アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
誰がヲタクだって?
「誰がヲタクだって? 僕程度がヲタクを名乗れるか!」
八坂鷹は、心外だと言わんばかりに机を叩いた。
十八歳、男。
学校の成績は可もなく不可もなく、運動能力も人並み。容姿については、本人の主観によれば「キャラクター作成時に容姿表を振らず、平均値で済ませた感じ」である。
そんな鷹にも、人並み外れているものが一つだけあった。
TRPGに対する情熱である。
長机の上には、使い込まれたルールブック、キャラクターシート、鉛筆、消しゴム、そして色も形も異なるダイスが散らばっていた。
先ほどまで行われていたのは、『ソード・ワールドRPG完全版』を使った長時間のセッションだ。
最後の一投で敵の攻撃をかわし、仲間が振った威力表の出目によって、辛うじて全滅を免れた。冒険者たちは傷だらけになりながら遺跡を脱出し、依頼を達成して街へ帰還した。
現実には、六人の若者が狭い部屋でダイスを振り、一喜一憂していただけである。
しかし、鷹にとっては違った。
剣戟の音も、魔法の光も、薄暗い遺跡に漂う黴と土の臭いも、確かにそこにあった。
「いや、お前は十分ヲタクだろ。完全版のモンスターデータを見ないで言える十八歳が、世の中に何人いると思ってんだよ」
「だから浅いんだよ。暗記しているだけでヲタクを名乗れるものか。僕なんて、公式リプレイもサプリメントも、まだ読み込みが甘い。フォーセリア史の解釈だって穴だらけだ。本物のマニアに失礼だろう」
「その返答そのものが、もう手遅れなんだよ」
仲間たちは笑いながら帰り支度を始めた。
鷹は納得しなかった。
自分はまだ知識を蓄えている途中である。フォーセリアの神話、アレクラスト大陸の諸王国、古代王国カストゥールの遺跡、魔法の発動条件、精霊との関係、怪物の能力、武器の必要筋力――覚えるべきものは、いくらでも残されている。
ヲタクを名乗るには、あまりにも修業が足りない。
鷹は使い込んだ完全版を鞄へ収めた。
「次回までに成長処理をしておけよ。あと、今日の戦利品を勝手に売るな。魔術師ギルドで鑑定してからだ。どう見ても呪物だからな」
「分かった、分かった。じゃあ、また来週」
「ああ。また来週」
仲間と別れた鷹は、自転車にまたがった。
夜風が、セッションで熱くなった頬に心地よい。
頭の中では、今夜の冒険が何度も繰り返されていた。
あの場面では、前衛を一歩下げるべきだった。敵の正体にもう少し早く気づいていれば、消耗を抑えられた。いや、そもそも遺跡へ入る前に魔晶石を買い足しておくべきだったか。
反省点は多い。
だが、それ以上に楽しかった。
仲間と危機を乗り越え、見たことのない土地を旅して、誰も知らない遺跡へ足を踏み入れる。
もし本当に、あんな世界へ行けたなら――。
交差点へ差しかかった瞬間、視界が白く染まった。
横手から迫る、巨大な影。
耳をつんざく警笛。
ダンプカーの前照灯が、呆然とする鷹の顔を照らしていた。
回避判定を行う時間はなかった。
八坂鷹、十八歳。
仲間とのセッションを終えた直後、恍惚とした気分で自転車に乗っていたところをダンプカーに轢かれ、死んだ。
――笑えない。
◇
次に目を開けたとき、鷹は真っ白な空間に立っていた。
上下も奥行きも分からない。
地面らしきものはあるのに、足元には影がない。身体を確かめても傷はなく、着ていた服も、背負っていた鞄も消えていた。
ただ一匹。
鷹の正面に、黄金色のハムスターが座っていた。
丸い。
とても丸い。
小さな前脚でヒマワリの種を抱え、器用に殻を割っている。
「お目覚めだね、八坂鷹くん。突然だけど、君は死にました」
「……お前は?」
「この世界の創造神です」
「どの世界だよ」
「フォーセリア」
鷹の右拳が、黄金色のハムスターへ突き刺さった。
腰を落とし、足から腰、腰から肩へと力を伝えた、教科書どおりの正拳突きだった。
