仕事で忙しく、まとまった休日と執筆時間が欲しいと思う今日この頃。
高校生であの生活をしていた彩葉はやっぱ超人だなと思いながら、超かぐや姫は3週目を見終えました。
翌朝、昨日の素良の心配通り、夜遅くまで芦花たちとKASSENをやったあと、本日のヤチヨのライブを見返し、ついつい誘惑に負けてヤチヨのアーカイブ、果てはおすすめに流れてきた切り抜き動画まで見てしまった私は――。
「……眠い」
結果として三時間にも満たない睡眠時間を経て朝を迎え、口から漏れ出た声は、自分でも驚くほど死んでいる。
そんな私の声とは対照的に、パソコンの画面の向こうではヤチヨが今日も変わらず、元気いっぱいな姿で配信をしていた。
『神々のみんな~! ちゃんと朝ご飯は食べたかな~?』
「……食べます。今、お弁当作ってます……」
届くはずのない返事をしながら、冷蔵庫を開けて、素良が作り置きしてくれていた何種類かの総菜をいくつか取り出していく。
パソコンから流れるヤチヨの配信をBGMに、冷蔵庫から取り出した素良の作り置きの総菜や冷凍ご飯を温め、弁当箱に詰める。
冷凍庫には一人分のご飯がラップに包まれており、総菜の容器にはどれも小さな付箋が貼られている。
『これは木曜まで』
『先に食べてね』
『温めはレンジ一分半くらい』
『野菜もちゃんと食べること!』
『エナドリは控えるように!』
「……オカンか?」
眠気で半分しか働いていない頭で呟くが、素良のおかげで朝っぱらから料理をする必要がないのだから、文句を言える立場ではない。
……むしろ感謝しかない。
「昨日は夕飯作ってもらったし……今度、何かお礼をしないとなぁ……」
冷凍ご飯と総菜を電子レンジへ放り込み、温めている間に私は身支度をする。
丸いローテーブルに置かれた鏡を覗くと――
「……うわぁ」
そこには、見るからに寝不足の
目は半分しか開いておらず、髪はところどころ跳ねており、何よりも目の下にはうっすらと隈が浮かんでいる。
昨日の夜――正確には今日の明け方までKASSENとヤチヨに時間を捧げていた代償が、余すことなく現れている。
だがしかし、
品行方正、成績優秀、文武両道。
授業に課題に、遊びやバイト、なんでもござれ。
教師からの信頼も厚く、なんでもそつなくこなす隙のない完璧な人。
それが、周囲から見た酒寄彩葉という女子高生。
まさかその実態が、深夜までゲームや推し活に時間を溶かし、朝食を幼馴染の作り置きに頼り、疲れをエナドリで、隈を化粧で隠すようなギリギリ女子高校生だとは、知られたくない。
眠気のせいか手元は多少おぼつかないが、それでも外見上は才色兼備で完璧な女子高生を演じるために準備をしていく。
制服にはしわ一つなく、髪もきちんと整え、目の下に浮かんだ隈は芦花から教わったメイクで誤魔化す。
最後に鏡の前で表情を整える。
「……うん。いつもの私」
たぶん。
少なくとも外見上は大丈夫そうだ。
そこでちょうど電子レンジが甲高い音を鳴らし、私は温め終えたご飯と総菜を弁当に詰める。
『それじゃあ、神々のみんな! 今日も一日頑張ってね~!』
「ヤチヨも頑張って……」
配信画面に向かって小さく呟く。
名残惜しい。
ひっじょ~に名残惜しく、このまま学校やバイトなどという現実を捨て、一日中ずっとヤチヨの配信やアーカイブを見たり、ツクヨミで遊んでいたい。
けれど、それは駄目なので、泣く泣く配信を閉じて扇風機の電源を落とす。
