ここは洛陽、その罪人を収監しておく牢獄である。21世紀の刑務所と異なり、不潔で汚くて、しかもばっちい。ここに閉じ込められる事それ自体が、囚人にとって重い苦しみである。だがこの
だが、その彼女の元に、誰かがやって来る。クソまずい食事を持って来る、
「……生きておられるか? 生きておられたなら、お返事を願いたい」
「は、はい。どちら様でしょうか?」
「よかった、まだ生きておられたか。わたしは幽州啄郡太守、公孫賛、字は伯珪と申します。我が配下にして盟友より、貴女が罪に落とされてここ洛陽で牢獄に繋がれていると聞いたのです」
「はい……。表向きは董卓殿の指示、という事にされておりましたが……。実際は国政を壟断していた十常侍共による陰謀です。ありとあらゆる奴らの命令に、その非合理性を指摘し事務処理上の問題から異を唱えるわたしが目障りだったのでしょう。……董卓殿、は?」
その言葉に、公孫賛の顔色が暗くなる。
「そうですか……」
「あ、いや勘違いさせて済まない! ……十常侍たちがやった暴虐を全て董卓殿たちがやった事にされ、それどころか起こってもいない略奪や虐殺まで彼女たちのせいにされて
「表向きでは?」
「我が配下にして盟友は、優秀な
「なるほど」
そして公孫賛は囚人を
「頭をお上げください! わたしが助けてもらった方なのですよ!?」
「いえ、我が配下にして盟友の言葉で、貴女がどれほどの賢人なのかは理解している。配下にして盟友の彼は知者ではあるが、軍師とは少し方向性が違う男でしてな。我が軍勢には、今現在軍師に値する人物はいない。
董卓殿配下にも軍師はおられるが、彼女らはあくまで董卓殿の軍師。どうか、わが軍の軍師になっていただきたいのです。わたしの軍師になっていただきたいのです。お助けした恩に着せるようで心から申し訳無いのだが、それほどまでにわたしは貴女のお力を欲している……!」
囚人の彼女は、目を丸くして公孫賛を見つめる。が、やがて彼女は口を開いた。
「……公孫伯珪殿。非才なこの身を買っていただけて、まっこと嬉しく存じます。無論、助けていただいた御恩もありますが、このわたしに対して、このような汚れた牢獄の床に座り込んで頭を下げるほどの……。伯珪殿、そのお申し出、この荀攸、字は公達。謹んでお請けいたします。忠誠の証として、我が真名を……桂輝をお受け取りください」
「そ、そうか! ありがとう! ならば我が真名も受け取ってくれ! 今後私の事を、白蓮と呼んでくれ!」
「承知
こうして公孫賛……白蓮は、荀攸……桂輝を自身の幕僚、軍師に迎える事に成功したのである。その後白蓮は、袁紹軍に先立って大急ぎで自軍を率いて幽州へと帰還するのだった。
*
幽州の城では、新入りたちを迎える顔合わせを兼ねた宴が開かれていた。まず白蓮が、注意事項を述べる。
「あー、ぶっちゃけてしまうが……。ここにいる者のうち6名は、元董卓軍の者だ。と言うか、その董卓本人も含まれている。彼女らは十常侍による嘘っぱちの誹謗中傷と橋瑁による偽勅、麗羽……袁紹による
その事をわたしが知った時点では、既に遅かった。反董卓連合は軍が集結していないだけで事実上結成されており、それに参加しなければ諸侯の攻撃は幽州に向くであろう事が明白。やむなくわたしたちは表向き反董卓の立場を取り、連合に参加。そしてこっそり裏で彼女らを逃がし、身柄を引き取るしかできなかった。……当の本人たちにはまっこと申し訳なく思う。済まなかった!」
「い、いえ! それは仕方の無かった事ですから!」
「そう言ってもらえると……。とにかく、だ! これから彼女らは、本名を名乗るわけにはいかない。だからこの場で、新たな名を名乗ってもらうが……。まあ慣れないと、ポロっと本名を漏らしてしまう可能性もある。誰とは言わんが。
そこで、旧董卓陣営以外の面々に注意事項と言うか、頼みがある。彼女らがポロっと本名を漏らしたら、とりあえず知らん顔して他の知らん者達に対して、誤魔化してやって欲しい。どうかお願いする」
