。
みんな、生きてる。
それだけで十分だと思った。
道路の先に、駅前商店街が見えてきた。
シャッターは半分閉まり、割れたガラスが歩道へ散らばっている。
人気はない。
けれど。
何となく嫌な感じがした。
悠斗も同じことを感じたのだろう。
槍を持つ手へ少しだけ力が入る。
海人くんも歩く速度を落とした。
「……誰かいる。」
小さな声だった。
全員が自然と足を止める。
私も商店街の奥を見る。
人影。
一人じゃない。
三人。
四人。
いや、五人。
男ばかりだった。
制服じゃない。
私服。
高校生には見えない。
二十歳前後くらいだろうか。
その中の一人が、私を見た。
その瞬間だった。
「……おい。」
低い声。
どこか聞き覚えがある。
「夕樹じゃねぇか。」
胸がざわついた。
私は思わず立ち止まる。
その男は、少し驚いたような顔をしたあと、小さく笑った。
「久しぶりだな。」
——覚えてる。
神崎の先輩。
何度か顔を合わせたことがある。
私がまだ彼らとつるんでいた頃。
神崎が「兄貴」と呼んでいた人。
名前までは知らない。
でも、この人は覚えている。
隣で海人くんが一歩前へ出る。
悠斗も槍を少しだけ前へ向けた。
隼人くんも無言で立ち位置を変える。
私を庇うように。
その動きに、男は苦笑した。
「そんな警戒すんな。」
両手を軽く上げる。
「喧嘩しに来たわけじゃねぇ。」
その後ろでは、手下らしい男たちがこちらをじろじろ見ていた。
「兄貴。」
一人がニヤリと笑う。
「女いるじゃないっすか。」
その視線が私と莉乃、それから陽菜ちゃんへ向く。
嫌な視線だった。
昔なら、こういう視線にも慣れていた。
でも今は違う。
男はすぐ振り返った。
「やめろ。」
低い声だった。
手下は不満そうに舌打ちしたが、それ以上は何も言わなかった。
男は再び私を見る。
「神崎は?」
その名前を聞いた瞬間、胸が痛くなる。
昨日のことが頭へ浮かぶ。
空き教室。
叫び声。
——神崎だったもの。
私は静かに首を横へ振った。
「……もう、いない。」
それだけ言う。
男は少しだけ目を閉じた。
「……そうか。」
短く呟く。
悲しそうでもなく。
驚いた様子でもない。
どこか覚悟していたような声だった。
しばらく沈黙が続く。
風だけが商店街を吹き抜けていった。
やがて男は口を開く。
「だったら。」
真っ直ぐ私を見る。
「俺たちと来るか。」
その一言だけで、時間が止まったような気がした。
昔の私なら。
きっと何も考えずに頷いていた。
学校へ行くより。
家へ帰るより。
あの人たちと一緒にいる方が楽だった。
「今日はどこ行く?」
「飯食った?」
そんな他愛もない会話だけで、一日が終わる。
居場所なんて、そんなもので十分だと思っていた。
だけど――。
私はゆっくり悠斗たちを見る。
海人くんは無言で前に立ったまま。
隼人くんも警戒を解いていない。
陽向くんはいつでも動けるように少し腰を落としている。
誰も「行くな」とは言わない。
誰も私を引っ張らない。
悠斗だけが、静かに私を見ていた。
何も言わない。
決めるのは私だと。
その目だけがそう言っていた。
昔なら。
こんなふうに待ってくれる人なんていなかった。
気付けば流されて。
気付けば一緒にいて。
気付けば戻れなくなっていた。
でも今は違う。
私は、自分で決められる。
そう思った。
男は急かさなかった。
「神崎も、お前のことを気に掛けてた。」
静かな声だった。
「事情があるってこともわかる。」
「そんな連中の集まりだったからな。」
胸が少しだけ痛む。
そう。
あの人たちは知っていた。
母さんが亡くなってから。
家へ帰るのが嫌になったことも。
父さんとほとんど顔を合わせなくなったことも。
だから、何も聞かなかった。
それが優しさだったのか。
ただ放っていただけなのか。
今となっては分からない。
「だから。」
男は続ける。
「行く場所がねぇなら、一緒に来い。」
「今まで通りでいい。」
その言葉は、昔の私なら何より嬉しかった。
居場所をくれる言葉だったから。
