三国時代初頭、幽州の地にて。出立する劉備(桃香)に多大な物資と兵馬を与え、客将であった趙子龍(星)までもを持っていかれた公孫瓚(白蓮)。しかしこの時間軸、この外史では、星と引き換えの様な形で白蓮の元に居残った人材が居た。もともと劉備陣営では目立った働きをしていなかったらしい、ただ古参なだけのその男。彼の正体は。

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その男、『名無し』につき

 劉備軍が幽州を去って行く。それを見送りつつ、公孫瓚……真名を白蓮と言うが、彼女は小さく寂しげに息を()いた。それを見た彼女の妹である公孫越、青蓮が遠慮がちに問いかけた。

 

 

「姉さま、もしや……。星殿の事ですか? 桃香殿に付いて行かれてしまった……」

「ああ。これからも続く戦い、星が居てくれればどれほどに、と。まあ、仕方ないさ。わたしは凡人だからな。桃香の人徳には、かなわんよ」

 

 

 星、とはこれまで公孫瓚軍の客将として参陣してくれていた趙雲、字を子龍と言う武将の真名である。その星は、劉備の人徳というか人間的魅力というかにハートを撃ち抜かれて、白蓮の元を去って行ってしまったのだ。

 だがその白蓮の斜め後ろに立っていた男、細身でなんというかヌボーっとした長身の人物が、一瞬唖然とした表情を浮かべる。この男は、星が劉備軍に付いていってしまうのと引き換えの様な形で、白蓮の元に残った人物だ。どうも劉備軍の中で、周囲とあまり良い関係が築けていなかった模様であるのだが。彼は思わず、と言った様相で呟いた。

 

 

「この方は、何を言っておられる、の、でしょうかな?」

「おい、ご無礼を……」

 

 

 慌てて白蓮配下の関靖という幕僚が、男を(たしな)める。だが白蓮は苦笑いを浮かべて、関靖を遮った。

 

 

「いや、構わん。何を、とは何を、だ?」

「貴女は凡人ではない。天才だ」

「は?」

 

 

 白蓮は目を丸くする。なおその場に居た妹の青蓮、従妹の公孫範である黄蓮、幕僚の関靖、配下武将である鄒丹に単経に田楷までもが、『何を言ってるんだコイツ』的な目で見たのは、主君である白蓮に対してひどくないだろうか。

 白蓮は何かを諦めたような笑顔で、言葉を発する。

 

 

「いや、わたしはかつて、秀才だと言われていい気になった事もある。だが本物の天才を見て、折れたんだ」

「まあ、あなたは秀才だろう。やることなすこと、(ことごと)く秀才であり、その道の天才には及ばぬだろう。わたしがここに来る前に、色々な伝手で丁寧に調べた結果ですからね」

「さっきお前が言った事と、違ってないか」

 

 

 半眼というかジト目になって見つめる白蓮に、しれっと彼は言い返す。

 

 

「違ってはいませんな。貴女は、天才だ」

「だから……」

「『全ての道』に於いて、『秀才である』事が、どれだけの天才性なのか、理解しておられぬご様子」

「え」

 

 

 男はまるで教師が弟子に言い諭すかの様に、白蓮に向かい語った。

 

 

「たとえば劉備様。あの方の人徳と言いますか魅力と言いますか。趙雲殿がついて行ってしまった事から、それが桁外れなのは理解できます。だからと言って、貴女に人徳や魅力が無いわけではない、どころか先ほども言った通り、『秀才』として秀でているほどには。人を惹きつける力もある。

 一方劉備殿はどうか? 武力は? 知の面は? 正直、劣っているほどでは無いが心もとない。周囲の者が支えればいいとは言えますが、本人も優れているに越した事は無い部分でもあります。為政者としての評価に直結する部分でもありますからな」

「う、うん、まあ」

「一方で、貴女は? 既に為政者としての実績もある。武の面、知の面で申し分ない。劉備様が逆立ちしても出来ない事が、貴女には可能なのです。まあほんとに逆立ちしたら、普通に出来る事も出来なくなりますがね」

 

 

