アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
灯りが、奥へ動いた。
僕らが止まると、向こうも止まる。
橙色の光が、岩肌を舐めた。壁に残った工具の跡が浮かび、次の瞬間には、また闇へ沈む。
その光の周囲に、黄色い気配があった。
「ジャック・オー・ランタンか」
小さく呟く。
通路の奥で、光が揺れた。
近づいてみれば確かめられる。
そんな考えが浮かんで、すぐに捨てた。
相手が待っているのは、その一歩だろう。
「知っているものですか?」
オトフリートが、僕の肩越しに尋ねた。
「たぶん。少なくとも、生きた人間が持ってる灯りじゃない」
「では、道案内は遠慮しましょう」
ゼフィーリアが静かに言った。
同意する。
ただ、困ったことに、僕らが進もうとしていた道も、そちらだった。
左の通路は崩れている。
戻れば、上から骸骨、下から腐った死体が寄ってくる広間だ。
怪しい灯りを見たから帰ります、で済めば楽なのだが。
「まず、足元を見る」
ノクティアが屈んだ。
僕らの灯りを高く掲げるのではなく、低い位置へ移してもらう。すると、床の凹凸に影ができた。
削られた石。
砂。
細い木片。
その先に、古い板が敷かれている。
ノクティアは、板の手前で止まった。
*
「踏まないで」
彼女は振り返らずに言った。
僕は後ろへ手を出し、オトフリートを止めた。
ノクティアは床へ片手を置き、板と石の境目を覗き込んでいた。
板は通路の幅いっぱいに並んでいる。
上には砂が積もり、端には小石まで載っていた。遠目には、ただ傷んだ床を補修したように見える。
「下、空いてる」
彼女が言った。
僕も膝をついた。
板の隙間に目を寄せる。
暗い。
暗いこと自体は、僕には問題ではない。
しかし、細い隙間から見える範囲は狭かった。
下へ伸びる石壁。
壁の金具。
そこから先は、床板そのものが邪魔をして見えない。
「縦穴?」
「そう。深さは、まだわからない」
ノクティアは板の端を慎重に調べた。
力をかける前に周囲を見て、隣の板とのつながりを確かめる。僕らは、その手元と通路の奥を交互に見張った。
橙色の灯りが、また揺れた。
少し遠ざかる。
急いで追わなければ見失う、とでもいうように。
「親切な案内だね」
僕が言うと、ノクティアは短く答えた。
「下まで、近道」
「そっちは遠慮したい」
腰のベラが、低く笑った。
*
板を一枚ずらすと、湿った悪臭が上がってきた。
僕は顔を背けた。
喉の奥へ、嫌な味が残る。
ノクティアがさらに身を引き、僕へ場所を空けた。
縁から身体を出さず、開いた隙間を覗く。
穴の底に、何かがいた。
最初は、積まれた荷袋かと思った。
丸く盛り上がった背中。
垂れた布。
太いものが、横へ伸びている。
それが腕だとわかった時、僕の肩が固くなった。
「……下がって」
声が、自分で思ったより低くなった。
底にいたものが、顔を上げた。
人間の顔ではある。
目も鼻も口も、あるべきところにあった。
ただし、大きすぎた。
腐って膨れた頬。裂けた唇。歯の間に挟まった黒いもの。
黄色い気配が、その巨体を覆っていた。
「ジャイアントゾンビ」
僕は穴から目を離し、仲間へ告げた。
「落ちた先にいる」
オトフリートが息を呑んだ。
ゼフィーリアは、すぐに穴の縁から距離を取った。
ノクティアだけが床を見ている。
「板、戻す?」
「いや。隠れてる方が危ない」
僕は首を振った。
下で、何かが石へぶつかった。
重い音だった。
床を通して、靴の裏へ振動が届く。
*
落とし穴。
言葉にすれば、それだけだ。
だが、卓の上でその言葉を聞くのと、自分の靴のすぐ先に穴が開いているのとでは、随分違った。
落ちて怪我をする。
上へ戻れなくなる。
下にいるものに襲われる。
それぞれ別々でも厄介なのに、この穴には全部入っていた。
「昔からの設備でしょうか」
オトフリートが壁の金具へ目を向けた。
「穴はそうだと思う。荷を上げ下ろししたんじゃないかな」
「板は、後からかけ直してる」
ノクティアが言った。
彼女の指す板は、長さも厚さも揃っていなかった。古い釘の穴があるものも、片側だけ黒く焼けたものもある。
どこかの床や荷箱を持ってきて、並べたようだった。
「誰が?」
尋ねてから、僕は奥の灯りを見た。
灯りはまだ、そこにいた。
誰が板を敷いたのかまでは、わからない。
けれど、僕らをこの上へ歩かせたいものがいるのは、間違いなかった。
「主よ」
ベラが呼んだ。
「飛び越せるか?」
「僕一人なら、いけるかもしれない」
言いながら、向こうの足場を見た。
穴の幅だけなら、絶望するほどではない。