旧董卓陣営以外の者達は、それはまあ、うん、主君のお願いであるし、と言う感じで受け入れた。そして各自の自己紹介が始まる。まず最初は元董卓からだ。
「わたしが董卓、字は仲穎です。ですが此度、その名を捨てて裴嶷、字を文冀と名乗る事に致しました。基本的には文官として、公孫伯珪様にお仕えする事になります」
「うん、よろしく頼む。わたしの事は、白蓮と呼んでくれ」
「こちらも、月とお呼びください白蓮様」
続いては、董卓の軍師であった賈詡である。
「ボクは賈詡、賈文和。その名前を、今回張賓、字は孟孫に変更する事になった。……言っておくけど、ボクが公孫陣営に協力するのは月の事があるからだからね!」
「うん、それで構わない。助力してくれるのは正直嬉しい。お前も、わたしの事は白蓮でいいぞ」
「ちょ、調子狂うわね。……わかったわ、白蓮様。これより先、我を真名で詠、とお呼びくだされば」
「うん、頼むぞ」
その次は、張遼だ。知勇兼備の勇将である。だが残念ながら、この名も捨てねばならない。
「うちは張文遠、張遼やった者や。今後は石勒、字は世龍で頼むで?」
「強い武将が来てくれるのは、物凄く助かる。どうか、力を貸して欲しい。今後、わたしの事は白蓮で頼むぞ」
「おう! 白蓮様もうちの事は霞でええで!」
まあ武官故にか、あっさりした物だ。そして次も武官である。
「恋は呂布……だった。今から恋は石虎。字は季龍。これが恋の家族……」
バウ! ワン! ニャーン! ヒヒーン! ガウルルル……!
「恋の家族、助けてくれた……。恋の事、恋でいい。よろしく……」
「お、おおう。わたしも白蓮でいいぞ。よろしく頼むぞ!」
「まかせて……」
その次は、その恋に心酔していると聞かれる一応軍師であった。なんか、ちんまい。
「音々音はかつて陳宮だったのです! ですがこれからは姓は傅、名は暢、字は世道となるのです! 音々音の全ては恋殿のために! 恋殿が真名を預けたなら、音々音も預けるのですよ!」
「そうか……。ではわたしの事も白蓮でいいぞ。恋の事は粗末にしないから、安心してくれ。無論、お前もな」
「当然なのです!」
元董卓軍の最期は、スレンダーな銀髪美女の武官だ。だがなんか、どこかこう、チョロそうな予感がするのは何故なのか。
「わたしは、華雄……であった。これからは趙染、趙文瀚と名乗る事になる。ふう……。皆が真名を名乗っているのに申し訳無いが、実は……。わたしには真名が無い、のだ。そういう地方の生まれでな。真名が無いだけでなく、これからは本名も名乗れぬとは……。とほほ」
「気にするな! お前に真名があろうが無かろうが、な! わたしの事は白蓮でいいぞ! ……それにわたしの配下にして盟友は、真名どころか姓も名も字も無い。何やら記憶喪失だと言う事でな。様々な知識は戻って来たそうなのだが、自分がどこの誰なのかとかの記憶は、全然戻って来ないそうなのだ」
「今、紹介に預かった『名無し』だ。白蓮様は、真名を預かっても返す物が無い、と言ったわたしにすらも、真名を預けてくださった。安心してお仕えするべきだな」
元華雄の趙染は、それを聞くと目を丸くする。そして何か感じ入った様子で、頭を下げた。次に『名無し』に視線を向ける。
「そうか、お主も真名が、いやそれどころか姓も名も字すらも無い、のか。大変、だったな」
「いや、それでも信じてくれるご主君がいるからな」
「なるほど、共に頑張ろう!」
趙染と意気投合する『名無し』を見て、白蓮は少々慌てる。
「な、仲がいいのは喜ばしいが! こ、こいつは、わたしにとって大事な奴なんだ。その事は承知しておいてくれ、よ!?」
「え? あ。あー、はい。了解いたしました」
「……えーと」
一方の『名無し』は、少々困惑していたりする。何はともあれ、続けて元董卓軍ではない人員の自己紹介だ。
「わたしは荀攸、荀公達にございます。董卓……いえ、裴嶷殿とそのご一党の方々は、わたしの顔をご存じの方も多いかと思われますが。此度、白蓮様の筆頭軍師を申し付かりましてございます。皆様方、よろしくお願い申し上げます。