 男は肩を竦める。そして周囲の、白蓮の部下たちを睥睨(へいげい)した。部下たちは、何というか居心地が悪そうにする。彼は続ける。

 

 

「たとえば、関羽殿張飛殿。あの天賦の才が振るう武威には、貴女は確かに劣ります。なれど、他の部分で貴女はあの2人を圧倒している。張飛殿は武のみに特化しており、まだ幼い故に将来的に知の面でも熟達する可能性はあるやもしれませぬが……。わたしの見たところ、正直望みは薄いですな。

 関羽殿は知勇兼備の名将ではありまするが……。知恵も知識もありますがね。応用面と言うか実用面と言うか、その辺りで不安ですな。自身の感情だけ先に回しそうな? なんか将来的に、機嫌を取っておけと言われた相手との子供の縁談で、虎の娘を犬の子にやれるかとか言って怒らせて背後から討たれそうな」

「な、なんとなく分かる気が」

「一方で貴女は? 幽州の政治を司ってきた貴女ならば、まあ不安は残るもののあの2人に劣る様な事はありますまい。不安とは劉虞殿に関して、ちょっと毛嫌いしておりそうな面です。だが、配下の諫言を厭って遠ざけるとかはしなさそうなので、どうにでもなりそうですし」

 

 

 次に男が挙げたのは、劉備軍の『知』を支える者たちだ。と言うか、この男はどうも劉備軍に参加していた時期から、その軍師たちとあまりソリが合わなかった模様。

 

 

「たとえば、諸葛亮殿龐統殿。あれほどの知は、まあ見た事が無い。なれど武の面ではあえて言おう! カスであると! まあ他にも、精神面で嫌なものを感じますな。主君たる劉備様のためならば、自分が泥を被る気満々です。それは構わないのですが、行き過ぎていそうです。あの方たちは劉備様にとって、左右の両翼に等しいでしょう。

 でもその羽ばたきで……。劉備様が助けたいと願っていたはずの、周囲のアリの様に小さな諸人(もろびと)を、劉備様が気付かぬうちに羽ばたきの風で、吹き飛ばすでしょうな。……わざと、意図的に。劉備様に気付かれずに。劉備様の邪魔になると思い、ね」

「そんなに腹黒か? ……いや、やっぱり腹黒いか。わかる」

「一方で貴女は? まあ確かに知略では敵わぬでしょう。なれども武でも人徳でもあの者たちは逆に、貴女の足元にも及びませぬよ。そして貴女であらば、勝手に泥を被ろうとした配下が無辜の民人を踏みにじってでも貴女を押し上げようとしたときに、気付けるでしょう?」

 

 

 そして男は、溜息を吐く。

 

 

「面倒なのは、いっしょに居た『天の御遣い』ですかね。劉備様に『ご主人様』とまで慕われており、その予言じみた言葉で諸葛亮殿龐統殿を迎えさせた人物。まあ、あれはあれで劉備様と似た立ち位置ですから……。そういう意味でも、公孫瓚様との比較対象には、なりませんな。それよりも……」

「それよりも?」

「まあ万能の天才という面では、貴女と質がもっとも近いのは曹孟徳殿ですかな。曹操殿は聞き及ぶ限りでの話ですが、どの面でも天才性を発揮しておられる。かのお人に対しては、さしもの貴女も分が悪いかと。なれど、あの方では貴女に届かぬ事が、1つありますれば。

 曹孟徳は、あらゆる物事を天才的に処理する。貴女が頑張って必死になって泥の中をはいずり回り、努力の末にようやくたどり着くところを、曹孟徳に限らず天才たちは悠々と達成して行く」

 

 

 目を瞑り、うんうんと頷く男に対し、白蓮は失笑する。

 

 

「……はっきり言うなあ」

「言いますとも。何故ならば、それこそが貴女の、世の全ての天才たちに勝る点なのですからね」

「!?」

 

 

 目を見張る白蓮。周囲の部下たちも、同様に。男は満面の笑みを浮かべて語る。

 

 