そして、ノートパソコンが置かれたデスクの隣。カラーボックスの上、神棚に見立てたスタンドに置かれたヤチヨのアクリルスタンドに向かって、私は一度手を合わせた。
「今日も一日、よろしくお願いします……」
何をお願いしているのかは分からないが、推しを拝むのに理由など必要ない。
そうして靴を履くと玄関を開け――
「暑……」
外に一歩踏み出せば、夏特有の高い湿度を含んだ熱気が、まとわりつくように私の身を包み込む。
朝だというのにすでに空気はぬるく、まだ何もしていないというのに、額にはうっすらと汗がにじみ始めている。
「最悪……」
寝不足の体には堪えるが、立ち止まっているわけにもいかないので、鞄を肩に掛け直して外階段を下りていく。
金属製の階段を踏むたびに、カン、カンと乾いた音が響く。
階段を下り切った場所、アパートのすぐ横にある電柱のそばで、素良がスマホを弄りながら立っていた。
白い髪は今日はまとめられておらず、太陽の光を受けた髪は、白というよりも銀色に近い輝きを帯びている。
そこで私が階段を下りる音に気付いたのか、素良がスマホから顔を上げ、その表情に柔らかな笑みが浮かんだ。
「……あ、おはよう、彩葉。今日も暑いね~」
「おはよう、素良」
素良が右手にスマホを持ったまま、その手を小さく振ってきたので、私も挨拶を返しつつ小さく手を振った。
そのまま素良の隣に並ぶと、私たちはいつものように並んで歩き出す。
「……昨日は楽しかった?」
「あはは……まあ、それなりかな」
は?
それなり?
私は反射的に素良を見た。
ヤチヨのライブを間近で聞いて、あまつさえ握手もしたのに、それなり?
私は目を細め、素良の顔を横から覗き込んだ。
「それなり?」
「う、うん。も、もちろん楽しかった、よ……?」
へぇ?
「ヤチヨのライブを間近で聞いて」
「い、彩葉?」
「その上、ヤチヨと握手までして」
「え、なんで声が一段低くなってるの……?」
素良に問い掛けながら距離を詰めていくと、素良はまるで小動物のように涙目になって、カタカタ震えながら後ずさりしていく。
「な、なんで近付いてくるの……?」
「別に?」
「絶対『別に』って顔じゃないよ!?」
なんて失礼な幼馴染だろう。
私はただ、昨日のライブの感想について聞いているだけだというのに。
そんな素良に負けじと私も一歩距離を詰め、素良がまた下がれば、また一歩私も詰める。
やがて素良は道沿いの壁を背にして、逃げ場を失う。
「え、ちょ、彩葉?」
私はそんな素良のすぐ横の壁に手をつき、顔を近付ける。
「楽しかったのに、それなりなんだ?」
「ぴゃ、ぴゃい……」
「へ~?」
私は素良と目を合わせると、にっこりと笑顔を浮かべる。
というか。
ぴゃいってなんだ、ぴゃいって。
そんな声が人間から本当に出るなんて、初めて知ったぞ私は。
どれくらいの間そうしていたのかは分からないが、多分十数秒経った頃、素良が赤い垂れ目をうるうるさせながら、少しだけ上目遣いで見てくる。
あ、これはマズい。
そう思ったのも束の間。
「い、彩葉、怒ってる……?」
「うぐっ……」
胸の奥に見えない矢が刺さった。
それはもう、グサッと。
普段は世話焼きで、私の生活態度を容赦なく指摘してきて。
エナドリを飲めば飲みすぎって怒るし、食事を抜くか、安く簡単に済ませようとすれば何かしら食べさせようとしてくるくせに。
こういうときだけ庇護欲を刺激してくるのは、反則ではなかろうか?
