アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
船着き場には、陸の上よりも多くの縄があった。
杭へ結ばれた舫い綱。荷を吊るす滑車。帆を操る索具。濡れた板の上を裸足の男が歩き、その脇を、樽を転がす荷運び人が通り過ぎていく。
水面の照り返しが眩しい。
エア湖へ続く船旅を調べに来た僕らは、まず、その忙しさに足を止めた。
「どの人に聞く?」
僕が尋ねると、ノクティアは船ではなく、荷を数えている男を見た。
「あの人。今、待ってる」
なるほど。
忙しい人へ話しかけて嫌な顔をされるより、仕事の区切りを待っている人を探す。
冒険者の聞き込みには、こういう地味な技術も必要だった。
男は木札と樽の数を見比べ、最後の一つへ印をつけたところだった。僕らが近づくと、用件を聞く前に、腰の剣と荷物を見た。
「船か?」
「ええ。エア湖を下る便を探してます」
「何人だ」
「四人」
腰元が、ほんの少し気になった。
ベラは黙っていた。
偉い。
普通の剣に対して抱く感想ではないが、今は褒めてやりたい。
「どこまで?」
男に尋ねられ、僕は用意していた地図を開いた。
「ザインへ向かう道に出たいんですが、その前に、湖沿いで下りられる場所を知りたくて」
「終いまで乗らねえのか」
「途中で、人を訪ねるかもしれません」
嘘ではない。
まだ訪ねる相手が決まっていないだけだ。
男は指の汚れを服で拭き、地図へ目を落とした。
「客だけの都合で、どこへでも着けられるわけじゃねえぞ。荷を下ろす所で下りるなら構わんが」
「その寄港先を教えてもらえますか」
オトフリートが尋ねる。
男は彼の丁寧な口調に少しだけ顔を上げ、それから船の方を指した。
「行く先は船頭に聞きな。荷によって違う。昨日と同じ船だからって、昨日と同じ所に寄るとも限らん」
僕は頷いた。
地図の上では一本の航路でも、船は僕らの旅程に合わせて動いているわけではない。
運ぶ荷があり、待つ人があり、都合のよい風がある。
まず、それを聞かなければならなかった。
*
船頭は、こちらの地図を見るより先に、荷物の量を尋ねた。
それから目的地。
次に、乗る日。
僕がまだ決めていないと答えると、日焼けした顔に、いかにも面倒そうな表情が浮かんだ。
「乗ると決めたら来な。風まで取り置きゃできねえ」
「その前に、途中で下りられる場所を決めたくて」
僕は地図を押さえ、街道の近くを指した。
「この辺りへ出るには、どこで船を下りればいいですか」
船頭はようやく地図を覗き込んだ。
「……こいつじゃ、岸が大雑把すぎる」
「そうですか」
「入り江も船着きも、随分抜けてる。歩く奴の地図だな」
ノクティアが僕を見た。
僕も彼女を見た。
地図を一枚買えば済むと思った時点で、既に甘かったらしい。
船頭は寄港する場所と、そこから道へ出られる場所を、順に説明してくれた。ただし、陸へ上がった後の細かな道については、知らないときっぱり言った。
「俺が知ってるのは、水の上だ。森へ入るなら、森を歩く奴に聞け」
実にわかりやすい。
僕は教えられた船着きの位置へ、小さく印をつけた。
まだ行き先を決めた印ではない。
選べる場所が、ようやく見えてきたというだけだった。
*
次に訪ねたのは、荷を扱う商人だった。
古い鉱石の運搬路を知りたい。
そう話すと、最初は商品を探しに来たと思われた。
「原石なら、今は置いてないぞ」
「買いたいんじゃなくて、昔、どこから運んでいたのかを知りたいんです」
「鉱山を探してるのか?」
「道を」
商人は首を傾げた。
もっともな反応だった。
商人にとっては、今、荷車が通れる道が大事なのだ。使われなくなった坑道の向こうへ出たいと言われても、何の儲けになるのかわからないだろう。
「昔の荷を知ってる奴なら、いるかもしれん」
それでも、彼は少し考えてから、倉庫の並ぶ通りを指した。
「秤を直してる爺さんがいる。石の目方にはうるさい奴だ。坑道の話なら、俺より知ってるだろう」
礼を言って離れると、ゼフィーリアが小さく笑った。
「剣を抜くより、口を開く方が忙しい日ですね」
「これで戦わずに済むなら、いくらでも喋るよ」
「主よ」
腰元から声がした。
僕は慌てて周囲を見た。
近くには誰もいない。荷車の音も大きい。
「何?」
「妾は、よく黙っておった」
「うん。助かった」
「褒めよ」
「偉かった」
「もっと心を込めるがよい」
ノクティアが歩きながら言った。
「普通の剣は、ずっと黙ってる」
「普通の剣にはできぬ働きもしておる!」
「今、普通でいてほしいんだよ」
ザインを抜けるまでに、ベラの機嫌を損ねない沈黙の頼み方を考える必要がありそうだった。
*
教えられた作業場には、小さな分銅が並んでいた。
鉄のもの。真鍮色のもの。角が擦り減り、刻まれた印が薄くなったもの。
窓辺に座っていたドワーフは、白い髭を紐で束ね、秤の支点を覗き込んでいた。
「置いていけ。直るかどうかは見てからじゃ」
「修理のお願いではないんです」
「では、何じゃ」
僕は古い坑道と、そこから運ばれた鉱石の話をした。
老人の手が止まった。