「天才は、天才が故に、あっさり結果を出します。問題提起されれば解答まで一直線に。間をすっ飛ばして一足飛びに。なれどそれが故に、他者にその道を理解させる事が、極めて、不可能に近いくらいに、難しい。天才は、才無き人に教えるにはまったく向かない。だが貴女は。天才たちが立てる位階に、必死の、地獄の様な努力で、かろうじて立てる。そしてそれが努力の結果の道であるが故に……。

 才無き諸人が、『貴女を真似る』事で! 『貴女を見習う』事で! 理解できるのですよ! たどり着けるかも知れぬのですよ! 貴方はこの大地に、一部の天才たちよりもはるかに多くの! 無数の! 諸人(もろびと)たちに! 『道』を示せる! 『全てに於いての秀才』と言う名の『天才』なのだ!」

「!!」

 

 

 男の言葉には、その見立てに対する深い自信と、そして白蓮に対する信頼があった。白蓮は目を(しばたた)かせる。

 

 

「まあ、こればかりはあの世紀の天才、曹孟徳にすらも辿り着く事は能わぬ境地、でしょうな。あと、その天才性は努力を忘れたその瞬間に、失われる事も重々ご理解していただきたい。どうか御自戒あらせられますように」

「……うん、まあそこまで褒められた事は、あまり無いからな。物凄く、嬉しい。何に於いても、一番にはなれなかった。何事に於いても。まあだからこそ、そう言われても自信は持てん。だがだからこそ、努力を忘れる事は無い、と思う」

「それがよろしいかと」

 

 

 男は静かに、しかし力強く言った。

 

 

 

*

 

 

 

 と、ここで白蓮は今更ながらに男の事が気になった。彼女は(おもむろ)に問いかける。

 

 

「そういえば……。そう言うお主は、どうなのだ? 先ほど、桃香たちからは『名無し』さん、などと呼ばれていた様だが」

「文字通りです。わたしには名は無いのです。姓も、名も、字も、真名も、ね」

「……聞いても、いい事か?」

「構いません。わたしには、記憶が無かったのです。記憶喪失、という奴ですね。それでとある寒村の外れに住み着き、畑仕事の手伝い……小作人の更に手伝いの、更にその真似事の様な事をして、暮らしていました。まあその寒村も、黄巾賊に潰されまして。それで劉備様たちの義勇軍に。

 ただ……。諸人(もろびと)を護る義勇軍だから参じたのですが。その名目を、劉備様ご自身は信じておられた様ですが。しかしてその本質は、劉備様を高い地位に押し上げるための方便だった様で。まあ中核人員と大多数が、劉備様の人徳? とやらに()かれて集まった者達ですから仕方ない。ただ正直、まあこんなもんか、と。ちょっと失望しておりましてね。諸葛亮殿と龐統殿という、知恵者が加わった後は、更に」

「……」

 

 

 しばし沈黙が続く。しかして男は……『名無し』は話を再開した。

 

 

「でもって、貴女が頑張って努力して治めておられる幽州に来て、助力したとは言えど自身が善意の存在である事をひけらかして援助物資と、そして将までもタカって行く始末。劉備様のご友人である貴女には申し訳無いが……。劉備様陣営の末席に居たわたしから見ても、あまり面白い物ではありませなんだな。

 いや劉備様ご自身は善意のお方なのは間違いが無い。彼女に『そういう意図』が無かったのも。なれど理さえあるならば周囲の者に流されやすい。なまじ若干の学があるだけに。それに特に、諸葛亮殿と龐統殿は、ああいう者たちですから」

「あー……。は、話を戻そう。今も、記憶喪失は?」

「ある程度治りました。かつて学んだ知識は、かなりと言いますかほぼ全て戻っております。なれどわたしの名前の類、わたしが誰であったか、のエピソード記憶だけは、一切戻って来ませんな」

「なんだその、『えぴそーど記憶』って。……学んだ知識、か。興味あるな。どんな物を?」

「四書と五経、武経七書は、一応(そら)んじる程度には」

「なんだと!? ちょ、ちょっと(そら)んじて見てくれるか!?」

 

 

 

*

 

 

 

「どうだ田楷!? 関靖!? 内容は!?」

「い、今手元にある書と比べて見ましたが、ほぼ間違いないかと」

「それに違う部分も、四書も五経も武経七書も、伝わる間に編纂や一部識者による勝手な改定などあって、そう言うところを考慮すれば今伝わっている主要な文献としては確かな物を読まれておられるかと」