私はゆっくり息を吸う。
そして。
小さく首を横へ振った。
「……行かない。」
男は何も言わない。
私はもう一度、はっきりと言う。
「私は。」
「この人たちと一緒に行くから。」
そう言った瞬間だった。
「はぁ?」
後ろにいた手下の一人が声を荒げる。
「兄貴、何言わせてんすか。」
「神崎が面倒見てた女ですよ?」
「そんな連中に付いてったって、どうせ――」
「黙れ。」
男の一言で空気が止まる。
低く、短い声だった。
手下は口を閉じる。
それでも納得していない顔をしていた。
男は私へ向き直る。
「……そうか。」
その一言だけだった。
怒りもしない。
責めもしない。
残念そうでもない。
ただ。
少しだけ笑った。
「自分で決めたなら、それでいい。」
私は思わず目を見開く。
もっと引き止められると思っていた。
怒鳴られるかもしれないとも思っていた。
でも違った。
少しだけ視線を空へ向ける。
その横顔だけは、少し寂しそうだった。
「……神崎なら、残念がるだろうな。」
男は踵を返す。
「……っと。」
思い出したように、振り返って。
「これ、持ってけ。」
ガラン、と。
最後に、男は腰に差していたバールをこちらの足元に転がした。
「行くぞ。」
手下たちは不満そうな顔をしたままだった。
「兄貴!」
「いい。」
それだけ言って歩き出す。
結局、誰もこちらへ近付こうとはしなかった。
やがて男は振り返りもせず、片手だけ軽く上げた。
「しっかり生きろよ。」
その言葉だけを残して。
彼らは商店街の奥へ消えていった。
しばらく誰も動かなかった。
風だけが通り抜ける。
私は知らないうちに、強く握り締めていた拳をゆっくり開いた。
掌には爪の跡が残っている。
莉乃が隣へ来る。
「……大丈夫?」
私は少し考えてから、小さく笑った。
「うん。」
本当に、大丈夫だった。
少し前までなら、きっと泣いていた。
迷っていた。
でも今は違う。
昔の居場所を失ったわけじゃない。
自分で離れた。
その違いは、とても大きかった。
男が置いていったバールを拾い上げる。
ずっしりと重いそれは、私の手の中に収まった。
悠斗が何も言わず隣へ来る。
私を見る。
何か聞きたそうだったけれど、結局何も聞かなかった。
その沈黙がありがたかった。
代わりに、陽向くんが空気を変えるように大きく伸びをした。
「いやぁ。」
「朝から胃が痛くなるイベントだったな。」
海人くんが鼻で笑う。
「お前が一番楽しそうだったぞ。」
「違ぇよ。」
「お前こそ、今にもバット振り回しそうな顔してたぞ。」
肩をすくめる。
「俺は平和主義だから。」
「どの口が言うかな。」
陽菜ちゃんが呆れたように笑う。
そのやり取りに、みんなの肩から少しだけ力が抜けた。
その時だった。
悠斗がぽつりと言う。
「……腹、減ったな。」
一瞬だけ静かになって。
次の瞬間。
「こんな時に?」
陽菜ちゃんが吹き出す。
「いや、でも。」
隼人くんも苦笑した。
「言われてみれば腹減ってる。」
莉乃まで笑い始める。
「さっき食べたばっかりなのに。」
「緊張すると腹減るものなんだよ。」
陽向が真顔で言う。
「それ、お前だけじゃない?」
海人くんまで小さく笑った。
気付けば、私も笑っていた。
自然に。
無理をしなくても。
笑えていた。
悠斗は少し照れくさそうに頭を掻く。
「……悪い。」
「ううん。」
私は首を横へ振る。
「ありがとう。」
悠斗はきょとんとした顔をする。
「え?」
「何でもない。」
私は前を向いた。
昔なら。
きっとあの人たちについて行っていた。
「帰る場所なんてない。」
そう思っていたから。
でも今は違う。
帰る場所は、誰かにもらうものじゃない。
自分で選ぶものなんだ。
私は悠斗たちの後ろを歩き出す。
もう振り返らなかった。
この道の先には、まだ何があるか分からない。
いつか辿り着くかもしれない、新しい居場所。
私は、その場所を自分の足で探しに行く。
もう、誰かに居場所を与えてもらうためじゃない。
自分で選んだ仲間と、一緒に生きるために。