皆様方にも、わたしの真名である桂輝をお預けしたく存じます。どうか今後とも、よしなに……。それと、わたしを白蓮様に推挙していただいた『名無し』殿には、厚く感謝申し上げます」
「いや、桂輝殿の才は、わたしに数倍から数十倍するとお見受けいたします。わたしはまあ、知識だけですからなあ。つまりは他の知恵者が考えたり調べたりして記した書物の内容を丸暗記しているだけですから」
「ほんとに『名無し』師は自己評価低いな」
「白蓮様が仰いますか」
次に名乗り出たのは、若いまだ少年と言っていい年頃の男だった。と言うか、あの劉玄徳よりも若い。
「ぼ、僕は姓は田、名は豫、字は国譲と申します。もとは劉玄徳様の元で働かせていただいていたのですが、母が老齢でして。僕は歳を取ってからの子でしたので、はい。それで故郷の幽州に戻って参りました。そ、それで『名無し』殿が公孫伯珪様にお仕えしているのは知っておりましたので、推挙していただけないかとお願いしたところ、了承いただけまして」
「彼の優秀さは、わたしが劉備様の元に居た時から知ってはいたのでね。彼が訪ねて来たときは、天が味方しているのかとさえ思った物だ」
「『名無し』殿がこちらで重用されていると聞いたときは、正直驚きました。いえ、何故『名無し』殿が劉備様の元に居た時に、その実力を発揮しなかったのか、と。まあ、詳しく話を聞けば納得いたしましたが。劉玄徳様の近くにお仕えしていた時には気づきませんでしたが、離れてから言い諭されれば、なるほどと思う事しきりで……。
これよりは、公孫伯珪様の御ために微力を尽くしたく存じます。どうか我が真名、流角をお受け取りください」
「よろしく頼む。わたしの事も、白蓮でいいぞ。流角には、『名無し』の補佐を頼みたい。『名無し』の持てる知識を編纂して書に書き出す仕事と、それと
「はっ!」
次に口を開いたのは、大斧を携えた武人である。武人であるが……見た目はまだ幼さの残る少女であった。
「自分は、徐晃、字を公明と申します。司隷河東郡楊県で郡吏として
「うむ。その武威をもて、どうかわたしを助けてくれると有難い。貴殿も、わたしを白蓮と呼んでくれ」
「はっ! 白蓮様も、自分を香風と呼んでいただければ幸いです」
続いて立ち上がり、礼を取ったのはこれも顔立ちに幼さが見て取れる少女だった。なれど迸る才気は、隠しようも無い。
「それがしは、姓は郝、名は昭、字は伯道と申す者です。それがしも并州太原郡で将来使える主に
「うん、来てくれて本当に嬉しい。ありがとう。わたしの事は、白蓮と呼んでくれ」
「はっ! 必ずやご期待に沿ってご覧にいれます!」
最後に
「わたしは陳羣、陳長文にございます。わたしの様な若輩に、幾度も御使者を出していただき、かたじけなく」
「いや、そなたを始めこの場の皆は、我が配下にして盟友たる『名無し』が選り抜いて推挙してくれた豪傑、英才、俊英、知者なのだ。本来であれば、皆わたしが直接出向いて
ここで白蓮は、唾棄しそうな表情を作る。
「アレにどうしても無理にでも参加せざるを得なくてな。参加せねば、他の群雄から狙われる理由を作る事になる。それでわたしも、妹の青蓮も、従妹の黄蓮も動きが取れなかった。直接出向けず、名代に相応しい血筋の者も出せず、本当に皆には済まなかったと思う」
「「「いえいえいえ!」」」
「ま、まあそれでも来てくれて、本当に皆ありがとう。陳長文、わたしの事は白蓮と呼んでくれ」
「はっ! 白蓮様も、わたしの事は山封と呼んでいただければ」
「わかった。山封は有能な実務家と聞く。今、わたしの幕僚の関靖だが、もう山の様に仕事が詰まっていて、あっぷあっぷしているんだ。奴はもう降参状態だと自分で言っているんで、奴の地位を受け継いでくれないか。奴もそれでいいと言っている。その関靖を、当分の間補佐に付けるから」
「了解いたしました」
こうして、一通りの自己紹介が終わった後は、和気あいあいとした雰囲気のまま宴本番となった。ここで披露された、『名無し』が書き出した料理書に載っていた美味珍味の数々は、一同の舌をこの上なく楽しませたものである。