「凄い、じゃないか」

 

 

 『名無し』は少々照れ臭そうな様子を見せていたが、白蓮に褒められて悪い気はしていない様子。そんな彼に、白蓮は問いかける。

 

 

「なんだかんだ言って、わたしも武人のはしくれだからなあ。孫子には興味あるんだ。どう思う?」

「なかなかの物ではありますな。ただし、あまり傾倒(けいとう)するのもどうかとは思いますが」

「そ、孫子の兵法書に対して、なかなか剛毅な事を言うな? 理由はあるんだろう?」

「根本はしっかり押さえてありますし、正しい事を書いてはあります。ですが実例に乏しい部分もあり、その辺は様々な軍師たちによる注釈が無いと、並の兵家には扱いきれぬかと。天才の作品らしい。先ほど言った、天才による理屈は、凡俗に理解させるのが難しい、アレの良い例です」

「……具体的に説明してくれるか?」

 

 

 そして名無しは、何故か懐から眼鏡を取り出して顔に掛けると、どこから取り出したのか指し棒を手に説明を開始する。

 

 

「たとえば孫子の兵法書には、『一たび将軍として任命されれば、陣中では主君の命令にも従えない事もある』という意味の言葉が書かれていますが、これこそ危険極まりない。前線での主君に対する命令違反を容認する様な言葉は、一部では正しいからこそ危険です。

 また『攻撃を掛ける場合は、高地から低地を攻めるようにして、低地から高地に攻めてはいけない』という意味の事も書かれていますが、これはあくまで現場の戦場を良く見て、取捨選択して場合によっては捨てねばならない選択肢です。解釈によっては、まったく別の意味の事を書いている可能性もあり、『高い低い』が場所の高低ではなく、立場や戦場での有利さの事を示しているという話もあります。けれど兵書だけを(たしな)み現場を軽んずるような指揮官はこれに拘泥(こうでい)し、水の無い山頂に布陣して取り囲まれ、大敗を喫するやも知れませんな」

「な、なるほど」

「他にも、もしかして現地での略奪による補給が主軸だった時代に書かれた兵法書なのかも知れませんが。孫子には兵站に関する記載が無いのですよ。今の時代の戦術戦略では、補給、兵站は最重要ですからね」

 

 

 広く『至高の兵法書』として知られる孫子の兵法書に対しての忌憚(きたん)ない意見に、白蓮たち公孫軍の一同は顔に幾重もの縦線を表し、引きつった声を上げる。

 

 

「う、ううむ。辛辣な意見だな。孫子の兵法書に対し、ここまで物申すとは」

「孫子を否定してはいません。ですが先ほども言った通り、噛み砕いて具体例を混ぜ込み将を教育するのでなくば、誤解や思い込みが多発しかねないのです。可能ならば、様々な名のある軍師たちが記した注釈書を読みたいものです。今のところ、わたしなりの理解と認識しか、孫子の兵法書に対してはありませんのでね」

「な、なるほど。名のある軍師たちの注釈書、か……。関靖、手に入る、か?」

「も、申し訳ありませぬ。すぐには無理かと。ただ今後、手に入りそうならば、ご報告いたします」

「頼む」

 

 

 そして白蓮は、再び『名無し』に顔を向けた。

 

 

「他の書物は読んだことは?」

「他には、農業書や工業に関する秘伝書、あとは武術の秘伝書とか、肉屋の秘伝書なんかもありますね。豚の体を効率よくバラす手順とか鶏を上手くシメる手順とかの集大成。まあ種類問わず、ぐっちゃんぐっちゃんに乱読してますね」

 

 

 その言葉を聞いたとたん、白蓮は目を見開く。

 

 

「!? の、農業書だと! それに工業、つまり鍛冶屋や職人の秘伝だと! 武術の秘伝も気にはなるが、それよりも農業書だ! あと工業の秘伝書! 書き出せるか!?」

「うわ、凄い食い付き。図面などもあるので、竹簡以外にも図面用に別に幾ばくか紙を用意していただければ。紙は高価ですし、ちょっと高くつきますな」

「かまわん! お前は、物凄い拾い物かも知れん! いや、かもしれんどころでは無く、間違いない! 桃香、というか諸葛亮に龐統。わたしに対し、してやったつもりで、大損をしたのに気付いてないな!?」