「……別に、怒ってない」
「本当?」
「本当」
「でも、目が怖かった」
「それは生まれつき」
「昨日も同じこと言ってたよね?」
「気のせい」
「絶対違うよぉ……」
素良が小さく息を吐くと、私は先ほどまでの憤りがどこかへ行ってしまい、私も小さくため息をこぼす。
「はぁ……まあ、いいか。楽しかったんでしょ? ヤチヨのライブ」
「うん!」
今度は素良が、迷うことなく笑った。
「すごかったよ。歌もそうだけど、話しているときと歌っているときで雰囲気が全然違ってさ。大鳥居の上で歌い始めた瞬間、本当に会場全体の空気が変わったというか……」
「……!」
私は思わず足を止めかけた。
昨日までは「面白かったよ」の一言で感想を終わらせていた素良が、ちゃんと具体的な感想を言っている。
それも、ヤチヨのライブで。
私は猛烈に感動した。
「あと、なんとなく分かった気がする」
「何が?」
「彩葉がヤチヨを推してる理由」
その言葉に、私は思わず素良を見る。
素良は夏の日差しを少し眩しそうにしながら、柔らかく笑っていた。
「そう……。なら、よかった」
笑みを浮かべる素良を見て、私は昨日聞こうとしていたことも、どうでもよくなってしまう。
いや、どうでもいいわけではないが、ヤチヨの素晴らしさが素良にも伝わった。
今回はそれだけで良いことにしよう。
……あれ、これ何回も言ってる気が?
「どうしたの? 彩葉」
「んえ? ああ、なんでもない」
今度は逆に私の顔を覗き込んできた素良を見て、私はハッとして歩き出す。
「ちょ、待ってよ、彩葉」
「早く行かないと暑くなるでしょ」
「もう十分暑いんだけど……」
「いいから歩く!」
「ちょ、待ってよ、彩葉!」
そんな他愛のない会話をしながら、通学路を歩く。
そのまましばらく歩いていれば、いつもの通学路のいつもの場所。
そこの日陰に、私たちの友達である
昨日の夜、一緒にKASSENに潜っていたから、会うのは約数時間ぶり。
ツクヨミでの二人のアバターも凝っていて、可愛いし、オシャレで綺麗。
しかし、現実の二人も輪をかけて魅力的。
現に日の当たらない日陰にいるはずなのに、二人にスポットライトのように光が差し込んでいて――。
……あ、違う。
これはただの木漏れ日だ。
寝不足で少し幻覚を見てるかもしれん。
「あ、彩葉と素良くんだ」
「おはよー、二人ともー」
「おはよう、真実、芦花」
「おはようございます。真実さん、芦花さん」
私たち二人が近付くと、真実たち二人も自然に合流する。
これで、いつもの四人。
学校までの残りの道のりを一緒に歩く、いつもの顔ぶれ。
――なのだが。
「素良くーん」
「え?」
合流した瞬間。
真実が何の前触れもなく素良の後ろに回り込み、そのままぎゅっと抱きしめた。
「わっ!?」
「今日もかわいいねー!」
「ちょ、真実さん……!?」
普通なら恋人同士がやるような距離感だが、二人のそれはどう見ても男女の抱擁ではない。
……というか、普通男女逆だし。
弟に抱き着く姉か、二人の身長差も相まって、大型犬が小動物にじゃれついているようにしか見えない。
真実に抱きしめられて、素良の足が地面から離れてるし。
もちろん、これもいつもの光景。
「あの……真実さん?」
「なにー?」
「歩きにくいんですけど……」
「大丈夫大丈夫。私がこのまま運んであげるから」
「何が大丈夫なんですか!?」
「朝から元気だね、二人とも」
芦花が少し眠そうに、あくびをしながら笑う。
私はその横で、真実に捕獲されたまま困った顔をしている素良を眺めている。
その白い髪が真実の腕の中で揺れるたび、本人は必死なのにもかかわらず、どうにも小動物感が増していく。
「……助けて、彩葉」
素良がこちらへ手を伸ばし、助けを求めるが、私は少しだけ考える。
昨日は夜更かしをするなと言ってきたし、今朝も「それなり」などという、ヤチヨガチ推しの人間を刺激する発言をした。