*
白蓮は、今までの酒が何だったのかと言うほど
「しかしまあ、『名無し』師には本当に足を向けて寝られん。身分の低い者たちや、一見力量の低い者たちに機会を与えんと、そう言った者たちを優先して召し抱えていたが……。名士層とか最初から能力が高い者を避ける様な傾向になっていた、とは。
そう言った層の人材も、身分の低い者たちも、分け隔てなく登用しろと言われたときは、盲が開かれた気分だったな。というか、今までが酷かった、という事なのだろうな」
「なるほど、そうだったのですね。それで、言っては申し訳ないかと思っていたのですが、人材層が少々いびつに感じていたのです」
「月も、言うなあ。ははは。そして月たち以外の新人全てを推挙してくれたのも、『名無し』師だ」
白蓮の盃に、新たに酒を注ぎつつ、月は言う。
「本当に、かけがえの無い盟友を得られたのですね」
「ああ。お前たちの新たな名を考えたのも、『名無し』師だぞ」
「なっ!? 音々音たちの名を!? ……どういう由来なのです」
音々音が叫んだその場に現れたのは、当の『名無し』である。
「ああ、貴殿らの新たな名だが。今の時代では知られていない、今とは異なる時代のしかして優秀な有能な武人や知識人の名前を借りて来たんだ。名前が知られていないだけで、諸君らの実力相応に凄い人物の名だぞ」
「むう……。ただ、広く知られていないというのは少々ムッとするです」
「まあ五胡十六国時代の人間なんて、絶対に知られてないわな」
「なんか言いましたです!?」
「うむ、言ったが?」
「むう……」
白蓮は、そんな話をしている『名無し』に手招きをする。どうも自分の横に座れ、と言うジェスチャーの様だ。『名無し』は失笑しつつも彼女の横に座る。
「……本当は、もっと数多くの人材を獲得したかったのですがね。目下の仮想敵である袁紹は、既に多数の知者武者をその麾下に揃えています。まあ、人材を抱え込み過ぎて、船頭多くして船が山に登っている状態なのは不幸中の幸い。ただ、田豊、沮授、郭図、逢紀その他諸々の知将、顔良、文醜、張郃と言った勇将。引っ張れるなら引っ張りたい程ですが。
ああ、でも田豊は上の者に逆らったりする
「それは確かに……」
「何にせよ、袁紹の元から荀彧、郭嘉が去ったときにどうにかその者たちを手にする事が出来ていれば……。荀攸……桂輝殿が筆頭軍師なのは確定としても、その周囲を固めて、場合によっては複数方面に軍を分けた際にその全てに軍師を付けてやれれば……。
そう言えば、程立も何処に居るのやら。今頃は目指す日輪を見つけて、程昱に改名してるのかな?」
「うにゅ」
「む?」
『名無し』が気づけば、白蓮は既に酔っぱらっており、『名無し』の肩にもたれ掛かって船を漕いでいた。やはり『名無し』提供の新たな知識で作った度数の高い酒は、効いた様である。彼が周囲を見回すと、いつの間にやら酔いつぶれた連中で死屍累々と言った状況。しかし山封……陳羣だけは未だに潰れずに、『名無し』に苦笑を送って来ている。山封、ザルであった。
『名無し』もまた、山封に苦笑を返し、召使や侍女たちに命じて酔いつぶれた面々を各自の部屋に送らせたのである。ちなみに侍女頭から、『公孫伯珪様は、貴殿がお部屋に運んであげなされませ!』と半ば脅迫にも近い勢いで言われたので、彼は言う通りに彼女を部屋まで送ったそうであった。
まあ、何も無かったんだけど。
なんか強迫観念に駆られたんで、ちょこっとだけ続き書いてみました。
『名無し』はザルって言うほどでも無いですが、醸造酒をちょこっと飲んだ程度で潰れるほどにはヤワじゃありません。蒸留酒を浴びるほど飲めば、確実に潰れますけど。でも蒸留酒は理屈と図面は渡しましたが、まだ作れるほどは技術が間に合ってませんので。
でも消毒用アルコールが医術の発展には必要なので、最優先で研究させてもいます。医学書も、『家庭の医学』レベルの本を優先して、量産してます。全家庭ってレベルじゃないですけど、せめて