 

 

 人の悪い笑顔を浮かべる白蓮に、『名無し』の男はニヤリとこれも人の悪い笑みを返した。

 

 

 

*

 

 

 

 そして『名無し』は幽州の城内に広い一室を貰い、そこで大量の紙や竹簡を前に、自身の知識にある限りの書物を書き出す作業に追われる事になった。その後、数日。唐突に、彼の執務室に白蓮が木簡と丸めた絵図を手に、飛び込んで来た。

 

 

「おい、『名無し』、いや『名無し』師!」

「いやいやいや、わたしごときを『師』扱いなど」

「いや、だから謙遜が過ぎる! というかこれはいったい!? この『活版印刷』とは!? それに『紙の手工業による大量生産法』だと!? これが実現できるなら、大量の書を作れる! 大陸の書物の流通を一手に握れる他、幽州は紙の一大生産地になれる! だがそれだけでも大事(おおごと)だが! 問題は!

 この技術があれば学術書や技術書の類を大量生産して、市井の子らに学問を学ばせられる! いや大人たちでも学ぶ意欲がある者には! 学ばせれば、幽州の生産力は桁外れに上がる、ぞ!」

 

 

 白蓮の言葉に、『名無し』の男はまるで生徒が試験で満点を取った教師のような、満面の笑顔を浮かべた。

 

 

「……あの書類から、それだけの事を読み取れるとは、流石ですな。あらゆる方面に『秀才』で、それらの内容をご自分の中で有機的に組み合わせられるが故のご発想。

 それとですな。農業書を色々書き出してみましたが」

「こ、これは!?」

 

 

 慌てて書類を斜め読みする白蓮。その表情が、ひきつる。

 

 

「なんだこの化学肥料というのは!? それと他にも堆肥とか様々な肥料の作り方が! 土地を肥やす方法が! そして品種改良の技術だと!? 遺伝の法則!? 作物の病気に関する資料がこんなに! 何!? 連作障害とはなんだ……同じ作物を同じ土地で作り続けるとまずいのか! それを防ぐために輪作、だと!?」

「ああ、わたしは読んだことがある物を書き出しているだけなので。考えた人や調べて本にした人を褒めていただければ」

「いや、お前もかなりとんでもなく貢献してくれているからな!?」

 

 

 そして『名無し』は、もうニッコニコ顔で引き続き書類を書き出す作業へと戻った。

 

 

 

*

 

 

 

 今日もまた白蓮は、『名無し』の執務室に書類の束を抱えて飛び込んで来る。

 

 

「流れ作業、ってナニ!? 複雑な仕組みを持つものを、各部の部品ごとの単純な作業ごとに切り分けて、最終的に部品を組み上げる……。全部に一括しての作業ができる高度な職人は、必要が無い……だと!?

 これは……。並の品物を大量に生産するには、素晴らしい方法だな!?」

「ええ。凄腕職人には、一品もの、逸品を作らせておきましょう。あるいは望む者には、作業工程の一元管理の管理者を任せて」

「幽州が……。幽州が、変わる!」

 

 

 『名無し』の男はマジ顔になって、言葉を紡ぐ。

 

 

「ええ、変えましょう。幽州を、変えましょう。……ただ、卑近(ひきん)な事象にも目を向けなくてはなりますまい」

「!! そう、だな。麗羽、じゃお前にゃわからんか。袁紹、だな?」

「はい。劉虞殿に対しても、わたしの進言を容れて和解の使者を送られた様ですね?」

「ああ、好き嫌いで言えば嫌いだが、近年の政情からして喧嘩してる場合じゃないからな」

「それがよろしいかと。しかし袁紹殿は……。劉備様の元に居たときに情報収集した結果なのですが、あの方の動機は『華麗に』『美しく』などと言ってはいても『欲』です。止めようがない。ならば立ち向かうしかありますまい」