素良の目も困ってはいるが、心の底から困っているようでもない。
なら……ここで少しくらい放置したとしても、罰は当たらないだろう。
「素良」
「彩葉ぁ……!」
「頑張って」
「彩葉ぁ!?」
「仲良しだね」
「芦花さんも見てないで助けてくださいよぉ!」
朝の通学路に、素良の情けない声とともに、私たちの笑い声が響く。
学校近くに来れば、同じ制服に身を包んだ生徒の姿も増えていく。
道の両側には、友人同士で話しながら歩く生徒や、眠そうにあくびをしながら自転車を押す生徒、何か忘れていたのか全力疾走している生徒など、さまざまな姿がある。
そして、そんな中、私たち四人が学校に近付くにつれて、周囲から聞こえる声も少しずつ増えていく。
『おい、あそこ! 酒寄さんたちだ!』
『ああ……今日も酒寄さんは美しい……』
『綾紬さんと諌山さん、あ、蒲生くんもいる』
『相変わらずあの四人は並ぶと目立つなぁ……』
『ていうか、蒲生くん今日もかわいくない?』
『分かる』
『男だぞ?』
『知ってる。で、それが何か?』
……聞こえてる。
すっごい聞こえてる。
私は周囲の声が聞こえていないふりをしながら、背筋を少し伸ばす。
ここからは完全に外。
つまり、完璧な女子高生である酒寄彩葉を演じなければならない。
私は素良を壁際に追い詰めていた人間とは思えないほど自然な笑みを浮かべ、挨拶をしてきた生徒にしっかりと挨拶を返す。
「おはよう、酒寄さん!」
「おはようございます」
「おっ、おはようございます、酒寄先輩!」
「はい。おはようございます」
完璧。
我ながら完璧な挨拶だ。
今の私を見て、誰も三時間も寝ていない女だとは思うまい。
内心では今すぐ帰宅するなり、机に突っ伏して眠りたいくらいだが、そんなものは表には出さない。
そのために朝から隈を隠し、表情を整え、完璧な女子高生を演じているのだ。
ここで崩してなるものか。
「ねえ、彩葉」
しかし、私の偽装もこの幼馴染には通用しない。
素良は私の顔を覗き込み、周囲には聞こえないくらいの声で私に問い掛ける。
「結局、彩葉は今日何時間寝たの?」
「……」
聞こえない。
聞こえないし、私は何も聞いてない。
校門付近には蝉の鳴き声が響いているし、周囲には楽しそうに話す生徒たちがいる。
だから、今素良が何か言ったような気がするのは、きっと気のせいだ。
「彩葉?」
「……なんのことかな」
「目を逸らさないで」
「逸らしてない」
「じゃあ、こっち見て」
私は素良ではなく、素良の後ろを見透かすように前を見る。
「……逸らしてるじゃん」
くっ……!
幼馴染とは、どうしてこういうところだけ鋭くなるのだろう。
いや、素良だけかもしれないけど……。
「さ……」
「さ?」
「三時間くらい……?」
仕方なく、渋々、できるだけ小声で答える。
すると素良は、大きめのため息をこぼした。
「だと思った。彩葉、また隈をメイクで隠してるでしょ?」
「うぐっ、なぜそれを」
「分かるよ。彩葉の幼馴染だもん」
「……」
さらりと言われた言葉に、私は一瞬だけ何も返せなかった。
別に今更、珍しい言葉ではない。
中学の途中で離ればなれになった期間こそあるものの、私と素良は幼い頃からの付き合いで、ずっと一緒にいた。
それこそ、私が何を食べれば機嫌が良くなるのか、隠し事をしているときはどんな癖が出るのか。
たぶん、私自身よりも素良の方が、私について詳しいことだっていくつかある。
だから、隈をメイクで隠していることを見抜かれたって、おかしくはない。
おかしくはないのだが……。
「……そういうことを、さらっと言うよね。素良って」
「え?」
「なんでもない」
本人にはその自覚がないようなのが、一番たちが悪い。
そんなことを考えながら教室に向かって歩けば、廊下ですれ違う生徒たちから次々と声を掛けられる。
「おはよう、酒寄さん!」