右拳を受けたハムスターは、白い空間を一直線に飛んでいった。豆粒ほどの大きさになったところで静止し、何事もなかったかのように宙を走って戻ってくる。
「いきなり殴るなんてひどくない?」
「フォーセリアの創造神がハムスターのわけあるか! だいたい、あの世界の創世神話にお前みたいな奴は出てこない! 六大神の系譜にも該当しない! 設定を名乗るなら、もう少し勉強してから来い!」
「さすがだね。完全版の知識は、きちんと残っているようだ」
「……何?」
鷹の背筋に、冷たいものが走った。
ハムスターは口元を前脚で拭うと、つぶらな瞳で鷹を見上げた。
「君には、今の知識と記憶を残したまま、フォーセリアへ転生してもらいます。行き先はアレクラスト大陸。剣と魔法と冒険の舞台だよ。よかったね」
「よくない! 絶対に嫌だ!」
「好きな世界じゃないの?」
「ゲームとしては好きだ! けど、実際に住みたいなんて一言も言ってない! ゴブリンに刺されたら本当に痛いし、毒を受けたら死ぬし、精神点が尽きたら気絶するんだぞ! あの世界の冒険者なんて、危険手当も労災もない日雇い労働者じゃないか!」
「でも、完全版の知識をそのまま持っていけるよ」
一瞬だけ、鷹は黙った。
魔物の能力を知っている。
魔法の効果も、発動条件も、制限も知っている。危険な遺跡、強力な魔法の品、これから大陸各地で起こり得る事件についても、ある程度の知識がある。
それは、フォーセリアで生きるうえで途方もない優位性になる。
だが、知識があっても殺されれば終わりだ。
「拒否する。誰が行くか。僕は仲間と次のセッションをするんだ。今すぐ元の世界へ戻せ」
「もう死んでるから、それは無理」
「だったら、まともな死後の世界へ送れ」
「転生はもう決まったことだから、諦めて」
ハムスターが前脚を上げた。
鷹の足元から、地面が消えた。
「は?」
身体が落下する。
白い空間が一瞬で遠ざかり、代わって眼下に巨大な大陸が広がった。
山脈、森林、河川、街道、城壁に囲まれた都市。
見覚えがある。
地図の上で、何度も旅した大陸。
アレクラストだった。
「待て、待て、待て! せめて転生条件を決めさせろ! 騎士か貴族で! 人間の男! 健康な身体! 能力値ボーナスは全部+3で――!」
「それじゃあ、よい人生を」
「話を聞け、この害獣ぅぅぅぅ!」
鷹の絶叫を残し、白い空間が閉じた。
◇
冷たい。
まず感じたのは、背中に触れる石床の冷たさだった。
次に、鼻を突く血と汗、汚物の臭い。
重い何かが、胸と左脚に載っている。
鷹は呻きながら目を開いた。
薄暗い石造りの部屋。
天井近くの小窓から、細い光が差し込んでいる。
周囲には、人間の死体が積み重ねられていた。
筋骨隆々とした男。痩せ細った老人。獣の毛皮をまとった戦士。まだ少年と呼べそうな者もいる。どの身体にも、剣傷や打撲、獣に裂かれたような傷が刻まれていた。
鷹自身の身体にも、乾いた血と砂がこびりついている。
首には、粗末な鉄の輪。
そこから切れた鎖が垂れていた。
扉の向こうから、男たちの声が聞こえた。
「今日の死体はそれで全部か?」
「ああ。蛮族奴隷が七人と、借金奴隷が三人だ。朝になったらまとめて運び出せ」
鷹は動きを止めた。
石造りの闘技場。
積み上げられた戦士の死体。
蛮族として扱われる奴隷。
そして、壁の向こうから感じる熱狂の残滓。
ここがどこなのか、《完全版の知識》が答えを導き出す。
剣闘と賭博の都。
盗賊ギルドと奴隷商人が闇を支配する、アレクラスト中原南部の大都市。
ロマール。
しかも、ここは闘技場の死体置き場だ。
鷹――この世界でルクスンと呼ばれることになる少年は、震える右拳を握りしめた。
拳の奥に、奇妙な熱が宿っている。
周囲には死臭とは異なる、目に見えない魔力と精霊力の気配が満ちていた。
だが、今はそんなことよりも、言わなければならないことがある。
「ふっざけんな! やり直しだ、ボケぇぇぇぇ!」
死体置き場に、転生者の絶叫が響き渡った。
こうして、八坂鷹――ルクスンの波乱に満ちた一代記が幕を開ける。