しかし、助走できる場所は狭い。飛んだ先の床が無事かもわからず、そこで待っているものもいる。
僕が渡れたところで、残りの仲間と荷物をどうするのか。
「やめよう。飛んだ先で戦いになったら、こっちへ戻れない」
「うむ。では、妾を投げるのもなしじゃな」
「考えてないよ」
「考える前に言うておる」
ベラも、下を見たくはないらしい。
*
ノクティアが、来た道を数歩戻った。
僕は彼女の視線を追う。
壁に、低い入口があった。
さっきは古い木枠と落ちた石に隠れ、窪みにしか見えなかった場所だ。
その脇へ、文字が刻まれている。
汚れを払って読んだ。
「『巻上げ場、点検通路』」
「回れるかも」
ノクティアが言う。
オトフリートが頷いた。
「荷物を上下させる穴なら、脇に人が通る道があってもおかしくありません」
僕は入口の奥を見た。
狭い。
そして、下っている。
ありがたい話には、必ず続きがあるらしい。
「下へ行くね」
「途中で、向こう側へつながっているかもしれません」
「底まで続いてるかもしれない」
ノクティアが付け加えた。
どちらもあり得る。
僕は一度、穴を振り返った。
下から、擦る音がする。
巨体が動いている。
僕らの声か、灯りか、それとも生きたものの気配か。
何に反応しているにせよ、こちらを諦めてはいなかった。
「調べよう。穴の前で相談を続けても、道は増えない」
剣を持ち直し、点検通路へ向かった。
*
階段は、ドワーフには十分でも、僕らには窮屈だった。
天井が低く、肩が壁へ擦れる。
僕が前に立ち、ノクティアがすぐ後ろから足元を見てくれた。
オトフリートとゼフィーリアが続く。
剣を大きく振れる場所ではない。
盾を少し斜めにし、ベラの切っ先を壁へぶつけないよう進んだ。
階段の途中に、横へ抜ける道があった。
そこから見えたのは、先ほどの縦穴だった。
僕らは今、その壁の途中へ出ている。
向こう側に、狭い石の足場が続いていた。
荷を吊った時に、引っ掛かりを外したり、金具を調べたりするための場所だったのだろう。
手すりは、ところどころ失われている。
さらに下へ続く階段もあった。
その先は、暗い底へ向かっていた。
「横を通る」
ノクティアが囁いた。
「一人ずつ。荷物、壁に引っかけないで」
僕は頷いた。
先へ出る。
石の足場は、狭いが、今のところ体重を支えていた。足を置く場所を確かめ、次の一歩を出す。
下は見ない。
いや、見なければならなかった。
下にいるものが、腕を伸ばしていたからだ。
*
指先が、足場の下を掻いた。
届いてはいない。
だが、思っていたより近かった。
巨体は穴の底で立ち上がろうとしていた。片側の壁へ肩を擦りつけ、腐った脚を踏ん張っている。
底には、壊れた木材と石が積もっていた。
その上へ乗れば。
僕は息を止めた。
「止まって」
後ろへ伝える。
巨体の片足が、瓦礫を踏んだ。
石が崩れる。
姿勢を崩したゾンビが壁へぶつかり、点検用の足場が震えた。
僕は壁へ手をついた。
背中の荷物が、外へ引かれるように揺れる。
「ルクスン」
「大丈夫」
返事をしてから、歯を食いしばった。
大丈夫と言ったから、大丈夫になるわけではない。
剣を持ったまま、身体を壁へ寄せる。
下で、巨体がもう一度動いた。
今度は、階段の方へ顔を向けた。
僕らが下りてきた階段。
その続きは、底まで伸びている。
ゾンビは、それを見つけたようだった。
*
僕は足場を引き返した。
ノクティアが先に退き、後ろの二人を上へ促す。
狭いところで押し合わず、一人ずつ。
ようやく階段の踊り場へ戻った時、下から重い足音が響いた。
一段。
石を引っ掻く音。
また、一段。
低い天井へ何かがぶつかり、砂が降ってくる。
「上がってくる」
僕が告げると、オトフリートは杖を構えた。
ゼフィーリアも、僕の背後から下を見た。
ノクティアが短く言った。
「上まで戻れば、広い」
「うん。でも、そこで自由に動かれたくない」
階段なら、一度に伸びてくる腕も限られる。
こちらも剣を振りにくいが、相手の巨体は、もっと窮屈だ。
僕は踊り場の端へ立った。
床を確かめる。
背後へ退く余地もある。
「ここで迎える。下まで追わない」
仲間へ伝えた。
さっきは魔法を温存した。
今は、使う時だった。
下の闇から、腐った大きな手が現れる。
石の角を掴み、指が曲がった。
続いて、頭が上がってきた。
巨人の死顔が、低い天井へ押しつけられながら、こちらを向く。
「主よ」
ベラの声は、もうふざけていなかった。
「落ちるでないぞ」
「そっちも、ぶつけないようにする」
僕は盾を上げた。
背後で、オトフリートが息を整える音がした。
通路の上では、橙色の灯りが、まだ揺れていた。