「おはようございます」
「酒寄先輩、この前の数学の問題、教えていただいてありがとうございました!」
「いえいえ。あの問題は途中の式さえ分かれば簡単だから、次は一人でも解けると思うよ」
「はい!」
後輩の女子生徒が嬉しそうに頭を下げて去っていく。
その背中を私は笑顔で見送る。
うん、完璧。
眠気で思考速度が通常の七割くらいに落ちている気がするけど、外見上は何の問題もない……はず。
成績優秀、文武両道、誰に対しても分け隔てなく接する模範的な女子高生。
それが私、酒寄彩葉。
今日も無事に稼働中。
「彩葉」
「なに?」
隣から素良の声がしたので振り返れば、素良は私の顔をじっと見つめたあと、少しだけ眉を下げた。
「今日、体育あるよね?」
「あるけど」
「倒れないでよ?」
「倒れないよ」
「本当に?」
「本当に」
「きつくなったら保健室に行くんだよ?」
「分かったから」
「あと、ちゃんとお昼も食べること」
「……お母さん?」
「誰がお母さんじゃい」
素良はそう言うが、その顔は完全に子供を心配する保護者のそれだった。
私より身長低いくせに……。
私と同い年のくせに……。
「……彩葉、何その顔」
「別に?」
「絶対失礼なこと考えてたよね?」
「考えてない」
「じゃあ、なんで僕の頭の上を見てるの?」
「気のせいじゃない?」
「……絶対、身長のこと考えてたでしょ」
バレた。
素良は分かりやすく頬を膨らませ、自分より背の高い私を恨めしそうに見上げてくる。
本人に言ったら絶対怒るだろうから口にはしないが、こうして見ると本当に弟みたいだ。
「ほら、教室着いたよ」
「話を逸らした」
「気のせい気のせい」
「もう……」
そんなやり取りをしながら教室に入れば、すでに教室にいるクラスメイトたちから次々と挨拶が飛んでくる。
「おはよう、酒寄さん」
「おはようございます」
「蒲生もおはよー!」
「おはよう」
私はいつも通り笑顔で返し、自分の席へ向かう。
こうして、私の学校生活は始まる。
午前中は襲ってくる睡魔をまだ軽くいなしつつ、お昼には素良や芦花たちと机をくっつけてお弁当を食べる。
午後一番には体育があり、文武両道であることを見せつけるように、さすがに陸上部には負けるが、男子にも負けず劣らずの勝負を繰り広げる。
そんなことをしているからか、本日最後の授業では睡魔との戦いになる。
周りをちらっと見てみれば、昼食と午後一番の体育によって睡魔に屈したクラスメイトたちの姿がちらほらと見え、その中には必死で睡魔と戦いながらも舟を漕いでいる真実の姿もある。
そんな姿を見ていると、私もついつい目を閉じてしまいそうになるが、根性で耐える。
しかし、襲ってくる睡魔は強力で、抗うのは無理――
――無理は怠けモンの言い訳や。私は私ができたことしか言うてへんよ。
一瞬で閉じかけていた目が開いた。
そうだ。
ここで睡魔に屈している場合じゃない。
私はみんなが認める完璧で、隙のない女子高生を貫くことで、初めて前を向ける。
たとえ母が褒めてくれることがなくとも、私は完璧にやり遂げて、やっとあの母の後ろ姿を捉えることができる。
素良や真実、芦花は私のことを『頑張ってる』とか『よくやってる』とか褒めてくれるが、それで満足することなどできない。
私はこのまま、完璧な女子高生を貫いてみせ――
「では、ここ分かりますか? 今日は六日だから……酒寄さん」
「はい!」
不意打ちで先生に呼ばれ、閉じかけていた意識を一瞬で現実へ引き戻して立ち上がる。
幸いなことに授業の内容はきちんと頭に入っていた。
私は黒板に書かれている問題へ視線を向け、落ち着いて先生の示した問いに答える。
「はい、正解です。座っていいですよ」
「はい」
私は再び席に座る。
「相変わらずすげー」
「さすがは酒寄さんだ」
「俺なんて何言ってるのか分かんなかったもん」
「それはお前が勉強してなさすぎ」