 

 

 そして『名無し』は、今書き進めていた竹簡を扇で仰いで乾かしつつ、白蓮に差し出した。

 

 

「これ……は」

「新兵器、それも今からでも楽に数が(そろ)えられそうな代物です。図面は少し待ってください」

「……助かる」

「それと、よろしければ。劉備様の元に居たとき、細作(スパイ)たちの長と劉備様たち上層部をつなぐ、中間管理職的な事を『こっそり』やってたのは、わたしでしてね。すぐとはいいません。ですがそのうち信頼頂けたなら、よろしければこちらでもその手の組織を任せていただけたら、と」

「なら手が空いたら、すぐに頼む」

 

 

 『名無し』は目を丸くする。

 

 

「……即決、ですな」

「当たり前だ。信頼したなら任せろ、と言っただろ。信頼したから任せる。それだけだ」

「……お任せあれ」

 

 

 そして『名無し』は白蓮の目を見て言った。

 

 

「幽州を、変えましょう」

「ああ!」

 

 

 ここ幽州の地に、一組の主従が成立した。これがどの様な未来を呼び込むか、まだ定かでは無い。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「ところでなんだが」

「はい?」

「頼むから『白蓮』と呼んでくれないか」

「いえ、知っておいででしょう。真名を預けられても、お返しする真名が無いのです」

「それは関係ない」

「え」

「『わたし』が『おまえ』を信頼しているから、その証に真名を預けるんだ。だから気にせず受け取ってくれ」

「……」

「?」

「いえ、何か感じ入りまして」

「そ、そうか」

「了解いたしました、『白蓮様』」

「おう!」

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「朱里ちゃん……」

「雛里ちゃん?」

「最近、細作さんたちの動きが鈍いと思ったんで、その長さんに話を聞いたら……」

「うん」

「あの公孫瓚さんのところに残った『名無し』さん、桃香様たちの指示や命令を、細作さんたちに分かりやすく伝えて、その報酬や工作予算の分配とか、あの『名無し』さんが丁寧にやってたみたい」

「ええっ!?」

「それで細作さんたちからの報告も、余分なところとか削ぎ落して、分かりやすく書簡にまとめて愛紗さんたちに上げてたみたいなの……」

「じゃ、じゃあ情報収集が、これまでのようには」

「うん。その辺り見ずに、星さん引き抜けた見返りみたいに思ってたけど」

「わたしたちで、そっちの細かいとこまでやらないと」

「あわわ」

「はわわ」




主人公は、自分で『エピソード記憶』とか宣ったのでもわかる通り、『そういう』人間です。でも記憶喪失(初頭時は本気で何も覚えてなかったので、単純作業しかできませんでしたが、劉備軍参陣あたりではエピソード記憶意外は完全に取り戻しています)です。自分が何者なのかの記憶はありません。
ただ取り戻した知識記憶の中に『正史三国志』『三国志演義』『横山光輝版三国志』もしっかりありますし、『自分がタイムトラベラーではないか?』との思いや、『でもなんで武将とかが女の子?』との疑問などもあったり。劉備に対しては、劉備はともかく陣営になんかちょこっと幻滅してます。幻滅したあたりで『三国志』知識とか取り戻したので、その件に関しては口を噤んでおこう、って気になったわけでして。そんな気になってしまったので、本郷君とも能動的接触はしませんでした。劉備軍内での立ち位置も、こっそり中間管理職やってた以外は普通の古参でしかなかったですし。
公孫瓚(白蓮)さんに対しては、劉備陣営に兵馬や軍需物資と将まで持っていかれたのに同情してました。なのでいい機会だと陣営移りました。ですが、本気になったのは白蓮さんが『幽州が変わる!』と言ったときです。それまでは自分の立ち位置確保のために動いてた部分多かったんですが、あの一言でなんか目標ができちゃったと言うか。同時にあの瞬間、自分よりも幽州の事思ってるっぽい、けれどちゃんと『自分(白蓮)のために』幽州の事を考えているという、そういう部分にヤラれて、人間として白蓮さんに、なんか惚れたのです。男女関係として惚れた可能性? あるかも。表には出してませんけどね。

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