すぐに顔を上げることはしなかった。小さな部品を皿へ戻し、道具を揃えてから、ようやくこちらを見た。
「誰に聞いた」
「荷を扱っている商人の方に。昔の鉱石なら、ご存じかもしれないと」
「石は知っとる。穴の中を何から何まで知っとるわけではないぞ」
「それでも、教えてください」
老人は空いている箱を顎で示した。
座れ、ということらしい。
僕らは荷物を寄せ、作業の邪魔にならない場所へ腰を下ろした。
「わしが見ておったのは、出てきた荷じゃ。選り分けた鉱石や原石を量り、数を合わせて、次の者へ渡す。採る方の仕事ではない」
「エレミアへ運んでいたんですよね」
「行き先の一つじゃな。あそこへ売るからといって、穴があそこまで続いておるわけではない」
「はい。それは、わかっています」
老人は鼻を鳴らした。
「ならよい。若い連中には、話を半分聞いただけで、残りを自分で作る者がおる」
僕は少し、背筋を伸ばした。
実に耳が痛い。
*
坑道が使われなくなった理由は、一つではなかった。
人が減る。
荷が減る。
道の手入れをする者も減る。
邪竜クリシュの話が出た時、老人の声は、わずかに硬くなった。
「留まる理由より、離れる理由が増えた。そういうことじゃ」
去った者の中には、オーファンへ移った者もいるという。
僕は、それ以上の昔話を急かさなかった。
欲しいのは道だったが、老人にとっては、そこで働いていた年月の話でもある。
ノクティアが地図を広げた。
「この船着きから、昔の運搬路へ出られる?」
船頭に聞いた候補の一つを指す。
老人はしばらく眺めてから、指を少しずらした。
「昔なら、こっちじゃ。車を通すために岸から回しておった。今も道が残っとるかは知らん」
「関所へ続く街道に出る前に、分かれられる?」
「分かれ道はあった」
ノクティアは頷き、質問を重ねた。
橋はあるか。
小川はどちらへ流れるか。
荷車を止めていた場所は、何を目印にすればわかるか。
彼女が聞くたびに、老人の説明は具体的になった。
僕が『どこですか』と尋ねるだけでは、出てこなかった話だ。
やがて老人は、余っていた紙を引き寄せた。
「貸せ。お前たちの地図へ書くと、今も通れる道と紛れる」
太い指に似合わず、線は細かった。
岸からの道。
小川と橋。
荷車を回していた広場。
そこから、坑道の入口。
内部は描かれなかった。
「中には、死んだものが歩いとるという話がある」
僕は老人を見た。
「ご自分で?」
「見た者から聞いた。わし自身が見た話ではない」
「鉄のゴーレムは?」
老人の眉が動いた。
「見とらん。それも、いるのか」
「いるかもしれません」
「なら、それを知っとる者を探せ。わしの知っとることには入っとらん」
僕は頷いた。
欲しかった返事ではなかったが、信用できる返事だった。
古い運搬路と、僕の覚えている抜け道。
二つが、どこで重なるのか。
それはまだ、確かめなければならない。
*
最後に老人は、坑道の入口の脇へ、短い縦線を引いた。
「荷を上げ下ろしする穴がある。水を抜く穴もある。人の道と同じだと思うなよ」
オトフリートが身を乗り出した。
「上下に、別々の通路が重なっているのですね」
「鉱脈が都合よく横へ伸びるか。石を追えば、上にも下にも行くわ」
ごもっともだった。
「帰り道を書くなら、高さも書け。頭の上を通っとる道へ、横から曲がれると思うな」
僕は頷いた。
方眼紙の上なら交わる二本の線が、実際には上下に離れている。
卓で出されたら、地図役が頭を抱える仕掛けだ。
しかし、これは冒険者を迷わせるために造られた迷宮ではない。
石を掘り、荷を運び、水を逃がすために使われた場所だ。その仕事の都合が、後から来る僕らには厄介なのである。
老人は描き終えた略図を、こちらへ押した。
「昔の道じゃ。今の道は、自分の足で確かめろ」
「お代は?」
「道は売っとらん」
僕が財布へ伸ばしかけた手を止めると、老人は少しだけ目を細めた。
「向こうへ出られたら、手紙を寄越せ。どこが残り、どこが落ちておったか。それを教えろ」
「わかりました」
「見たことだけでよいぞ」
「はい」
それなら、僕にも払える。
帰ってくる理由も、一つ増えた。
*
作業場を出ると、水の匂いを含んだ風が吹いていた。
船着き場の方から、出帆を告げる声が上がる。
僕は手にした略図を、もう一度開いた。
湖を下る船。
途中で下りる岸。
森を通る古い運搬路。
そして、山の中へ口を開けた坑道。
ばらばらだった話が、少しずつ、歩ける旅程になり始めていた。
「船頭のところへ戻ろう」
僕が言うと、オトフリートが頷いた。
「寄港先を確かめ直すのですね」
「うん。乗る船を決めないと」
「今度は、乗る日も答えられる?」
ノクティアに聞かれ、僕は空を見た。
高い雲が、ゆっくり流れている。
「荷物を整えて、出られる便で」
「ようやく出番じゃな」
ベラが弾んだ声を出した。
「船の上でも、基本は黙っててね」
「……主よ。妾を荷物として数えておらぬか」
「大事な相棒として数えてるよ」
「では、船賃を払え」
僕は足を止めた。
ノクティアが振り返る。
「四人でいい」
その判断だけは、少しも迷わなかった。