(あっぶねー……目開けたまま気絶しかけてたわ……)
周囲から小さな声が聞こえてくる。
私はそれらが聞こえないふりをしながら、ノートへ板書を書き写す。
だが。
「……」
シャーペンを握る右手が少しだけ震えている。
眠い。
死ぬほど眠い。
だが、完璧な女子高生、酒寄彩葉はしくじらないのである。
……あ、素良の目がちょっと怖いかも。
~~~~~~
今日も長かった学校が終わり、素良からそれなりに小言を言われながらも、私はバイトへ向かう。
学校から直接、バイト先であるBAMBOOcafeに向かい、学校の制服から店の制服に着替え、鏡の前で身だしなみと表情を確認する。
「よし」
眠くて体は重いが、そんなことは関係ない。
店に出れば、私は酒寄彩葉ではなく、BAMBOOcafeの店員となる。
「ちょっと! 注文ずっと待ってるんだけど!?」
「すいませーん、この料理、僕が頼んだのと違うんですけどー」
「ぬおぉぉ!? なにすんじゃー!?」
「すすすす、すいません!!」
スタッフルームを出てみれば、そこは戦場。
オシャレなカフェには似つかわしくない怒号と悲鳴。
厨房から次々と上がってくる料理。
床には割れてはいないものの、派手にひっくり返されたトレー。
そしてその近くには、顔を青ざめさせている後輩バイトのみおちゃん。
私は一瞬で状況を把握し、すぐに営業用の笑顔を浮かべて対応する。
「大変お待たせしてしまい、申し訳ございません。順番に対応させていただきますので、もうしばらくお待ちください」
まず、注文を待たされて怒っている客へ頭を下げる。
「申し訳ございません。すぐに正しい料理をお持ちします。こちらはお下げさせていただきます」
次に、違う料理が運ばれてきたと訴える客の伝票とテーブル番号を確認し、料理を回収しながら厨房へ声を飛ばす。
「三番テーブル、オムライスじゃなくてパスタです! 伝票確認お願いします!」
「了解!」
厨房から返事が返ってくるのを確認すると、今度は顔を青ざめさせたまま立ち尽くしているみおちゃんの肩にそっと手を置いた。
「みおちゃん」
「ひゃ、ひゃい!?」
「大丈夫。割れてないし、お客さんにも当たってないから」
「で、でも私……トレーひっくり返して、そのうえ注文まで間違えて……」
「失敗したことはあとで反省すればいいよ。でも今は営業中だから、まず目の前のことを片付けよう」
「は、はい……!」
「床は私がやるから、みおちゃんは四番テーブルの注文を取り直してきて。ゆっくりでいいから、復唱を忘れないようにね」
「はい!」
半泣きだったみおちゃんが、大きく頷いて注文端末を握り直す。
その背中を見送ってから、私はすぐに床へ落ちたトレーを拾い上げた。
学校が終われば、今度はアルバイト。
そこでも私がやることは変わらない。
注文を取って、料理を運び。
レジを打ち。
困っている客がいれば対応し。
後輩が失敗すればフォローする。
忙しくなれば店内全体を見ながら、手が足りていない場所へ入り、料理の提供が遅れていれば厨房と連携する。
「酒寄さん! 二番テーブルお願い!」
「はい!」
「彩葉ちゃん、レジ入れる!?」
「今行きます!」
「酒寄先輩、これどうすれば……!」
「それはこっち。私がやるから、次の注文お願い!」
一つ。
また一つ。
目の前に積み重なっていく仕事を、順番に片付けていく。
眠い。
朝からずっと眠い。
今すぐスタッフルームの椅子を三つ並べて横になれば、三秒で寝られる自信がある。
だけど。
「ありがとうございました! またお越しくださいませ!」
そんな疲労など一切表に出さず、私は店を出ていく客へ笑顔で頭を下げる。
完璧な女子高生、酒寄彩葉。
学校でも。
アルバイトでも。
今日も問題なく稼働中。
――たぶん。
~~~~~~
その頃。
彩葉がBAMBOOcafeで忙しく働いているのと同じように、素良もまた自分のアルバイト先で働いていた。
