アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
船着き場を離れても、しばらくは普通の道だった。
踏み固められた土に荷車の轍が走り、ところどころへ砕いた石が敷かれている。岸に近い場所には薪や木材が積まれ、森の奥からは、斧で木を打つ音が聞こえていた。
僕らは旅人の顔で歩いた。
実際、旅人なのだが、こっそり抜けようと決めた途端、普通に歩くのが難しくなる。
前方から人が来れば、目を逸らしすぎてはいけないと思う。
目を合わせれば、見すぎたかと気になる。
挙げ句、道端の切り株に躓きかけた。
「前」
ノクティアが言った。
「見てる」
「足元」
「はい」
後ろでゼフィーリアが、小さく息を漏らした。
笑ったらしい。
それで、少し肩の力が抜けた。
*
道が森へ入ったところで、ノクティアが歩調を緩めた。
左手へ折れる細い道がある。
そちらにも轍はあったが、土は新しく、脇には切り落とした枝が積まれていた。
「木を運ぶ道だね」
僕が言うと、彼女は頷いた。
「探してるのは、その手前」
目を戻す。
細い幹と低い藪の向こうに、平らな地面が続いていた。
道だと言われなければ、見過ごしたかもしれない。
しかし、斜面を横切る幅が一定だった。低い側には石が並び、土が崩れ落ちないよう支えてある。
落ち葉を足先で少し払うと、締まった地面が出た。
「こっちだ」
僕らは道を外れた。
枝をくぐった途端、背負った荷物が引っ掛かる。身体を戻し、枝を手で押さえて通す。
後ろのオトフリートへ渡すように持ち上げると、彼は頭を下げて抜けてきた。
「ありがとうございます」
「まだ入口にも着いてないけどね」
土の道を数歩外れただけで、随分と歩きにくくなるものだった。
街道が整備されているありがたみを、関所から逃げる途中で実感する。
世の中、うまくできている。
あるいは、嫌になるほど都合が悪い。
*
古い道は、途切れながらも残っていた。
斜面側には水を逃がす浅い溝があり、谷側には崩れた石積みがある。木の根が道を割り、倒木が荷車の通った幅を塞いでいたが、運搬路として造られた形は読み取れた。
僕は時々振り返った。
行く時に見える道と、戻る時に見える道は違う。
枝の形や岩の向きを覚えておく。迷いそうな場所では、周囲にある石で小さな印を作った。
人目を避けたいのに、目立つ目印を並べるわけにはいかない。
それでも帰り道を失うよりはよかった。
水音が聞こえたのは、その先だった。
老人の略図にあった小川である。
橋もあった。
ただし、渡れる状態ではなかった。
「これは……」
オトフリートが言葉を切った。
両岸の石の土台は残っていたが、間に架けられた木材は片側が落ちていた。残った梁にも湿った苔が張りつき、下からは細い枝が伸びている。
「橋を直すより、浅いところを探そう」
僕が言うと、ノクティアは既に上流を見ていた。
少し回れば、水の浅い場所がある。
僕が先に入り、足場を確かめた。水底の石は滑ったが、深さはない。岸へ上がるところの柔らかい土を避け、縄を渡してから、順に越える。
最後に荷物を持ち直す頃には、靴の中が冷たくなっていた。
「もう帰りたい?」
ノクティアが尋ねた。
「靴だけ帰したい」
「裸足になる」
「じゃあ、一緒に頑張る」
彼女は口元だけで笑った。
僕は略図へ、橋の状態と、渡った場所を書き足した。
老人へ伝える最初の報告ができた。
*
荷車を待たせていた広場には、若い木が生えていた。
草に隠れた石積みと、地面へ沈みかけた平石。その間を、細い水の流れが抜けている。
入口は、その水を辿って見つけた。
最初に見えたのは、石の間に開いた低い穴だった。
水抜きだ。
その上に、四角く加工された石がある。蔓を外し、枝を押し退けると、石組みの門が現れた。
奥から冷たい風が流れてきた。
僕は思わず、大きく息を吸いかけた。
湿った石と、古い土の匂い。
その中に、別のものが混じっている。
「……腐ってる」
「ええ」
ゼフィーリアの返事は短かった。
僕は入口の脇を見た。
苔の下に文字がある。
指で払って読み上げた。
「『積荷の滞留を禁ず。巻上げ口の下に立つな』」
全員が上を向いた。
門をくぐった先、その天井近くに黒い開口部があった。赤錆びた金具と、壁に刻まれた溝が見える。
あの老人の言った通りだ。
人が歩く通路。
荷を上げ下ろしする穴。
水を逃がす溝。
入口だけで、幾つもの用途と高さが重なっている。
「上の荷が残っていたら、厄介ですね」
オトフリートが言った。
「真下を避けよう」
僕らは壁際へ寄った。
ここからは、外の地図とは別に描く。
紙へ入口の印をつけ、高さの基準と書き添えた。
その時、奥で何かが擦れた。
*
曲がり角から、黄色い気配が現れた。
骨だった。
顎のない頭蓋骨。肋骨へ絡みついたぼろ布。片手には錆びた刃物を握っている。
その後ろでは、うつ伏せの死体が床を掻いていた。
「スケルトンとゾンビ。見えるのは二体」
僕はベラを抜いた。
ノクティアが素早く脇へ退き、後ろを確認する。
オトフリートは荷物を背に寄せ、ゼフィーリアは足元の水を避けて位置を変えた。
「魔法は待って。ここで止める」
乾いた床へ足を置く。
骨の足が、かつかつと鳴った。
エピタフの霊とは違う。目の前にあるのは、崩せる身体だった。
骸骨が刃を振り上げる。
僕は盾を前へ出した。
衝撃と、金属の擦れる音。
刃を外へ流し、踏み込む。
ベラの銀色の刀身が、剥き出しの胴を斜めに走った。
肋骨が砕け、上体が傾く。膝が折れても腕だけが動こうとしたので、間合いを外してから、もう一度斬った。
骨が床へ散る。
黄色い気配が消えた。
その下を、ゾンビの手が伸びてくる。
「足元!」
ノクティアの声と同時に、僕は足を引いた。
指が靴先を掠める。
低い。
立った敵の次に、這う敵。
視線を戻す一瞬が、嫌なところへ食い込んでくる。
僕は剣を引き、腕を狙って振り下ろした。
腐った肉の手応えが柄へ伝わる。
片腕を失っても、死体は止まらなかった。残った手で床を掻き、顔を上げる。
歯が見えた。
僕は距離を取り直し、もう一度、ベラを振った。
今度は動かなくなった。
短い戦いだった。
それでも、息を吐くと、胸の奥が少し熱かった。
「傷は?」
ゼフィーリアが尋ねた。
「ない。靴を触られかけただけ」
「それなら結構」
彼女は祈らなかった。
オトフリートも、呪文を使っていない。
だが、僕ら全員の足は止まっていた。
*
「……汚れたの」
ベラが言った。
「うん」
「拭け」
「今、周りを見てるから」
「見ながら拭け」
無茶を言う。
ノクティアが曲がり角の手前まで進み、壁から身を出しすぎない位置で奥を探った。
「すぐには来ない」
その言葉を聞いてから、僕は布を出した。
刀身に残った汚れを拭う。
布は、たちまち嫌な色になった。
「主よ、次は右手でもよいぞ」
「さっきまで出番を欲しがってたのに」
「相手にもよる」
確かに、僕も素手で触りたくはなかった。
あの右手は、死者へ強く作用する。
だが、間合いは剣より短い。殴るために近づけば、相手の腕も歯も、こちらへ届く。
強い手段を持っていることと、いつでもそれを使うことは、別だった。
僕は布を汚れ物用に分け、床の死体を見た。
動かなくなれば、それは障害物になる。
帰る時、慌てて足を取られたくはない。
ノクティアと周囲を見ながら、骨と死体を通路の脇へ寄せた。水の流れる溝は塞がない。
それが終わるまでにも、時間がかかった。
魔法を使わず、傷も負わずに倒した。
それで、何も減っていないわけではなかった。
*
奥へ進むと、通路はすぐに下り始めた。
足元には細い轍のような溝があり、壁には煤の跡が残っている。
ところどころで天井が低い。
オトフリートが頭を下げ、僕は荷物の上を石へ擦らないよう身体を傾けた。
下り切った先には、広い空間があった。
正面の壁には二つの通路。
左手には、上へ続く斜路。
右手は柵の壊れた穴だった。
灯りを寄せても、穴の底は見えない。僕の目には、その途中の壁へ、別の通路が開いているのが見えた。
「下にも道がある」
僕が言うと、オトフリートは入口との高さを紙へ記した。
「ここから降りる設備があったのでしょうね」
壁の金具と、石の台座が残っている。
巻上げ機は失われていた。
ノクティアが斜路を見た。
「上から回れるかもしれない」
「その前に、行き先が書いてないか探そう」
僕は壁へ近づいた。
煤と汚れの下に、刻まれた文字があった。
採掘区画の名。
選鉱場。
排水路。
その中に、荷の搬出先を示す文字もある。
読める。
だが、読めたところで、今もその道が通れるとは限らない。
僕が文字を写している間に、背後でノクティアが言った。
「来る」
振り返った。
右手の穴。
そこへ開いた下の通路から、何かが壁を擦る音がした。
続いて、上だ。
斜路の向こうで、骨の足音が鳴った。
僕らは、同じ場所で二つの高さを見張らなければならなくなった。
*
斜路から現れた骸骨を、僕が止めた。
下の通路にいる死体は、こちらへ直接上がってこられない。穴の縁へ腕を伸ばし、落ちそうになりながら、何度も同じ動きを繰り返していた。
今は斬る必要がない。
そう判断しても、背中へ聞こえる爪の音は気になった。
骸骨を倒した後、ノクティアが僕の袖を引いた。
「後ろ、下がりすぎないで」
振り返る。
壊れた柵の残りが、思ったより近かった。
あと一歩、もう一歩。
戦いながら下がれば、足場がなくなる。
「……ありがとう」
「ここで何度も戦いたくない」
「僕も」
今の敵なら、倒せる。
それは間違いない。
だが、倒せる敵が、戦いやすい場所にいるとは限らなかった。
僕は紙へ書きかけた文字を見た。
荷を運ぶための広間。
働いていたドワーフたちには、便利な場所だったのだろう。
僕らには、上からも下からも死者が近づいてくる場所だった。
「右の通路へ。搬出路の表示がある」
僕が告げると、ノクティアが先を確かめた。
オトフリートが紙を畳み、ゼフィーリアが背後を見ながら続く。
僕は最後に移動した。
穴の下では、まだ死体が腕を伸ばしている。
届かない。
届かないのに、やめない。
僕らが灯りを持って角を曲がるまで、その手は動き続けていた。
*
搬出路は、途中で二つに分かれた。
片方は崩れた石で塞がれている。
もう片方は、緩やかに上っていた。
上った先に、明かりが見えた。
暖かな、橙色の光。
壁に揺れる影。
誰かが、坑道の奥で灯をともしている。
僕は足を止めた。
光のある方へ視線を凝らす。
明かりの周囲に、黄色い気配が見えた。
「待って」
声を落とした。
ノクティアも止まる。
「人じゃない」
灯りは、一度だけ低く沈んだ。
そして、僕らを誘うように、通路の奥へ動いた。