品出しをして、客に商品の場所を尋ねられれば案内し。
重い荷物があれば運んで、手が足りない場所があれば手伝いに入る。
天才というわけではない。
何でも一度見れば完璧にできるわけでもない。
けれど、一度覚えた仕事は丁寧にこなし、分からないことはそのままにせず、必要なことがあればすぐに覚える。
そのうえ、人が困っていることには妙に気付くのが早い。
結果として。
「蒲生くーん、悪いけどこっち手伝ってー!」
「はーい!」
「素良くん、これどこだっけ?」
「あ、それなら三番の棚です。案内しますよ」
「蒲生君、上がる前にこれだけお願いしていい?」
「分かりました!」
いつの間にやら、こちらもこちらで頼られる存在になっていた。
そして――。
~~~~~~
「ただいまー」
「おかえり。お疲れさま」
夜。
バイトを終えた私が自分の部屋へ戻ると、なぜかすでに素良がいた。
というより、台所から良い匂いがしている時点で、玄関を開ける前からだいたい察していた。
……いやまあ、鍵を渡したのは確かに私なんだけど。
「……なんでいるの?」
「彩葉、今日絶対疲れてると思ったから」
「私の部屋なんだけど」
「ご飯いらない?」
「いります」
即答した。
だって仕方ない。
テーブルの上には炊きたてのご飯と味噌汁、それに焼いた魚と小鉢まで並んでいるのだ。
疲れ切った体でこれを拒否できるほど、私は人間ができてないし、そもそも素良曰く『限界飯』を作っている私には抗えない。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
向かい合って夕飯を食べる。
学校であったことや、バイト先であったこと。
みおちゃんが盛大にトレーをひっくり返したこと。
素良のバイト先で、客にまた女の子と間違えられてプレゼントを渡されたこと。
そんな、どうでもいい話をしながら同じ食卓を囲む。
食事が終われば。
「彩葉ー! KASSEN行こー!」
スマコン越しに真実から連絡が飛んできて。
「今日は昨日みたいに遅くならない程度にねぇ」
芦花がのんびりと釘を刺し。
「僕も今日は行こうかな」
素良まで参加する。
四人でツクヨミへ入り。
KASSENで敵味方に分かれて大騒ぎし。
ツクヨミでいろいろやったり。
そして。
『ヤオヨロー! 神々のみんな~!』
ヤチヨが配信を始めれば。
「ヤチヨだ!」
私は何をしていようと即座に反応する。
「彩葉、さっきまでKASSENやってたよね?」
「ヤチヨが始まったなら話は別」
「切り替え早すぎない?」
「ガチ推しを舐めないで」
「昨日も聞いた気がする、それ……」
素良が呆れ。
真実が笑い。
芦花ものんびりとヤチヨの配信を眺める。
ときには私がヤチヨの魅力を延々と語り。
ときには素良が「ライブで見たときもこんな感じだった」と余計な一言を口にして、私から羨望と嫉妬の視線を向けられ。
学校へ行って授業を受けて。
昼休みには四人でご飯を食べ。
放課後にはアルバイトへ向かい。
夜になれば、時間が合った日は一緒に夕飯を食べる。
そしてツクヨミで遊び。
ヤチヨの配信を見て。
火曜日。
水曜日。
木曜日。
何か特別なことが起きるわけでもないが、退屈とは程遠い日々。
どうしてか最近は綺麗に浮かぶ月を見上げたり、素良の膝枕で眠ったり、素良を背中から抱きしめて吸ってみたり……。
……今更だけど、これはどうなんだ? と思うときもあるけど、素良も拒まないので続ける。
しかし、今週は金曜日が終われば待ちに待った三連休。
久しぶりにゆっくり休むことができる期待感を胸に日々を過ごし――
――金曜日の夜。
素良君は作中でも書かれているように垂れ目です。
今作は対彩葉(というより酒寄家)特攻の垂れ目をもう一人追加してお送りします。
次回はようやくゲーミング電柱との会合です。
お母さん語録は難しい……。